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千夜一夜の掃き溜め

「名前が好きだよ」

先程降っていた雨のせいか体は芯から冷えており、厚手のコートを羽織っているのに寒さには勝てそうもない。マフラーに顔を埋めていても肌に触れる外気が刺すように痛く、鏡を見なくても鼻あたりが真っ赤になっていることは分かった。そんな最中、隣を歩く友人に言われた言葉は私をひどく動揺させた。

「えっと、どういう意味?」
「別にそのままの意味さ。君が好きだよって話」

二度も言われた好きという言葉を脳で処理しようとしたら、先程冷えていた体が嘘のように暖かくなった。むしろ熱いくらいで、変な汗までかいてしまいそうだ。いったん気をそらそうと視線を彼へ移すと、二つの目が意志を持ったかのようにじっと見つめている。この瞳の前では、曖昧な回答をしてもきっと見抜かれてしまうだろう。

「まあ、なんか言えるうちに言っておいた方がいいなと思ったんだ」
「な、なにかの冗談?」

人をからかうことを得意とする彼には、学生時代散々標的にされた。彼いわく悪戯した時の反応がお気に入りだったようで、色々弄られた記憶がある。どうせ今回もその延長だろうと思っていた。
告白を悪戯として活用するのは少々タチが悪いが、暴走した時の彼らならやりかねない気がするし。というか冗談にして欲しいという私の気持ちが無理やりこじつけただけのような気もする。まあ、とにかくジョージが私に告白をするなんて信じられないのだ。

「いや、全然本気。でも名前は信じてくれないだろうなと思ってたし、これから毎日口説きにくるつもり」
「えっ!? 毎日?」
「もちろん、毎日。そうだな、百回ぐらい告白したら信じてくれたりするだろう?」
「確かに百回告白されたら、信じるかも」
「そっか。じゃあそうと決まれば明日の夜頃、また告白しに行くよ」

隣を歩いていたジョージが数歩前を歩き、こちらを振り返る。

「とりあえず今日の分。好きだよ」



***



次の日、約束通りジョージは私に会いに来た。仕事終わりに駆けつけてくれたのか、服装は小洒落たスーツのままで手には試作品を詰め込んだ袋を持っている。別に彼が来るのを待っていたわけではないが、日付が変わりそうな時刻まで現れなかったら、さすがにからかわれただけだと割り切れる。そうして半ば諦めかけた時に、姿現しで彼はベランダにやってきたのだ。

「よかった。起きててくれた」
「こんばんは。こんな時間までお仕事してたの?」
「まあそんなとこだな。キリがつくとこまで商品開発をしてたら、こんな時間になってたんだ」

別に口説くことを忘れてたわけじゃないと、小さく付け足されたが本当のところは分からない。

「そういえばだけど、告白って直接の方がいいとかってあるかい?」
「そうね……今日みたいに忙しい時とかは無理して来てもらっても申し訳ないし、手紙とかで想いを伝える手段もあるでしょう? だから必ずしも直接ってわけじゃなくてもいいと思うの」
「なるほどな。今日はそれを確認したかったんだ。百回告白した後に、直接じゃないからやり直しって言われた時にはたまったもんじゃないからな」

別にそんな意地悪をするつもりはないが、彼には私が一体どれほど小賢しい人に見えているのか。それとも念には念をということなのか。とにかく、今日の件で彼が毎日口説くことは冗談でないことがわかった。それを意識した途端、心臓が大きく跳ねて体全体に正体のわからない感情が流れる。

「おやすみ。好きだよ」

あぁ、また柔らかな視線が私に向けられる。学生の時はそんな素振りを一度たりとも見せてこなかったのに、急に愛おしそうな目をして見ないで欲しい。これじゃあ彼の思うつぼじゃないか。



***



あれからジョージは毎日かかさず会いに来てくれている。手紙でもいいと伝えたにも関わらず、どんなに忙しいときでも、だ。ただし来る時間と滞在時間はバラバラで、彼が仕事の合間を縫って会いに来てくれる事が分かる。時には早朝、私が仕事へ向かう準備をしている際に伝えられることもあった。その時は火照った顔が出勤まで冷えず、同僚に風邪かどうか心配されたのは記憶に新しい。

今日はお土産を持ってきてくれたらしく、若い女性に人気なお茶菓子を手渡された。オープンしたばかりのお店で行列ができているらしいが、そこに彼は並んだのだろうか。女性に混ざって一人ぽつんと並ぶ姿を想像したら、あまりにも似合わない絵面に頬が緩んだ。

「わざわざお土産までありがとう」
「どういたしまして。これで君からの印象が良くなるならお安い御用さ」

予め用意しておいたティーセットと一緒にお茶菓子をテーブルの上に並べる。柔らかい風味の紅茶は、ジョージの持ってきてくれたお菓子の香りと程よく合わさっていて、上品な匂いが部屋に充満した。

「そういえば最初の時にも言ったけど、告白は手紙でもいいのよ。最近特に忙しそうだもの」

紅茶に角砂糖をひとつ落とし、ティースプーンでくるくるとかき混ぜる。今日は少しだけ甘さが欲しかった。

「心配してくれるのは嬉しいけど、会える時間が少しでもあるなら直接言いたいのさ」

ジョージの指先が私の手にそっと触れる。突然の事で肩が小さく跳ねたが、それ以降は固まるしかできなかった。学生時代の彼は私の反応がお気に入りだと言ってくれていたが、今は木偶の坊のようだ。一体どんな反応をすればよかったのか、正解が全く分からない。ただ表情には出さないだけで、心が乱されたかのように甘やかなものが胸に迫ってきた。そんな葛藤にお構い無しなのか、ジョージの指先はするりと手の甲をなぞり、私の指の間に入り込んでくる。

「俺を気遣ってくれるところも、好きだよ」

手が離されていく動作がやけにゆっくりと見えたのは私だけだろうか。名残惜しそうに触れていたそれは今や完全に離れている。離れて初めて残念、と思った自分に戸惑った。もう手遅れなのかもしれない。私は彼に少しずつ絆されているのだ。



***



窓辺の空気はとても冷たく、結露が生じている。それが周りの水滴を巻き込み、つーっと下に落ちた瞬間、梟が一匹乱暴に窓を叩いた。急かされるように窓を開けると、外がよっぽど寒かったのか勢いよく室内へと転がり込んでくる。そして私に小包を渡すという目的を果たし終えた後、今度はゆったりと外へ出ていった。
窓を閉めながら差出人を見れば、宛名にジョージ・ウィーズリーと独特な丸っこい字が書かれている。
昨日会った時に、明日は来れないから手紙を飛ばすつもりと聞いていた。ただ、今届いたものは手紙にしては重たく、一体彼は何を送ってくれたのか。検討もつかないまま丁寧に包装を解くと、中からは約束通りの手紙と箱に入った小さな何かが入っている。
ひとまず本題の手紙を手に取ると、手書きでこれでもかというほどの愛の言葉が書き連ねられていた。所々にインクがダマになっている部分があり、きっと悩みながら想いを言葉にしてくれたのだろう。ふとした愛しさが込み上げた。
読み進めていると、送ってくれた箱についても書かれていて、どうやら中はスノードームらしい。似合うと思って選んでくれたそれは、童話をあしらったデザインで、私は彼の目にそう映っているのかと思うと、気恥しいやら何やらで、胸が押し上げられた。
直接言葉を言ってもらうのも素敵だが、形に残るもので現されるのもこれまた魅力的だと気付いてしまった。彼といると発見ばかりだ。



***



ジョージに告白されるという生活を三ヶ月以上続け、百回まで残りわずかとなった頃。心境に変化があったかと言われたら、大いにあった。誰に言われるまでもなく、私は彼を好きだと自覚していたし、最近ではジョージに伝わっているのではないかとすら思える。それくらい態度と表情に余裕が無いのだ。
窓ガラスを何度かたたかれ、顔を上げるとぽつんと人影が佇んでいる様子が見える。ジョージはいつもベランダから入室するため、今まで彼に呼ばれて玄関を開けたことがない。窓から侵入されることは分かっているので、一度カギを開けて待っておくようにしたところ、不用心だと怒られたことがある。しかもかなり恐ろしい形相で。それ以降は窓まで迎えに行くようにしているが、どうやら彼にとっては喜ばしいことらしく、「帰りを迎えに来てくれるなんて、まるで新婚みたいだ」と発言をしたときはさすがに恥ずかしくて、うまく会話ができなかった。

惹かれる理由もきっかけも、心当たりはたくさんある。でもたぶん私は、あの貫くような目が一等好きだったのだと思う。ジョージはいつだって目を逸らさない。私が恥ずかしくて下を向いているときにでも、ひたむきに愛おしそうにこちらを見つめ続ける。それは今も。
その視線が交差し、何とも言えない静寂が流れるのも好きだった。

「あのね、ジョージ。私ね……」

後半に続く好きという言葉は、人差し指を口の前に持ってきた彼によって遮られた。

「ここまで来たんだ。百回までちゃんと告白させてくれ。で、俺の勘違いじゃなければ今言いかけた言葉、全部終わったご褒美としてほしい」
「分かったわ」
「ん。今日も好きだよ」

私の頭を軽く撫でた後、それは前髪部分まで落ちてくる。髪を少し上にどかされ、あらわになった額に柔らかな唇が降ってくる。ほんの一瞬、触れたか触れていないか分からない程度だが、満足そうに笑う彼を見ればなんだってよかった。



***



ついにと言うべきか、やっとと言うべきか。初めてジョージに告白されてちょうど百日目。当初のころは冗談だろうと思っていたし、彼の想いを全くと言っていいほど信じていなかった。今となっては、申し訳なさすらある。彼の視線が、声が、表情がこんなにも好きだと伝えてくれていたのに、私は気持ちをもらってばかりで何も返せていないのだ。
普段通り緊張している素振りを見せない彼は、案の定窓からやってきた。変にぎこちないのは私だけらしい。周りの音が一切聞こえない中、自分の呼吸音だけがかすかに響いていてみっともない気がする。がんじがらめにあっているように体は動かず、九十九回告白されてきた人とは思えないほどの余裕のなさだ。意を決したかのように、ジョージが一歩こちらに近づくと、つられて自身のつま先にも力が入る。そうしてひりついた空間で彼が口を開いた。

「改まっていうけど俺は君が好きだよ。ずっと、それこそ学生のころからだ。約束通り百回口説いたわけだけど、信じてくれるかい?」
「……もうジョージに好きって、たくさん伝えていいの?」
「俺がそれを拒否すると思われてるなら心外だな。飽きるくらい言ってくれよ」

唇を噛みながら俯いて、視線をさまよわせた。なにから伝えればいいのだろう。好きで、ただそれだけで、あっという間に百回が過ぎてしまったのだ。どんな言葉を並べたら一滴も零さず、この人にちゃんと伝えることができるのだろうか。無意識のうちに空を泳いでいた指先が、大きな手に掬い取られる。はっとして顔を上げれば、二つの視線がまっすぐに私を捉えていた。

「私も、ジョージが好き」

好きだったと、壊れたおもちゃのように何度も何度も繰り返す。百回言っても足りないくらいだ。合わさった手をゆっくりと握り返すと、反対の手が優しく頬に触れる。急な体温にほんの少し体が強張ったが、拒みはしなかった。この人に触れて貰えることが、たまらなく嬉しいのだ。

「かわいい。好きだよ」
「まだ、告白続けてくれるの?」
「別に、好きって言うのは君を手に入れるためだけの手段じゃないからな。これからも言わせてもらうよ」

頬に触れていた彼の手は一度離れたかと思うと、私の左手に伸びてまた触れる。左手の薬指、その付け根をぐるりと撫でられると、彼からもう幾度となく聞いた言葉を再び耳元でささやかれるのだった。