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「ところで、お前最近、部下に餌付けされてるんだってな」
「へっ!?」

 ビルの間を抜けて屋上に吹き込む涼やかな風に吹かれながら、新人時代の懐かしい思い出にトリップしていた俺の思考は、國吉さんの一言で現実に戻った。

 部下に餌付けされている、というのは、当然庄司のことだろう。
 今までも外勤、出張の度にお菓子を買ってきて俺を懐かせようとしていた庄司だけど、付き合い始めてからは餌付けだけでなくちょっとしたスキンシップまで日課に加わったものだから、営業課では「庄司が遂に係長を手懐けた!」なんて言われて微笑ましい目で見守られている。

 でも、本社勤務の國吉さんがどうしてそんなことを知っているんだ。

「どこからそんな情報を仕入れたんですか」

 なるべく動揺の色を見せないように、食べかけだったメロンパンを口の中に押し込んで無理矢理飲み込んでから尋ねると、筋トレ好きのマッチョな先輩は日焼けした顔でニヤリと笑って片手で俺の頬を摘んできた。

「広報部の情報網をナメるな、各支店の面白いネタは全部俺の耳に入ってくるんだよ」
「わ、ほっぺた、摘まないで下さい」

 別に俺が庄司にお菓子で釣られて手懐けられていることなんて、たいして面白い情報でもないだろうに。

 悪ノリ好きの先輩は、面白がって今度は両手で俺の頬を引っ張って伸ばし始めた。

「ふによひひゃんっ」
「薄情な奴だなー、あんなに俺が可愛がってやったのに菓子に釣られて若い男に乗り換えやがって」
「ふんぐーっ」
「アレか、遠距離の寂しさに負けてってやつか」

 本人は冗談のつもりなのかもしれないけど、ゲイ受けするタイプの國吉さんが言うと本物っぽくて、どう笑ったらいいのか分からない。
 正真正銘ゲイの俺と、ゲイっぽいガチムチ兄貴の國吉課長。
 そんな男二人が眩しい日の光を浴びながら屋上でじゃれ合う姿は……周りから見ると結構微妙な光景なんじゃないだろうか。

「今夜は飲みに付き合えよ、柏木。たっぷり餌付けしてお前のご主人様が誰だったか思い出させてやる」
「ふぉふひんひゃわ!?」
「何言ってるのか分かんねえよ」

 ご主人様って。
 これはもう、お仲間から見たらそういうプレイ好きのゲイ二人にしか見えない状況だろう。

 でもまあ、國吉さんと会うのも久しぶりだし、一緒に飲みに行くのもいいかも……なんてのんびり考えていたその時。
 俺の身体は突然後ろから回された腕に抱きしめられ、そのまま國吉さんから引き剥がされるように、誰かの胸に引き寄せられてしまった。

「ここにいたんですか、柏木さん」
「庄司……?」

 スーツから微かに立ち上る爽やかな香りと、よく通るはっきりとした声は、何より俺を安心させてくれる大切な恋人のものだ。

 ただ、いつもは柔らかな響きのその声が今はワントーン低く下がっていて、振り向くまでもなく、背後から俺を抱きしめる腕の持ち主が國吉課長に対して警戒心を持っていることが分かった。

「ああ、もしかしてお前が噂の餌付け部下か」
「営業課の庄司です。よろしくお願いします……國吉広報課長」
「噂通りのイイ男だなー」

 だから國吉さん、そういう発言がゲイっぽいんですってば。

 心の中でツッコミを入れて、そこでようやく俺は、自分がかなりすごい状況に置かれていることに気が付いた。

 会社の屋上で、しかも本社から来た広報課長の前で俺を抱きかかえる庄司と、その腕の中で固まる俺。
 普段なら絶対、要領のいい庄司がこんなことをするはずがないから、もしかして今さっきの國吉さんとの会話を聞いて何かを完全に誤解しちゃってるんじゃないだろうか。

 若い男に乗り換えるとか、ご主人様とか、考えてみればいかにも誤解のネタになりそうな発言ばかりじゃないか。

「あの、庄司……」

 まずはこの腕を離そうよ。
 この状況はどう見ても、ゲイの修羅場だ。

 目の前で後輩がその部下に抱きしめられているというのに、國吉さんはまったく気にする様子もなく、豪快に笑って庄司の肩や背中をポンポンと軽く叩いて筋肉の付き具合を確かめていた。

「なるほどー、お前がそうなのか。ほー、ふーん」

 何が“なるほど”なのかは分からないけど、やたらにフレンドリーな國吉さんの態度に対して、一応本社の課長相手だというのに愛想笑いのひとつもない庄司を包む凍り付いた空気が怖過ぎる。

「柏木を餌付けするなら菓子だけじゃなくて飯も食わせてやれよ、ただでさえ細えのに、コイツは忙しいと飯を食うのもサボるからな」
「知っています」

 本人には全然そんな気がないのに、受け取り方によっては元彼発言っぽく思えないこともない國吉さんの言葉に反応して、俺の身体を抱く庄司の腕に力がこもる。

 真っ昼間から、ゲイのド修羅場としか言いようのないまさかの展開。
 恋愛らしい恋愛の経験値がほとんどない俺に、この状況に対応できるだけのスキルが備わっているはずがない。

 もしかして庄司の奴、今ものすごい顔で國吉さんを睨んでいるんじゃないだろうかとか、昔から勘の鋭い國吉さんに完全に気付かれちゃったんじゃないかとか。

 パニック状態でぐるぐる考えていた俺の頬をもう一度ぷにっと摘んで、筋肉マニアの先輩は「今夜のことは、後でな」と、ただ飲みに誘うだけにしては悪意すら感じるほどに意味深な言葉を残して、階段を下りていってしまったのだった。




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