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「――お待たせいたしました、どうぞ」

 目の前に静かにカップを置かれて、それまで魔法にでもかけられたように三上の手元に魅入っていた男は、ようやく我に返った様子で顔を上げて低い声で「ありがとうございます」とだけ呟いた。

 三上はその言葉に笑顔で応え、ゴダイに出したコーヒーを、用意したもう一つのカップにも注いで高田の前に置く。

 今まで教えられたマニュアル通りの一定の味で淹れることだけを考えてきた三上にとって、やや薄めの軽い飲み口になるように落としたこのコーヒーが、高田にどう評価されるのかは分からない。
 ただ、高田に合格点をもらえなかったとしても、厳ついヤクザ顔に似合わず初々しい反応を見せるこの客に“美味しい”と思ってもらえるコーヒーを落とすことができていれば、それだけで満足だった。

「いただきます」

 明らかに喧嘩慣れした男の大きな手が、繊細な造りのカップを優しく持ち上げて、口に運ぶ。

「……」
「……」

 一瞬が、永遠のようにも感じられる沈黙の後。

 雄の色気を感じさせる喉仏が上下して、静かな店内に満ち足りた吐息が響いた。

「美味い……」

 低く柔らかな声でポツリと呟かれた一言はお世辞などではなく、自然にその口からこぼれ落ちたもので、三上の胸をじんわり温かく包み込んだ。

「ありがとうございます」
「優しい香りだ。……一日の疲れが癒されるようです」

 深く息を吸って、立ちのぼる香りを堪能しながら褒め言葉を続ける男に、今度は三上の方が頬を熱くする番だった。

 元々の顔立ちが華やかで人目を惹くこともあって、他人に褒められることには慣れているはずなのに、この不器用そうな男の何気ない一言は、どういう訳か三上の胸の奥をくすぐる。

「うーん、美味しい。これなら合格点ね」
「本当ですか……!?」

 まさか高田からも合格点をもらえると思っていなかったため、三上が驚いて顔を上げると、顎髭の店長は細いキツネ目を更に細めて意味ありげに笑い、頷いた。

「ミカミちゃん、今まではいっつもマニュアル通りの決まった味で淹れようとしてたでしょ」
「はい」
「その真面目さは大切なんだけどね、ウチのお店で一番大切なのはやっぱり“お客さまに美味しいと思ってもらえるコーヒーを淹れたい”っていう気持ちなのよ」
「気持ち……ですか」
「ミカミちゃんにとって美味しいコーヒーだけを、お客さまが喜んでくれるとは限らないしね」
「あ……!」

 言われてみれば当たり前のことなのに、今までそんなことにも気付いていなかった自分に、三上は大きく目を見開いた。

 以前働いていた大規模なチェーン展開のカフェでは当然のように味の統一が徹底されていたし、これまで三上は、高田に教わった味を完璧に再現することだけを目標に練習を続けていた。

 だが、客として店を訪れるのは、それぞれに味の好みを持った人間なのだ。

 三上にとっては苦過ぎる渋めのドリップを好む客もいれば、少し物足りなさを感じるようなライトなコーヒーを好む客もいる。

「足りなかったものって……それだったんですね」
「そういうこと。でも意外だったわ。聞きもしないのに、よくゴダイさんの好みが分かったわね」
「外が暑かったので、少し軽い方が飲みやすいかと思って」
「そうなの? ゴダイさんってばこういう見た目だから、アタシは最初に見たときバリバリに濃いブラックが好きなのかしらって思ったのよね〜」

 確かに、言われて改めて見てみると、ヤクザ丸出しの外見と季節感を無視した黒ずくめのスーツ姿は、濃いブラックのイメージなのかもしれない。

「でも、声が……」
「声?」

 こんなことを言ってしまっていいのかと一瞬迷ってから、三上はふんわりと柔らかな笑みを浮かべて、カウンター席に座る男を見つめた。

「声がとても優しかったので、柔らかな味のコーヒーがお好みかなという気はしました」
「っ!」

 思っていたことを何気なく口にしただけなのに。
 三上に見つめられたゴダイのゴツいヤクザ顔は突然血色が良くなり、武骨な大男は俯いたまま明らかにその顔に動揺の色を浮かべ続けていたのだった。



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