2


 既に都内は少し歩けば汗ばむ季節に変わりつつあるというのに、きっちりとした黒のスーツに包まれた、百八十センチを軽く超える逞しい巨体。
 木の幹のような太い首回りに、数人程度なら一度に殴り飛ばすことができるのではないかと思えるほどゴツゴツとした大きな拳。

 普通に立っているだけで威圧感のあるその男を決定的にその筋の者に見せているのは、凄味のある細い目と、恐らく三十代半ばであろう年齢には珍しい五分刈りの黒髪だった。

 この時期に暑苦しい黒のスーツを着込んだ、鋭い目つきの五分刈り男が、出所したてのヤクザ以外の何だというのだろう。

「申し訳ありませんが」

 見るからに極道といった面構えの男を見上げてしばらく固まっていた三上は、静かに息を吸った後で動揺を押し殺し、ドアの前に立つ男にもう一度声をかけた。

「本日の営業は終了させていただきました」

 こういった輩は、こちらが動揺して弱みを見せると敏感にそれを察知してつけ込んでくるので、毅然とした態度で臨まなければならない。

 何事もなく立ち去ってくれ、と心の中で願いながら立つ三上の顔をじっと見下ろしてしばらく黙って立っていた男は、はっと我に返ったように細い目を見開き、男らしい眉の端を僅かに下げて口を開いた。

「……閉店後に、申し訳ありません。店長の高田さんにお会いしたいのですが」

 拳を一振りしただけで数人は軽く薙ぎ倒しそうな巨体に似合わない、低く柔らかい声と丁寧な口調に、今度は三上が目を見開く番だった。

 長い睫毛を上下に瞬かせ、目の前に立つ男をじっと見上げると、鋭い眼光を放つ細い瞳に動揺の色が浮かび、男は耳の先を赤くして三上から目を逸らしてしまう。

 日頃から常連客に「三上さんって物語に出てくる王子様みたい」だとか「むしろ女王様かも」などとからかわれているだけあって、自分の顔が人並み以上に整っていることは自覚しているが、男でも女でも構わず鳴かせる百戦錬磨の幹部といった風格の厳ついヤクザにこんな初々しい反応をされるのは予想外だ。

 元々あまり喋るタイプではないのか、ひと言口にしたきり困った顔で俯いて黙り込んでしまった大男が悪い人間には思えず、イーゼルをヒョイと持ち上げた三上は、店のドアを開き、中で閉店の作業を続けている高田に声をかけた。

「店長、ヤクザのお客さまです」
「ヤクザ?……って、あらやだ、ゴダイさんじゃない! 入って入って!」

 テーブルを拭いていた高田が顔を上げ、三上の後ろに立つ男の厳つい顔を確認して笑う。

 どうやら、ゴダイと呼ばれたこの男は高田の親しい知人らしい。

 水を撒いて追い返したりしなくてよかった……と安心する三上に「どうぞ」と促され、ゴダイは「失礼します」ときっちり頭を下げて店に入った。

「今日はサタケさんは来ないの?」
「いえ、こちらで待ち合わせをしています」
「じゃ、お話はサタケさんが来てからね、もう少し待ちましょうか。ほら、ゴダイさん、そんなトコロに立ってないで座ってちょうだい」
「はい」

 若干強引な高田に促されるままカウンター席に腰を下ろしたゴダイは、高田に代わってテーブルを拭き始めた三上が気になるのか、時折三上の方に視線を向けていたが、やがて遠慮がちに切り出し、高田に尋ねた。

「スタッフを雇われたんですね」
「そうなの、副店長候補のミカミちゃん。美人さんでしょ? 一目惚れして前に働いていたお店から引き抜いてきちゃったのよ〜」
「ミカミさん、ですか」
「やっぱり見栄えのイイ子が店にいるってイイわよね、お客さまとアタシの目の保養になるもの。それにミカミちゃんは前のお店での経験があるから仕事もデキるし! ほんと助かるわ〜」

 話題が自分に向けられているのに、知らない振りをして清掃を続ける訳にはいかない。
 三上は手を止め、カウンター席に座る厳ついヤクザに軽く頭を下げた。

「三上と申します、よろしくお願いします」

 この男が高田の知り合いで、例え悪い人間ではなかったとしても、本音を言えばヤクザによろしくお願いしたりするのは御免だ。

 営業用の笑顔も浮かべずにツン、とした態度で頭を下げた三上に、ゴダイは恥ずかしそうに頭を下げ、優しく耳をくすぐる心地好い低音で「こちらこそよろしくお願いします」と返してきた。



(*)prev next(#)
back(0)


(2/18)
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -