御伽噺の話




「御伽噺みたいな夜ね」

 空は紺から透き通った青、それから紫。見事なグラデーションを描いている。
 真珠みたいに輝く月。落ちてきそうな星。自分たちが絵本や映画の中に入ってしまったような、そんな夜だ。今にも馬車だとか魔法だとか、フィクションでしか見たことのないものたちが登場しそうなくらい、現実味がない。こんなに綺麗な場所なら、無理にでも誘って三人で来ればよかった──と、部屋で休んでいる福沢さんのことを思い浮かべた。こうやって事件や依頼に関係なく旅行するのは珍しいことなのだし、明日は何にでも誘ってみよう、と決意する。

「君ってほんとそういうの好きだよね」

 棒に刺さったラムネ味のアイスを食べながら、乱歩が投げやりに言う。心底どうでもいい感じがよく伝わってきて、わたしはちいさく笑った。血色の良い頬もまだ湿気を含んだ髪も、彼の少年らしさを際立たせている。

「うん、まあ乱歩に分かってもらおうとかは思ってないけど」

 大抵のことはわかりあえないので、はなから諦めてしまっている。それでも良かった。彼と何もかも違うけれど、それでも隣に居られるという事実が大切なのだ。

「だいたい、事件が起こらないだろ。起こっても結末が分かりきってる」

 自分のものを食べ終えた乱歩が、わたしのカップアイスを持っていく。そろそろ飽きてきた、と思っていた頃だ。手が冷たい、とも。

「事件がメインじゃないからね、仕方ないよ」吐く息が白い。辺りを見渡しても、人ひとり歩いていなかった。「でも素敵だと思う。魔法だとか王子さまだとか」
「君も憧れたりするの」

 乱歩の声色は変わらず素っ気ない。それでも、視線を逸らされたりはしなかった。アイスを持っていた方の手がそっと、乱歩の外套のなかへしまわれる。しずかに澄んだエメラルドのひとみが暗く鈍く、ひかる。

「……王子さまに?」

 彼の質問の意図が分からず、聞き返す。わたしの言葉は思いの外密やかに響いた。まるで大人を遠ざけるみたいに。

「うん」

 乱歩の返事もそうだった。内緒話をしているような、かしこくて狡い子どもの顔。この場所にはわたしたちしかいないのに。

「ううん。わたしからすれば、絵本の中の遠いひとより、乱歩のほうがずっと王子さまだよ」

 わかっていたくせに、と思う。聞けばわたしがこう答えることなんて、わかっていたくせに。

「へえ」

 すっと上がった口角が、美しく弧を描く。瞬きの間だけ、影が交わる。わたしだけの触れられる王子さま。御伽噺みたいな夜だ。

お題「御伽噺」






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