こわぬこいしてこいをする



 カスピエルは実に狡猾な男であった。メギドラルを追放されてからというもの、この脆弱なヴィータの肉体でこの世界を生きる為に、利用出来るものは何でも利用した。プライドなどとうに捨てており、巡り巡って己の利益となるのであれば、殺したい程気に食わない男に媚びる事も厭わなかった。ただ、このろくに使えないヴィータの身体にも唯一使えるものがあった。どうやらヴィータ体となった己の容姿は整っているらしく、とりわけ女性のヴィータからは魅力的に見え、少し優しく接しただけで簡単に己の虜になる事が分かったのだ。これを利用しない手はなく、カスピエルは己の容姿と巧みな話術を用いて、女を騙して利用しながら、このヴァイガルドを生き抜いて来たのであった。



「で、結局王都では何があったんだ? カスピエル」

 王宮の騎士団の群れから難なく逃げ切ったカスピエルを待っていたのは、ラウラとの再会の場へと己を遣ったソロモンであった。わざわざ王都の近くまで迎えに来たソロモンに対して嬉しさを覚える反面、余計な心配を掛けてしまったことを後悔した。騎士団が己を捕らえて最悪殺そうとしていた事は、これだけの騒ぎになれば恐らくソロモンの耳にも入っているであろう事は容易に想像出来た。

「騎士団に誤解されたみたいやわ。俺はただラウラちゃんと楽しくお茶してただけなんやけど」
「やっぱりラウラ絡みか……」

 どうやらシバの女王の企みはソロモンも気付いていたらしく、カスピエルはラウラが嘘を言っていない事を改めて確信した。ラウラが己に陶酔しているのは紛れもない事実であり、現状、彼女が己に対して嘘を吐くメリットはなく、逆に己の気を引く為に有益な情報を与えようとすると考えるのが妥当である――そう判断した。

「ソロモンは何も心配する必要あらへんよ。きっと後々になって、ラウラちゃんが王宮の連中の誤解を解いてくれるはずやから」
「シバが納得するかなあ……あいつ初対面の頃から、カスピエルの事疑ってかかってただろ」
「まあ、それだけの事やらかしてしもたしな」
「俺は現場を見てないからなんとも言えないけど……でもシバは一体何をしたかったんだろう。目的を伏せて偶然ラウラと出くわすように仕向けて、カスピエルの出方を見たかったのかな」

 ソロモンの何気ない言葉を聞いて、カスピエルはシバの女王の真の意図を理解した。酒場での出来事はあまりにも不自然だったからだ。ラウラ達が来る前に他の女を口説いていたのは紛れもない事実なのだが、そもそも己が声を掛けるよりも先に相手の女の方から声を掛けて来たのだった。恐らく王宮に雇われて己を唆すよう指示でも受けていたのだろう。そして良い雰囲気になったところで、偶然ラウラともう一人、メイドの女がふらふらと酒場に現れるなど、どう考えても出来過ぎている。

「女王様の目的は分からへんけど、少なくともラウラちゃんは俺の事大好きみたいやわ」
「へえ、やっぱりカスピエルが優しいからかな」
「まあ女なんて、ちょっと優しくしただけですぐ従順になるし楽なもんやわ」
「それはカスピエルだからだろ……」

 はあ、と溜息を吐くソロモンの横で歩を進めながら、カスピエルは脳内で今後の策を練っていた。いくらあの女があっさりと己に陥落したとはいえ、会う手段がなければ話にならない。彼女が仕える女王様が例えお飾りであったとしても、そう易々と得体の知れないメギドと会わせようとはしないに違いない。いくらソロモンが使役しているとはいえ、カスピエルにはラウラを殺そうとした前科があるのだから、シバの女王の立場であれば絶対に二度と会わせないようにする方が理に適っている。

「多分シバの女王は、ラウラちゃんに俺を諦めて欲しくて今回こういう場を設けたんやろな」
「は? なんでそうなるんだよ」
「まあ色々と思い当たる節があるもんやから……」

 カスピエルが適当に言葉を濁すと、ソロモンはそれ以上追究する事はしなかった。今日ばかりはカスピエルに非はないが、その前に仲間内でラウラを賭けの対象にした事が知られてしまったら、さすがに心象は悪くなる。まだ何も策が思い浮かばない状態とはいえ、ラウラと密接な関係になる為にはソロモンの協力は必要不可欠であり、ここで失敗を犯すわけにはいかなかった。
 ラウラはただの女ではなく、王宮、それも女王直属のメイドである。この女を完全に己の物にする事で王宮へのコネクションが出来、行く行くは王宮の宝物庫に隠されている遺物が己の手に入る可能性もある。利用出来るものは何でも利用する、カスピエルがそうして生きていくのは昔も今も変わらなかった。





 時を同じくして、騎士団に保護されて(別に危険な目に遭ってはいないのだが)王宮へと辿り着いたラウラを待っていたのは、つい数時間前まで共に行動していたルネであった。

「ラウラさん〜!! 大丈夫ですか!? まだ純潔は保ててますか!?」
「は……?」

 足音を立てて駆け寄って来たかと思えば己をぎゅうときつく抱き締め、涙声でわけのわからない事を言うルネに、ラウラは首を傾げてみせた。『純潔』という言葉が意味するところや、ルネが何を言いたいのかはラウラとて分かってはいるのだが、カスピエルに何をされたわけでもないのに、勝手にあらぬ方向に誤解されたまま話が進んでいるように思えた。己はともかく彼の名誉に関わる問題なので、看過は出来ない。そう結論付けたラウラは、ルネの手を解けば、真顔でその愛らしい顔を凝視した。

「ルネ。『純潔を保つ』とはどういう意味?」
「はひっ!?」
「私はただカスピエルさんを見極める為、そして私の想いが本当に正しいものなのかどうかを確かめる為に、カスピエルさんとただ『お食事』をしただけですが……」
「そ、そうだったんですね!?」

 気が動転しているのか、裏返った声でそう言うルネに、ラウラは更に追い打ちを掛ける。

「ルネ、もう一度聞くけど、『純潔』って?」
「あ、あのう、それはですね〜……」
「どういう意味?」

 ついにはルネが何も言えなくなってしまった瞬間、ラウラの背後に人影が現れ、そして、ラウラの頭上に手刀が炸裂した。

「あ痛っ!?」
「ひえっ、ラウラさん〜!」

 その場にしゃがみ込んで、突如己に襲い掛かった鈍痛に頭を押さえるラウラに、ルネが慌てて介抱しようと同じくしゃがみ込んでその体を抱き締めた。

「全く、王宮の人間に散々迷惑を掛けておきながら、同僚を弄り倒すとは随分とご機嫌じゃな? ラウラ」
「シバさま、いくらなんでもやりすぎですよ〜! ラウラさんはちょっとのぼせておかしくなっちゃっただけですから〜!」
「手刀のひとつでもかませば目が覚めると思うてな」

 散々な言われようにラウラは顔を顰めたが、売り言葉に買い言葉でシバの女王に盾突いてしまっては、カスピエルと再会を果たす可能性は限りなくゼロに等しくなるに違いない。そう考える冷静さは持ち合わせていた。未だ響く頭の痛みを我慢しつつ立ち上がれば、シバへと体を向けて深々と頭を下げた。

「シバさま、ご迷惑をお掛けして申し訳ありません。ですが、カスピエルさんとは本当に何もなかったのです。ルネが勝手に勘違いしただけで……」
「本当に何もなかったのか?」
「はい」
「本当に、何も?」

 何故シバがここまでしつこく聞いて来るのか分からなかったが、理由がないわけがない。ラウラはなんとか記憶の糸を手繰り寄せるも、カスピエルに見惚れてしまっていたせいで、交わした言葉の一語一句など覚えていなかった。ただ、これだけは明確に覚えている。

「……カスピエルさんに、愛の告白をされました」
「えええええええ!?」

 ラウラの言葉に声を上げたのはシバではなくルネであった。王宮に響き渡るほどの驚愕の声を上げ、さすがにラウラも肩をびくりと震わせて目を丸くした。

「だ、だめですよラウラさん! だって酒場に行った時、あの人別の女性をナンパしてたじゃないですか〜! 絶対本気じゃないに決まってますよ〜、しっかりしてください!」
「分かってる、どうせただの遊びだって」
「そうですよ! 遊びに決まってるじゃないですか! だから絶対あんな人とお付き合いしたら駄目です〜! って、え!?」

 ルネは己が聞き間違いでもしたのかと耳を疑った。遊びだと分かっているにも関わらず、ラウラがその気になっているなど、その思考回路が理解できず、ついシバの女王へと視線を移してしまった。その先には、無表情でラウラを見つめている女王の姿があった。怒りが湧いているのか、それとも呆れているのか。その顔付きからは窺えなかったが、少なくとも祝福は絶対にしていないという事だけはルネにも分かった。

「シ、シバさま〜……どうしましょう……」
「今は何を言っても聞く耳を持たんじゃろうな。とはいえ、王宮に仕える身としての自覚を持って貰わねばならぬ」
「うう、すみません……私が余計な事を言ったばっかりに……」
「気にするな、あのまま放置していればますます拗らせて、結果的には今と同じじゃろう」

 シバの女王とルネ、二人の言わんとする事がラウラには分からなかったが、此度の経緯は仕組まれたものであったのだと推察することは出来た。ルネが己の為を思って行動してくれた事は理解しているが、己の為というのが、果たしてカスピエルと己の恋愛を成就させる為とは考え難かった。目を覚ませという発言から、もしかしたら己たちが酒場に行ったタイミングで彼が女性をナンパしていたのも、それすら仕組まれた事だったのかも知れず、流石にそれは考え過ぎかとラウラは首を振った。本当のところは考え過ぎではなく事実なのだが。

 ラウラが黙ったまま二人を見遣っていると、漸くシバが口を開いた。

「……ラウラ」
「はい」
「遊びは駄目じゃ。王宮、それもわらわに仕えるメイドが男遊びなど、民衆の耳に入ったら示しが付かん。王宮から追い出せと言われても文句は言えんぞ」
「それは少々困ります……」
「『少々』?」
「『すごく』困ります……」

 シバの女王が一体己にどんな冷酷な言葉を投げ付けるのか予想が出来ず、ラウラは返答に苦慮していた。カスピエルにうつつを抜かしている状況とはいえ、ラウラとて王宮のメイドである己の身分をとても誇りに思っている。将来も安泰であり、この身分を一時の感情で投げ捨てるほど思慮に欠けているわけではなかった。どちらかを取れと言われれば、恐らく己の身分を選び、選ばなかった男のことを一生想い、後悔し続けるのだろう。そう冷静に自己分析すら出来ていた。だが、恋愛感情というものは理屈ではないのだとラウラはここ最近になって初めて知ったのだ。自分の馬鹿さを頭では分かっていても、どうにもならなくても、どうしてもまた彼に一目会いたいと願ってしまうのだった。

「私はシバさまにお仕えすることをとても誇りに思っています。ですが」
「『ですが』?」
「初めて恋をして、それも思いが通じ合っている方を簡単に諦めるなんて、できません」
「向こうはただの遊びに決まっておるぞ」
「それを承知の上で好きになったのです」

 カスピエルの事は諦められないが、かといって王宮のメイドを辞めるつもりもない――そんなラウラの身勝手な発言に、シバは軽く眩暈がした。本来こんな子ではなく、真面目すぎるほど真面目で、どうまかり間違えても女癖の悪いろくでもない男に引っ掛かるなど天地がひっくり返っても有り得ない。有り得ないはずだったのに、一体何が起こっているのか。メギドの生態は未だ不可解であり、ヴィータを操る能力を持ったメギドが居てもなんら不思議ではない。そう思ったシバは、ここはソロモンに一度問い質すべきだと結論付けた。

「ラウラ、おぬしの気持ちはよく分かった」
「シバさま…!」
「ええっ、いいんですか〜!? そんなあっさりと認めてしまって……」

 一気に顔を明るくさせるラウラと対照的に、困惑の表情で嘆くルネに、シバはぴしゃりと言い放った。

「認めてはおらん! 早とちりするな!」
「ひえっ、す、すみません〜!」
「ソロモンと話し合うだけじゃ。向こうの出方次第といったところじゃな」

 シバは、ぽつりとそう口にした瞬間後悔した。目の前でラウラが恍惚の表情を浮かべていたからである。

「ラウラ、勘違いするでないぞ。認めておらんからな!」
「はい、ご慈悲をありがとうございます! シバさま!」
「おい! 認めておらんと言うておろうに、何故そんな嬉しそうな顔をしているのじゃ!」
「二度とカスピエルさんと会えない上、最悪王宮も追放されるかと思っていたので、本当に嬉しいです……!」

 プラス思考なのかマイナス思考なのかよく分からないラウラの発言に、シバは大きな溜息を吐いた。そもそも出会いは最悪で、それこそ勝手な誤解から己を殺そうとした相手に惚れ込むなど、一体どうしてこんな事になってしまったのか。ラウラの思考回路がまったく理解できないシバは、ルネと視線を合わせれば、共に困り果てた表情を浮かべるばかりであった。

2019/01/30


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