瞳に燻ぶる欲情よ



「ラウラちゃんとまたこうして再会出来るやなんて、運命としか思えんわ」
「あの、その事についてお話があるのですが」

 活気溢れる王都の街を、カスピエルと手を繋いだまま歩を進めるラウラだったが、早い段階で事の顛末を伝えなければと決心した。いっそ黙って彼の言う通り運命ということにしてしまおうとも一瞬思ったが、後になって事実を知られたら、きっと彼のほうが興醒めになってしまうだろう。甘い言葉を囁かれていい気になっては駄目だと、ラウラは心の中で己に言い聞かせた。

「どんな話でも、二人きりになれる所に行ったほうがええやろ?」
「は、はい……」

 顔を覗き込まれ、微笑を向けられながら訊ねられて、ラウラは頷くしかなかった。黄金色と橙色に妖しく輝くオッドアイの瞳に見つめられると、まるで魔法にかけられたかの様にぼうっとしてしまい、頭が働かなくなってしまうのだ。

「ラウラちゃん、顔赤いけどどうしたん? 風邪やろか」
「いえ、大丈夫です!」
「ほんまに? 無理してへんか?」
「あの、具合が悪いのではなく、カスピエルさんに見惚れてしまって……」

 ラウラが頬を紅く染めてそう告げると、カスピエルは実に愛想の良い笑みを作ってみせた。

「ラウラちゃんはお世辞が随分と上手なんやなあ。周りの男もほっとかんやろ」
「いえ、全くそんな事は……私と話しても面白くないでしょうし」
「そんなわけあらへんやろ。周りの男の目が節穴か、ラウラちゃんが高根の花過ぎて近寄れんだけや」

 何をどう返してもひたすら持ち上げてくるカスピエルに、ラウラも流石にうっすらと胡散臭さを感じて来てはいた。だが、簡単に熱が冷めるわけではなく、何故この男は何もないからっぽな己に興味を抱いているのか、それが純粋に疑問で、その理由を知りたいという純粋な気持ちが湧いていた。



 ラウラが連れて来られたのは、路地裏を抜けて随分と奥にある飲食店であった。決して怪しい店ではないと信じたいが、ほんの少しだけ、迷いが生じた。扉の前で立ち止まったラウラに、カスピエルは不思議そうに顔を覗き込んで、不安を拭うように優しい声色で訊ねた。

「この店が嫌やったら、別のところにしてもええよ?」
「あっ、いえ、嫌だなんて、そんなことはありません! カスピエルさんが選んだ店に、間違いはないでしょうから」

 ラウラの言葉は反射的なものであったが、今放った言葉は取り繕ったものではなく、偽りの感情ではない。人を疑うなんてあってはならない事だ。ましてやシバの女王と協力関係を結ぶソロモン王が使役するメギドが、いくらメギドとはいえ己のような善良なヴィータを危ない場所に連れていくなど、あるわけがない。ラウラはそう考え直して、少しでも不安を感じた数秒前の己を恥じた。

「ラウラちゃんを変なところに連れてったりなんてせんよ」

 カスピエルは人の良い笑みを浮かべ、ラウラの手を握り続けたまま、店の扉を開けて中へと歩を進めた。
 ラウラが言葉にした通り、特段変な場所でも何でもない店だったのだが、ひとつだけ思い違いがあった。
 ソロモン王が使役するメギドであっても、善良なヴィータに悪事を働く者も存在し、今まさに己の手を引いている人物がそうであるなど、ラウラはまだ知る由もなかった。





「あの、それで、お話なのですが」
「何の話やろか。悪い話ならあんま聞きたないけど……」
「…………」

 話を切り出そうにも、どこか寂しそうな瞳をこちらに向けながら笑みを湛えられては、ラウラとしても話を進める事が出来なかった。先延ばしにしても良いことは何もないのは、頭では分かっているのだが、どうにも上手く話を切り出す事が出来ないまま、注文の品である二人分の紅茶と、『今日のおすすめ』とメニューに書かれていたケーキが、店員によって机上に置かれた。さして食べ物にあまり興味のないラウラであったが、己のこの性質が『可愛げがない』と思われがちな事は、今まで生きて来た経験則から理解していた。何としても目の前の男に幻滅されたくない一心で、ラウラは必死に頭を働かせた。今、己の目下に置かれているケーキは、紅いスポンジケーキに白いクリームがたんまりと乗っているものであった。

「凄い色やね。どんな味するんやろ」
「これはきっと、ココアパウダーで味付けしているのかと……」

 ラウラはそう説明し掛けて、途中で喋るのを止めた。きっと男性はこういうリアクションは求めていない。普通の女性はどんな事を言うのか、まるで検討が付かなかったが、ふと顔を上げるとカスピエルの美しい長髪が目に入った。薄暗い店内では、マゼンタの髪が鮮やかな紅色に見えた。そう、まるで――

「このケーキ、カスピエルさんみたいです」

 一瞬、は?という声が聞こえたような気がして、ラウラは一気に頬を紅潮させた。わけのわからない発言をする女だと、絶対に引かれたに違いない。

「すみません、変なことを口走ってしまって……」
「ううん、そんな風に思ってへんよ」

 さっきの声は己の聞き間違いだったのだろうか。ラウラは恐る恐るカスピエルの顔色を窺ったが、特に変わった様子はなかった。

「そんな可愛らしいもんを俺に例えてくれるなんて、嬉しいわ」

 仮に嘘だったとしても、不敵な笑みを向けられて優しい言葉を掛けられると、ラウラはそれだけで幸せになってしまうのだった。完全に頭が働いていないその姿は、恋に恋する乙女そのものであった。



「……それで、本題なのですが」

 ろくに頭が回らない状態で味覚も何もあったものではないままケーキを食べ終え、食後の紅茶に口を付けて一息吐けば、ラウラはいい加減話を切り出さなければと決意した。

「カスピエルさんは運命だと仰いましたが、違うんです。先程の事ですが、」
「ラウラちゃんは運命とか信じひんタイプなんやね。じゃあ、俺たちの出逢いは運命やなくて必然や」
「あ、あのう、そういう事ではなくて……」

 ラウラが言葉に詰まっていると、カスピエルは苦笑いを浮かべながら、謝罪の意を口にした。

「ごめんな、ラウラちゃんが可愛いもんやから、つい意地悪してしもたわ」

 ラウラは己の容姿や態度が可愛いなどと、生まれてこのかた一度も認識したことがなかった。カスピエルの容姿や言動に見惚れはするが、何故彼がここまで己を持ち上げるのかが全く分からず、ただただ謎が増えるばかりであった。いくら己がシバの女王のメイドとはいえ、その立場を考慮するのであれば、そもそも初めて二人きりで会った時に、こっそり仲間も同伴させて賭け事をするわけがないからだ。

 無意識に眉間に皺を寄せ難しい顔をしていたラウラを見て、カスピエルは何を思ったのか、立ち上がれば椅子を引いてラウラのすぐ隣へ置き、再び腰を下ろした。ラウラが驚いて言葉を発する前に、カスピエルはすかさず口を開く。

「ラウラちゃんが何言っても怒らへんから、ええよ、いくらでも話聞いたるで」

 そう言ってラウラの手を握り、カスピエルは真横で微笑んでみせた。そこまでされては、ラウラはもう彼に従うしかなかった。己の頭の悪い言動を見ても優しくしてくれる彼ならば、己が何を言っても気を悪くしないだろう。例え演技だとしても。そう思うと、幾分か気が楽になった。





「ふうん、ラウラちゃんはソロモンが俺を騙していたって言うんやね」
「いえ、恐らくソロモンさまも本当の事は聞かされていないと思います……」
「という事は、女王様がわざと、俺に何も知らせないままあの場所へ来るよう仕向けたって事やろか」
「はい……憶測ですが、ソロモンさまがカスピエルさんに嘘を吐くメリットはないかと思いますので」

 ラウラの説明を、カスピエルは顔色ひとつ変えずに聞いていた。特に腹を立てる様子は感じられなかったが、ラウラは彼の主人を傷付けないよう、言葉を選んで話した。尤も、ラウラはソロモンの事を詳しく知っているわけではないが、なんとなく誠実そうな人物だと感じていた。また、シバの女王とのやり取りを時折聞く限り、嘘は吐けない性格だとも推察していた。
 今回のことは、まだシバの女王に直接問い質してはいないものの、恐らく読み通りだという自信があった。それが良いか悪いかという話ではなく、王都を背負う女王たるもの、人を欺くことも時には必要な事は、ラウラも重々承知している。

「でも、俺はやっぱりラウラちゃんとは運命やって思ってる」
「え? ですが、今日お会い出来たのは別に偶然でも何でも……」
「俺、ラウラちゃんに散々嫌われるような事やらかしたのに、それでもこうして俺と一緒に過ごしてくれるやなんて、その時点で運命やわ。再会出来たきっかけなんてどうでもええやろ?」

 指を絡めながらそんな事を言われ、ラウラの思考は完全に停止してしまった。己の目の前で光る双眸は、優しさと称すよりも、まるで獲物を狩ろうとしている獰猛な生き物のようにも見え、ラウラは少しばかりの恐怖を感じたが、それ以上に見惚れてしまっていた。

「ラウラちゃん、俺の言うてる意味、分かる?」

 ラウラが首を横に振ると、カスピエルは絡めていた手を解けば、ラウラの髪を耳にかけてやり、その耳元に唇を近付けて、囁いた。

「俺たちは、男と女として結ばれるべきや」

 異性に勝手に髪を触られて不快感を露わにする暇もなく、耳元でそんなことを言われるものだから、ラウラはどうにかなってしまいそうだった。人に触れられるのは元々得意ではなく、シバの女王やルネなどごく一部の心を許した相手でない限り拒否反応を示してしまうのだが、今回ばかりは話が別であった。そもそも、ここに来る前に手を取り合っている時点で、もうすっかりラウラもその気なのである。

「あの、ひとつだけお訊ねしてもいいですか?」
「うん、ええよ」
「以前正式に場を設けてお会いした時、私、途中で意識があいまいになってしまったのですが」

 カスピエルは一瞬だけ、しまったとでも言いたげにばつの悪そうな顔をして、ぴくりと眉を顰めさせた。

「あの時、カスピエルさんの声が聞こえて、正気を取り戻したんです」

 その言葉に、カスピエルは己があの時の賭けに勝利したことを確信した。そんな彼の心境など微塵も知らずに、ラウラは真剣な眼差しを向けて言葉を続ける。

「あの時の言葉、信じても構いませんか……?」

 ――あの時。
 カスピエルは必死に記憶の糸を手繰り寄せて、己の言動を思い返した。確か、インキュバスと張り合ってお前は俺の女だとか言い放った覚えがある。勢いで出た言葉とはいえ、これを利用しないわけにはいかない。カスピエルは本心を隠しつつ、口許に笑みを湛えて答えた。

「勿論、あれは本気の言葉や」
「本当ですか!? 嬉しいです!」

 うっとりとした眼差しを向けるラウラに、カスピエルは内心笑い転げたくて仕方が無かった。女を利用するために数々の嘘を吐き、騙し続けてきたカスピエルだったが、ここまで簡単に目当ての女が落ちるのは久々な事であった。ましてや相手の女は王宮に仕えるメイドであり、利用価値は存分にある。これからこの女を利用して何をしようかと考えるだけで、高揚感に包まれた。





 仲睦まじく店を出て、暗い路地裏から開けた道に出ようとした二人だったが、何やら王宮の騎士団が大通りを駆け回っていた。

「何やろ、騒々しいな。どっかのチンピラが悪さでもしたんやろか」

 カスピエルはラウラを庇うように己の後ろへ遣り、耳を欹てる。瞬間、まさかの言葉が耳をついた。

「ラウラどのを見つけたら即座に保護し、怪我がないか確認しろ! 何かあったらただでは済まんぞ!」
「ラウラどのを拉致したというメギドも一緒にいたら、どうしますか?」
「無論、殺せ!」

 カスピエルは我が目を、そして耳を疑った。

「ピンク髪のどう見ても怪しいチンピラみたいな男を見つけたら、すぐに殺せ!」

 誰がチンピラだと喧嘩を売りたい気持ちは山々だったが、ラウラの手前そうもいかなかった。寧ろ、ここで事を荒立てては折角上手い事ラウラを落とせたというのに、全てが水の泡となってしまう。カスピエルは心を落ち着かせれば、振り返って己の傍にいるラウラを見遣った。ラウラは今にも泣きそうな顔でカスピエルを見上げていた。

「これ、どういう事やろ。ラウラちゃんってそんなに凄い存在だったんか?」
「あ、あのう、恐らくルネが……えっと、先程私と一緒にいたメイドの子なんですが、きっとあの子が騎士団に相談したのだと思います」
「俺を殺せって相談か?」
「いえ、ルネはあまり強く言えない子なので、恐らく騎士団の皆様が何か思い違いをされたのかと……」

 思い違いで殺されるなど堪ったものではない。そう易々と殺される気はないが、ここで問題を起こしたらソロモンに多大なる迷惑が掛かることは、当然カスピエルも承知していた。ソロモンはメギドラルに見捨てられた己に手を差し伸べてくれた、言うなれば命の恩人である。己のちっぽけなプライドを優先するよりも、己が命を捧げてもいいと思える主に迷惑を掛けることの方が、カスピエルにとっては許されないことであった。

「私、騎士団の皆様の誤解を解いてきます!」
「いや、ここは下手に動かん方がええ。逃走ルートは把握済みやから俺は大丈夫や。ラウラちゃんは、俺から逃げたって事にして、騎士団を引き付けて時間を稼いでくれへんか?」
「はい、わかりました! あ、でも、そうしたら私たち、もう二度とお会い出来なくなるのではないですか……?」

 再び泣きそうな顔をラウラに、カスピエルはいいから言うことを聞けと内心苛立ちつつも、なんとか笑みを作って囁いた。

「大丈夫や。俺たちは運命の赤い糸で結ばれてるんやからな」
「……は、はい……!」

 ここまで全くもって根拠のない大丈夫という発言も早々ないのだが、カスピエルの言葉にラウラは一気に顔を明るくさせて、頬を紅く染めながら頷き、騎士団が駆け回る大通りへと駆けて行った。
 カスピエルとて、折角釣り上げた上玉を易々と逃すなど、絶対にしたくはなかった。根拠のない言葉を、なんとしても現実にしてみせると、ラウラの背中を見送りながら、早くも策を練り始めたのであった。

2018/12/30


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