笑止狂気の沙汰



 シバの女王の計らいによって、ラウラはカスピエルとの再会を許されることとなった……筈なのだが、何故か今ラウラの隣にいるのは最愛の彼ではなく、己より少しばかり背丈の低い少女――かつて己の命を救ってくれたメギド、ウェパルであった。

「あ、あの」
「何」
「お会いしてくださってありがとうございます、ウェパルさん」
「思ってもないこと言わなくていいわよ」

 無表情できっぱりと言い放つウェパルに、ラウラは早くも気おされてしまった。とはいえ、王宮に仕えるメイドたるもの、常に毅然とした態度を取らなければ示しが付かない。たとえ己がただのヴィータとはいえ、云わばハルマ側の立場にいるのだから、メギドに舐められるようなことがあってはならない。巡り巡って女王の尊厳に傷が付くからである。ラウラは心の中で自分自身にそう言い聞かせて、狼狽せずに落ち着いた対応を心掛けるよう努めた。

「私、そんなに顔に出ていましたでしょうか……」
「ガッカリした顔してた」
「えっ!? 私、ウェパルさんにはいつかちゃんとお礼を言いたいと思っていたので、今日こうしてお会い出来て嬉しいです、本当に」
「冗談よ」

 全く顔色も変えずにそう言われて、先程の決意も虚しくラウラは脱力した。きっと己は舐められている……というか遊ばれている。そもそもメギドという存在自体がヴィータより格上の存在であるということは重々承知している。ここは下手な意地を張って自滅するよりも折れた方が利口である、そう判断して気持ちを切り替えることにした。

「ガッカリまではいかないけど、『なんで?』って顔はしてたから」
「すみません……てっきりカスピエルさんが来てくださると思っていたので、少々驚いてしまいました」
「やっぱり、そういう事だと思った」
「私が勝手にそう思い込んでいただけですから。冷静に考えれば、シバさまがそう易々とカスピエルさんに会わせてくださるわけがありませんし」

 ラウラたちが今いる場所は、王都のとある喫茶店である。シバの女王に突然カスピエルとの再会を許可すると言われ、指示されるがままに指定の場所に来たのだが、そもそもシバの女王は以前「ソロモンと話し合う」と言っており、その話し合いがこんな短期間で解決するとは到底思えなかった。意図は不明だが、恐らく、解決させるためにウェパルをここへ来させたのかもしれない。そうラウラは考え、出された紅茶を機械的に嗜みつつ、ウェパルの動向を窺った。

「……ウェパルさんと私を会わせたのには、何か意図があるのだと思います」

 ウェパルは恐らくその真意を聞かされている、ラウラはそう推察した。ウェパルが何も知らずにソロモン王に言われるがまま己に会いに来るほど、考えなしとは思えないからだ。そこまで彼女の為人を把握しているわけではないため、完全に見た目や雰囲気で判断している気もするが、シバの女王が無意味に己たちを会わせるとは思えなかった。普通に考えれば、そもそもそんな事をする理由がない。だからこそ、必ず裏がある。

「さあ、どうかしらね。正直私は、あんたとカスピエルがどうなろうと知った事じゃないし」
「ウェパルさん……というかメギド側にとっては、仲間がヴィータと付き合おうと何の問題もないですしね」

 淡々と言いながら、己に続くように無表情で紅茶に口を付けるウェパルに、ラウラは答えつつふと疑問が沸いた。メギド側にとって問題がないのなら、ハルマ側だって全く問題ないのではないか。元々敵対関係にあったとはいえ、今現在は協力関係にある。ハルマゲドンを阻止するという大義名分がある以上、その関係が崩壊するとは思えない。そんな思考を見透かしたのかは不明だが、ウェパルはラウラの考えを否定するような言葉を口にした。

「ただ、ハルマ側は納得しないでしょうけど」
「えっ、そうでしょうか」
「……バカなの?」

 今まで己に対して無関心であったウェパルから突然罵倒の言葉が飛び出して、ラウラは呆気に取られて目を見開いた。ヴィータという弱い存在ではあっても、さすがに馬鹿呼ばわりは王宮のメイドとしてのプライドに関わる問題である。黙ってその言葉を受け止めるわけにはいかなかった。

「ウェパルさんは何故そう思われるのですか?」
「ラウラ、あんたが思ってるほどメギドは善良な存在じゃないわよ」
「ウェパルさんはとても善良な方だと思いますが……」
「どうしてそう言い切れるの?」

 まるで試すような言い方をされているが、ラウラはメギド相手に嘘を吐いたり出し抜こうと思うほど浅はかではなかった。尤も、そんな事をする理由もない。何故なら、ラウラはウェパルのことを好いており、取り繕う必要もないからである。

「ウェパルさんは、殺されかけていた私を助けてくださいました。命の恩人に対して善良と言い切るのは、不思議なことでしょうか」
「まあ……そうね、私は善良な部類かもね。……でも」

 ウェパルはまるで自身がラウラの命を救ったことなどとうに忘れていたようで、ほんの少しだけ柔らかな笑みを浮かべてみせた。だがそれも一瞬で、すぐに元の無表情に戻った。

「元はといえば、あんたを殺そうとしていたのは、誰だったかしらね」

 その言葉に、ラウラは口を付けようとしていたティーカップを落としそうになった。そう、今まで見て見ぬ振りをしてきたと言っても過言ではなかった。ウェパルの言いたいことは痛いほどよく分かる。

「……確かに、勘違いとはいえ私を殺そうとしていた相手と恋仲になりたいなど、気がふれたと思われても仕方がありませんし、シバさまが反対するのも尤もです」
「ちゃんと分かってるじゃない。大体あいつ、侵入者と協力者の区別も付かないバカだし」
「召喚されたばかりだったのですよね? それならば、事情が分からなくても仕方ないかと思います。寧ろ、それだけソロモンさまへ忠誠を誓っているとも取れますし」
「恋は盲目っていうか、バカになるのね」

 ラウラとしては正論を言ったつもりだったのだが、ウェパルは全くそうは思わなかったらしい。盛大な溜息を吐けば、呆れ果てた目付きをラウラへと向けた。

「私は別に、頼まれてあんたに忠告しに来たわけじゃないわ。でも」
「でも?」
「見てて呆れる。仮にも王宮に仕えるメイドが、男に唆されてどうすんのよ」
「別に唆されてはいませんが……」
「されてる」

 ウェパルはきっぱりとそう言い切れば、紅茶を飲み干して立ち上がった。

「行くわよ」
「えっ、どちらに……?」
「あんたの目を覚まさせるの」

 どこへ何をしに行くのか見当も付かない状態で、ウェパルに急かされるままラウラは紅茶を一気飲みして会計を済ませた。こんな姿をシバさまに見られたらはしたないと怒られてしまいそうだし、それにカスピエルさんにも幻滅されてしまいそう……などと呑気なことを考えていたラウラだったが、この後、まさか自分自身が彼に幻滅するなど夢にも思っていなかった。





「あのう、ウェパルさん、どちらに行かれるのですか?」
「説得が無理そうだったら実力行使って言われてるの」

 人混みのなか、ウェパルに手を引かれながらラウラは訊ねたが、返ってきた答えに対して更に問いを投げ掛けることはしなかった。やはりシバの女王がウェパルに直接話したのだと理解した。あの温厚なソロモン王であれば、実力行使などという言葉は用いないだろうことは容易に想像出来るからである。
 ラウラはさすがに不安になった。ウェパルが己を危険に巻き込むことは断じてないと言い切れるが、『女王の実力行使』という言葉に嫌な予感を覚えずにはいられなかったのだ。

「着いたわ」
「酒場……ですか?」

 確実に嫌な予感がした。辿り着いたこの酒場は、前にカスピエルと会う際に待ち合わせとして指定された場所であった。その時はカスピエルに見惚れていて今の今まですっかり忘れていたが、ラウラの存在に気付くまで、彼は事もあろうに客人の女性をナンパしていたのだった。あの時のカスピエルはラウラが来ることをあえて知らされていなかったーーつまり、女を口説くなど彼にとっては日常茶飯事なのだ。あんなに素敵な人なのだから周りが放っておくわけがない、ラウラは頭ではそう思ってはいたが、実際に目の当たりにして冷静でいられるかどうかはまた別の話である。

 酒場の扉が開くと同時に、ウェパルはラウラの手を引いて物陰へと隠れた。そして中から現れたのは――ラウラの嫌な予感は、見事に的中した。

「俺たちは、男と女として結ばれるべきや」

 ラウラは耳を疑った。先日言われた言葉が脳内でリフレインしているのかと現実逃避しかけたが、そんな馬鹿な話があるわけがない。甘い言葉を囁きながら、女性と酒場から出て来たのは、まさについこの間、己に全く同じ台詞を囁いた男であった。

「は?」

 まさか己からこんな低い声が出るとは思わなかったが、ラウラはとにかく「は?」と言うしかなく、混乱というよりはどす黒い感情に襲われ、思考は完全に停止していた。よりにもよって己に対して囁いた言葉と全く同じ事を別の女性に囁いて、言われた側もまたデレデレとだらしない顔をしているものだから、ラウラは己も全く同じ状態だったのかと思うと、恥ずかしいやら情けないやらで泣きたくなった。だが、涙は出て来ない。ただただ呆然と、己に愛を囁いた男と知らぬ女の仲睦まじい姿を凝視するばかりであった。

「どう? 目が覚めた?」
「目が覚めたというより、腸が煮えくり返っていますが……」
「一発殴りに行く? すっきりするかも」

 ウェパルは不敵に笑いながら、冗談なのか本気なのか分からない提案をラウラへ告げる。まるで他人事のように楽しそうな様子だが、そもそも本当に他人事なのでどうでもいいのだろう。ラウラは、やはりメギドは子供の頃に読んだ御伽噺に描かれているように悪魔なのだと思い直しつつ、それでもなんとか理性を保って口を開いた。

「手をあげたところで、私の気がおさまるとは思えません」
「そう。まあ、いい加減熱は冷めたんじゃない?」
「熱が冷めたというより、腸が煮えくり返っていますが……」

 怒りによるものなのか、それとも羞恥なのか、あるいは両方か。ウェパルはラウラが声を震わせながらも、無表情を必死で取り繕っているのを物珍しげに見遣った。

「ラウラ。あいつは元からああいう奴よ。誰彼構わず手を出すし、それでいて弄んで利用して終わりよ」
「そんな事は分かっています、私のことなんて本気ではないと」
「じゃあ、どうしてそんなに動揺しているのかしら?」
「そ、それは……」

 ウェパルの言うことは尤もであった。本気ではない、どうせ遊びだと自分に言い聞かせてはいるものの、いざこうしてその現場を目撃すると、そんなのはただの強がりだと、ラウラは嫌というほど自覚する羽目になった。

「ウェパルさん……私は一先ず王宮に戻ります」

 ラウラの言葉に、ウェパルは無言でこくりと頷いた。この場でカスピエルに平手打ちでもして怒って帰るかと思っていたが、一応王宮に仕える身であるからなのか、感情的になる様子はなくある意味感心したウェパルであったが、この場で彼への非難の言葉が一切出て来ないのが気に掛かった。此度、ウェパルはソロモンではなくシバの女王から直接相談を受けたため、どう報告すれば良いのかと判断に迷いつつあった。まだラウラがカスピエルの事を諦め切れていないのであれば、残念ながらこの作戦は失敗だ。

「一人で帰れる? なんなら送っていくけど」
「大丈夫です。ウェパルさんは、ソロモンさまに此度のことを共有して頂ければと思います」

 ソロモン?とウェパルは一瞬首を傾げかけたが、きっとラウラは己がソロモン経由でここに来たのだと思っているのだと判断し、シバの女王の事は口にせず、「わかった」と呟くだけに留まった。

「いずれ、カスピエルさんとはソロモンさまも交えて、近いうちにお会いする事になるかと思いますので」
「え?」

 言っていることが瞬時に理解できず、呆けた声を漏らしたウェパルに、ラウラは無表情を保ったまま、はっきりと宣言した。

「報復します」
「はい?」
「カスピエルさんに、制裁を加えます」
「は? ちょっ、落ち着いてラウラ」
「落ち着いています」

 何もそこまでしなくても……とウェパルは思ったが、カスピエルの調子のいい愛の言葉を大真面目に捉えてしまっているのであれば、怒るのは無理はない。そこまでは分かるのだが、『報復』だの『制裁』だの、ただの平手打ち程度で終わるとは到底思えない。その程度では気が済まないからこそ、この場は一旦引き、対応を考えるということなのだろう。

「ラウラ。あの、別にあいつを庇うわけじゃないんだけど、殺さないであげて」
「私にそこまでの力はありませんが……」
「あんたじゃなくて、あんたの周りが何するか分からないでしょ」

 王宮のハルマ、特にカマエルは二言目にはメギドに対してぶっ殺すという言葉が普通に飛び出てくるのをウェパルは熟知しているため、さすがにカスピエルの命が心配になった。別に心配する義理はないのだが、あれでも一応、今となっては仲間のひとりである。

「そうですね、やりすぎては巡り巡ってソロモンさまにご迷惑がかかりますし、身体に傷をつけない方向で、考えてみたいと思います」
「出来れば平和的に頼むわ」
「はい、あまり派手なことをしては、さすがに王宮の品位が問われますし……」

 話も程々に、ラウラはウェパルに深く頭を下げて、王宮への帰路を辿って行った。その小さな背から殺意めいたものを感じずにはいられず、ウェパルはシバの女王への報告よりも、ソロモンへの共有をどう説明すれば良いものかと頭を抱えそうになった。尤も、女王に対してはウェパルの報告よりも先にラウラが報復の話とやらをしそうではあるが。

「おっ、ウェパルやないか。奇遇やね」

 この一部始終など微塵も知らず、口説いた女と解散したであろうカスピエルが声を掛けてきて、ウェパルは遠い目をして溜息を吐いた。

「あんた、覚悟しときなさいよ」
「は?」
「さっきの、ラウラも見てた」
「……………は?」

 上機嫌だったのも束の間、カスピエルは一気に顔面蒼白と化した。その様子に、ウェパルはほんの少しだけいい気味だと思ってしまった。

「ハルマに殺されないよう、気を付けなさい」
「いや、ちょっと待っ……ウェパル、どういう事や!」
「だから、ラウラも見てたの。あんたが他の女を口説いてるところ。ちなみにもう帰ったわ」
「…………」
「首を洗って待つことね。心を入れ替えたら許して貰えるかもしれないわよ?」

 この男が心を入れ替えるなど、ハルマゲドンが起こるよりも可能性が低そうな気もするが、彼にとって不幸中の幸いといえば、ラウラが彼を否定する発言を一切していない事である。シバの女王にとっては頭が痛い話だが、制裁を加えたのち、ラウラがカスピエルを許す気持ちになる可能性も無いわけではない。それに制裁なんて口だけで、単に頭に血が上ってそう言ってしまっただけかもしれないのだ。

「……どないしよ」
「ラウラ以外の女と関係を断って、ラウラ一人だけと付き合えば?」
「いや、そんなん無理や」
「あんた、やっぱり制裁食らったほうがいいわ」

 一番平和的な解決方法を即答で却下され、ウェパルはこの男を少しでも庇ったことを後悔した。ラウラも再びカスピエルと対面した際、易々と絆されなければ良いのだが……と、どちらの味方か分からないことを思ってしまったウェパルだったが、あいにくラウラは腐っても王宮に仕える身であり、時には狡猾に立ち回れることを、まだ誰も知らないのであった。

2019/02/19


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