毒を垂らす月



「軽薄そうな方だと分かってはいたんです。いたんですけど……どうしてももう一度お会いしたくて、でも……こんな事になるならまた会いたいなんて思わないで、良い思い出のまま終わらせておかえば良かったのかもしれません」
「えっ、待ってくださいラウラさん! 初対面で殺されかけたのは良い思い出ではないですよー!」

 とある夜、王宮の一室にて。一日の仕事を終えたラウラが、同僚のルネを自室に連れ込んで、俗に言う恋の悩み相談をしているのだが、相談と称すにはツッコミどころが多すぎて、ルネは脱力するばかりであった。そもそも出会いは最悪、おまけに再会も最悪だったのだから無理もない。
 とはいえ、恋は人を盲目にする。まさに盲目と化しているラウラの発言は、ルネにとって到底理解できないものであった。

「でもあの時、苦痛で意識が薄れるなか、あの方に見惚れていたのも事実なんです」
「それ絶対思い出が美化されてます! しっかりしてください!」
「美化というか、本当に美しかったので……」
「そんなに素敵な方なんですか? その、カスピエルさんという方って」

 ルネの口からその名前が出た瞬間、ラウラの頬が一気に紅潮する。その瞬間を見逃さなかったルネは、目を見開いて興味深そうにラウラを見つめた。
 いつも無表情で淡々と仕事をこなしていたラウラが自分から、しかも自分自身の話をすることなど、今までかつて無い事であった。ラウラもまた人の子なのだと、ルネは今の状況を好ましく感じたが、それも一瞬のことであった。話に挙がっている相手の男が問題だからである。

「……はい、それはもう、一目見ただけで恋に落ちてしまったんです」

 先程まで落ち込んでいたというのに、そう呟いたラウラの表情はうっとりとしていて、恐らくもう何を言っても無駄であろう、とルネは漸く悟った。胸の内を語ることで、ラウラなりの心の整理を付けたいのだと思っていたが、きっと本人もそうしたいと思いつつも理性が上手く働かないのだろう。

「でも、どんなに素敵な方だろうと何だろうと、ラウラさんを傷付けるのは許せませんよ!」
「ありがとう、ルネ」
「それで、ラウラさんはすっきりしたいんですよね?」
「……?」

 ルネの問いに、ラウラは意味が分からないとばかりに小首を傾げた。

「酷いことをされても、それでもまだ、カスピエルさんのことが好きなんですよね? それなら、もう一度お会いしてとことん話し合ってみたらどうでしょうか」
「でも、どうやって……」
「私からシバさまにお話ししてみますね」
「さすがにもう無理です、ガブリエルさまにも釘を刺されましたし……」
「じゃあ、駄目元で言ってみます! 上手く話が進んだらラッキーとでも思っていてください!」

 ルネはそう言うと、落ち込むラウラの手を取って微笑んでみせた。他意はなく、ただただラウラに元気になって貰いたいという純粋な思いだけでそう提案したのだが、問題は山積みであった。再度そのカスピエルという男と会わせるなんて、シバの女王は絶対に許可しないであろうことは想像に容易い。しかも、前回はガブリエルに様子を見に行かせることを条件に、シバの女王は会合の許可を出したのだった。その結果、カスピエルの仲間たちがラウラを賭けに使い、あまつさえ妙な能力でラウラをおかしくさせたという事態が起こったというものだから、再会の許しが出るなんて有り得ないことなのだ。
 けれど、ルネとしてもラウラの同僚として、また、良き友人として出来る限りのことはしたかった。例えそれが無駄に終わったとしても。





「ガブリエルさん、お忙しい中すみません」
「構いませんよ、ルネ。あなたが呼び出すという事は余程の事でしょうし」
「うっ」

 直接シバの女王に話すよりも、事情をガブリエルを通した方がまだ可能性があると思っての行動だったのだが、かえって裏目に出た気がするとルネは早くも後悔した。とはいえ、他に方法はないのだが。

「ラウラの事ではないのですか」
「ひえっ、ど、どうして分かったんですかー!?」
「寧ろそれ以外の理由が思い付きませんが」

 ルネの葛藤も虚しく、ガブリエルはあっさりと見抜いて淡々と言い放つ。ルネは一瞬頭が真っ白になったものの、ここで引き下がるわけにはいかなかった。諦めるのは最善を尽くしてからでいい。

「そ、それなら話が早いです! あの、取り入ってご相談があるのですが」
「ラウラとあのメギドはもう会わせませんよ」
「まだ何も言ってないじゃないですか!」
「ではどのような用件ですか?」
「……ガブリエルさんの思っている事と同じです……」

 もう取り付く島もなく、ルネはメイド服のスカートをきゅうと掴んで俯いた。そもそもハルマという種族はヴィータより何百年と生きている存在であり、ゆえにシバの女王よりも聡明である事は少し考えれば分かることであった。シバの女王に直談判出来なさそうな要望を、ガブリエルに告げたところで結局、結果は同じなのだ。

「ルネはどうして彼らを会わせようと思ったんですか?」
「えっ!? あの、えっと……ラウラさんには言わないでくださいね」
「ええ、分かりました」

 別にラウラに隠す必要は無いのだが、これからルネが口にする言葉を彼女が知ったら、きっと傷付くに違いない。例え知られてもラウラは怒らないとは思うが、今の彼女を傷付けたくないとルネは思ったのだった。今いる王宮の一室にはルネとガブリエル以外誰もいないのだが、それでも外で誰かが聞き耳を立てていないか不安で、ルネは出来る限り小声で話し始めた。

「そのカスピエルさんという方が本当に酷い方であるなら、もう一度お会いして改めてそれがはっきりと分かれば、ラウラさんも目が覚めると思うんです」
「『本当に酷い方であるなら』というか、本当に酷い男でしたよ」
「でも、ラウラさんはまだ諦め切れてないみたいなんです」
「……重症ですね」

 ガブリエルは軽く溜息を吐けば、口許に手を添えて少しの間思案する素振りを見せた後、ルネにとって思いも寄らない事を口にした。

「分かりました。シバに提案してみましょう」
「えっ、いいんですか!?」
「ただし、シバの説得に失敗する可能性もありますので、まだラウラには告げないで下さい」
「はい! ありがとうございます、ガブリエルさんに相談して良かったですー!」
「説得出来るとは言っていませんよ。ぬか喜びしないで下さい」

 やれやれと溜息を吐くガブリエルとは対照的に、ルネは今にも飛び跳ねそうな程嬉しそうな笑みを浮かべていた。例え再会が叶ったところで、ルネの思う方向に物事が進むとは限らないのだが、この時のルネはラウラに立ち直って貰いたかっただけであり、その先ラウラが信じられない行動を取るなど、夢に思っていなかった。





「まさか本当にラウラさんの願いが叶うなんて、私もまるで自分の事みたいに嬉しいです」
「ルネ、一体どういう手を使ったの?」
「人聞きの悪いことを言わないでくださいよー! ガブリエルさんがシバさまを上手く説得してくださったんです」
「あの冷徹な人が?」
「えっ、ラウラさん、ガブリエルさんの事そんな風に思ってたんですか!?」

 驚くルネを見ても顔色ひとつ変えず、ラウラは無言でこくりと頷いた。
 二人が今いる場所は王都内ではあるものの、王宮からは少し離れた酒場の入口であった。

 シバの女王は、ラウラとカスピエルを再び会わせることを渋々許したが、ひとつだけ条件を出した。日時と場所はシバが指定するというものであった。その程度ならと快く受け容れたラウラであったが、その真意には全く気付いていなかった。
 当然、シバの女王が折れたのはガブリエルが上手く説得したからである。ここからはラウラ達は知らない内容となるのだが、シバはソロモンに一つ注文を付けた。それは「カスピエルにはラウラが来る事は絶対に伝えるな」という指示であった。

「カスピエルさんってどんな方なんでしょうか? ラウラさんが一目惚れしてしまう位だから、きっと素敵な方なんでしょうね」
「ルネ、カスピエルさんに一目惚れしないでね」
「えへへ、しませんよー」
「その笑顔……怪しい」
「な、なんでですかー! ひどいですラウラさんっ!」

 酷いと言いつつも全く怒っていない様子のルネに、ラウラは笑みを零すと、ルネの手を引いて酒場へと足を踏み入れた。
 来慣れない場所が興味深いのか、それとも少しだけ恐いのか、ラウラの足取りがいつもよりも遅い。それをすぐに察したルネが、今度は逆にラウラの手を引いて奥へと進んでいく。シバの女王に仕えるメイドとしては、ラウラよりルネの方が有能であり、それがこういう時の度胸にも明白な差として表れたりするのであった。

 ふと、ラウラの足が止まり、手を引くルネも引っ張られるように足を止めた。その行動が何を意味するのか、ルネはすぐに理解した。立ち止まるラウラの目線を辿ると、その先には酒場の角の席で何やら女性をナンパしている男の姿があった。

「あっ、もしかしてあの人ですか?」
「…………」

 訊ねても、ラウラは何も言葉を発さない。ルネはラウラが見つめる先の男を注意深く見遣った。後姿だけでは女性と見紛うようなマゼンタの長い髪を靡かせ、どこの地方の言葉か分からない独特のイントネーションで話し掛けるその姿は、確かに人を惹き付ける雰囲気を持っていた。けれど、それ以上にこの男から軽薄さを感じずにはいられなかった。

「ラウラさん、本当に本当に、あの方がカスピエルさんなんですか?」
「…………」

 ラウラは未だ押し黙ったままである。流石に想い人が目の前で女性をナンパしていたら、ショックも受けるだろうし言葉を失うのも無理はない。そうルネは思ったが、よりにもよって何故あの男はこれからラウラと会うというのにこんな行動を取っているのだろうか、という素朴な疑問が沸いた。これではまるで、ラウラにわざと嫌われる事をしている様ではないかと思った後、ルネは漸くシバの女王の真意を理解した。

 恐らく相手の男には、ラウラがここに来るとは伝えていないのだろう。シバの女王が二人の再会を許すなんて、普通に考えれば有り得ない。それが叶うという事は、前回と同様に何らかの条件を出す事で渋々承諾したと考えるのが無難だ。例えば、ラウラが来る事は伏せて、ただ指定の場所に来させるようにすれば、取り繕わない相手の本質が見えてくるというものである。そう考えればすべての辻褄が合う。

 そうと分かれば、ルネとしても次の行動を起こしやすい。ラウラに目を覚まして貰う為にこの場を設けたのだから、現状、ルネが思った通りに事は進んでいた。もう、この状況を目の当たりにすれば充分であろう。逆にこれ以上ここに居たら、ラウラの心の傷が心配である。

「ラウラさん! 帰りましょう!」

 心ここにあらずなラウラに対してルネがそう叫んだ瞬間、その声に気付いたカスピエルが顔を向けた。ルネがしまった、と思った時にはもう遅く、カスピエルはラウラの姿を認識した。
 ルネはてっきりカスピエルは狼狽すると思っていたのだが、予想は大いに外れた。この鉢合わせにばつの悪そうな顔をするでもなく、素知らぬふりをして客人を口説き続けるでもなく、一瞬大きく目を見開いた後、ラウラに対して微笑を浮かべてみせたのだ。

 もしかして、これは非常にまずい展開になるのではないか――そう懸念したルネは、慌ててラウラの手を引っ張ってこの場から立ち去ろうとした。しかし、ラウラは頑なに動かない。

「ラウラさん、どうされたんですか? ま、まさか……」

 まさかこの男に見惚れているのではないか、と恐る恐るラウラの顔を覗き込むと、幸いにも呆けた顔はしていなかった。意思のある瞳を男に向けるその表情はしっかりとしていて、これから男を問い詰めるなり平手打ちをして別れを告げるなりするであろう、ルネはラウラの顔付きを見てそう解釈し、安堵した。とはいえ、曲がりなりにも王宮に仕えるメイドが公共の場で男と言い争いをするのは決して見栄えの良いものではなく、巡り巡って女王の評判にも傷が付きかねない。ここはやはり、ラウラを強引にでもここから連れ出さなければ。

 ルネがそう思った矢先に、男はつい先程まで口説いていた女性を放置して、こちらに向かって歩いて来た。

「ひえっ」

 ルネは小さな悲鳴を上げながらも、ラウラから手を放せば庇うように彼女の前に立った。何としてもこの男とラウラを近付けてはならない。どう転んでもろくな事にはならないと、ルネの勘が告げているのだ。
 それに、見れば見る程随分と胡散臭い男だとルネは察した。顔の造りは整ってはいるものの、オッドアイの眼が妖しさを加速させ、さらに双眸の下にハートの刺青らしきものがあるなど、いくら人を見掛けで判断してはならないとはいえ、「この男はヤバイ」と思わざるを得ない。

「ううっ、ラウラさんは私が守ります!」
「『守る』なんて物騒な話やね。俺は別にラウラちゃんを取って食おうなんて思ってへんけど」
「し、信用出来ませんっ! さっきだって他の方をナンパしてたじゃないですかー!」

 笑みを作りつつ飄々たる態度で話し掛けるカスピエルに、ルネは必死で対抗しようとするも、己の後ろにいるラウラがそれを遮るように前に出た。カスピエルと対峙したラウラは、毅然とした態度で言葉を紡ぐ。

「カスピエルさん」
「ラウラちゃん、奇遇やね? こんな所で。もう二度と会えへんかと思ってたわ」
「奇遇……?」
「まさかまたこうして偶然会えるなんて、運命やと思わへん? ラウラちゃんさえ良ければ、前の誤解を解くのも兼ねてゆっくりデートでもしたいんやけど……」

 ルネの顔は蒼白と化した。この流れは完全にまずい。折角ラウラが幻滅しかけていたというのに、この男の言い回しで完全に、ラウラもシバの女王の真意に気付いてしまったに違いない。何とか二人の仲を引き裂く方法を必死に考えようとするものの、もう、何を言っても逆効果な気がしていた。何故ならば、今、この男を見つめるラウラの白い肌は、すっかり薄紅色に染まっていたからだ。よくよく見れば瞳が潤んでいる気がしないでもない。

「あの、ラウラさん、帰りましょう〜……」
「どうして? ルネ」
「えっ、だ、だって、この人さっき違う女性をナンパしてたじゃないですか! ラウラさんもきっと、同じ事をされますよ!」
「人聞きの悪いこと言わんといてくれる? ラウラちゃんは特別やから」

 ラウラと話をしているというのに、カスピエルが人の良い笑みを浮かべながら強引に話に入ってくるものだから、ルネはもう何も言えなかった。

「ルネ。情報に行き違いがあったみたいだけれど……」
「ひっ、そ、そうですね」
「予定通り、私はカスピエルさんとデートすることにします」
「ええ!? 駄目ですよー! 私、この人信用出来ません! ラウラさん、しっかりしてくださいー!」
「大丈夫。『すっきり』出来るまで、とことん話し合うつもり」

 ルネは己が言い出したことを思い返した。『ラウラさんはすっきりしたいんですよね?』『もう一度お会いしてとことん話し合ってみたらどうでしょうか』――いずれも己自身が口にした台詞である。

「ルネ、協力してくれてありがとう。私、頑張るから」
「えっ、ええっ……」
「女王様に伝えとき。ラウラちゃんは俺が幸せにするって」
「待ってくださいー! 私は信用出来ませんよー!」

 ルネの叫びも虚しく、カスピエルはいつの間にかラウラの手を取って、颯爽と酒場を後にしてしまった。取り残されたルネは、今にも倒れそうなほど混乱していた。このままではシバの女王の怒りに触れてしまう。しかし今更為す術もなく、ただただ泣きそうな顔で二人が去った後を見つめるばかりであった。

「ラウラさん、絶対その人信用出来ないですよ〜……」

2018/11/09


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