唾棄すべき純情



「はあ〜!? カスピエルお前、王宮のメイドに見初められたってマジかよ!?」
「せやで、口説く前にまた会いたいって言ってくれてなあ。一目惚れってやつやね」
「信じられねえ」

 とある街の酒場にて。メフィストが驚愕の声を上げるや否や、カスピエルは目を細めて得意気に笑みを浮かべながら、ウイスキーに口を付けた。その横で、インキュバスが疑いの眼差しを向ける。

「話術でしか女を落とせないオマエに、女のほうから寄ってくるなんて何かの間違いだろ」
「は? 喧嘩売っとんのかインキュバス」
「ヴァイガルドの女は全てオレのものだ。オレの女がオマエに一目惚れなんてあって溜まるか」
「はいはい、すまんな。俺が一目惚れされる程の色男で」
「その言葉正気か? 酔っ払うにはまだ早過ぎだろ」

 普段は専らインキュバスとメフィストの言い争いをカスピエルが宥める立場なのだが、今回ばかりは訳が違った。対女性限定で白昼夢を見せ、操ることが出来る能力を持つヒュプノスであるインキュバスにとっては、ヴァイガルドの女性は全て自分の所有物であるという認識で生きている。その為、自分以外の男にヴィータの女が靡くなど、納得出来ないことであった。
 尤も、インキュバスの知らぬ所で数多ものヴィータの男女が結ばれていることは至極当然のことであるのだが、今回はただ単に、カスピエルに女が寄って来たことが面白くないだけなのであった。

「嫉妬もそんくらいにしとき、インキュバス」
「は? あんまり調子付くようならただじゃ置かねえぞ」
「もうその辺にしとけよお前ら。折角の美味い酒が台無しじゃねーか」

 一向に終わる気配のない口論に、メフィストが盛大な溜息を吐きながらそう呟けば、カスピエルとインキュバスは同時に言葉を止めて、己達を止めた男を睨み付けた。

「俺は何も悪いこと言うとらんやろ。インキュバスの言い掛かりのせいや」
「オレの女に手を出すオマエが悪い」
「あ〜〜〜いい加減にしろって!! ガキの喧嘩かよお前ら!!」

 このままでは男の口論をBGMに酒を嗜むことになってしまう。女の嬌声ならともかくこんな時間の過ごし方があって溜まるかと、メフィストは暫し思考を巡らせた結果、ひとつの名案が思い浮かんだ。

「おい、ちょっと面白れぇ事思い付いたんだけどよ」
「どうせろくでもねぇ事だろ」
「聞く前から決めつけんじゃねえよ! いいから話聞けって」

 頭ごなしに否定するインキュバスに、メフィストは何やら小声で己の名案を口にする。それを聞くや否や、インキュバスは急に不敵な笑みを浮かべた。

「おい、男二人で何コソコソと話しとんのや。気色悪いわ」
「カスピエル。その女を連れて来い」
「は?」

 インキュバスの突然の発言にカスピエルは呆けた声を出したが、すぐにその意図を理解して、小さく溜息を吐いた。
 メフィストの言う『面白れぇ事』とは、結論から言うとインキュバスの能力をあのメイドに使えという事なのだ。「オレの女になれ」とか適当なことを命令して、あっさり魅了にかかるようであれば彼女がカスピエルに惚れたというのは単なる勘違いであり、逆に魅了に抗うようであれば、彼女の想いはそれだけ強いという事である。

「面白い。乗ったるわ」
「おっ? カスピエル、随分ノリが良いじゃねぇか」
「当たり前やろ。あの女は俺のもんや」

 カスピエルにはあの王宮メイドが己に惚れ込んでいるという自信があった。メギドラルで生きていた頃も、そしてヴァイガルドに追放された今も、生きる為に女を騙し利用してきた経験から、あの女は間違いなく己に落ちると断言出来た。勘違いとはいえ自分を殺そうとした相手に対してまた会いたいと宣うなど、己に惚れている以外何の理由があろうか。

「その強がりがいつまで続くか見ものだぜ」
「強がり? 事実を言っただけやけど」
「だから今ここで言い争いするなって言ってんだろ!」





 カスピエルとラウラが初めて出逢った日から数日経った、ある日の昼下がり。
 王宮からそう遠くない店の前で、メイド服ではなくよそ行きの服を纏い、人を待っている様子のラウラの姿があった。そして、少し離れた場所でラウラの様子を窺う男が三人。傍から見たら、どう見ても怪しい光景である。

「おい、あの女か?」
「せやで。俺の為に粧し込んどるやん、もう完全に俺に落ちてるも同然やな」
「寝言は寝て言えよ、バカ」
「寝言も何も事実やからな」

 インキュバスの雑言をさらりとかわして、カスピエルは一人でラウラの元へ向かった。彼女に会いたいとソロモンに頼み込み、なんとかシバの女王から彼女と会う許可を得て、約束を取り付けることに成功したのだが、こうもあっさり許可が下りたことに対しては不可解に思うところはあった。とはいえ、元々己にまた会いたいと最初に言い出したのは彼女のほうであった為、カスピエルはその違和感をさして気には留めなかった。

「ラウラちゃん」

 カスピエルが声を掛けると、ラウラはぴくりと肩を震わせた後、恐る恐る顔を上げた。僅かに頬を紅潮させて己を見上げるラウラの表情を見た瞬間、カスピエルは勝利を確信した。この女は絶対にインキュバスの魅了に嵌ることはない。そう心の中で断言すれば、穏やかな笑みを作りつつ、ラウラの手を取った。

「待ったやろ? ごめんな」
「いえ、ほんの少し早く着いただけですから」
「その割には随分と手ぇ冷たくなっとるけどなあ」
「あの、これは……その……」

 カスピエルに掴まれた己の手に視線を落としつつ、ラウラは一瞬躊躇った後、恥ずかしそうに呟いた。

「カスピエルさんにお会いできるのが嬉しくて、つい、早く着きすぎてしまいました」
「ほんまに? 嬉しいわぁ〜」

 照れ臭そうに上目遣いで告げるラウラに、カスピエルは愛想の良い笑みを作って答えれば、繋いだ手を引いて店の中へと入って行った。
 その様子を陰から見守っていたインキュバスとメフィストは、互いに顔を見合わせてどちらともなく頷いた。

「いいか。段取りはあくまで別人の振りをして店に入って、頃合いを見計らってインキュバスがあの女に魅了をかける」
「ああ、分かっている」
「女がまんまと魅了にかかればお前の勝ち、かからなければカスピエルの勝ちだ」
「オレが勝つに決まってんだろ。アイツが悔しそうな顔するのが今から楽しみだぜ」

 メギド三人衆の企みなど、ラウラは知る由もなかった――筈だった。





「ラウラちゃん、あんまり食べてへんけど、この店は口に合わん?」
「えっ? あの、ええと」

 二人が入った店は最近出来たばかりのカフェで、昼食時という事もあり軽食を頼んだのだが、ラウラはカスピエルを見つめるばかりで、肝心の食事が進んでいなかった。

「……カスピエルさんに見惚れていたら、食べる手が止まってしまって」
「ふふっ、嬉しいこと言うてくれるなあ。そんな風に言われたの初めてやわ」
「そうなんですか? てっきり言われ慣れているのかと……」
「そんな事あらへんよ。それよりも」

 カスピエルはフォークを持つ手をぴたりと止めれば、目を細めてラウラを見つめながら口角を上げて、囁いた。

「俺の方こそ、ラウラちゃんが可愛すぎて食欲なくなってしもたわ」



「はあ〜〜〜!? 嘘つけ、めちゃくちゃ食ってんじゃね〜か!」
「おいメフィスト、でかい声出すな」

 少し離れた席で同じように軽食を口にしつつ二人の逢瀬を監視して、思わずツッコミを入れるメフィストに、インキュバスは小声でそれを制した。

「でかい声も出るだろ。よくもまあ好きでもない女に、あんな台詞が言えたもんだぜ……」
「そういう事を言ってるからオマエはモテないんだ」
「うるせえ」
「まあ見てろ。そろそろ作戦実行するぞ」

 その言葉に、メフィストはこくりと頷いた。インキュバスは立ち上がれば、当たり前のようにカスピエルとラウラが座る席へと歩を進めていく。メフィストはごくりと唾を飲み込んで、一部始終を見守る。インキュバスの魅了が勝つのか、それともラウラという女はそれに抗うほどカスピエルに惚れ込んでいるのか。カスピエルは随分と自信があるように見えたが、正直、メフィストの見立てでは勝率は五分五分であった。何故ならば、所詮はただの一目惚れであり、彼女はカスピエルのことなど何も知らないからである。もっと魅力的な男が現れればそちらに靡くだろうし、つまりインキュバスの魅了にあっさりとかかる可能性もあるのだ。

「おい、そこの女」

 インキュバスはラウラのすぐ傍で立ち止まれば、不躾に声を掛けた。

「……私ですか?」
「ああ」
「おい、待てやインキュバス。早過ぎやろ」

 辺りをきょろきょろと見回した後、恐る恐るインキュバスを見上げるラウラの向かいで、カスピエルは苦虫をみ潰したような顔で睨み付けた。インキュバスはラウラを見つめたまま、カスピエルの非難を一蹴する。

「自信が無いなら、初めからメフィストの案に乗るんじゃねぇよ」
「自信が無いなんて一言も言うとらんやろ」
「あ、あの、何ですか?」

 突然現れた男がカスピエルと顔見知りであるということは理解出来たが、状況が全く把握できず困惑するラウラに、インキュバスは構わず言葉を紡いだ。

「オマエ。ラウラとか言ったか」
「はい」
「ラウラ。――オレの女になれ」

 インキュバスがそう命じると同時に、カスピエルが席から立ち上がって罵倒の言葉を投げようとした瞬間。

「……はい」

 ラウラは立ち上がれば、インキュバスを見上げてこくりと頷いた。

「は!? おい、嘘やろ!?」
「残念だったなカスピエル。この賭けはオレの勝ちだ」
「いや、まだ勝負は終わっとらんで」
「しつこいぞ、早く負けを認めろ」

 まさかラウラがあっさりとインキュバスの魅了にかかるとは思わず、カスピエルは一瞬唖然としたが、あっさり引き下がるわけにはいかなかった。インキュバスの魅了が百発百中であれば諦めも付くが、過去に従わなかった女がいた事をカスピエルは知っている。他に強い感情に囚われていれば、魅了を弾くことが出来るのだ。つまり、ラウラがあっさりかかったという事は、彼女のカスピエルへの気持ちはその程度だったという事である。

「そんなアホな話あって溜まるか!」
「うるせえな、嫉妬は見苦しいぞ」
「絶対に何かの間違いや。ラウラちゃん、しっかりしいや」
「あっ、テメエ! 勝手にオレの女に触るんじゃねぇ!」

 カスピエルはラウラが己に惚れているという確信があり、断じてこんな事などあってはならないと躍起になっていた。強引にラウラの腕を掴めば、もう片方の手をラウラの頬に添え、今にも口づけを交わさんとばかりに顔を近付けた。

「ラウラ、お前は俺の女や。変な邪魔が入ったけどな、もうこれは抗えん運命や」
「今更彼氏面しても意味ねぇよ。ヴァイガルドの女は全部オレのものだ。賭けはオレの勝ちだ。オマエは負けたんだよ、カスピエル」
「はあ、なんや変な虫が湧いとるし、とっとと場所変えよ」
「おい! 卑怯だぞテメェ!」

 流石に男女三人で騒いでいれば店内も騒然となり、客の視線が一斉にラウラたちに突き刺さる。

「何やってんだよあいつら……ここは引き分けとしとくか?」

 メフィストはひとり軽食を貪りつつ、呆れ果てながら遠目でその様子を眺めていた。それも束の間、三人に向かって歩を進める男の姿が視界に入った。誰かと思う暇もなく、その男はラウラの前で立ち止まった。

「ラウラ。帰りますよ」

 新たに現れたのは、白いスーツを身に纏う金髪の男であった。その容貌に、店内の女性客がざわめき立つ。突然の乱入に、カスピエルとインキュバスは揃って顔を向けた。

「悪いけど今は取り込み中や。迎えなら外で待っときや」
「邪魔しようって言うならタダじゃおかねえぞ」

 迎えに来たということは王宮の人間ということは分かるが、まだ勝負は付いていない。だが、当のラウラは違った。そもそも、己が賭けの対象になっているなど知らされていないのだから当然である。

「分かりました、ガブリエルさま」
「おや、正気だったんですね。安心しました」
「少し頭がくらくらしますけど……色々な意味で」

 ラウラはカスピエルの手を払って、ガブリエルと呼ばれた男の傍に駆け寄った。色々と追及したい事はあるが、とにかく今は誠意を見せなければいけないと、カスピエルは現状をそう把握した。

「ラウラちゃん、ごめんな、色々と」

 その言葉に、ラウラはぴくりと身体を震わせれば、ゆっくりとカスピエルへと顔を向けた。その表情には困惑、失望、軽蔑、何とも形容しがたい感情が窺えた。

「……謝るということは、私に対して無礼を働いた自覚がある、ということですか」
「そういうつもりは無かったんやけどな。何故か邪魔が入ってな」
「おいテメェ、白々しいこと言ってんじゃねえよ」
「インキュバスは黙っとき」

 だがカスピエルの訴えも虚しく、ガブリエルがラウラに向かって諭すように告げた。

「いいですか、ラウラ。メギドとは元来こういう生き物です。それなりにまともな者もいますが、あくまで特殊な例です。これに懲りたらもう彼らと深く関わろうとするのはやめなさい」
「…………」

 ラウラは肯定も否定もせずに黙り込むと、もう一度、カスピエルを見て何かを言い掛けた後、軽く一礼だけして踵を返して店を後にしていった。続いて、緩慢な足取りでガブリエルがその後を追う。



「賭けはオレの勝ちだな」
「…………」
「メフィストはどう思う? ジャッジはオマエがしろ」
「う〜ん……引き分けだな」
「はあ!?」

 二人分の食事を食べ終えたメフィストが判定を下すと、インキュバスは納得いかないとばかりに席へ駆けつけて、音を立ててテーブルに手を付いた。

「おい。あの女、どう見てもオレの魅了にかかってただろ」
「さっきの男が『正気だった』って言ってたろ、それがな〜」
「あの男が乱入したのが切っ掛けで正気に戻っただけだ」
「魅了が解けたタイミングは分かんねえよ。カスピエルが解いたかも知れねぇし」
「んなわけねぇだろ」

 ふと、メフィストとインキュバスはカスピエルが会話に入って来ないことに気が付いて、互いに顔を見合わせた後、いまだ立ち尽くすカスピエルへと視線を移す。

「どうした? そんなにあの女にフラれたのがショックだったのか?」
「ちゃうわ、何やねんさっきの男」
「王宮の人間だろ。あの言い方からして、元からメギドが信用出来なくて跡をつけてたんだろうよ」
「はあ〜、ほんまに腹立つわ。あの男ハルマやろ? あれ完全にタイミング見計らって俺の邪魔しとったで」

 ショックを受けているのか否かは、インキュバスとメフィストの知るところではないが、取り敢えずカスピエルが珍しく愚痴を吐いている状況に気を良くした二人は、揃って歩み寄れば励ますようにカスピエルの肩を叩いた。

「煽りか? 俺ほんまに腹立ててんのやけど」
「ま、たまにはそんな日もあるだろ。景気づけにこれから飲みに行こうぜ」
「せやな、飲まないとやってられんわ」
「ああ、メフィストの奢りでな」
「は!? なんで俺の奢りになるんだよ!?」

 カスピエルは未だに、ラウラは己に惚れているという確信があった。何故なら、ラウラはインキュバスの魅了に一瞬かかったものの、己が彼女と向き合った途端、間違いなくその瞳に光が宿り、己を見て頬を紅潮させていたからだ。あの場で変な邪魔さえ入らなければ、己が賭けに勝ったことを証明できたのだ。だが、ラウラが己に向けた失望の瞳を見て、もう二度と会うことはなく、それを証明する手段ももう無いことも理解していた。もう彼女とはこれきりで、今回のことは己の不名誉な思い出としていずれは忘却の彼方へと消え去るのだろう。カスピエルはそう思っていたが、生憎、初めて恋という感情を知ったラウラという少女は、これで終わるような諦めの良い女ではなかったのだった。

2018/09/30


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