痴れ者の舞台



 正気を取り戻したラウラは、己の身に何が起こっているのか理解できず、ただただ己を縛り付ける鎖に苦悶の表情を浮かべながら、眼前の男を見遣ることしか出来なかった。男は笑みを湛えてはいるものの、オッドアイの双眸はラウラを冷たく見据えている。ラウラは漸く状況を把握し、己は今、目の前の男に殺されかけているのだと理解した。とはいえ、おかしい。何故なら、ラウラは正式にこのアジトに招かれた客だからである。

「あの、」
「今更命乞いしてももう遅いで。どっかから忍び込んで来たネズミは始末せんとなあ」
「私、正式な客人なのですが」
「ここ、ただのヴィータが来れるような場所やないんやけど」

 命乞いではなく事実を述べているだけなのだが、男はまるで聞く耳を持たない。茶会中の女性メギドたちが誰か一人でもここに来てくれれば、ラウラの身の安全は保障されるのだが、なにせ具合が悪いと言って席を外しているうえ同伴を拒否したのはラウラ自身の為、すぐ迎えに来てくれることはないだろう。誰かが来るまで時間稼ぎをする前に、始末――つまり、ラウラは殺される。やはり自分で何とか潔白を証明しなければ。ラウラは少し考えたのち、言葉を紡いだ。

「応接室に行けば分かります。私が客人であり、席を外しているだけなのだと」
「今日はなんやメギドの女たちで女子会やるって話は聞いとるけど、お嬢さんはメギドじゃないやろ」
「はい。ですが正式に招待を」
「おかしいなあ、そんな話聞いとらんなあ」
「ですが、」
「もうええわ。しつこい女は嫌いや」

 ラウラを拘束する鎖の力が更に強まる。無防備で華奢な体にはひとたまりもなく、ラウラは二本の脚で体を支えることすら出来ず、床に倒れ込んだ。叫び声も出せず、うぐ、と声にならない声だけが、ラウラの半開きの口から零れる。

「遺言くらいは聞いてやってもええで」

 男は倒れ込むラウラの顔の前まで歩み寄れば、しゃがみ込んでそう告げた。顔色ひとつ変えない様子から、その言動はただの通過儀礼であり、命乞いの最後のチャンスを与えるものではないとラウラはすぐに悟った。
 とはいえ、こんな訳も分からない状態で命を落とすなど、ラウラとしては当然、絶対に納得出来ないことである。これから己が紡ぐ言葉が遺言となるなんて、溜まったものではない。鎖で身体のあちこちが圧迫される苦痛から逃れるように、口で荒い呼吸をしながら、ラウラはなんとか頭を働かせた。

 恐らくこの男もまたメギドの一人だ。シバの女王の名前を出し、己が彼女の付き人であると申告したところで、信用されなければ終わりだ。それならば、己が知っているメギドの名前を出せば、この男も聞く耳を持ってくれるかも知れない。

「――ウェパルさんに聞けば分かります」
「まだ言い逃れするんか、いい加減諦め……え?」
「この後、応接室に戻らない私を探しに来てくれる筈です」

 男は一瞬油断するも、すぐにかぶりを振った。

「いや、おかしい。あの子がただのヴィータをアジトに連れ込む理由が無いやろ」
「いえ、私は」
「はいはい、もうええわ」

 男は投げやりに言うと、ラウラが纏うスカートをたくし上げた。普段人前で露出することなど滅多にない、ラウラの白い脚が空気に触れる。男は顔色ひとつ変えずに、躊躇いもなくラウラの脚に指を這わせ、太腿の位置でぴたりとその手を止めた。

「女の子がこんな物騒なもん隠し持っとるのが、ヴァイガルドでは常識なん? 聞いたことないわ〜」

 男が触れた場所には、ラウラが太腿のガーターベルトに忍ばせていた小型のナイフがあった。護身用と称するよりも、女王を守る為のものであった。良かれと思って持参したものが、まさか自分の首を絞めることになるなんて、とラウラは数時間前の己を呪った。
 黙り込む、というよりも己を束縛する鎖が上半身を圧迫するせいで、苦しくて声も出せずに荒い呼吸をするラウラを、男はどこか楽しそうに眺めている。

「苦しい思いさせてごめんなあ。ま、これから息の根止めたるから、もう少しの辛抱やで」

 男が、鎖の柄を持つ手に力を込める。もう駄目だ、殺される――ラウラがそう思った瞬間、



「あんた、何やってんの」



 その声を聞いて、ラウラは安堵した。声の主は間違いなく、つい先程己が助けを求めていた相手であったからだ。

「何って、不審者の始末――」
「その子、お客さんなんだけど」
「は?」
「女子会の」
「え?」

 続いて、バタバタと複数人の足音が廊下に響く。

「ラウラちゃん、倒れてるんじゃないの?」
「いくらなんでも遅すぎるしねえ」
「ウェパル! ラウラは見つかっ――」

 女性陣が続々と駆け付け、最後にシバの女王が現場に辿り着いた。視界の先にいるラウラの今置かれている状況に、その場にいる全員が絶句した。女性陣も、そして、ラウラをこのような目に遭わせた張本人である男も同様に。
 ただ、ラウラだけは苦しそうに息をするばかりで、白い肌を紅潮させていた。そして男がたくし上げたスカートは捲れたままの状態で、経緯を一切知らずにその光景を見た全員が、同じ事を思うであろう。

「あんた、女好きだからって所構わず盛ってんじゃないわよ!!」
「カスピエル、最低〜!!」
「最低〜!!」
「サイテ〜!!」

 怒涛の最低コールに、カスピエルと呼ばれた男は飄々とした態度ではっきりと言い放った。

「人聞きの悪いこと言うなや。不審な侵入者を拘束しただけやろ」

 その言葉に、ウェパルがきっぱりと言い返す。

「だから、その子、客なの」
「暗器隠し持ってるヴィータが客なわけないやろ!」
「シバの女王の付き人なんだから、護身用の武器くらい持ってたっておかしくないわよ」
「…………」
「いいから早く鎖を解いてあげて」
「…………」
「はやく」

 漸く己が盛大な勘違いをしていたことを悟った男は、脱力したのか武器の柄を落とし、ラウラを縛る鎖が自然と弛んだ。そして、ラウラが開放されると同時に、メギドの女性陣と共に駆け付けたシバの女王が、己の付き人のあられもない光景を見てしまったショックか、バランスを崩してその場にふらりと倒れかけ、周りにいたメギドたちが慌てて彼女を支える。

「……嘘やろ?」
「嘘なんて吐くわけないでしょ。あんたじゃあるまいし」





 あれから何時間、否、何十分経ったのか。正確な時間は掴めないものの、ラウラはバルバトスという男から簡易な治療を受けたお陰で、体の痛みも薄れ、意識もはっきりとあった。今いる場所は本来お茶会を継続していたはずの応接室で、ラウラの隣にはシバの女王が、やや青ざめた顔で腰掛けていた。

「シバさま、申し訳ありません」
「何故ラウラが謝る。おぬしは何も悪くない」
「ですが、私がはっきりと客人だと申し上げていれば、このような騒ぎにはなりませんでしたから」

 ラウラもシバと同様、自身に過失はないと思ってはいるのだが、それでもシバの女王に迷惑を掛けたことに変わりはない。だからこそ謝らずにはいられず、それとない理由を口にしてみたのだが、思いもよらないところから横槍が入った。

「ほんまや、なんで最初に言うてくれへんのや」
「いや、お前が言うな」「どの口が言ってるわけ?」「悪いのは100パーセントお前だろ」

 まさにラウラに危害を加えた張本人がしれっと呟いた瞬間、同席しているメギド勢から怒涛の勢いでツッコミが入った。ちなみに、騒ぎを聞きつけた男性陣も何人か野次馬でこの部屋に来ており、ちょっとした証人尋問になっている。ラウラとシバの女王が座る席の向かい側には、テーブルを挟んで、追放メギドを束ねるソロモン王と呼ばれる少年と、その隣にはラウラを傷つけた男――カスピエルと呼ばれたメギドが悪びれもせず座っていた。

「何やねん! 寄ってたかって! お前らかて俺と同じ立場だったら同じ事したで!?」
「しねえよ」「しないわ」「するわけないだろ」

 カスピエルが何を言ってもメギドたちは擁護もせず、完全に袋叩き状態であった。このままでは話が進まず、見かねたソロモンがラウラに向かって口を開いた。

「ラウラ。その、本当にごめん」
「えっ? あの、ソロモンさまが謝る必要はありませんが」
「いや、そもそもカスピエルにちゃんと説明してなかった俺が悪い。最近仲間になったばかりで……」
「つまり、誰も悪くあらへんって事や」

 申し訳なさそうに言葉を紡ぐソロモンの横で、しれっとした様子でどこまでも謝る気のないカスピエルに、またしても反論がギャラリーから飛び交うが、まるで気にしていない。
 このままでは本当に話が平行線であり、ラウラは徐々に焦りを感じてきた。シバの女王は断じて暇ではなく、今はあくまで息抜きとして強引に時間を作っているのだ。己の不始末で女王に迷惑を掛けるなど、あってはならない事であった。

 ラウラは意を決して、すくりと立ち上がった。

「私が最初に身分を明かさなかったことが全ての原因です。お騒がせしてしまい、本当に申し訳ありません」

 そう言って深々と頭を下げるラウラに、一同は呆気に取られ、隣にいるシバは慌てて立ち上がってラウラの手を取った。

「ラウラ、おぬしは悪くないと言っておろう。女王の命令が聞けぬのか」
「私が折れることで問題が解決し、無駄な時間を費やさなくて済むのなら、それに越したことはありません」
「おぬしはわらわの付き人としてここにおる。つまりはおぬしも王宮の人間の代表なのだぞ。己を卑下することは王都の名に傷をつけることに等しいぞ」
「ですが」

 ラウラもシバも表情は淡々としているが、その問答は口論そのものであった。これでは事態が収束するどころか悪化している。ソロモンがどうしたものかと溜息を吐けば、その横でこれまで我関せずだったカスピエルが、己が仕える王が困っているとなれば話は別であるのか、意を決して立ち上がり、ラウラの前まで歩み寄れば、腰を屈めてラウラの瞳を見つめた。

「貴様! ラウラに近付くな!」
「シバ、待ってくれ。カスピエルはもうラウラを傷付ける気はないと思う」
「信用出来るか! ラウラにあんな破廉恥なことをしおって!」
「破廉恥? 不審者と勘違いして拘束しただけだろ?」
「違うのじゃ!! そうではなく…!! ああ、もう、あの光景を口頭で説明しろと言うのか!?」
「いや、別に言ってないけど」

 ソロモンとシバが日常茶飯事の痴話喧嘩を始める中、その横で、カスピエルに至近距離で凝視されているラウラは、言葉ひとつ紡ぐことすら出来なかった。

「ラウラちゃん、怒ってへん?」

 ラウラは慌てて首を横に振った。どう考えても酷いことをされたのだが、どうにも頭が働かない。冷静な判断を下すことが出来ず、ただただカスピエルの言葉に耳を傾け、彼の意思に従おうとする思いが先走っていた。

「ほんまに悪いことしてごめんなあ。痛かったやろ?」
「…………」
「ラウラちゃんにお詫びしたいんやけど、どうしたら俺のこと、許してくれるやろか」

 カスピエルの手がラウラの髪に触れる。ラウラは肩をびくりと震わせ、ただただ成すがままにされていた。カスピエルは口角を上げて、ラウラの返答を待っている。その表情は微笑とも表現し難い機械的な作り笑いであったにも関わらず、ラウラは一気に頬を赤らめて、瞳を潤ませて、漸く口を開いた。

「……ご迷惑でなければ、またお会いしたいです」

 ふたり以外の、その場にいる全員が、数秒後に驚愕の声を上げたのは言うまでもない。ギャラリーの野次で場が混沌と化す中、カスピエルが一瞬だけ不敵な笑みを浮かべたことに、ラウラは全く気付いていなかった。

2018/09/17


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