終生眠れぬ夜の始まり



 王宮メイドの朝は早い。朝日が昇る前に起床し、決まった時間に決められた雑務をこなし、決まった時間に食事、入浴を済ませ、王宮内の多くの者が寝静まった後に就寝する。そんな生活を毎日、毎月、毎年繰り返し、この先もずっとそうして機械のように生きていく。
 だが、王宮メイドのラウラにとって、それは決して不幸な事ではなかった。ヴァイガルド最大の都市であり、何百年、あるいはそれ以上古くから続く王室に仕える事が出来るのは選ばれた者であり、ラウラもまたその中のひとりなのである。これを名誉と思わないわけがない。嫌ならば早々に荷物をまとめて出て行けば良い話であり、それをしないのはラウラも現状に満足しているからであった。
 特に自分とあまり歳も変わらないであろう同僚のルネとは仲が良く、そして何より、己が仕える女王シバのことを、心から敬愛しており、人間関係にも恵まれていた。

 ラウラは現状をとても幸福に感じており、このままこの王宮で一生を終えることが己にとって最大級の幸せなのだと思っていた。

 あの日、あの時、あの人に出会うまでは。





「シバさま、本当によろしいのですか? 私のような下っ端が同伴など……」
「何を言うておる。おぬしを信頼しているからこそじゃ」

 ラウラが仕える女王シバは、まだ10代の少女だが、王である父と共にこの王都エルプシャフトを統治している。ラウラは自分とあまり歳も変わらないにも関わらず、立派に国を治めるシバに対し、劣等感を抱かないわけではないが、それ以上に己がそんな彼女に仕えていることを誇りに思っていた。捻くれずにそう思えるのも、全ては女王シバの人徳によるものであった。

 シバは女王とはいえ、まだうら若き少女でもある。そんな彼女にとって、メイドのルネやラウラは肩肘張らずに気軽に話せる友人に近い存在であった。その為、ちょっとした外出の際は、ラウラもお供することが偶にある。

「シバさまの身に危険が及んだ際は、私が命に懸けてもお守り致します」
「ラウラ、大丈夫じゃ。そもそもおぬしを危険な場所に連れて行くつもりは更々ないぞ」
「ですが、メギドのアジトだなんて……」

 ラウラとしてはシバの女王と共に王宮の外に出るなど、光栄極まりないことなのだが、今回はどうしても懸念があった。問題は行先である。

 メギドラルのヴァイガルド侵攻が明確になってからというもの、王都は追放メギドと協力関係を結ぶこととなったのだが、ラウラは実のところ追放メギドのことをあまり快く思っていなかった。

 ラウラが仕える王宮は、何百年、あるいはもっと前から、メギドと対立するハルマと協力関係を結んでいる。『ハルマという存在はこの世界の守護神であり、彼らと敵対するメギドはまさにその逆である』――そのような価値観で生きてきたラウラにとっては、いくらメギドラルを追放された存在とはいえ、追放メギドのことをそう易々と信用することは出来なかった。ルネが「メギドの中にも良い人はいるんですよ」なんて事を屈託のない笑みで言う度に、ラウラは内心「この子はいつか悪い奴に騙されるかもしれないから、私が守ってあげないと」と密かに思うのであった。尤も、実際のところはルネのほうが聡明であり、騙されやすいのはラウラのほうなのだが。

 ともあれ、今日はシバの女王が追放メギドたちのアジトに赴くこととなった為、同伴するラウラは気が気ではなかった。
 元々、シバの女王は女性の追放メギドたちを王宮に招いては、交流会という名のお茶会を開いているのだが、ラウラとしてはそれも些か不用心すぎると感じていた。ハルマであるガブリエルさまやカマエルさまがお傍にいない間は、やはり私がシバさまをお守りしなければ、と心の中で決意したものの、そもそも不慮の事態が発生した際に対向できる力を持っているのはシバのほうであり、ラウラが女王さまの身を守るなど、烏滸がましい話なのであった。





「いらっしゃい。……あら、新顔ね」

 メギドのアジトを訪れたシバとラウラを迎えたのは、彼女たちより外見は少し幼く見えるものの、随分と落ち着いた雰囲気の少女であった。
『新顔』をまじまじと見遣る少女に、ラウラは深く頭を下げた。

「初めまして。王宮にてシバさまにお仕えしております、ラウラと申します」
「別に堅苦しい挨拶なんてしなくていいわよ。ここは王宮じゃなくて私たちのアジトなんだから」

 少女は笑みひとつ零さず真顔でそう言えば、背を向けてアジトの奥へと歩を進めていった。
 顔を上げたラウラの表情は唖然としているが、対するシバは慣れているのか、特に無礼だとも感じていないようで穏やかな笑みを湛えている。

「ウェパルは誰に対してもああいう感じじゃ。気にするでない」
「ウェパルさんという方なのですね。メギドとは皆そういうものなのでしょうか」
「ヴィータと同じ、人それぞれじゃ」

 どこか納得いかないとばかりに憮然とした表情を浮かべるラウラに、苦笑いを浮かべるシバ。そんな女王を見て、ラウラは「なんて心が広く慈悲深いのか」と心の中でシバを称えながら、その麗しい姿をうっとりと眺めた。尤も、実際のところシバは、メギドを束ねるソロモン王に対しては結構な態度を取っているのだが、ラウラはまだその事実を知らない。



「ねえねえ、メイドさんって普段どんなことしてるの?」――ええと、王宮では主に「掃除炊事洗濯、あと姫様の身の回りのお世話に決まってるじゃない、馬鹿」――あ、はい、そのような事を「ラウラちゃんって何歳? あ、ちゃん付けして大丈夫?」――はい、大丈夫です。年齢は「ちょっと、女同士とはいえ初対面で年齢聞くのは失礼じゃないの?」――いえ、そんなことは「ていうかラウラって彼氏いる?」――はい?「それ年齢聞く以上にどうかと思うけど……馬鹿なの?」――いえ、大丈夫で「あんたも安請け合いするんじゃないわよ」

「は、はい!」

 メギドの女性たちから質問を受ける度に、まるで機械のように、無表情に淡々と答えていたラウラだったが、ウェパルに突然ぴしゃりと言い放たれて、漸く人間らしい表情を取り戻した。まさかラウラは自分がそんな態度を取られるとは思っていなかったため、目を見開いて呆気に取られながら、ウェパルの圧力に負けて頷いた。頷かないと首でも絞められそうな予感がしたからである。例え王宮に仕えるメイドと云えど、なんだかんだで己の身の安全が第一であった。
 そもそも、別にウェパルに対抗しないといけない場でも流れでも立場でもない。ラウラは生まれてこのかた異性との交際など一度もしたことがなく、別にその事を打ち明けたところで己の人生に大きく影を落とすわけでもないのだが、言わなくても良いのならそれに越したことはない。

 ふう、と一息吐いて、出された紅茶に口を付けた。王宮で飲むものとあまり変わりはなく――というより、ラウラにとっては食事も日々のタスクのひとつという認識であり、味についても無頓着であった。さすがに不味いものとそうでないものの区別は付くものの、見た目の良い料理もそうでない料理も胃に入れば同じ、という価値観で生きている為、可愛らしい造形の菓子や美しい陶器を見ても、心が躍ることはなかった。

「ラウラ、少し気分が悪そうじゃが、軽くアジト内を散歩でもしてみたらどうじゃ?」

 突然のシバの提案に、ラウラははっとして顔を上げた後、すぐにその意図を察してこくりと頷いた。ラウラちゃん大丈夫〜?と女性メギドたちの声が上がるなか、ラウラはすくりと立ち上がって、軽く一礼した。

「申し訳ありません、あまり大勢の方と関わる機会がないので、人酔いしてしまったみたいです」





 数人のメギドたちが道案内の立候補をするも、ラウラは今はお手洗いに行きたいだけなので、とやんわりと断り、道順だけを聞いて応接室を後にした。
 ラウラにとっては王宮内の世界が全てであり、外の世界などどうでも良かった。当然、このアジトの内部構造を知ったところで何の得にもならず、興味もない。とはいえ、それを口にするほど思慮に欠けているわけではない為、シバの言葉はラウラにとっては願ってもない助け舟であった。シバさまは私のこのような我儘な感情も全て理解して、適切に指示を出してくださる――そうラウラは解釈したが、多くの人間に一気に話し掛けられる機会などないラウラは、傍から見ても気疲れしていた。本人は毅然とした態度を取っているつもりでも、表情や態度に僅かながら出ており、ラウラをよく知る者にとってはそれを見破るのは容易いことを、当の本人は気付いていない。

 お手洗いに、という名目はあれど、ラウラは別に本当に行きたいわけではない為、どう時間を潰そうかと廊下でうろうろしていた時、

「お嬢さん、どないしたん?」
「はい?」

 ラウラは油断していた。メギドは信用出来ないと思いながらも、お茶会の雰囲気にすっかり飲まれ、メギドも己たちヴィータと全く変わらないではないか、と無意識に認識が変化していることを自覚していなかった。
 自覚していれば、知らない男にあっさりと手首を掴まれることもないからである。

「新顔やな。最近ここに来たん?」

 突然声を掛けて来た見知らぬ男は、ラウラの手首を掴めば少し屈んで顔を覗き込み、優しい声色で訊ねた。どこの地方の言葉かも分からぬ聞き慣れない言葉遣いに、ラウラは怪訝な顔をして、男の顔をまじまじと見遣った。
 端正な顔立ちに、己を見据えるオッドアイの瞳。まるでこの世界の住人ではないような妖艶な雰囲気を漂わせる男に、ラウラは言葉を失った。

「そうやって黙ってても、お嬢さんがどこの子か分からんのやけど」
「…………」
「何も疚しい事が無ければ、そうやって口を噤む必要はあらへんよなあ」

 ラウラは油断どころか、警戒心も何もかもを失って、ただただ男に見惚れていた。少しでも己の目に、己の記憶に、その姿を焼き付けたい――ただその一心で、男の問いに答えることも、男の発言内容を把握することも、今のラウラには到底不可能なことであった。

「だんまりを決め込むっていうのは、認めてるって事やね?」

 瞬間、男はラウラから手を放せば、一気に殺気を漂わせた。
 一瞬にして空気が変わり、ラウラは漸く平常心を取り戻した。だが、もう既に手遅れであった。言葉を発するよりも逃げるよりも先に、男の放った鎖がラウラの体を拘束する。

 ラウラは油断していた。油断していなければ、眼前の男が己に声を掛けた時、既に武器を携えていたことにも気付いていたに決まっているからである。
 男は口角を上げているものの、その表情はどこか狡猾で、女一人など容易く殺してしまえそうな程、冷徹な瞳をラウラに向けていた。

「ごめんなあ、お嬢さん。侵入者は始末しないとあかんのや。許してな」

2018/09/13


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