懈怠の流星



 カスピエル達が窮地を脱した頃と時を同じくして、ラウラは伝令の仕事で王都を駆け巡っていたところ、信じられない光景が目に入った。
 王都の一角で、破壊される建物の瓦礫に圧し潰され、あちこちで住民の悲鳴や呻き声がしていたのだ。こんな事態が起こった理由を考える前に、ラウラの視界に飛び込んで来たのは、何度も倒れながらも敵に向かって攻撃するムルムルの姿であった。『敵』は、恐らくアジトを襲った純正メギドの仲間であろう事はすぐに察しが付いた。

 ムルムルが心配なものの、己が声を上げたところで何の役にも立たないどころか、かえって足を引っ張ってしまうだろう。ラウラは苦渋の決断ではあったが、住民を一人でも多く救出するために、エルプシャフト騎士団へ助けを求めに行った。
 騎士団が到着するまでに、ムルムルにはなんとか持ち堪えて欲しかった。カスピエルがあんな目に遭ったのを見た以上、ムルムルが無事で済む確証はないが、もう同じ事を繰り返さないためにも、ラウラは今の自分でも出来る事を精一杯しなければ、と心の中で何度も言い聞かせながら、全速力で王都の街を駆け抜けたのだった。





「あ……! カマエルさま!!」

 騎士団の待機場所に着いたラウラは、騎士団の面々と一緒にカマエルもいる事に気付き、真っ先にその名を叫んだ。

「ラウラ、あまり張り切りすぎんじゃねぇぞ。テメェも疲れて……」
「純正メギドが街を破壊して、住民に犠牲が出ています!!」
「ああ!? 何だと!?」
「ムルムルさんが一人で応戦しています! 皆様の力が必要です、どうか力を貸してください!」

 息も絶え絶えに必死で事情を説明するラウラに、騎士団の面々は迷うことなく頷いた。

「皆、応戦に行くぞ! 敵の対処と住民の救出を手分けして行うんだ!」
「はっ!!」

 スムーズに事が運び、安心して一旦息を吐いたラウラに、とある一人の兵士が駆け寄った。

「ラウラどの。ムルムルさんが一人で戦っているというのは本当なのですか!?」
「あなたは……」
「レイデンと申します」

 当然、ラウラとていくらなんでも騎士団の一人一人の素性を把握しているわけではないのだが、彼がムルムルと懇意にしている人だというのは噂で耳にしていた。名前だけでは確証がないが、こうして彼女の安否を心配しているという事は、噂ではなく事実に近いと言えよう。

「……はい、私はムルムルさんが一人で戦っているのを見ました。私では何も出来ず、どうか皆様の力をお借りしたいと……」

 ラウラの言葉にレイデンは一瞬表情を曇らせたが、すぐに険しい顔付きへと変わった。

「ラウラどの、ご安心ください。ムルムルさんは私が守ります」

 きっぱりとそう告げるレイデンに、ラウラは二人の関係を察し、彼の言葉を信じる事にした。ムルムルが戦っている場所を告げれば、レイデンは誰よりも先に駆け出した。
 ラウラ達のやり取りを見た他の面々も、レイデンに続いて走っていく。騎士団の行動の速さに感嘆の息を零しつつも、ラウラも後を追い掛けようとした。
 瞬間、突然身体が宙に浮いた。比喩ではなく、気付いた時にはラウラの身体はカマエルの腕に包まれて、云わば姫抱きの状態になっていた。

「行くぞラウラ!」
「えっ、あの」
「メギド野郎じゃねぇから嫌だなんて、文句言うんじゃねぇぞ!」
「言ってないです! というか怪我もしてないので、一人で走れます!」

 混乱するラウラの話もろくに聞かず、カマエルはラウラを姫抱きしたまま騎士団の後を追い掛けた。カマエルは何も言わないが、きっと疲れている己を気遣ってこうしてくれているのだと悟り、ラウラは申し訳なく思うと共に、カマエルの優しさに胸が熱くなった。口は悪いが、いつでもまるで父親のように己を気遣ってくれる姿はいつだって頼りになる存在だと、改めて己の周囲の存在の大きさに気付かされたのだった。





 ラウラを抱えたカマエルが騎士団の群れに追い付き、更に追い越してムルムルの元に駆け付けた時――ラウラの視界に入ったのは、ムルムルの傍で血塗れになって倒れているレイデンの姿であった。

「そ、そんな……」

 ヴィータがメギドに勝てるわけがないというのに、ムルムルの為に命を懸けて戦った事が、その瞬間を見ていなくても手に取るように分かり、ラウラは言葉を失った。
 刹那、再びラウラの身体が宙に浮く。
 カマエルが投げ捨てるようにラウラの身体を地面へと放ったのだ。ラウラとてこのような扱いには慣れており、難なく着地してみせた。が、カマエルが己に対していつにも増して雑な扱いをする時は、大抵他者に対して怒りを覚えている時である。

「派手にやってくれたじゃねぇか……ぶち殺される覚悟はできてんだろうなぁっ!!」

 カマエルが純正メギドに向かって駆け、拳を振るう。
 その隙に、ラウラは騎士団の面々と共に住民の救出に向かった。何度かムルムルの方へと顔を向けたが、レイデンと話し込んでいる姿を見て、今は二人きりにするべきだと判断し、まずは自力で動ける住民達の避難誘導に当たった。
 レイデンのあの深い傷はもう助からない。きっと今の二人の会話はこれが最後になるだろう――そんな事を考えたくはなかったが、この王都でも幻獣の侵略でヴィータが一瞬にして命を失っている事はラウラも、この王都に住む誰もが知っている。メギドのような異世界の住人ではなく、侵略される側であるヴィータが奇跡で息を吹き返すなど有り得ない話なのだ。
 だからこそ、最後の瞬間に己が干渉してはならない。ラウラはこみ上げる感情を抑えつつ、今やるべき事に目を向けた。



「ラウラどの、残りの住民は避難できる状況ではありません。ラウラどのも、早めに避難を」
「そうですか……分かりました」

 神妙な面持ちでそう告げる騎士団隊長に、ラウラは一瞬押し黙ったのち、静かに頷いた。『避難できる状況ではない』という言葉が、残された住民がどのような状態なのか、相手もラウラに言いたくないような悲惨な状態であるという事は、ラウラ自身も想像が付いた。
 ここに居続けるよりも早急に去るほうが、騎士団の足を引っ張らずに済むだろう。そう思ってラウラが踵を返し、顔を向けた先にあった光景は。

「……どいて、カマエル。こいつはあたしの敵よ。こっちでなんとかするから」

 ムルムルの声がラウラの耳にも届く。
 ラウラの視線の先には、果敢にも一人で立ち向かおうとするムルムルの姿があった。
 ムルムルの言葉、そしてレイデンが倒れたまま動く気配がない事から、既に息を引き取っているのだとラウラは悟った。
 愛する人を殺され、敵討ちをしたい気持ちは分かるのだが、純正メギドに追放メギドが太刀打ちできない事は、先のカスピエルを鑑みればラウラにも分かる事であった。万が一ムルムルの身が危なくなる前にカマエルが助けてくれるとは思うものの、ラウラは彼女の身が心配で溜まらなかった。
 だが、その考えが浅はかであった事を、ラウラはこの後すぐ知る事になるのであった。



 ただのヴィータであるラウラには、この世界に漂うフォトンを視界に捉える事は出来ないが、それでも今のムルムルがいつもとは違い、まるで神聖な力を身に纏っているように感じた。
 ヴィータ体で戦っていたムルムルは、やがてメギド体へと姿を変えた。『恐い』と思っていた筈のメギドの真の姿は、今のラウラにとっては神々しく見えた。己の価値観が変わったのか、それとも、愛する者の為に戦うムルムルが心の底から美しいと感じたからなのか。

 純正メギドは一気に劣勢となり、断絶魔のような声を上げた後、やがて動かなくなった。時間にして僅か一瞬の出来事であり、まるでまぼろしのようでもあったが、その勇姿を目の当たりにしたラウラの双眸からは、自然と涙が溢れていた。

 呆然としているラウラの横を騎士団の面々が通り過ぎ、足音で漸くラウラは我に返った。視線の先では、騎士団隊長がカマエルと対峙していた。

「カマエル様! 状況報告!」
「おう、一般の犠牲者は何人だ? 姐さんに報告すんのぁ気が重いぜ……」
「そ、それが……あちらを!」

 隊長が顔を向けた方向は、ラウラの後方であった。何事かと振り返って後ろを見たラウラの視界には、血だらけで痛々しい見た目とは裏腹に、まるで怪我など負っていないかのように自力で瓦礫から出て、自力で歩く住民の姿があった。当の本人達も自分達が生きているのが信じられない様子で、困惑混じりの感嘆の声を上げていた。

「……生きてやがんじゃねーか! まさか……これもテメェのメギドの力なんじゃ……」

 ハルマであるカマエルも、まさか命を落とした、あるいは息を引き取ろうとしていたヴィータが生き返る現象など見た事がなかったのか、驚愕の声を漏らした。だが、それに対し応えるムルムルの表情は暗かった。

「……犠牲者は出たわ。あたしの力は、その人のおかげ」

 誰の事を指しているのか、最早誰も何も言わなくても分かる事であった。
 真っ先にそれを察した騎士団隊長が、団員達に向かって声を上げる。

「……騎士団、整列!」
「はっ!」
「……レイデンは、我々騎士団の一員でした! 彼と共に戦って頂き……彼の志の通り人々を救って頂き……我等一同、感謝します! 騎士団、敬礼!」

 ムルムルに向かって、騎士団全員が敬礼する。その様子に初めは驚いていたカマエルだったが、レイデンの勇気ある行動、そしてムルムルの果敢な戦いに多少ならずとも胸を打たれたのか、神妙な面持ちを浮かべていた。

 ラウラは彼らの姿を見て、やはり自分の行動はいくら言い訳を重ねようとも、恐怖から逃げているだけなのだと思わざるを得なかった。
 自分には出来ることと出来ないことがある。出来ないことをするのは無謀であり、勇敢とは違う。そう思っていたが、レイデンが自らの命を犠牲にしてでもムルムルを守ろうとしたのは紛れもない事実である。騎士団とはいえ同じヴィータである彼に出来て己が出来ないという事は、結局のところ己は愛する男よりも自分の方が可愛く、そして己は身体だけではなく心も弱いのだと痛感するばかりであった。



「ラウラ」

 またぼうっとしていたラウラは、ムルムルの呼声で再び我に返った。

「ありがとう、レイデンを連れて来てくれて」
「ムルムルさん……私、何もしてないんです。お礼を言われる事なんて、何も」
「あたし、戦いながらちゃんと見てたんだよ。ラウラが真っ先に騎士団に助けを求めに行ったところも、その後、王都のヴィータ達を助けていたところも」

 ムルムルは微笑を浮かべながらそう言って、ラウラの身体を抱き締めた。本来ならば相手を気遣う立場なのは己だというのに、とラウラはますます情けなく思うのだった。愛する人を失い、愛する人の為に戦った彼女の抱擁は、あたたかく、気高く、まるで浄化されるような感覚であった。

「ムルムルさん、私からもお礼を言わせてください。皆様を助けてくださり、ありがとうございました。レイデンさんと共に戦うあなたは、とても気高く、美しかったです」
「メギド体のあたしのことも、そう思ってくれたの?」
「勿論です」
「ふふっ、良かった。余計なお世話だけど……カスピエルの事も、そう思ってあげてね」

 彼の名前を聞いた瞬間、ラウラは胸が締め付けられるように苦しくなった。ムルムルとレイデンの絆を目の当たりにした後では、もう己のような何も出来ないちっぽけな女など、カスピエルと相見える資格などない――ラウラは自分が恥ずかしくて、情けなくて、そんな悲観的な感情に囚われてしまったのだった。

2019/11/25


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