花をつむほど容易いか



 カスピエル達が窮地を脱し、ラウラがムルムルの勇姿を目の当たりにしていた時――ソロモン一行は指輪の能力によって、アドラメレクを連れたアムドゥスキアスを召喚し、見事討破る事に成功した。だが、アドラメレクが息を引き取る瞬間に呟いた『呪われろ』という言葉が、この後ソロモン達を苦しめる事となるのだった。



 王都で暴虐の限りを尽くしていたアドラメレクの部下達も倒し、漸く一段落した頃。もともと王都待機組であったメギド達は、破壊されたポータルの復旧について、アジトでシバの女王一行と話し合いを行っていた。
 すぐに復元できるような仕組みでも代物でもなく、復旧にはかなり時間を要するものであり、メギドの面々は途方に暮れていた。なにせまだソロモン一行は遠征先から王都に帰還しておらず、更にははるか遠い地のペルペトゥムで待機するメギド達もいる。早く復旧してくれなければ非常に困るのだが、愚痴を零したところで何の解決にもならない事は皆承知していた。
 ひとまず命の危険が伴う窮地は脱したものの、何とも言えない重苦しい雰囲気がアジトに漂う中、一人の男が空気の読めない――と言うよりも読む気のない発言をした。

「つーかさ、なんでテメェらよそよそしい態度取ってんだよ」

 発言者はフラウロス――アジト残留組でアドラメレクに打ちのめされたひとりである。非戦闘員のメギド達を逃がす為にカスピエルが自身を犠牲としたことや、その後のラウラとフォカロルのやり取りは知る由もない。そんな彼の『テメェら』という対象は、カスピエルとラウラの事である。

 この場にはラウラとカスピエルも同席している。だが、ラウラはまるで『いないものとして扱え』とでも言いたげに、カマエルの後ろに隠れている。
 いつもなら真っ先にラウラがカスピエルに駆け寄ったり、あるいはシバの女王やハルマ達の手前、カスピエルに熱い視線を送るぐらいに留めそうではあるが、意図的に目を逸らしているのだ。
 何かあったか、もしくは何もなくても感情の変化があったと考えるのが妥当であり、それに今は男女の色恋沙汰に口を出している状況ではない。つまり、そっとしておく、あるいは放っておくのが最善なのだが、フラウロスは凍り付くアジト内の雰囲気を物ともせず、カスピエルの肩に肘を置いてからかうように呟いた。

「おいカスピエル、付き合ってんだろ? 何お互いしおらしくしてんだよ。あ、もしかして別れたのかよ? ギャハハッ」
「別れてへんわ! 何勝手に俺の交際終わらせとんのや!?」

 いつもの下らない口喧嘩になり、アジト内は何とも腑抜けた雰囲気へと変わったが、カスピエルとラウラの仲を心配していた一部のメギド達はほっと息を撫で下ろした。ひとまず今の言葉で、カスピエルはラウラを嫌いになったわけではないと明確に分かったからである。
 つまり、問題はラウラの方であった。

 さすがに見かねたアガリアレプトが、ラウラの傍に歩み寄る。ラウラを守るように立ちはだかるカマエルを物ともせず、その後ろに隠れるラウラに向かって声を掛けた。

「ラウラ。さっきはごめんなさいね。役立たずなんて言ってしまって」
「テメェ! ラウラにそんな事言いやがったのかよ!」
「この子を安全な場所に逃がすには、そう言うしかなかったのよ」
「大体メギド野郎がラウラを巻き込まなければ、ラウラも傷付かずに済んだ話じゃねぇか!」
「よせ、カマエル! 今は有事の際であるぞ!」

 アガリアレプトはラウラに話し掛けているのに、カマエルが横槍を入れて収拾が付かなくなりそうな中、シバの女王が声を上げた。シバには頭が上がらないカマエルは、渋々それ以上声を荒げるのを止めたものの、納得いかない表情を浮かべていた。

「ラウラ。体調が優れないのであれば、王宮へ戻って休んでおれ」
「はい……申し訳ありません」
「なに、気にするな。今日のおぬしはいつも以上に頑張りすぎじゃからな」

 シバの女王は微笑を浮かべながらそう言ってラウラの髪を撫でた。ラウラはこれ以上己がここにいても、それこそ意味のない事であると察し、軽く一礼だけしてアジトを後にした。

「……シバの女王。申し訳ありません。ラウラを傷付ける言葉を口にしたのは俺も同じです」

 ラウラが居なくなった後、思いもよらぬ人物が深々と頭を下げて、その場にいるメギド全員が目を見開いた。今、頭を下げているのはいつもメギド達に説教を繰り広げているフォカロルだからだ。

「頭を上げよ、フォカロル。それにアガリアレプトも気に病む必要はないぞ。ラウラがカスピエルを避けている理由はそこではないからな」

 女王の言葉に、全員が訝しげな表情を浮かべる。となれば理由はカスピエル本人に問題があるように思え、思い当たる節がいくらでも思いつく面々であったが、そうなると目の前のシバの女王が穏やかな表情を浮かべているのが不自然である。漸く別れてくれることになって清々しているという解釈も出来なくもないが――そう思っていた面々の予想を大きく覆す言葉が続いて発された。

「カスピエル。おぬしが命懸けで非戦闘員を守り抜いた姿に、ラウラは感銘を受けておったぞ。わらわの見立てでは、何も出来なかった自分ではおぬしに相応しくない、とでも思っているようじゃな」
「……は?」

 全く以て思いも寄らない言葉に、カスピエルは大きく目を見開いて、間の抜けた声が漏れた。

「何も出来ひんって、そんなん当たり前やん。メギドでも太刀打ち出来ん相手やったんやし、寧ろあの子は王都でちゃんと自分に出来ることをやってたんやろ?」
「先程の様子では、それでは足りないと考えているのじゃろう」
「そんなん……なんでラウラがそこまで背負う必要あんねん」

 カスピエルにしてみれば、相手が純正メギドとはいえ生と死の狭間を彷徨うほどのダメージを負い、ラウラにはひどく情けない姿を見せてしまったと内心落ち込んですらいた。だというのに、いくら役に立たないと言われたといえ、一体何がどうして彼女がそこまで自分を責めているのか、カスピエルは訳が分からなかった。

「説明はわらわより、直に見ていたカマエルがした方が良かろう」
「んなっ!? 姐さん、そりゃ無いですぜ。なんでメギド野郎にメギドの勇姿を言わなきゃなんねぇんだ……」

 突然シバに話を振られたカマエルは、苦虫をみ潰したように心底嫌そうな表情を浮かべたが、親愛なる女王の命令に逆らう事など出来ず、盛大な溜息を吐けば渋々口を開いた。

「テメェらの仲間が、騎士団の仇討で純正メギドの息の根を止めた上、瀕死のヴィータまで生き返らせちまったんだよ」
「仇討……?」

 カスピエルは一瞬訝しげに思ったが、すぐに合点がいった。仇討をしたいと思うほど、王都の騎士団の誰かと親密な関係にある仲間――考えるまでもなく、一人しか該当しなかった。

「……ムルムルも頑張ってたんやね。いや、でもそれとラウラが何の関係があんのや?」
「ウチの騎士団の一人が死んだのは、そのメギドの女を攻撃から庇ったからだ。それをラウラが見ちまったんだよ」

 なんとタイミングの悪い事か、とカスピエルはますますラウラに同情せざるを得なかった。いくら善意とはいえ、アガリアレプトやフォカロルに役立たずだと言われ、挙句の果てに自分と同じヴィータがメギドを守って命を落としたのを目の当たりにするなど、いくら彼女が出来る限りのことをやっていたとしても、落ち込むのは無理のない話だとカスピエルは漸く納得がいった。

「つってもラウラはただの伝令、そもそも単なる使用人やろ。戦場で死ぬ事を覚悟の上で騎士団やっとるヤツとは違うやん。あの子は当然、騎士団と同じ訓練なんてやってへんやろ?」
「理屈ではそうでもラウラはそれじゃ納得いかねぇんだよ。ああ見えてプライドが高ぇからな」
「ああ、それは分かるわ。意識だけは馬鹿高いあんたらハルマの教育の賜物やね」
「あ!? 喧嘩売ってんのかこのクソメギド野郎が!!」

 危うく喧嘩になりそうなところで、二人の間に強引にシバが割って入った。

「双方控えよ! 全く……カマエル、喧嘩をするぐらいなら今すぐラウラを追い掛けよ!」
「クソッ……おい、メギド野郎。この場は姐さんの顔を立てる為に収めてやるがよ、次舐めた口聞いたら本気でブッ殺すからな」
「物騒やなあ、どっちが悪魔か分からへんわ」

 カスピエルの軽口を忌々しい顔付きで流しつつ、カマエルはアジトを後にした。女王の言う通り、ラウラを追い掛けて慰めにでも行くのだろうとカスピエルは推察した。

「なあ。ラウラを慰めに行くんは、あのハルマのオッサンより俺のほうが適任やったと思うけど」
「わらわもそう思ってラウラをここに連れて来たのじゃが、あの様子ではもう少し時間が必要じゃろう」
「そんなん、強引に抱き締めて優しい言葉掛けて最後に軽くキスでもすれば解決するやんか」

 カスピエルは至極当然な正論を言ったつもりであった。落ち込んでいる女など甘い言葉ひとつで簡単に落ちてしまうし、己以外の男を知らぬラウラの場合など、言葉よりも口付けひとつで己の虜になるのだから、それはもう楽なものである。だが、それは女王の前では口が滑っても言ってはいけない事であった。

「ほう? おぬし、わらわ達の目の届かないところでラウラにそんな事を……」
「別に法に触れる事はしてへん!!」
「当たり前じゃ!!」

 今度は女王まで怒らせてしまい、カスピエルはもう言葉を発するのを止めにした。戦闘で負った傷も完全には癒えておらず、ポータルも復旧しないのなら大人しく酒でも飲んで寝ているのが一番だ――そう思って退散しようとした瞬間、妙な視線を感じ、カスピエルはふと顔を向けた。
 その先にいたのは、正直己がただでさえ気に食わないハルマの中でも、更に気に食わない男であった。

「……何や。人を観察するような目で見よって、言いたい事があるならはっきり言いや」
「いえ、今は別に喧嘩を売りたい気分ではありませんので」

 シバの女王の傍で、どこまでも冷ややかにそう告げるのは、かつてカスピエルとラウラの初デートに介入し盛大に水を差したハルマの男――ガブリエルであった。

「『今は』って何やねん。有事の際やなければ喧嘩売るっちゅう事か」
「ラウラがどうしてここまで貴方の事を慕っているのか、どうにも腑に落ちませんね。この程度の外見の男なら、ヴァイガルド全域まで広げなくとも王都でもそれなりに居るように思えますが」
「ジブンほんま喧嘩売りに来たん?」
「貴方が仲間の為に自らを犠牲にするような人物であると、こんな事が起こるまでラウラが分かっていたとも思えませんしね。ますます不可解です」

 護界憲章に触れない程度にぶん殴ってやろうかとカスピエルは思ったが、当のガブリエルは相手の反応などどうでもいいとばかりに、冷めた顔付きでカスピエルを見遣るばかりであった。
 やはりメギドとハルマは相容れない存在である、とカスピエルは改めて認識した。大体、人を愛するきっかけなどたいていは些細なものなのだ。顔が好み、話が合う、一緒にいて楽しい、危険な目に遭っているところを助けて貰ったから、等挙げればきりがなく、どれもこれもそんなものであり、大それた理由など後付けに過ぎないのだ。

「強いて言うなら、俺が格好良過ぎるせいやろな」
「……早くラウラの目が覚めて、こんな馬鹿な男と別れてくれるのを待つしかないようですね」
「すまんな、おたくの箱入り娘を誑かす色男で」
「娘ではないですが……まあ、ラウラの事は幼少期から見ていますから、馬鹿な男に引っ掛からずに全うな人生を歩んで欲しいと思うのは、ヴィータでいうところの『親心』なのかも知れませんね」

 ガブリエルはそう言って傍に居るシバの女王へ視線を移す。今の言葉はカスピエルに対してではなく、シバの女王に向けられたもののようであった。

「カマエルもガブリエルも色々と思うところはあるじゃろうが……ラウラとて一人のヴィータであり、その意思を尊重する必要がある。子離れと言うとおかしな話じゃが、変な男に引っ掛かって痛い目を見るのもひとつの人生勉強じゃ」
「酷い言われようやね」
「そう気を悪くするでない。カスピエル、此度の活躍は見事であったぞ。今後のおぬしの態度によっては、騎士団の監視の目を緩めてやらない事もないぞ?」

 分かり切っていた事ではあったが、ラウラとの交際をあっさりと許可した理由をこんな風にさらっと言われるとは思わず、ますますハルマ達は信用ならないと思わざるを得ないカスピエルであった。彼らはずっと監視の目を向けて、云わば己がラウラに相応しい男かどうかを試していたのだろう。襤褸が出れば強制的に別れさせる算段であったに違いない。
 尤も、イレギュラーな事が立て続けに起こった事で、己の与り知らぬところで己の株が上がっていたとは微塵にも思わなかったが――

「何か企むような邪悪な笑みを浮かべているようじゃが……」
「なっ、何も考えてへんって! 誤解や!」
「次にラウラと会うた時に立ち直らせることが出来るよう、身の振り方をちゃんと考えておくのじゃぞ。良いな?」
「責任重大やなあ……」

 随分と重いものを背負わされてしまった気がしてならないカスピエルであったが、身の振り方も何も、己は彼女と出会った頃と何も変わってはいないし、変わるつもりもなかった。
 ラウラは肝心な事を忘れている。そもそも彼女が己に恋をしたのは、己が彼女の窮地を救ったからでもなければ、己が優しくしたからでもない。
 シバの女王の付き添いでこのアジトを訪れた際、侵入者だと勘違いし、あまつさえ殺そうとした己に、彼女は瞬く間に恋に落ちたのだ。
 決して仲間の為に命を犠牲にする事も厭わない己に恋をしたのではない。敵と味方の区別もつかず、それを仲間たちから責められても平然としているような、馬鹿でどうしようもない己を、彼女は好きになったのだから。

 だから、彼女が自分を責める必要など皆無である。ただ彼女は大人しく己に従順であれば良い。それ以上の事は求めず、求める理由もない。
 己は聖人君主ではないのだから、彼女だって今のままで良い。誰かを救う為に命を賭すことは出来ずとも、出来る事を精一杯やっている、ちっぽけな存在である彼女のままで何が悪いのか。身の振り方などわざわざ考えずとも、カスピエルの心は決まっていた。

2019/11/27


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