これと知るもの在りにけり



 かつてメギドラルに居た頃、そして追放されてヴィータに転生した後も、カスピエルの生活は泥水を啜るような惨めなものであった。だが、二人の男と出会った事でカスピエルの人生は大きく変わった。故人であるアーバインという男に憧れ、自分の足で立ち、歩き、生き抜く事を覚え、そしてメギドラルへ帰る術を失った己に手を差し伸べてくれたソロモンに、この命を捧げる事を誓ったのだ。
 仲間の為にこの身を挺し、己の命を犠牲にソロモンの活路を見出せたのなら、もう何も悔いはない。ただ、せめて、あともう少しだけ、ソロモンの傍に――

「――ソロモン!!」

 消えかけていた意識が戻り、カスピエルは覚醒と同時に己の人生を捧げた主の名前を口にしたが、目の前にいたのは主ではなく、仲間のひとりであった。

「気が付いたか」
「……フォカロル?」
「オマエが隙を作ったお陰で、アガリアレプトの能力で皆無事にアジトから脱出出来た」
「……ああ、そういや、そうやったな……」

 カスピエルはひとまず己が今置かれている状況を整理した。周囲を見渡すと、そこは最後に意識を失う時に居たアジトではなく、王都の裏道であった。てっきりあの純正メギドに己は呆気なく殺されたかと思ったが、どうやら生きているようだ。その証拠に、身体のあちこちが悲鳴を上げている。辛うじて手足を動かす事は出来るが、まともに走る事は出来そうにない。

「上手くいけば、今頃ラウラが援軍を呼んでいる筈だ」
「俺が身体張ろうと、結局はハルマの世話になるっちゅう事か」
「純正メギドについて介入はさせんが、さすがに王都のヴィータを守るのは限界があるだろう。お互い、こんな状態ではな」

 フォカロルも無傷ではないらしく、深手を負っているようにも見えた。戦力はここから遠く離れた地にいるソロモン達の元に固まっており、非戦闘員を辛うじて死なせずにいる状況では、確かにつまらない意地を張ってハルマの協力を得ないのはますます戦況が絶望的になるだけである。

「ほんま、情けない限りやな」
「反省は後でいくらでも出来る。それより今は生き延びる事を考えろ。でなければ、ラウラに会わせる顔がない」
「は?」
「オマエを絶対に死なせないと約束した」

 フォカロルの言葉に、カスピエルは己がくたばっている間に何があったのかを察した。フォカロルがラウラとそんな約束をしたという事は、死にかけている己の姿をラウラは目の当たりにしたのだろう、と。
 だが、そんなものなどただの口約束である。別にフォカロルが律儀にそれを守る必要などない。

「一体どんな話したんか知らんけど、ジブンが気負いする必要あらへんやん」
「? どういう意味だ」
「俺が死のうとあの子は立派に生きていけるやろ。ラウラはああ見えてしたたかな女やからな。俺との付き合いなんてただの火遊びみたいなもんや」
「おい。あの子の事を侮辱するな」

 カスピエルは、己の解釈に誤りはないという自信があった。ラウラは己に対して従順ではあるが、大前提として王宮に仕える身であり、その立場を捨ててまで己と添い遂げようとは思っていないだろう。
 メギドとしての己の真の姿を目の当たりにした後、己から距離を置いていたのが良い例である。
 伝令の仕事で多忙などただの言い訳だ。他のメギド達と交流出来ているのだから、それこそ仲の良いメギドを使って己を呼び出すことぐらい容易い筈だ。それをしなかったのは、紛れもなくラウラが己の事を重要視していないからであろう。

「別に侮辱はしてへんよ。恋愛よりご主人様を優先するのは当然の事や。女王の側近ちゅう選ばれた人間しかなれへん立場を捨てて男を優先するような、後先考えん阿保な女ならとっくに切っとるわ」
「そんなに捻くれた考え方をする必要はないと思うがな。あの子は死にかけのオマエに寄り添いたがってたぞ。足手まといだと言って、自分に出来る事をしろと突き放して来たが……」
「そんな事言うたん? アガリアレプトにも同じこと言われよったし、さすがに可哀想やな」
「気持ちだけは立派だが、この状況下で戦闘経験のないヴィータに出来る事など皆無だからな。ラウラと再会したらせいぜいフォローしてやる事だな」

 どうやら己の意識がない間に他の男と甘い雰囲気になっていたわけではなく、案の定説教を食らっていたようで、カスピエルはラウラにほんの少し同情しつつ、僅かに笑みを零した。

「せやな。生きてまた会えたら優しくしたるわ」





 そもそもカスピエルは本気で女を愛したことなど一度もなく、あくまで己が生き延びる為に女を利用しているだけであった。使えるか使えないかで判断し、利用し尽して使えなくなれば切り、そんな事を延々と繰り返していた。

 ラウラという存在も、利用価値のある女が偶々己の容姿に惚れて寄って来たのを難なく捉えただけであり、所謂特別な感情など持ち合わせていなかった。適当な店に連れて行っただけで瞳を輝かせ、適当なものを与えれば頬を緩ませて微笑むラウラを、王宮という温室育ちゆえの世間知らずな馬鹿な女だとカスピエルはどこか冷めた目で見ていたが、好きな男となら何処へ行っても、何を貰っても嬉しいという彼女の気持ちなど、女を愛した事のない男には分かる筈もないのであった。

 護界憲章の盲点を付いてヴァイガルドへ潜入した純正メギドは、アジトを襲撃したアドラメレクだけではない。奴の部下が何人もこの王都に潜伏しており、ヴィータを殺すまではいかなくとも、危害を及ぼすのは時間の問題である。
 カスピエルにとって、ラウラを含むヴィータなど取るに足らない存在だが、このヴァイガルドでメギド同士が争う事によってハルマに貸しを作る事は単純に腹立たしい話であった。故に己たちで責任を取らなければならず、ソロモンや戦力となるメギド達が別行動である以上、合流するまでの間はなんとしても戦力の足りない己たちで食い止めなければならなかった。王都で暮らすヴィータの護衛をハルマに任せるのは致し方ないが、せめて純正メギドを仕留めるぐらいの事はしなければならない。

 そう考えるのは誰でも出来る事だが、それを実行するのは極めて困難であった。

 アドラメレクの部下からの襲撃に遭い、フォカロルを逃がす為に別行動を取らざるを得なくなったカスピエルは、痛みを堪えながら物陰に隠れた。身を隠したところで事態は悪化する一方だが、まずは策を講じるのが先決であった。
 散々人を利用して生き延びて来たというのに、ここに来て仲間ひとりを逃がす為に己を犠牲にするなど、カスピエル自身も己の行動の変化に戸惑いつつあった。

「あ……カスピ!?」

 ふと、背後から声を掛けられカスピエルは身構えたが、追手ではなく己が利用している女のひとりであった。

「どうしたの!? ボロボロじゃない……誰にやられたの!?」

 いくら純正メギドとはいえ、ヴィータを殺せば護界憲章を破ることになる。この女を盾にして逃げる事も可能だとカスピエルは考えたが、先程フォカロルに『クズが嫌ならやめたらどうだ』と苦言を呈された事が脳裏をよぎり、腹立たしく思いつつもその考えを払拭した。

「カスピ? 誰かに追われてるの? そうだ、騎士団呼ぼう! さっき『鋼鉄のラウラ』がこの辺りにいたから、今から追い掛ければ間に合うはず」
「ラウラ……? 今なんて言うた?」
「あ、騎士団の伝令の子。なんでも、親に捨てられて物乞いみたいな生活してた時にシバの女王に拾われて、王宮に忠誠を誓ってるから『鋼鉄の』って二つ名が付いたって噂」
「いや、その由来はどうでもええねんけど」

 まさか自分の女からその名前を聞くとは夢にも思わなかったが、どうやらラウラの存在はいつの間にか一部の民衆にまで知られているようだ。確かに、男しかいないエルプシャフト騎士団の伝令として、あんな非力な少女が王都じゅうを駆け巡っているのだから、民衆の間で噂にもなるだろう。
 だが、今はそれどころではない。純正メギドが己を追っているのだから、この女まで巻き添えになる。

「俺はええから、はよ逃げ……ボサっとすんなやっ!!」
「え……」

 瞬間、容赦ない打撃がカスピエルを襲った。アドラメレクの部下が追い付き、カスピエルに不意打ちを仕掛けたのだった。
 痛みで蹲るカスピエルに、女は逃げることもせずただ名を叫び泣いて縋る。カスピエルは早く逃げろと苛立ちを覚えつつも、どうして逃げないのかと不思議に思ったが、漸く答えに辿り着いた。
 例え無力なヴィータであろうと、愛する男の為なら危険も顧みず、命を奪われる事も恐れない。例え何も出来なくても傍に居たい、それが人を愛するが故の行動なのだと。

『あの子は死にかけのオマエに寄り添いたがってたぞ。足手まといだと言って、自分に出来る事をしろと突き放して来たが……』

 ふと、フォカロルの言葉がカスピエルの脳裏をよぎる。
 別の伝令の仕事などせずとも、王宮のメイドとして安全な場所で一生暮らして行けるというのに、ハルマがどんな命令を下したかは知らないが、断る事は出来た筈だ。それをしないのは、メイドの仕事だけでは飽き足らず、もっと上り詰めたいという出世欲もあるのだろうとカスピエルは推察していた。そういうしたたかな連中をメギドラルで嫌というほど見て来た故に、ラウラも『そういう』人種なのだと思っていた。

 そう思っていたのだが、それは思い込みなのかもしれない。立ち位置はどうであれ、ラウラが己を愛している事に間違いはなく、どんなに保身に走ろうと、いざ瀕死の己を目の当たりにした瞬間、為すべきことも忘れて寄り添いたいと願ったその気持ちは本物であろう。今目の前にいる女と同じように。

 それが分かったところで、現状は絶体絶命である事に当然変わりはなく、ラウラと再会を果たす可能性は著しく低い。こんなところで死んで堪るかと、何か策はないかと最後の最後まで足掻こうとした、瞬間。

 己たちを殺そうとしていた純正メギドに向かって、どこからともなく鉄球がぶつけられた。
 そんな武器を使うのは、己の仲間しかいない。

「緊急事態っぽかったんでな……不意打ち上等っ! ヨロシク!」
「グ、グラシャラボラス……! 助かったで!」

 カスピエルが顔を上げた先には、傍から見れば時代錯誤であろうリーゼントがよく似合う男――グラシャラボラスと、先程己が追手から逃がしたフォカロルがそこにいた。
 折角逃がしてやったというのに易々戻ってくるなとカスピエルは思ったが、フォカロルとて策も無しに来たわけではなく、増援に来たグラシャラボラスと共に三人で力を合わせ、漸く純正メギドを仕留めたのだった。





「さっきの女に騎士団へ伝言を頼んだから、これで戦況も変わってくる筈や」
「ラウラが動いているとはいえ、純正メギドの潜伏する場所が分からなければ、最悪見当違いな場所で待機するだけになるからな」
「ラウラちゃんも頑張ってるなら、俺たちも負けてらんねぇな!」

 ひとり仕留めただけだが、元々ソロモンと共に行動していたグラシャラボラスが、アジトへ増援を呼びに行ったフォカロルの戻りが遅いのを心配して率先して動いてくれたお陰で、かなり風向きは変わって来たと言えよう。ソロモン一行や前線に出ていた戦力が王都に戻るのも時間の問題であり、それまで持ち堪えればいい。

「せやな。次ラウラと顔合わせた時、堂々と胸張ってられるようにせんとな」
「……カスピエル、心境の変化でもあったのか?」
「別に、何も変わってへんよ」

 フォカロルの問いにカスピエルは口角を上げてそう答えた。己が変わったわけではなく、ラウラという少女の本質を漸く理解しただけなのだから。

2019/11/02


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