うばらの城



「それにしても、オマエがどうしてあんな男に執着しているのかまるで理解出来ん」
「何の話ですか?」
「カスピエル以外に執着している男がいるのか?」
「いえ、カスピエルさんにしか執着していませんが」

 アジトへの道程を辿る中、フォカロルから不躾な発言が出て来る度に、ラウラは顔色ひとつ変えず、寧ろ対抗するかの如くカスピエルへの愛を口にした。

「あんなクズを絵に描いたような男に入れ込む必要はないだろう」
「カスピエルさんの悪口はやめてください、仲間じゃないですか」
「悪口じゃなくて事実だ。仲間と言っても、あくまでソロモンに召喚されたから一緒にいるだけであって、全員が信頼関係を結んでいるわけじゃないからな」
「確かに、72人もいれば合う合わないはありますが……メギド72、でしたっけ? 軍団の名前」
「ああ。正確には72人以上いるが……」

 ソロモン王がメギドラルの侵略に対抗する為に、召喚した追放メギド達で軍団を作った事はラウラも知るところであった。だからこそ、ソロモンへ人並みならぬ忠誠を誓っているカスピエルが、このような非常事態に表に出て来ないことが不思議で仕方なく、フォカロルの申し出は有り難いものであった。

「……やっぱりカスピエルさんがアジトから出て来ないのはおかしいです。体調が優れなくても、無理して戦場に出る性格だと思いますが」
「ふん、あながち飲み過ぎで寝過ごしているだけかも知れんがな」
「何か……考えがあるのかもしれません……それが何かは分かりませんが……」

 フォカロルは分からん、とでも言いたげに溜息を吐いて、ラウラの言う事を気にも留めなかったが、後にこの言葉が己達――追放メギド達の窮地を救うのであった。





 アジトに辿り着いた後の行動は実に迅速であった。フォカロルの的確な指示により、待機組のメギド達はそれぞれ増援に向かい、戦闘に向かない性格やヴィータの外見ではまだ幼い一部のメギドはアジトに残ることとなった。

「うう……ラウラさん、折角来てくださったのに……お役に立てなくてすみません……」
「いえ、メギドと言っても非戦闘員がいるのは理解していますし、それに私の方が役に立てていませんから」
「そんなぁ、ヴィータのラウラさんの方が余程働いてますよぉ……」
「ですが、いざ何かあった時に対抗する手段を持ち得ているのはメギドの皆様ですから。寧ろ頼りにしております、アンドロマリウスさん」
「ひええ、頼りにしないでください〜……」

 今にも泣きそうな顔を浮かべるアンドロマリウスに、ラウラはつい笑みを零した。別に苛めているわけではないのだが、どうにもからかいたくなるタイプだ――と思ってしまい、例え容貌は気弱な女の子であってもれっきとしたメギドなのだから、敬意を払わなくてはとラウラは気を取り直した。

「ところで、カスピエルさんはアジトにいらっしゃいますか?」
「え? は、はい! 奥の部屋にいらっしゃいますよ」
「そうですか……」

 先程の不安そうな表情から一転、一気に明るくなったアンドロマリウスの様子から、カスピエルは特に体調を崩しているわけでもないようだとラウラは安堵したが、同時に謎も深まる一方であった。

「ラウラさん、カスピエルさんと仲直りしに来られたんですか?」
「仲直り?」
「あ、その、違うんです……! 最近お二人がデートされてる様子もなくて、喧嘩してるのかなって……」
「いえ、大体そんなところです」

 別に明確に喧嘩しているわけではないのだが、あの夜以降カスピエルとは一度も会っておらず、誘われる事も無ければ王都で偶然出くわすこともなくなり、明らかに避けられていると考える方が妥当であった。ラウラも仕事で多忙なことを口実に、自分から率先してカスピエルに接触しようとしていないのだからお互い様であり、周囲から『喧嘩』と思われるのも致し方ない話であった。

「悪いのは全面的に私ですので、カスピエルさんが許してくださるのなら、是非面会をしたいのですが……」
「大丈夫ですよ、ラウラさん! 私も一緒に行って、カスピエルさんにお願いしてみます」
「ありがとうございます。アンドロマリウスさんがいてくださって心強いです」

 アンドロマリウスは、白い肌を微かに紅潮させて照れ臭そうに笑みを浮かべてみせた。フォカロルは『あくまでソロモンに召喚されたから一緒にいるだけ』などと言っていたが、アンドロマリウスのような内気な少女がこうして仲介を買って出てくれるあたり、カスピエルは皆と上手くやっているではないか、と他人事ながら安心したラウラであった。



「し、失礼します〜……」
「なんや、そんな畏まらんでも――」

 いつも以上におどおどした様子で部屋に入って来たアンドロマリウスに、カスピエルはいくら遠慮がちな性格とはいえ何事かと首を傾げたが、彼女に続けて足を踏み入れた少女の姿を見た瞬間、成程、と全てを理解して溜息を吐いた。

「カスピエルさん、二人きりでお話をしたいのですが……」
「アジトに突撃までされたら拒否も出来んやろ」

 今回はあくまでフォカロルに頼まれて来たのであり、ラウラが強引に突撃したわけではないのだが、いちいち言い訳をしている暇はない。ここに来た理由はカスピエルへの謝罪もあるが、一番の目的は人員の足りない前線に出て貰うことである。何が理由で引きこもっているのかはラウラの知るところではないが、余計な事を考える猶予はなかった。

「で、では、私はこれで失礼しますぅ……ラウラさん、ファイトですっ」

 怯えながらも小声で声援を送るあたり、どうにもラウラは女子メギドに愛されているようであり、カスピエルは尚の事ラウラを下手に切ることは出来ないと思わざるを得なかった。
 己がいくら女遊びをしようと、腹を立てつつも許容してくれるのだから、こんなに付き合っていて楽な女は早々いないだろう。ハルマが背後に付いていることだけが腹立たしいが、いずれ懐柔して利用してやるという野心は残っており、このまま女子メギドたちと友好を深めて貰うことで、徐々に『こちら側』に染めてやればいいとカスピエルは考えていた。

 己のメギド体の姿を見て慄かれたのは、未だに腸が煮えくり返るが、いつまでも腹を立てていたところで全く得はしない。こうしてわざわざ謝罪しに来てくれたのだから、ここは快く許してやろう――そう思った瞬間、何かが融解したような感覚を覚えた。

「あ、あのう」

 カスピエルが少しの間物思いに耽っている間に、ラウラが目の前に来ていて、不安気な眼差しを向けていた。あの夜恐怖で怯えていた面影はなく、心から申し訳なく想い、己を慈しむ女の表情がそこにあった。
 最早ラウラを責める気もなくなったカスピエルは、己から優しい言葉を掛けて許してやるなど容易く出来るのだが、敢えて彼女の勇気を尊重することにした。

「……カスピエルさん、あなたのことを傷付けてしまって申し訳ありません」
「ん? 何の話やろ」

 何を考えているのか分からない、飄々とした笑みを浮かべながら訊ねるカスピエルに、ラウラは己は今試されているのだと悟った。何も言わずとも全てを察して貰おうなどと甘いことを考えてはならない。相手の優しさに甘えず、しっかりと自分の気持ちを言葉にしなければ、謝罪とは言えないのだと。

「最後にお会いした夜、私はカスピエルさんのほんとうの姿を見て……恐い、と感じてしまいました」
「うん、まあ、そうやろなあ。しゃーないわ、ラウラはヴィータやし」
「仕方なくありません! 本当に愛しているのならば、どんな姿でも受け容れるべきです」
「せやから、本気の愛やないって事やろ?」

 まるで弄ぶかのように狡猾な笑みを浮かべるカスピエルに、ラウラは泣きそうになってしまった。彼は己を試しているのか、それとも本気で縁を切りたいと思っているのか。後者だとしたら、こんな悲しい別れ方はない。何故なら、己が彼を愛しているのは紛れもない事実だからだ。今こうして対面している瞬間も、胸の高鳴りが収まらなくて、顔が熱くなって、もしカスピエルに二度と会わないと言われたら、赤子のように声を上げて泣いてしまうだろう。そんな事を考えただけで、ラウラは涙を溢れさせた。

「あいにく俺は、泣き落としに引っかかるような歳やないんやけど」
「違うんです、私、カスピエルさんに謝りたいのです」
「最初に謝ったやん、もうええよ」

 もういい、という言葉が示すのはもう自分たちの関係を終わらせる、という事と同義である。ラウラはカスピエルの言葉をそう捉え、何も考えられなくなった。何も考えられなくなり、理性を失った結果。

「嫌です、私、絶対にカスピエルさんと別れたくありません!」

 ラウラはカスピエルに抱き着き、絶対に離さないとばかりに力を込めた。その振る舞いに、カスピエルはまるで小さな子供ではないかと思いつつも、悪い気はしなかった。ラウラの肩が微かに動き、次第にしゃくり上げるような音が聞こえたからだ。そう、お前は大人しく従順であれば良い。俺の為に笑い、俺の為に泣き、俺だけに尽くせば良い。そう思うと幾分か気も晴れて、そろそろ苛めるのは止めてやろうと、カスピエルはラウラの髪を優しく撫でた。

「誰も別れるなんて一言も言ってへんやろ?」

 ラウラの肩がぴくりと震え、抱き締める腕はそのままに少しだけ身体を離して、恐る恐る顔を上げる。カスピエルを見上げる双眸は涙で濡れ、無垢な眼差しを向けていた。

「……私を、許してくださるのですか?」
「勿論や。ちゃんと俺に会いに来て、こうして謝ってくれたしな。ラウラに泣かれたら、俺ももう何も言うことあらへんわ」
「泣き落としには引っかからないのではないですか?」
「そうやって揚げ足取りするなら、やっぱ許さへんわ」
「ひ、酷いです! 男に二言はなしですよ!」

 混乱しているラウラを見て、可愛いところもあるではないかとカスピエルは笑みを零した。お前は俺に振り回されていれば良い、お前が俺を振り回すなど言語道断である。主導権は常に己にあり、お前は黙って己の言うことを聞いていれば良いのだ。と言いたい気持ちを堪えつつ、一先ずラウラの機嫌を取ってやろうと、口付けをしようとした――瞬間。

「本っ当に面倒な男ね、あなたって」

 カスピエルとラウラしかいない筈の部屋に、アガリアレプトが軽蔑の眼差しを向けながら当たり前のようにそこにいた。

「ラウラ、そんな男やめなさい。いい男ならいくらでも紹介してあげるわよ」
「で、ですが、私、どうにもカスピエルさんのことが大好きなので……」
「温室暮らしのあなたにとって、こういう男は刺激的で快感を覚えるんでしょうけど、いずれ身を滅ぼすわ」
「おい、好き勝手言うとるけど何の用や。さすがに用もなしに邪魔しに来たわけやないやろ?」

 折角うまく話が纏まったのに台無しにするなとカスピエルは苦虫を噛み潰したような顔でアガリアレプトを睨み付けたが、カスピエルの言う通り、当然邪魔しに来たわけではなく、用があってここにいるのだ。

「緊急事態よ。敵がアジトに侵入してる」
「は!?」
「ええっ!? あの、まさか私が何かやらかしてしまったのでは……」

 冷静沈着に事実だけを述べるアガリアレプトに、嫌な予感が当たったとカスピエルは頬を引き攣らせ、ラウラは折角落ち着いた涙がぶり返す勢いで狼狽した。

「やっぱりな、絶対何か良くない事があると思ったんや」
「……カスピエルさん、もしかして前線に出なかった理由は、虫の知らせというものですか?」
「前線って、なんやラウラ知っとんたんか」
「はい、フォカロルさんに頼まれてカスピエルさんを呼びに来ました」
「は!? ジブン、俺に謝りに来たんやないんか!?」
「両方です」

 つい先程までのしおらしさは何処へやら、しれっときっぱり答えるラウラに、やっぱりもう少し苛めておけば良かったとカスピエルは若干後悔したが、そんな余計な事を考えている場合ではない。

「敵って、どうやって侵入したん? このアジトはそう簡単に見つからへんはずや。いや、そもそもラウラが普通にしれっとポータル経由して来とる理由も分からへんけど」

 このアジトを提供したのは王宮であり、どうやら移動手段の機能もハルマニアの技術によるものらしい。通常、ヴィータはポータルを通ることが出来ない筈だが、ラウラがフォカロルと一緒に来れたのは、恐らくハルマがラウラに何らかの処置を施しているからなのだろう。真っ先に思い浮かんだのがガブリエルとかいういけ好かない男の顔であり、カスピエルは不快感を露わにした。

「私がこのアジトに来れるのは、実はガブリエルさまが……」
「いや、今はその話はどうでもええねん。問題は敵や。とっとと始末――出来ひん程厄介なん?」

 ラウラの話を強制終了させ、カスピエルはアガリアレプトに訊ねた。てっきり幻獣が迷い込んで来たのだと思ったが、返って来た答えは想定外であり、絶体絶命の文字が脳裏をよぎった。

「敵は……『純正メギド』よ」

2019/09/13


[ 21/28 ]

[*prev] [next#]
[back]
- ナノ -