ただのヴィータであるラウラには、アガリアレプトの話している内容を半分も理解出来なかったが、いつになく緊迫した様子から、『純正メギド』なる存在が幻獣よりも脅威であることは把握出来た。
つまり、攻撃の術を持たず、幻獣に太刀打ち出来ないような己がここにいる事は、メギド達の足を引っ張るという事になる。
一緒に戦えると思うほど無謀でも考えなしでもないが、せめて自分の身は自分で守る。それが彼らの枷にならないよう、己が唯一出来ることである。今自分が為すべきことが分かれば、後は行動に移すだけだ。
「あ、あのう」
真剣な面持ちで話し合うアガリアレプトとカスピエルの間に、ラウラは恐る恐る割って入れば、勇気を出して話を切り出した。
「このアジトにシェルターのようなものがあると伺っています。有事の際はそちらに身を潜めたいと思います」
その言葉に、アガリアレプトとカスピエルは互いに顔を見合わせた。
「シェルターの存在なんて聞いたことあらへんけど……」
「そもそもこのアジトはハルマが造ったものよ。云わばブラックボックスのような所もあるし、私たちは知らなくてもハルマ経由でこの子が知っている機能があってもおかしくはないわ」
アガリアレプトの説明に、カスピエルはすぐに納得した。『メギドの塔』といい、このアジトには己たちの理解を遥かに超えた機能が備わっているのだ。
カスピエルたちがこの窮地を抜け出すには、どうしてもラウラの存在が枷であった。
ラウラに傷ひとつ付こうものなら、王宮が黙っていない。そもそもそんなに大切な存在なら、伝令などやらせる方がおかしいという話なのだが、この采配はシバの女王ではなくハルマ側によるものだと考えれば腑に落ちた。
ラウラの身に何かあれば、ハルマにとってメギドとの協力関係を破棄する口実になる。メギドが皆それぞれ千差万別の考えを持つように、現状を快く思っていないハルマも中にはいるのだから。
だが、その枷が外れた今、迷っている暇はなかった。
「決まりやな、アガリアレプト」
「そうね。……ラウラ、今すぐそのシェルターへ向かいなさい」
カスピエルの言葉に応じるようにアガリアレプトは頷き、すぐにラウラへ向き直って簡潔に告げる。
「え? あの、非戦闘員のメギドの方も一緒に避難したほうが……」
「残念だけど、そんな余裕はないわ。あなたは自分の身を守ることだけを考えなさい。あなたがここにいる事は、シバの女王も知っているのよね?」
「黙ってここに来ましたが、騎士団経由で恐らくはもう伝わっているはずです」
ラウラの返答に、アガリアレプトもカスピエルも僅かな希望を抱くことが出来た。今はハルマが気に食わないなどと言っている場合ではない。メギドラルの問題は己たちで解決すべきだが、ラウラは無関係の、それもハルマ側の立ち位置なのだから、己たちで彼女の身を守る余裕がない現状、ラウラの今後のことはハルマに全て任せるしかない。
「いい? ラウラ。シバの女王、ハルマ、あるいはあなたの知っている人の声がしない限り、絶対にシェルターから出ては駄目よ」
「分かりました。ですが……」
「メギドラルの揉め事はメギドだけで解決する。あなたがいると足手まといなのよ」
ラウラがジズやコルソン、アンドロマリウスなど、戦闘要員ではないメギドのことを気にしているのは、アガリアレプトとて分かっているが、先述した通り、残念ながらもう手遅れなのだ。きつい物言いではあったが、嫌われ役を買って出てでも彼女には身を守って貰わなくてはならない。
幸い、ラウラは自身の立場を理解しており、傷付く素振りも見せずに黙って頷いた。
「承知致しました。皆様、どうかご無事で」
現状を完全に把握しているわけではないが、とにかく己がここにいつまでも居ては、メギド達の足を引っ張ることになるという事だけは確かであった。今出来ることをする。ラウラに迷いは一切なかった。
アガリアレプトとカスピエルに背を向けて、ラウラは部屋を出ようとした。
瞬間、後ろから手を掴まれ、振り向くと同時にラウラの視界はカスピエルによって塞がれた。
軽く唇が触れたかと思えば、すぐに離れて、ラウラの視界が再び明るくなる。目の前には、いつものように微笑を湛えているカスピエルがそこにいた。
「ええ子にしとるんやで。仲間が来るまで、絶対に外に出たらあかんよ」
「……はい!」
いつにも増して優しい声色で告げるカスピエルに、ラウラは一瞬恍惚とし掛けたが、今はまさに有事の際である。カスピエルに見惚れている場合ではない。
「カスピエルさん、アガリアレプトさん。それではまた、後程」
ラウラは深々と頭を下げて、今度こそ部屋を後にした。静寂が訪れ、カスピエルとアガリアレプトは互いに顔を見合わせた。
「やっぱりハルマは信用出来んわ。シェルターがあるなんて誰も聞いてへんやろ」
「でも、あの子のお陰で望みはあるわ。万が一私たちが全滅しても、ラウラがハルマと合流すれば、少なくとも王都の混乱は鎮圧出来る」
「いや、全滅はさせへん」
カスピエルには策があった。己が囮になり、アガリアレプトの時間停止能力を使って他のメギド達を全員逃がすというものであった。
過去のカスピエルであれば自分を犠牲にするなど考えられないことであったが、今、己たちを束ねているのはソロモンである。彼の為にも、みすみす仲間たちを見殺しにするわけにはいかないのだった。
ラウラが初めてこのアジトを訪れた際、誤解とはいえカスピエルに殺されかけたことを懸念したガブリエルは、ラウラにこのアジトの構造、および避難場所であるシェルターの存在を教えたのだった。尤も、アジトを居住地とするメギドたちですら知らない事が多々あるなど、当のラウラは知る由もないため、今日この日までその存在を口にすることはなかった。
ラウラはてっきり周知の事実だと思い込んでおり、こんな事態が起こると分かっていれば、事前にカスピエルにシェルターの存在を伝えたのに……と落ち込みつつ、倉庫の奥へと進んで行った。
配置図でしか知り得なかった倉庫内に初めて足を踏み入れたものの、保管されているものは見たこともない不気味なものばかりで、ラウラは一種の恐怖を覚えながらも敢えて視界に入れないようにしつつ、真っ直ぐシェルターへと向かった。
少ししてシェルターらしきものを見つけたラウラは、『何があっても手放さないこと』とガブリエルから念を押して言われていた装飾品の中から、ひとつの鍵を取り出した。これもハルマの技術からなるものであり、鍵穴に差し込んだだけで簡単に解錠でき、中に入った瞬間、自動的に扉が閉まり施錠された。どういう仕組みかは、ただのヴィータであるラウラにはいくら考えても答えが出るわけもないが、一先ずこれでメギドの皆に迷惑を掛けることはなくなったと、漸くラウラは安堵の溜息を吐いてその場に倒れ込んだ。
アガリアレプトの前では気丈に振る舞っていたつもりだが、異常事態ゆえ、余計な口を挟むことなど出来ず、考えることを放棄してただ従うことしか出来なかったと言った方が正しい。
ラウラはアガリアレプトの発した言葉をひとつひとつ思い返した。『もう手遅れ』、確かそう言っていた。己がこうして避難する時間があったという事は、きっと非戦闘員のメギドたちは殺された後ではなく、勝ち目のない戦いをせざるを得ない状態であったと推察したほうが事実に近いであろう。
本当にこれで良かったのか。いくらメギドとはいえ、幼い子供たちもたくさんいるのだ。これではまるで、自分だけが助かろうと易々と逃げ出したのと同じではないか。ラウラは今になって後悔の念に苛まれたが、かといってどうすれば正解だったのかという解も得られそうになかった。純正メギドなるものが何なのかはラウラの知るところではないが、アガリアレプトとカスピエルが血相を変えた様子から、ヴィータに転生した追放メギドよりも単純に『強い』と捉えるぐらいしか出来なかった。
そんな相手に、ただのヴィータがどうやって太刀打ちするというのか。理想論を振り翳すだけで戦いに勝利出来るのならば、このヴァイガルドでメギドとハルマの戦争など起こらないだろう。
何をしてもどうにもならなかった事を、今更悔やんでも仕方がない。少なくとも、アガリアレプトとカスピエルの足を引っ張ることはなかったのだから、出来る限りのことはした。問題は、これからどうするかだ。
きっと聡明な彼らなら、何らかの策を講じてこのアジトを脱出しただろう。非戦闘員が多くいる以上、勝ち目のない相手と戦って消耗するよりは、まずは身の安全を確保するのが最優先だからだ。
アガリアレプトに伝えた通り、ラウラはそもそもフォカロルと共にここに来る際、エルプシャフト騎士団にその旨を伝えている。恐らくガブリエルかカマエルか、あるいはシバの女王が直々に迎えに来る、というより勝手な行動を取った己を叱責するために来るのは確実である。
やってしまった事は仕方がなく、ラウラは自分なりの信念でここに来たのだから、何を言われても耐えるつもりだった。だが、その『純正メギド』とやらをここで抑えることが出来ない場合、アジトを脱出したメギドたちを追って王都を襲うだろう。そうなれば、幻獣どころの騒ぎではない。本当に、遥か昔にあったハルマとメギドの戦争が起こるかもしれないのだ。それをなんとしてもシバの女王たちに伝えなければならない。
ひとまずそこまで頭を整理して、ラウラはシバたちの到着を待つことにした。いつまでも突っ伏しているのもどうかと思い、上体を起こして周囲を見回せば、内装もない白を基調とした殺風景な空間であることを認識した。あたたかみのない、冷たい空間。寒さを感じるというわけではなく、気持ちの問題だ。
かつて、ガブリエルが何かの話のついでで「ハルマは進化することもなく、滅びゆく運命にある」と言っていたことをふと思い出し、少しだけ胸が苦しくなった。
シバの女王――アミーラが、メギド達に囲まれたソロモンの事を羨ましいと口にするのも、なんとなくわかる気がしたラウラであった。
あまり長い時間は経っていない筈だが、シェルターの外から足音が聞こえ、ラウラは身構えた。シバの女王たちである可能性もあるが、話し声はない。ひとりであれば声を発さないのは当たり前だと考えれば、ある程度絞り込み出来た。シバの女王が護衛もなく一人でここに来ることは考えられず、だとしたらハルマの誰かか、あるいはメギドのうちの誰かか、このアジトを襲撃した『純正メギド』のいずれかである。
メギドの皆が逃げたと仮定して、それを追い掛けると考えるのが妥当だが、アジトに残って他に隠れているメギドがいないか探している可能性も充分ある。今、ここを出るのは危険だ。そう判断して、ラウラは心臓の鼓動が跳ね上がるのを感じつつ、耳をそばだてた。
何やら物を漁っているような音が聞こえ、この外が倉庫であることを考えれば自然な行動であるとラウラは解釈した。だが、外にいる相手が誰なのかはまだ分からない。
「くっ……どうすればいい……」
ラウラは聞き逃さなかった。外から聞こえた声は間違いなく、己をここに連れて来たメギド、フォカロルであった。
アガリアレプトは『知っている人の声がしない限り、外には出るな』と言っていた。つまり今は、ここを出ても良いという事になる。敵と交戦中で、一時的に倉庫に避難してきたという可能性はあるが、どちらにせよフォカロルの傍に敵がいるわけではないだろう。
ラウラは息を呑んで、立ち上がり、恐る恐る解錠し扉を開けた。
シェルターの外に出ると共に扉は自動的に閉まり施錠される音が聞こえた。万が一敵がこの倉庫に来たとしても、また同じ手順で避難すれば良い。ラウラは今己の視界にはいないフォカロルを探すべく、声を上げた。
「フォカロルさん! どこにいますか!?」
倉庫に響くラウラの声に反応するように、少し間を置いてフォカロルの声が響いた。
「ラウラか!? オマエ、一体どこに隠れて……」
ラウラは声のした方向へ駆け、薄暗い倉庫の中でやっとフォカロルを見つけることが出来た。お互いに顔を合わせたものの、フォカロルは信じられないとでも言いたげに驚いた様子であった。
「アガリアレプトさんの指示で避難していました。非戦闘員のメギドの皆様も一緒にと思ったのですが、もう遅かったらしく……」
「詳しい事は後だ、今はとにかく時間が惜しい」
「皆様は無事脱出できたのですか?」
ラウラは目を凝らし、フォカロルが傷だらけで血を流していることに気付いた。皆が無事かどうかを聞くのは躊躇われた。最悪の事態が起こっているとは想定したくもなく、脱出できたかだけに論点を絞って訊ねた。
「……何とかな」
「良かったです……あの、差し出がましいですが、怪我をされているようですし、手当てさせてください。私にはそれ位しか――」
「俺は大丈夫だ。それよりカスピエルがまずい」
フォカロルからカスピエルの名前が出た瞬間、ラウラは何も考えられなくなった。一気に血の気が引き、そのまま意識を失いそうになった。
「――ラウラ。おい、ラウラ!」
ほんの僅かな時間だったのか、それとも随分と長い間だったのか。ラウラはフォカロルの呼声で我に返った。倉庫を漁っていたのか、フォカロルの手元には得体の知れない不気味な、木の実とも何とも形容しがたい物体があった。
「オマエはこれからどうするつもりだ」
「じきにシバさまかハルマの誰かがここに来るはずなので、合流次第この現状の報告と、王都の混乱対応に当たります」
「分かった。オマエはここで待っていろ」
「あの、カスピエルさんは無事なんですか?」
「待っていろと言っている! 言う事を聞け!」
声を荒げるフォカロルに、ラウラはカスピエルが無事な状態ではないという事実を受け容れざるを得なかった。
ラウラの返答を待たずに、フォカロルは背を向けて走り出した。その先にカスピエルがいるであろうことは、考えなくても分かる。
今ここでカスピエルに会わなければ、絶対に後悔する。もう後悔はしたくない。何も出来ない無力な存在なのは分かっているが、だからといって自分ひとりだけ安全な場所に閉じ籠っているなど、やはり間違っている。
そう決意したラウラは、恐怖で震える手を押さえつつ、フォカロルの後を追った。その先にあるのが例え見たくもない現実であったとしても、彼を愛する者として、もう逃げたくはなかったのだった。
2019/09/28
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