西の空は暁



 ソロモン達が王都に戻ってからそう時間も経っていない、まだ陽も高い頃。この日ラウラは、日常の崩壊というものを身をもって知ったのだった。

「王都に幻獣が襲来してるだと!?」

 まさにこれから伝令の仕事で王宮を出ようとしていたラウラの前に、エルプシャフト騎士団の兵士が息を切らしながらやって来て、偶然居合わせたカマエルが現状報告を聞いて声を上げた。
 王宮じゅうに響き渡ったのではないかと錯覚するくらいの声に、ガブリエルも駆け付ける。

「何事ですか?」
「膨大な数の幻獣が、王都の各所に出現しています!」
「…………」
「クソッ、アンチャーター絡みか」

 神妙な面持ちのガブリエルと対照的に、カマエルは苦虫をみ潰したような顔で忌々しく呟いた。
 ラウラはエルプシャフト騎士団の兵士の顔と名、配置場所を把握している。この兵士の配置場所周辺では既に情報は回っているであろうと捉えたラウラは、己が今すべきことを瞬時に把握し、ガブリエルへ目配せした。

「ガブリエルさま、これからA地区以外へ向かい、騎士団へ情報伝達を行います」
「頼みましたよ。ただし、身を守る事を最優先に行動してください。全ての配置場所を回るのが困難であれば、すぐさま王宮へ帰還すること。いいですね?」
「はい」

 ラウラはガブリエルから有事の際に取り得るべき行動を予め教わっており、恐ろしいほど冷静であった。恐怖に震えることなくまっすぐにガブリエルを見て頷けば、すぐに王宮から外へと飛び出した。余計なことを考えている暇がないゆえの心理状態であると言えよう。

「いいのか? ラウラも一応護身術は身に付けちゃいるが、生身のヴィータが幻獣相手に勝てるわけねぇ。最悪死ぬぞ」

 今、この場にシバの女王はいない。ソロモンに会いに、メギド達が集う酒場『コラフ・ラメル』へ行っているところだ。もしこの場にシバがいたら絶対に阻止していたであろうことが想像に容易く、女王が不在で良かったと思いつつも、カマエルもまたラウラの事が心配であった。彼女が王宮に来た頃からずっとその成長を見て来ており、愛情と称する感情も多少なりともあるのだ。

「おいガブリエル。テメェの事だ、ラウラに危険が生じないよう根回しは済んでるんだろうな?」
「ええ。騎士団にはラウラを命懸けで守るよう予め言っていますし、私も監視を怠るつもりはありません」

 監視と言ってはいるが、結局のところはガブリエルもラウラの事が心配となのではないか、とカマエルは内心思いつつも、余計な事は言わないでおいた。

「んじゃ、ちょっと姐さんとこに行ってくるぜ。メギド野郎の集会所に行くのは気が乗らねぇが仕方ねえ」
「ええ。メギド達が前線で戦えば、ラウラの身の安全はより保障されますしね」
「チッ、メギド野郎にラウラが助けられるなんざ気分悪いぜ。おい! 騎士団もメギドなんかに負けるんじゃねぇぞ!」
「は、はい!」

 カマエルの矛先が兵士に向かう。勝ち負けの問題ではないのだが、とガブリエルは溜息を吐きつつも、カマエルの意見には頷けるものがあった。
 この王宮は数百年、あるいはそれ以上に渡り、ハルマの干渉によって成り立っている。メギドと協力体制を結んでいるとはいえ、王都への幻獣侵略阻止をメギドだけに任せる羽目になるような事があっては面目が丸潰れである。無論そんな事態にはならないよう、カマエルの言うように根回しはしているが、騎士団にとっての鍵となる存在は、ただのヴィータであるラウラであった。

 非力な少女でさえも勇敢な心をもって戦場を駆け巡っているのだから、騎士団たるもの命を賭して戦え、という云わば戦意を上げる手段として彼女の存在を利用しようとガブリエルは考えており、今まさにそれが実現しようとしていた。
 とはいえ、気掛かりがひとつある。
 ラウラを特別な存在として扱っている、シバの女王の事であった。





 シバの女王への伝達でカマエルはコラフ・ラメルを訪れたが、ちょうどソロモン以外のメギド達も集結しており、行動は驚くほど迅速であった。メギドの一人であるイポスの指示で直ちに配置指示が行われ、この場に集っていたメギド達は皆一斉に、瞬く間に戦場へと繰り出し、その光景にはカマエルも驚かざるを得なかった。

「カマエル、わらわ達も王宮に戻るぞ」
「おう、ラウラが戻った時に姐さんがいねえんじゃ、不安がるだろうしな」
「……ラウラが『戻る』?」
「あ」

 ラウラが今この瞬間伝令の仕事を行っていることがシバの女王に知られたら、面倒な事になるのはカマエルとて重々承知しているつもりであった……筈なのだが、誰しもうっかり隠し事が口から零れてしまう事はある。このような緊急事態であれば尚更である。

「こんな危険な状態だと分かっておるというのに、ラウラを外に出したというのか!?」
「いや、ガブリエルが見てるし大丈夫ですよ、姐さん」
「その油断が命取りとなるのじゃ! ラウラは今どこにいるのじゃ!?」
「A地区以外を回って王宮に戻る手筈だって聞いてますぜ。姐さん、ここはラウラを探すより先に王宮に戻りましょう」

 カマエルの言いたい事はシバも分かっている。下手に動き回るより、王宮でラウラの帰りを待っていた方が確実に合流出来る。ラウラが一向に戻って来なければ、何らかの事故に巻き込まれたと判断して動く事も出来る。とにかく今は王宮に戻るしか選択肢はないのだ。

「……分かっておる! 言いたい事は山ほどあるが、全てはこの混乱が収束した後じゃ!」
「話が早くて助かりますぜ」

 納得いかない表情を浮かべつつも同意してくれたシバの女王に、カマエルは安堵しつつコラフ・ラメルを後にした。この穏やかな飲み屋がのちに戦場となる事を予測できる者など、この時は誰もいなかった。





「この地区の住民は全て避難が完了しました」
「迅速な対応、ありがとうございます。騎士団の皆様のお陰で人的被害もなく、ほっとしました」
「いえ、まだ何があるか分かりません。ラウラどのも早く王宮に戻られた方が……」

 全ての地区を回り騎士団への伝令を終え、危険地域における住民の避難を見届けつつ、ラウラは漸く一息吐いた。今のところ被害は見当たらないが、きっと王都に駐在するメギド達にも情報が伝わり、既に幻獣を押さえているのかも知れない、とラウラは思案した。メギドの中でも特にムルムルは騎士団と繋がりが深く、己が余計なことをせずとも皆じゅうぶんに動けているだろう。そう判断し、王宮への帰路を辿ろうとした瞬間。
 どこかへ向けて走っている、見覚えのある姿が視界に入った。

「あれは……フォカロルさん?」

 ソロモンが使役するメギドのうちの一人であるフォカロルは、元々ソロモンに召喚される前からこのヴァイガルドで王都を防衛する兵士として戦っていた事もある。深く交流した事はないが、ラウラもその存在と外見、そして数多の戦歴は知っていた。
 確証はないが、嫌な予感がする。ラウラは何も考えず、フォカロルの元へ駆け寄った。

「フォカロルさん!」
「……オマエは、ラウラだったか」
「はい! 騎士団への通達、および住民の避難は一通り終わりつつあります。そちらはどうですか?」

 王宮のメイドが伝令の真似事をしていると、フォカロルも他のメギド達から噂は聞いていたが、案外しっかり務めを果たしている事に内心感心したものの、それを口に出している余裕はなかった。

「戦力が分散し人員不足だ。これから援軍を呼びにアジトへ向かう」
「人員不足!? やはり大事になっているのですね……」

 被害がないように見えるのはあくまで己の行動範囲内だけの話であり、見えないところではメギド達が今この瞬間も戦っているのだと思うと、ラウラは居ても立っても居られなくなった。

「あの! 私にも何か出来ることはありませんか!?」
「ヴィータを巻き込むわけにはいかん。……いや、確かオマエはカスピエルと親交があったな?」
「はい、それが何か……?」
「あの男はアジト待機組だ。よくつるんでいる二人は前線に出ているというのに、どういうわけか今回はアジトから出て来なくてな」

 よくつるんでいる二人、というのはインキュバスとメフィストの事だとラウラは把握し、同時にカスピエルが表に出て来ない理由が純粋に不思議であった。ソロモンの為ならば喜んで前線に出るであろうことが想像に容易く、それに仲の良い二人が戦場に出ているにも関わらず、当の本人はアジトに引きこもっているというのは、考えれば考える程ラウラには理解出来なかった。

「カスピエルさん、体調を崩されているのでしょうか?」
「そうは見えんが……オマエにはそう思えるのか?」
「ソロモンさまへの忠誠心、それにインキュバスさんやメフィストさんに後れを取るような方とは思えません。寧ろこのような状況では積極的に動かれる方だと捉えていますので、少々不思議、というより不可解に思います。ただの面倒くさがりではなく、何か理由がある筈です」

 きっぱりとそう言い切るラウラを、フォカロルは意外そうに見遣る。それは決して否定的に見ているのではない。逆に彼女の判断を評価し、神妙な面持ちで頷いた。

「どうやらオマエはただの怠惰なヴィータではないようだな」
「ありがとうございます、あなたのような方にそう思って頂けるとは光栄です」
「む? まあいい。ラウラ、一緒に来て貰えるか」
「えっ、私が……ですか?」
「今は一人でも戦力が必要だ。どういう理由であの男がアジトに引きこもっているかは知らんが、オマエの説得で気が変わる可能性は高いだろう」

 フォカロルの言葉から、今の戦況は相当に切羽詰まっている状態なのだとラウラは理解した。つまり今は緊急事態であり、機械のように王宮に戻るのではそれこそ何の役にも立っていない。ラウラの本業は使用人であり、王宮としては伝令を務めるだけで充分なのかも知れないが、ラウラにはまだ余力があった。
 それに、カスピエルと対面して、あの夜のことを心から謝りたいという思いもあった。

「承知致しました。フォカロルさんに同行します」
「ラウラどの! 正気ですか!?」

 ラウラとフォカロルが話し込んでいる様子を不可解に思った騎士団のひとりが、駆け寄ると同時にちょうど後半の話が耳に入り、慌てて口を挟んだ。

「あなたの身に何かあったらシバの女王が……」
「大丈夫です、この方が守ってくださいますから」
「この方って……おい、メギドだろうとラウラどのを勝手に巻き込むな!」
「今は緊急事態だ」

 最早ラウラの意志は固い。フォカロルも騎士団の兵士の非難を無表情で躱し、ラウラの手を取って走り出した。

「おい、待て!!」
「ごめんなさい! 手が空いたら、帰りは遅くなるとシバさまかハルマの方にお伝えください!」

 フォカロルに手を引かれるまま、ラウラは兵士へ向かってそう叫んで足を速めた。

「ラウラ、先に言っておくが丁重な扱いは出来ん」
「構いません。緊急事態ですし、私こう見えて体力はありますから」
「我慢はするなよ。足を挫いたらすぐに言え、オマエを背負うくらいなら出来るからな」
「カスピエルさんに誤解されたら嫌ですし、そうならないよう気を付けます」
「いい心掛けだ」

 騎士団の面々は追って来る様子がない。住民の避難、そして王都を守ることが最優先なのだから当たり前だが、ラウラは安堵しつつもこの後シバの女王に酷く叱られることが目に見えて分かっており、ほんの少しだけ憂鬱になった。とはいえ、今はフォカロルの言う通り緊急事態である。遅かれ早かれ情報は伝わり、こうするしかなかったと分かって貰えるだろう。ラウラはそう楽観的に考え、寧ろカスピエルと再会出来ることを心待ちにすらしていた。この後、アジトでの惨状を目撃するまでは。

2019/09/01


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