黄昏に沈む慕情



 ラウラはカスピエルとの間に微妙な距離感を覚えつつも、他のメギド達とこれまで以上に交流を深め、それなりに慌ただしく、充実した日々を送っていた。

 尤も、遊んでいるわけではない。メギドラルを追放されたメギド達を率いるソロモン王が、廃都であったペルペトゥムで建国すると宣言したのだ。それに伴い、国を再建するためにペルペトゥムに滞在する部隊、メギドラルの侵略に備えて防衛に動く部隊、そして、ソロモンと行動を共にする一行、と皆散り散りとなった。これまでのように、ある程度皆が共通の行動を取るわけではなくなり、王都の茶会も暫くはお預けになっている。

 そんな状況であるにも関わらず、ラウラがメギド達と交流を深めることが出来ているのは、ひとえに伝令の仕事を任されたお陰であった。立ち位置は違えど、同じく伝令を任されているムルムルと交流するようになったのをきっかけに、アジトに残っているメギド達とも自然と顔馴染みになっていった。まるでカスピエルと会えない寂しさを埋めるかのように、ラウラの世界は一気に広がったのだった。





「ソロモンさま!」
「ラウラ! 久し振りだな」

 王宮内の廊下でソロモン一行に出くわしたラウラは、周囲を気にも留めずにソロモンの傍へ駆け寄り、一行に向けて深々と頭を下げた。ソロモン達はこれまで、王都の命令で辺境の港町まで遠征に行っており、彼らと対面するのは久々であった。

「皆様、此度の遠征、お疲れ様です」
「ああ、色々あったけど……お陰様で皆無事に帰って来れたよ」

 ソロモンの言う『色々あった』とはまさに言葉通りで、ラウラには言えないような出来事であった。一瞬言葉に詰まったソロモンの様子に、ラウラは何かを察しつつも敢えて触れない事にした。
 今の彼らはこの王都を統治する王とシバの女王、およびハルマ達と謁見を済ませた後である。ラウラは自身の立場をよく理解しており、己のような一般のヴィータが知ってはならない機密事項がこの王宮には数多く存在することを弁えていた。

「ソロモンさまが言葉を濁すなど、余程の事があったのですね。皆様、本当に無事帰還されてなによりです」
「そういうラウラも、随分と元気そうだな。前よりずっと明るくなったように見えるよ」
「そうでしょうか?」

 ソロモンの言葉に首を傾げつつも、確かに余計なことを考える時間もないほど忙しない日々を送っているせいか、あまり悩まなくなった気がする、とラウラはふと思った。カスピエルとの件は何も解決していないのだが、ムルムルが励ましてくれたお陰か、自然と前向きな気持ちになっているのだ。

「だとしたら、きっと王都に居られるメギドの皆様に良くして頂いているからだと思います」
「『皆様』……って事は、カスピエル以外の皆とも仲良くやれてるんだな」
「はい、お陰様で。私のような下々の者に良くしてくださるなど、きっとソロモンさまのお人柄に、皆様も感化されているからかもしれませんね」
「いや、それは無いって。皆自由奔放だし……皆ラウラの事を信頼しているからこそ、心を開いてくれるんじゃないかな」

 お互いに褒め殺しのような状態になってしまい、顔を見合わせて苦笑するソロモンとラウラ。そんな二人の様子に、いつもならウェパルが呆れ顔で小言のひとつでも口にするのだが、今日はとても大人しい。

「皆様、お疲れのようですね。申し訳ありません、引き留めてしまって」

 ウェパルの口数が少ない、というよりほぼ皆無な様子を疲労によるものだと解釈したラウラは、苦笑まじりにそう告げて、この場を後にしようとした。

「ラウラちゃん」

 踵を返したラウラの背中に異性の呼声が掛けられる。己のことを「ちゃん」等という敬称で呼ぶ異性は、この場にいる面々の中では一人しかいない。ラウラは振り返って声の主を見上げた。

「どうしましたか? バルバトスさん」
「もし、君の都合さえ良ければだけど……これから一緒に美味しいものでも食べにいかないかい?」
「バルバトス!? 何いきなりラウラをナンパしてるんですかっ!」

 バルバトスの突然の行動に、ラウラよりも先にマルコシアスが驚きと怒りの声を上げた。

「マルコシアス、落ち着いて。僕のほうこそ突然君に怒られる謂れはない」
「何言ってるんですか! ラウラにはカスピエルという心に決めたお相手が……」
「上手くいってない、という話を風の噂で聞いたんだけどなあ」

 その言葉に、この場にいる全員が唖然とした顔でバルバトスを見遣った。正確にはラウラとウェパル以外の者が、である。

「な、な、なんてことを言うんですかバルバトス!!」
「お前、言っていい事と悪い事くらい分かるだろうが!!」
「バルバトス、どうしてそんな事を……?」

 曲がりなりにも王宮の人間であるラウラに対する発言ではないと、マルコシアスとブネは血相を変えて怒鳴り、ソロモンは訝しげにバルバトスを見遣り、その横でガープが呆れ顔で「俺は知らんぞ」と呟く。そして、すぐ傍にいるモラクスは口をぽかんと開けていた。まだ幼い少年だが、一応カスピエルとラウラの関係は理解しているようだ。
 いつもなら真っ先に苦言のひとつでも呈すウェパルは、やはりここでも黙っていた。『心ここに在らず』と称すのがぴったりなくらい、どこかぼんやりとしている様子である。

「あのう、大丈夫です。私、気にしてませんから」

 さすがにこのままだとバルバトスがまるで悪者のようになってしまう、とラウラは慌てて助け舟を出した。別に強がりではなく、本当にその通りなのだから、堂々としていれば良い。ラウラは淡々と言葉を紡いだ。

「確かに上手くいっていないのは事実です……が、別に私としては、カスピエルさんが嫌いになったわけではありませんし、好きな気持ちに変わりはないのです」
「そうなんだ、良かった……」

 真っ先に安堵の表情でそう呟いたのはソロモンであった。ラウラはその表情を見た瞬間、ただでさえシバの女王と同じく様々な重圧を抱えている彼に、己のせいで少なからず心配させてしまったと心の中で反省した。
 だからこそ、これ以上彼に迷惑を掛けてはいけない。そう決心し、ラウラなりに笑顔を作ってみせた。

「実はこれまで何度も悩むことがありましたが、その度にメギドの皆様に励まして頂いたんです」
「ああ、女の子同士で色々話してるのはなんとなく知ってたけど、そういう事か」
「はい。ですから、私自身心変わりを起こさない限り、カスピエルさんのことを想い続けるつもりです。例えカスピエルさんが私のことを嫌いになってしまっても……」
「いや、そんな事はない!」

 ラウラの弱気な発言に、ソロモンは思わず声を上げた――ものの、正直言って根拠はない。

「……と思う」

 無責任な事は言えないと、ソロモンは最後にそう付け足したものの、仲間たちから呆れる視線が飛ぶ。その様子を察し、ラウラは気丈に振る舞った。

「ありがとうございます、ソロモンさま。私としてもソロモンさまに心労をお掛けするのは、望むところではありません。自分自身の力で、なんとかしてみせますから。ですので、ご安心を」

 それこそ一体何を根拠に安心できるのか、という話なのだが、ひとまずその場はまるく収まりつつあり、ラウラは深く一礼して今度こそその場を後にした。





「ラウラ」

 ソロモン達と別れ、仕事に戻ろうとしたラウラに、思いもよらぬ人物が声を掛けた。

「……どうかされましたか? ガブリエルさま」

 シバの女王やルネ、同じ使用人の仲間たち、エルプシャフト騎士団など、所謂己と同じヴィータから話し掛けられるのとは訳が違う。ハルマでも日頃から何かと世話を焼いてくれるカマエルや、なかなか対面する機会は無いが楽しい話や教養を与えてくれるミカエルならともかく、今己に声を掛けた人物はラウラにとって『苦手』に分類される相手であった。
 勿論ラウラも彼に世話になることは今まで何度もあり、決して悪い人ではないのは分かってはいるのだが、カスピエルと付き合うようになってからというもの、余計ガブリエルの冷徹さがラウラの気に障るのだった。

「用がなければ話し掛けてはいけないのですか?」
「いえ……というか、用もないのに話し掛けるなんて、ガブリエルさまらしくないですね」
「先程ウェパルを見てどう思いましたか?」

 突然そんな質問をぶつけられて、ラウラは呆気に取られた。質問の内容や、己がソロモン達と話していたところを見ていたのか等、突っ込みたい箇所は様々あるが、それよりも最初の口ぶりからてっきり用もないのに話し掛けて来たのかと思いきや、結局は用があるのではないか。ガブリエルのその言葉の運びに若干怒りを覚えたラウラであった。
 とはいえ、質問には答えなくてはならない。いちいち腹を立てたところで、相手はハルマである以上ラウラには初めから勝ち目などないのだ。苛々するだけ時間の無駄である。

「どう思ったか、ですか……ええと、随分とお疲れのように感じました。此度の遠征で、私のような一般人には言えないような事があったのは、何となく察してはいますが」
「ただ疲れただけのように見えましたか?」
「え?」
「ウェパルが今日だけではなく、明日も、この先もずっとあの状態だとしたら、ラウラはどう思いますか」

 それは仮定の話なのか、それとも実際に『そう』なのか。どちらなのか訊ねたところで、ガブリエルは絶対に答えないであろうことはラウラも充分分かっていた。だが、ラウラとてハルマの面々をこの王宮でずっと見て来ている。ガブリエルは無駄な話はしない。ならば、これは仮定ではなく確定事項である可能性が高い。勿論、断定は出来ないが。
 つまり、ウェパルは先日の遠征で何かがあり、別人のようになったと考えられる。
 別人のように。

「『もし』この先もずっと今日のようなご様子でしたら、すっかり人が変わられてしまったと感じます」
「何故そのように感じましたか?」
「いつもなら真っ先にウェパルさんが容赦ない発言をするところ、今日はとても落ち着いていらっしゃって……結局一言も話されなくて、あんなウェパルさんは見た事がなかったのでびっくりしました」

 特に取り繕うこともなく、ありのままを話したラウラに、ガブリエルは無表情ではあるもののどこか満足げに頷いてみせた。一体何が目的なのか、そもそもガブリエルの質問に己が答えているだけで、会話というよりまるで尋問ではないかと、ラウラは心の中で悪態を吐き掛けた。

「ラウラ、よく覚えておくように。メギドには時折『こういう事』があると」
「え?」
「ヴィータの知識、および価値観から外れる不可思議な現象が起こり得るという事です」

 不可思議な現象。それはラウラもカスピエルがヴィータの姿からメギド本来の姿へ変わった瞬間を、この目ではっきりと見ている以上、否定することは出来ず素直に納得した。
 だが、ガブリエルは一体己に何を言いたいのだろう。彼の言う『不可思議な現象』とは、ウェパルがまるで人が変わったようになった事であり、それは一時的なものではなく、永続的であると考えられる。つまり、

「カスピエルさんも、ウェパルさんのようにある日突然別人のようになってしまう、という事ですか?」
「何故その男の名前が出て来るのですか」
「え!? あの、これでも一応、お付き合いをしておりますし……」
「そうですか。てっきり関係は破綻したと思っていましたが、どうやら情報に誤りがあったようですね」

 まるで興味なさそうにきっぱりとそう言い放つガブリエルであったが、一体どこで何の情報を得ているのかと、ラウラは羞恥のあまり頬を朱く染め、そして怒りを露わにした。

「もう用がないなら私はこれで失礼致しますっ!」
「ラウラ」
「失礼しますっ!」

 ガブリエルの呼掛けを無視して王宮内の廊下を歩き始めるラウラだったが、思いがけない言葉が掛けられ、思わず足を止めそうになってしまった。

「あなたの意思は尊重します。ですが、あの男の身に何かがあり、あなたが深く傷付いた時、同じようにシバも心を痛めるであろうことは、気に留めておくように」

 シバの女王――アミーラの名前を出されては、ラウラとしても無視するわけにはいかなかった。振り返らずに、足だけを止めて呟く。

「……善処します」

 再び歩き出したラウラは、怒りとも困惑とも異なる、上手く説明出来ない感情に襲われていた。ガブリエルは明確には言わなかったが、きっとつい先程まで己が対面していたウェパルは、これまでのウェパルとは違うのだ。いつだって強気な発言で、己の背中を押してくれたウェパルはもういないのかも知れない。そして、もしかしたらカスピエルもいつかそうなるかも知れない。ガブリエルは決してそうだと断言したわけではないのに、ただただ言語化出来ない不安がラウラを襲うのであった。

2019/08/16


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