花は枯れども死にはせず



 カスピエル達の幻獣討伐に同行した後、ラウラは落ち着かない日々を送っていた。
 あの夜、カスピエルの真の姿を知ったラウラは恐怖心に囚われてしまい、そんな己を恥じ、悔いていた。彼が己と同じ種族ではなく、異世界から来た異形の存在だということくらい、頭では分かっていたはずなのに、いざ実際にその姿を間近で見た瞬間、言い知れぬ恐ろしさを感じ、己の感情を取り繕うことさえ出来なくなったのだった。

「所詮はその程度という事じゃ。ラウラ、おぬしはあの男を愛しているわけではなく、単に恋に恋していただけじゃ」
「恋に恋……? カスピエルさんは『恋』そのものだったと……? すみません、シバさま。私、哲学的な話はよく分からなくて……」
「ラウラさん、シバさまの言葉はそういう意味ではないと思います〜」

 夜も更ける頃、雑談に興じる女子たちの声が、シバの自室から僅かに廊下に漏れる。シバの身の回りの世話という仕事の一環で、ルネとラウラは女王の自室にいるのだが、齢十七の少女たちが集まれば、恋の話に花が咲くのは自然な流れであった。とはいえ、ラウラがメギド達のアジトで盛り上がったような楽しい話ではなく、悩み相談、というよりとっとと別れてしまえという方向に話が進んでしまっていた。

「ルネ、いちいちツッコミを入れる必要はないぞ。ラウラは現実逃避でわざと馬鹿な振りをしておるのだからな」
「ひ、酷いですシバさま! まるで私を狡猾な女みたいに……」
「何故ショックを受けるのじゃ? わらわはおぬしを褒めておるのだぞ。王宮の務めを果たし、あの男から詮索されても機密情報を一切漏らさず公私混同せぬよう努めておるではないか」

 シバの女王やハルマ達が、ラウラに伝令の仕事を手伝わせてエルプシャフト騎士団との関わりを持たせているのには、様々な理由があった。カスピエルがラウラにおかしな事をしないよう、そしてラウラが王宮の機密事項を漏らさぬよう自然に振る舞えているかを監視しているのは、ラウラ自身も知るところであった。だが他にも、将来ラウラに王宮における重要なポジションに就かせても良いかを審査する、云わば抜き打ちの昇格試験のような事も、本人の知らないところで着々と行われているのだった。

「シバさま。私のような下役が、そもそも機密事項を知ることすらないと思うのですが……ルネならともかく」
「ええっ!? 私に振るんですか!? 私だって知りませんよ〜」

 ルネを弄りながら、あくまで自分は無知な存在であると態度で主張するラウラに、シバは溜息を吐いた。長年ラウラを傍で見て来ているが、己に全てをさらけ出してくれるわけではない。だが、その心の内を探ることは出来なくても、シバとて彼女の性格はそれなりに熟知しているつもりであった。ラウラは本人が思っている以上に賢明な娘であるというのが周囲の認識である。

 カスピエルと付き合うようになってからのラウラは、誰が見ても仕事の能率が上がっていた。自分たちの関係を認めて欲しいという一心で努力している事は評価するが、リスク回避としてあんな破落戸のような男とはいい加減手を切って欲しいというのが、シバの女王やハルマ達の総意であった。

 あえてラウラをソロモン達の幻獣討伐に同行させ、メギドの真の姿を見せてやれば、例え彼らがヴィータに転生していようとも、『ごく普通の』ヴィータとは明らかに違う生命体だと否が応でも理解でき、本来の姿が異形であればあるほど目も覚めるだろうと思っていたシバ達だったが、思いのほか効果があったように見えた。

「まあ、何度も言うておるが……何かある度にうじうじと悩む時点で、おぬしのあの男への想いなどその程度なのじゃ」
「うう……」
「冷静になってじっくり考えたほうが良いぞ。あの男と添い遂げる、というより良いように利用されるのが本当に幸せなことなのか……おぬしの将来の為にもな」

 いつもならシバの苦言に反抗するか、何も言えずに苦虫をみ潰したような表情を浮かべるラウラであったが、今日ばかりは素直にシバの言葉を聞いていた。

「はい……私も心のどこかでは分かっていたのです。今が楽しくて、幸せで、舞い上がっているだけなのだと。幸福な時間も、いつかは終わりが来ますから」
「うむ。すぐに結論を出す必要はないが、少しでも目が覚めたのなら何よりじゃ」

 思案するように目を伏せるラウラに、満足げに頷くシバ。そんな二人の様子を見て、ルネは意外そうに双眸を瞬かせた。

「ラウラさん、カスピエルさんとお付き合いを始めてから人が変わったように見えましたが……根っ子の部分は変わっていなくて安心しました」
「私、変わったように見えた?」
「はい。弛緩した表情をする時が凄く増えましたし、このまま堕落してしまうのかと思いましたが、杞憂に終わって安心しました〜」
「ルネ、虫一匹殺さない顔して、今ものすごく私のことを馬鹿にしてない……?」
「そ、そんなことないですよ〜!」





 一方その頃、王宮の女子たちの話題となっていた破落戸はというと。

「おいおい、カスピエルお前、王宮のメイドと別れたのかよ!」
「まだ別れてへんわ! メフィスト、いくらモテへんからって人の恋路を邪魔するなんて、そういう事やっとるからモテへんのや」
「いや何もしてねぇだろうが!!」

 アジトのバーカウンターで飲み明かす男が三人。アガリアレプト達から『三馬鹿』と揶揄される男たちであった。

「よく分かんねぇな。普通メギド体の姿を見たら惚れ直すだろ」
「インキュバス、ジブンの考える『普通』とヴィータの『普通』は全然別やからな」
「つーか、ラウラ本人が別れたいって言ったのか? 例えテメェのメギド体を見て怯えたからといって、そう易々と冷める女には見えねぇけどな。カスピエル並にしつこそうだろ、あの女」
「おい、最後の言葉ソレどういう意味や」

 メフィストとインキュバス相手に悪態を吐きつつも、カスピエルは正直酒に酔わないとやっていられない程度にはラウラの態度に内心ショックを受けていた。己のメギド体を目の当たりにしたことで、ラウラがどんな感情を抱いたのかは寧ろどうでも良く、それよりも、まるで化け物を見るかのように怯えた態度を取られて、腹を立てていると称した方が近かった。
 メギドにとって、真の姿を受け容れて貰えない事は、己を否定されたも同然だからである。

「別れたっちゅう話にはまだなってへんけど、時間の問題やろな。あの子、平常心装おうと頑張っとったけど、手ぇ繋いだ時震えとったし。恐くて堪らん男と添い遂げるなんて無理やろ」
「ったく、らしくねぇな。ちょっとビビられたくらいで弱気になってんじゃねーよ」
「弱気になんてなってへん、ただ腹立てとるだけや。そもそもヴィータの前でメギド体になる機会なんて滅多に無いのに、こんな事になったんは絶対ハルマの奴等の策略や。ほんまに腹立つわ」

 元々ハルマに対して苦手意識を持っているカスピエルにとって、ラウラが己ではなくハルマのいいように操られたことが不愉快極まりなく、更にはこんな簡単かつ単純な手段で己を恐れてしまうようになったラウラの馬鹿さに、腸が煮えくり返るばかりであった。

「別にいいじゃねぇかよ、メギド体なんてそうそうなるもんじゃねぇし。ヴィータ体のお前には惚れてんだろ?」
「今も惚れとるかは分からへんやん。またいつメギド体になったら……なんて恐怖に怯えた目を向けられるなんて御免やわ。向こうの態度によってはもうとっとと終わらした方がええわ。王宮と繋がりある女なんて他にもぎょうさんおるし。寧ろあの子は王宮とあまりにも密接すぎてやりにくいぐらいやしな」

 いつにも増して饒舌なカスピエルに、メフィストとインキュバスは互いに目を見合わせた。別にカスピエルが落ち込もうがキレようが悪酔いしようがどうでも良いのだが、己に惚れ込んでいる女がメギド体を見るや否や恐れおののくなど、メギドにとって気分の良いものではなく純粋に気の毒だとは思っていた。

「ま、適当にその辺の女抱いて憂さ晴らしすれば、多少はすっきりすんだろ」
「せやな」
「ラウラはオレが責任を持って幸せにしてやるから、カスピエルは気にするな」
「おい、ちょっと待ちや。まだ別れる言うてへんやん。なに人の女に勝手に手出そうとしとんのや」
「とっとと終わらすんじゃねぇのかよ」
「向こうの態度次第って言うたやろ」

 別れると言っておきながら煮え切らない様子のカスピエルに、メフィストは酒を嗜みつつ溜息を吐いた。

「女なんて腐るほどいるカスピエルがここまでグチグチ言うとはな……割と重症っつうか、もしかして本気だったのか?」



 カスピエルとラウラの仲を知る者は、当然メフィストとインキュバスだけではない。他のメギドたちも直接は聞かずとも気になる様子で、特に女子たちは王宮の茶会でよくラウラと顔を合わせていることもあり、彼女がもしメギドを恐い存在だと思ってしまったのだとしたら、なんとか解消してあげたいと様々な策を練りつつあった。
 二人の仲が最終的にどうなるかは置いておくとしても、王宮とこの先も協力関係を続けるのならば、己たちを使役するソロモン王のためにも、ラウラの恐怖をなんとしても取り除いてあげたい。そう純粋に思う面々であった。





 メギド達の想いを知る由もないラウラが、王宮での務めの傍ら伝令の手伝いに明け暮れていたとある日のこと。
 ラウラと同じように、メギド側もまた王宮や騎士団との伝令に携わる者がいた。ムルムルという、愛らしく美しい外見に生真面目な性格で、周囲とは少しばかり距離を置きがちな少女であった。

「ええと、ムルムルさん……?」
「え?」

 ラウラも彼女のことは知っていた。それぞれ立ち位置は違えど為すべきことは同じである以上、有事の際に備えて日頃から協力、あるいは友好を深めるべきだと考えていた。ラウラは茶会で何度か見掛けたムルムルの姿を王都で見掛けるや否や、勇気を出して声を掛けた。

「こんにちは、ラウラ。あなたも伝令の仕事をしているって、ソロモンから聞いてるわ」
「それなら話が早くて良かったです。ご迷惑をお掛けするかと思いますが、改めてこれからどうぞよろしくお願い致します」
「そんな、頭下げなくていいわよ! あたし、そんな立場じゃないし……」

 つい癖で深々と頭を下げたラウラに、ムルムルは慌てふためいて視線を逸らした。ゆっくりと頭を上げると、僅かに頬を染めて困った表情を浮かべるムルムルの姿があり、ラウラは微笑を浮かべた。

「私はただの使用人ですけれど、ムルムルさんをはじめとするメギドの皆様は、ヴァイガルドを守るために戦ってくださる救世主ですから。敬意を払うのは当然の事です」
「……本当に、そう思ってる?」
「え?」

 ムルムルの耳にもラウラの恋愛事情は入っており、別に二人がどうなろうとどうでも良いのだが、皆が言うように『メギドを恐れて欲しくない』という気持ちはあった。だから、決して二人の仲を取り持つだとか、そこまで深くラウラに関わるつもりはないのだが、これからより強固な協力関係を結ぶにあたり、蟠りがあってはならないと探りを入れた。

「ラウラ、本当はメギドの事を恐いと思ってない?」
「……それは、カスピエルさんから何か聞かれたのですか?」
「ううん、直接は聞いてないけど、皆、噂してたから」
「そうですか……」

 ラウラはムルムルの口から『恐い』といった言葉が出て来たことで、己がカスピエルのことを恐れてしまったこと、その感情がカスピエルに伝わってしまったこと、更にはそのことが他のメギド達にも知られてしまったことを悟り、一気に表情を曇らせた。
 ラウラとて、己の感情がメギド達に対して失礼にあたることは、知識としてはなくても相手の立場で考えれば、恐らくはそうであろうと理解していたからだ。

「正直に言いますと、私はカスピエルさんのメギドとしての姿を見た瞬間、恐れを感じたのは事実です」
「そう……」
「そして、そんな風に思ってしまった自分を恥じました」
「……え?」

 悔いるように、うっすらと涙を浮かべて呟くラウラがあまりにも意外だったのか、ムルムルは目を見開いて驚きの表情を浮かべた。

「私の傍にいたソロモンさまは、当たり前のようにメギドの姿を受け容れ、信頼しきっているように見えました」
「まあ、そりゃあ、そうよね。ヴィータっていっても、私たちを使役しているわけだし……」
「ソロモンさまが選ばれた血筋であり、私のようなただのヴィータとは生まれ持ったものが圧倒的に違うことは分かっています。それでも、例え本当の愛じゃなかったとしても、初めて恋をした相手を受け容れられなかった自分が恥ずかしくて、悔しくて、申し訳なくて……」

 次第に声が震え、ついには双眸から涙を零すラウラを見て、ムルムルはどこか慈愛に満ちた笑みを浮かべてみせた。
 恐れるのは仕方ない。けれど、大事なのはその後どう思ったかである。ラウラが最初に言った言葉通り、メギドのことを救世主だと思っているのなら、自責の念に駆られるのはごく自然な感情である。
 この子はきっと大丈夫――根拠はないが、ムルムルは直感でそう思った。そして、彼女のカスピエルへの愛も本物だと確信した。尤も、何故あの男にそこまで惚れ込んでいるのかは、ムルムルにとっては分かりかねる感情ではあるが。

「ラウラが良い子で安心したわ」
「良い子なんかじゃないです、私はメギドの皆様に失礼な事を……」
「そんなことないわ。大事なのは、『これからどうするか』だから」
「これから……」

 ムルムルはラウラの涙を拭った後、髪を優しく撫でてやった。別にそこまでラウラに思い入れがあるわけではなく、あくまで協力関係を結ぶという前提があるから優しくしているに過ぎないのだが、そう思いつつも、ラウラのことがどうにも放っておけなかった。
 皆がやたらとラウラに構いたがるのは、ずっと無機質で存在感がなく、機械のような使用人だったヴィータの少女が、メギドに恋をしたことでどんどん明るくなっていった様子を見聞きしているからなのかも知れない。己も含めて――そうムルムルは結論付けた。

「きっと、メギドの皆様の戦いを何度も見ているうちに、恐怖はなくなると思います」
「確かに、慣れは必要かも。ただ、そもそもヴィータの前で戦う機会はない方が良いんだけどね」
「そうですね、ですが最近幻獣の数も増えていますし……平和呆けしていてはいけませんね」
「うん、だから……これから一緒に頑張ろう、ラウラ」
「……はい!」

 思いがけず新たな友情が芽生えた女子二人だったが、程なくして平和な日常は終わりを告げ、メギド達にとって、そしてラウラにとっても悪夢のような時が訪れるとは、この時はまだ誰も夢にも思っていなかったのだった。

2019/08/05


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