真夜中の花園



「別れたら?」
「いくらなんでも短絡的ではないですか!?」

 王宮で定期的に行われている、女性メギドとの交流会――またの名を女子会にて。ラウラは何とも煮え切らない現状が少しでも良い方向に変わればと、カスピエル達と時を同じくしてヴァイガルドに来たというアガリアレプトに相談したのだが、早くも人選を誤ってしまった気がしないでもなかった。

「馬鹿は死んでも治らないわ。あなたがいくら尽くしたところで、カスピエルが心を入れ替えるとは思えないわね。時間の無駄よ」
「そんな……というか、カスピエルさんは別に馬鹿だとは思いませんが」
「あなたとデートする前日に散々飲んだくれて、見事に寝坊して大遅刻したのに?」
「そ、そうだったんですか……」

 確かに待ち合わせ時間から随分と遅れて来たことがあったが、まさかそんな理由だとは思わず、それ以前にラウラはその時理由を追及することすらしなかった為、今更責める気にはなれなかった。寧ろ、適当に嘘を吐くなりすっぽかすなりして約束を無下にすることだって出来た筈だが、体調が悪いなか己に会ってくれただけでも有り難いとすら思ってしまい、どうにもカスピエルのことを嫌いになれないラウラであった。

「でもラウラは何されてもカスピエルの事が大好きなんだよね〜?」
「ひえっ」

 ここは茶会の場なのだから、当然他のメギドもいる。アガリアレプトとラウラの会話を聞き付けたサキュバスが、いつの間にか真横に来ていて耳元で囁かれて、ラウラは小さく悲鳴を上げてしまった。

「大好きだけど、ちょっと不安になっちゃうんだよね? カスピエルかっこいいし、他の女の子もほっとかないし、不安だよね〜。うんうん、サーヤもラウラの気持ち分かるよ」
「ちょっとサキュバス。勝手に話を進めないで。私が相談を受けてるのよ」
「アガリアレプト、全然相談に乗ってないじゃん。ラウラは恋の後押しをして欲しいんだよ。ねっ、ラウラ?」

 妖しげな微笑を湛えるサキュバスに強引に迫られ、ラウラはつい頷きそうになってしまったが、そういう話ではないのだと首を横に振って否定の意を表した。

「え〜、違うの? でもラウラはカスピエルと別れたくないよね?」
「はい、ですが……最近、心に迷いが生じていて」
「ええっ!? どうして?」

 予想もしなかった答えに、サキュバスだけでなくアガリアレプトも、更には近くにいた他のメギド達も驚愕の表情をラウラへ向けた。一気に己に視線が集中し、ラウラは硬直してしまったが、代わりにシバの女王がきっぱりと口にする。

「要するに『目が覚めた』という事じゃ」
「シバさま、それは違いますっ。ただ、カスピエルさんの事が好きな理由を、うまく説明できないだけで……」
「ガブリエルも言うておったぞ。『所詮は顔だけ』とな」

 シバの女王になんとか反論しようとしたものの、あっさりと躱されてしまい、ラウラは眉間に皺を寄せた。己とのやり取りを勝手にシバの女王に言うなんて、プライバシーも何もあったものではない。ラウラはガブリエルの事を心の中で恨んだが、仮にガブリエルが黙っていたとしても、シバの女王は己に同じような事を言ったであろうことは想像に容易かった。ラウラの中で答えが出ていないからこそ、こうしてアガリアレプトに相談しているのだから。

 女王に反論出来ずに黙り込んでいるラウラに、サキュバスが助け舟を出すように屈託のない笑みで問い掛けた。

「ねえラウラ。かっこよくて優しいから好き、だけじゃダメなの?」
「もう少し確証が欲しいというか……どこが好きなのか聞かれた時、相手をその場で納得させられる位の根拠が欲しいんです」
「ふーん。愛ってそういう理屈じゃないと思うけど〜」

 サキュバスの言葉は尤もなのだが、ラウラはガブリエルに己の気持ちが軽いものであると言われた事が悔しくて仕方がなく、なんとしても説得力のある理由が必要だったのだ。そもそもガブリエルに少し言われたぐらいで不安になる程度の愛しかないのであれば、別れてしまった方が精神衛生上良いのかも知れないが、それはそれで違う気がする、とひたすら答えの出ない問が脳内で堂々巡りしているのだった。

「ラウラおねえたん、どうしたのかな」
「カスくんが大切にしてくれないから、不安になってるんだと思う」
「ジズたちもなにかおてつだいできないかな……」

 ジズやコルソンなど年端も行かぬ子どもたちにまで心配されているなど、当のラウラは知る由もなく、なんとも気まずい雰囲気に居たたまれなくなって、早々にこの場を後にした。

 その後ろ姿を無表情で見つめる少女がひとり。
『夢見』の能力を持つメギド、リリムであった。





「私がメギドのアジトに外泊……ですか?」

 数日後。突然、シバの女王からメギド達のアジトへ一泊するよう命じられ、ラウラは訳が分からず呆気に取られて、頷くことも出来ずにいた。

「そもそもおぬしがジズたちに頼み込んだのではないか? あの子らがおぬしと一緒に寝たいと言ってきかないと、ソロモンも困り果てておったぞ」
「いえ、私はそのような事は決して言っておりません」
「ふん、どうせ合法的にあの男と一夜を過ごしたいから、幼子たちを上手く利用したのであろう?」
「誤解ですっ!! そんな卑怯な手を使わずとも、私は正々堂々とカスピエルさんと一夜を過ごしてみせますっ!!」

 ラウラは完全に売り言葉に買い言葉で言ってしまい、しまったと慌てて口を塞ぐももう手遅れで、シバの女王は暫しの間硬直していた。

「……あ、あの……今のは聞かなかった事にしてください」
「…………」
「あの、シバさま……?」
「真昼間から情事の話をする奴がおるか!! このたわけがっ!!」

 漸く我に返ったかと思いきや、顔を真っ赤にして怒鳴るシバの女王に、ラウラは圧倒されて言葉を失ってしまったが、そもそもそういう話を振って来たのはそちらではないかと言いたい気持ちをぐっと堪えた。どういう事情で己がメギド達のアジトに出向くことになったのかは与り知らぬところだが、このチャンスを逃すわけにはいかない。なにせカスピエルと『そういうこと』をするには、あまりにも弊害がありすぎるのだ。

 口付けを交わすだけなら人気のない屋外で出来るものの、それ以上のことはさすがに躊躇われた。ならば屋内で、とは思うものの、王宮の関係者に『そういう』場所に入るところを見られたらと思うと、なかなかラウラからそういう事をしたいと言い出せずにいるのだった。向こうから誘って来ることがないのは、己が王宮の人間だからあまり下手な事が出来ないのと、そこまでの対象ではないと思っているからなのだろう、とラウラは仮定していた。

「全く……外泊は許可するが、絶対にあの男と一線を越えてはならぬ!」
「承知しております、シバさま」
「信頼できる者に監視役を頼んでおくから、余計な事を考えるでないぞ」
「承知しております、シバさま」
「わらわとて意地悪で言っているわけではないのじゃ。ちゃんと時間をかけて、あの男が初夜を捧げるに相応しい相手であるか見極めて欲しい、それだけじゃ」

 少し冷静になったのか、シバの女王から怒りは消え、寧ろ心配そうにラウラを見遣っていた。女王としての顔ではなく、アミーラというひとりの少女としての素顔を見せられると、どうにもラウラも意地を張る気が消えてしまうのだった。

「ご安心ください、シバの女王……いえ、アミーラ。あなたに救って頂いたこの身を粗末に扱うことはしませんから」
「うむ、分かっているなら良いのじゃが……疑ってすまなかったな」
「いえ、私も疑われても仕方のない発言をしてしまいましたし……」

 シバの女王の手前、邪な感情は捨ててアジトに出向かなければとラウラは自分に言い聞かせた。監視役もいると言っているし、純粋にジズたちと一緒に寝れば良いだけの話である。尤も、何故ジズたちが己のような単なる使用人を気に掛けているのか、それだけがラウラは些か不可解であった。





 かくして、訪れた外泊当日の夜。ラウラは迎えに来たアガリアレプトと共に、アジトへと出向いた。

「あの、アガリアレプトさんは此度の経緯はご存知なのですか? 私、何故このような事になったのかさっぱり分からなくて」
「ジズもコルソンもあなたの事を心配しているのよ。元気になって欲しいって」
「え!? 私、あの子たちとあまりお話したこともないのですが……」

 まさかそんな風に見られ、気遣わせてしまっているとは夢にも思わなかったラウラは、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。メギドという種族はヴィータの寿命とは比べ物にならない程長いとはいえ、姿形が己よりも幼ければ、どうしても庇護対象として見てしまうのだ。メギドラルを追放されてヴィータに転生する前の記憶を持ち合わせていれば、それは長命として捉えて良い気もしており、そういう意味では幼子に対しても敬意を払ってはいるが、こうして気を遣われると、やはり自分は未熟なのだと思わざるを得ないのであった。

「まあ、ただ単にあなたと仲良くなりたいのでしょうね」
「えっ……そちらの方が驚きです……私、あの子たちに好かれる要素など何もないと思うのですが」
「王宮でいつも美味しいお茶とお菓子を用意してくれるお姉さん、というだけでじゅうぶん興味の対象にはなり得ると思うけど」
「そうでしょうか……」
「それに害もないし……あと、あなたっていつも一歩引いていて、少し寂しそうに見えるから、特にジズはあなたに近いものを感じているのかも知れないわね」

 決して良い意味ではないが、一歩引いているのは使用人という立場ゆえであり、寂しそうに見えても致し方ない部分もあるので、ラウラは何も言わなかった。

「気に障ったなら怒っても構わないわよ」
「いえ、特には」
「そうやって我慢してるから、カスピエルにいい様に扱われるのよ」

 なんとも手厳しい言葉を掛けられてしまったが、ラウラとしては今の遣り取りで不快には一切なっていないため、怒りようがないのであった。それよりも、ジズが己と近いと思われていることが純粋に不思議であり、その理由を知るためにも此度の交流は良い機会だと思うことにしたラウラであった。



 アジトは既に夕食を終えた時間であり、ラウラはいつもならメイドとしての仕事をあらかた終わらせて、後は入浴を済ませて少しの自由時間を過ごして就寝するのみである。ここでどう過ごすかは、己を招待してくれた子たちに委ねられている。
 という訳で、ラウラは早速ジズとコルソンに手を引かれて一緒にお風呂に入ることになった。ふたりの髪や体を洗ってやり、上がった後もふたりの髪を交互に乾かしていると、ふと何処からか視線を感じ、ラウラは辺りを見回した。が、人影は見当たらなかった。

「おねえたん、どうしたの?」
「いえ、さっき視線を感じたのですが、気のせいだったみたいです」

 まあ、既に着替えているし、仮に誰かに見られたところでどうという事もないのだが、もしかしたら男性のメギドが偶然この部屋に来て、己たちがいたから気を遣って場所を改めたのかもしれない、とラウラは考えた。
 そういえば、今日は人の気配があまりない。前にこのアジトにお呼ばれした際は、結構な人数で女子会をやった覚えがあるのだが。

「いつもこのアジトはこんなに静かなのですか?」
「日によってまちまち……あ、今日はカスくん飲みに行ってていないんだって。ごめんね」
「いえ、コルソンさんが謝ることではありませんよ」

 コルソンが誰の事を言っているのか瞬時に分かってしまい、普通に返したラウラであったが、今日に限ってはかえって顔を合わせずに済んで良かったと少しだけ安堵した。もし、己がこのままカスピエルとの関係を続けても良いのか迷っているとアガリアレプト達に相談したことが彼の耳に入ったら、最悪向こうから別れを告げられる可能性もある。迷いが生じているだけの今の段階では、まだ結論付けたくはなかったため、正直ほっとしたのが本音であった。

「あ、あのう……」

 ふと声が聞こえてラウラたちが顔を向けると、そこには遠慮がちにこちらを覗いているアンドロマリウスの姿があった。

「お邪魔してます、アンドロマリウスさん。邪魔でしたら場所を変えますので……」
「あっ! ちちち違うんです! わ、私も仲間に入れて頂きたいと思いまして……」
「仲間?」

 すると、アンドロマリウスの後ろから少女がふたり顔を出す。ゼパルとアムドゥスキアスであった。

「ねえねえ、恋バナしに来たんだよね? あたしも聞きたい!」
「ラウラさんとカスピエルさんの馴れ初め……とても気になります……」

 ラウラはこの瞬間、すべてを察した。ジズとコルソンが己を心配してくれているのは事実だとは思うが、彼らはメギドとて皆ヴィータに転生した少女であり、己と同じように恋だってするし、そういう話にも興味がある年頃なのだ。
 つまり、これは女子会の延長戦である。

「……分かりました、あまり皆さまに楽しんで頂けるお話は出来ないかと思いますが……」



 結局のところ、ラウラが自ら率先して話をするわけではなく、皆好きなように好きな話をし、かなり話が脱線しつつ女子会の夜は更けていった。

「ラウラはカスピエルといつ結婚するの?」
「えっ!? まだそんな事は一切考えていませんが……大体カスピエルさんにその気はないと思いますし……今だってきっと他の女性と一緒にいるのでしょうし……」
「あわわ、落ち込まないでください〜! インキュバスさんとメフィストさんも一緒に出て行かれましたから、三人で飲んでるだけだと思います……!」
「それに、好きな人の帰りを今か今かと待つのも、恋愛の醍醐味だと思います」
「アムドゥスキアスさん、私より年下なのに私よりずっと悟りを開いてますね……」

 もうジズとコルソンはすっかり眠りに落ちていて、女子四人で終わりの見えない恋愛話をしていたのだが、さすがにラウラもそろそろ欠伸を我慢できずにいた。

「すみません、楽しくてつい時間を忘れてしまっていたのですが、本来もう私は就寝している時間でして……」
「あ、もうこんな時間! そろそろ寝よっか」
「なんだか私も眠くなってきました……」
「ラウラさん、今日だけと言わず、また一緒にこうしてお話しましょうね」
「はい、是非!」

 そうして三人は部屋を後にして、この部屋に残ったのはすっかり夢の中にいるジズとコルソン、そしてラウラだけになった。
 特にラウラの悩みが解決したわけではなかったが、こうして普段あまり話す機会のない子たちと話が出来ただけでも、非常に充実した夜であった。それに、ひとつだけ確実に分かったことがある。彼女たちは誰ひとりとして、カスピエルの事を悪く言わなかったのだ。ラウラの手前はあるかも知れないが、少なくとも彼女たちにとってカスピエルは悪い人ではないのだとラウラは解釈し、それが分かっただけでもだいぶ気持ちが楽になった気がしていた。根本的な解決には全くなってはいないのだが、今ここに居ない人物のことを考えても仕方がない。今は楽しく過ごせた時間を胸に、心地よい気分で眠りに落ちるだけだ。ラウラはジズとコルソンが眠るベッドに潜り、瞬く間に寝息を立てた。





「――ラウラ、起きて」
「…………」
「ラウラ」

 ふと気配を感じ、ラウラが目を開けると、そこには己の肩を静かに揺する誰かがいた。まだ視界が定まらず、暗くてよく見えないが、女の子であることは声で分かった。

「ラウラ、来て」

 とりあえず言われるがままに身を起こして、すやすやと眠るふたりを起こさないよう静かにベッドから出て、音を立てずに部屋を出た。廊下は薄暗い明かりが灯っていて、今己のすぐ隣にいる、起こした張本人の姿を漸く認識することが出来た。

「ええと……」
「わたしはリリム」
「リリムさん。あの、私に何か御用ですか?」

 顔と名前はなんとなく憶えていたが、こうしてふたりきりで話すのは初めてであり、ラウラは覚醒したばかりでまだ夢うつつという事もあり、何が何だかさっぱり分からなかった。

「行こう、ラウラ」
「え? こんな時間に、どこへ……?」
「カスピエルの、夢の中」

 何を言っているのか理解出来ず、何も言えずにいるラウラに、リリムは更に言葉を続けた。

「きっと、ラウラの知りたい答えが見つかるはずだから」

2019/06/02


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