世間様の綺麗事



 カスピエルとの仲を許可されてからというもの、ラウラは実に充実した日々を送っていた。認めてくれたシバの女王を裏切ることのないよう、王宮の仕事に精を出し、寧ろカスピエルと出会う前よりも効率が上がっているほどであった。

 ガブリエルとカマエルは、ラウラの王宮内での様子を窺った後、互いに目を見合わせて呟いた。

「意外ですね。てっきり腑抜けたままかと思っていましたが」
「ラウラにとっちゃ姐さんは特別な存在だからな。これ以上姐さんに苦労掛けないよう心を入れ替えたんだろうよ」
「王宮への忠誠も忘れて追放メギドに入れ込むのであれば、解雇も辞さないと考えていましたが、ラウラも上手く立ち回れているようですね」
「チッ、あんなメギド野郎のどこがいいのかさっぱり分からねぇけどな」

 わざわざ己が同行してアジトまで殴り込みに行ったというのに、たかだかキス一つで全てを許してしまったラウラに対して、呆れると共にその思考が理解不能で、カマエルは何とも煮え切らない思いで溜息を吐いた。

「ラウラ以外にも言えることですが、ヴィータという生き物は何百年見ていても理解に苦しむ言動を行うことがありますね」
「だよなあ、大体初対面で殺され掛けてんだろ? ヴィータを襲うとか馬鹿丸出しのメギドになんで惚れるんだよ」

 ラウラの色恋沙汰にはまるで興味がないガブリエルであったが、カマエルの疑問は尤もである。カスピエルがラウラを殺しかけたのは、アジトに侵入者がいると誤解したからだと聞いているが、例え誤解でもそんな目に遭ったなら好意を持つどころか逆に避けるようになるのが自然ではないか、とガブリエルは不思議に思うばかりであった。

「探りを入れてみましょうか」
「ああ? んな事したってラウラがあれだけのぼせ上ってんじゃあ、別れさせる事も出来ねえだろうがよ」
「王宮への侵入を禁ずる誓約を交わしているのですから、別れる別れないは正直どうでもいい話ですが……ただ、相手のメギドがラウラに近付く理由は『利用する』以外にないでしょう。本気でラウラを愛しているとは到底思えませんから」
「なんだかんだでガブリエルもラウラが心配なんじゃねぇか」

 カマエルが茶化すようにそんなことを言ってのけて、ガブリエルはぴくりと眉を動かしたが、特に感情を露にすることなく淡々と言葉を返した。

「王宮に不利益な事態が発生する可能性があれば潰す。ただそれだけですよ」





 数日後。白スーツの男とメイド服の女が王都の各地で目撃され、女はともかく男はその美貌から、街の女性たちの間でちょっとした騒ぎとなった。彼ら――ガブリエルとラウラが二人で行動している理由とは、王都を警備する騎士団を労いの言葉を掛けに行くという、普通に考えればさして意味のない行為であった。

「ガブリエル様! ……と、ラウラ殿? これは一体どういう……」
「今後の戦況によってはラウラに動いて貰うこともあります。こうして実際に自分の足で歩き、自分の目で見て学ぶ事で、いざという時に動けなくなる事態は避けられます」
「えっ!? ラウラ殿が戦場に!?」

 ガブリエルがラウラを連れて王宮の外へ繰り出した真の理由に、騎士団の面々は驚愕を露にした。このままだと話が明後日の方向に行きそうで、ラウラは慌ててそれを否定した。

「いえ、私は見ての通り、皆様のような強い力は持ち合わせていませんので……」
「では何故……ラウラ殿、あなたは寧ろ我々が守るべき存在です」
「これでも一応、自分の身は自分で守れます」

 そうは言っても、見た目は武器を持たない非力な少女でしかない為、騎士団の困惑は続く一方であった。ラウラの代わりに、ガブリエルが言葉を続ける。

「ラウラに任せるのは伝令です。王宮に閉じ込めておくには勿体ない程、最近の彼女はよく働いていますから」
「成程……しかし、よくシバさまがお許しになられましたね」
「シバも色々と思うところがあるのでしょう」

 ガブリエルは上手く濁したが、要するにラウラにはカスピエルと恋仲になる事を利用して、メギドと王宮騎士団が上手く連携を図れるよう、橋渡しをする役割を担わせることにしたのだった。

 あのメギドがラウラを何らかの形で利用しようとしている事など、ガブリエルにはお見通しであった。彼女を有効活用するのはメギドではなく己たちハルマであると認識させ、カスピエルを牽制する必要がある。そう判断し、メギドに妙な動きがあればラウラを通じてすぐに情報が入るようにする事にしたのだ。

 云わば監視役であるが、さすがにそれはラウラには敢えて伏せていた。いくら恋にのぼせていようと、ラウラの忠誠心は本物であり、王宮の不利益になる事は絶対にしないであろう事は、彼女を王宮のメイドとして招き入れてから十数年見て来て、ガブリエルも理解している。だからこそ、馬鹿正直に余計な事を言って、彼女の忠誠心を揺らがせる事は避けるべきだと判断した。

「しかし、ラウラも最低限身を守る力は備わっていても、さすがに幻獣やメギド相手では太刀打ち出来ません。万が一ラウラの身に危険が迫るようであれば……その時は、頼みましたよ」
「はっ! エルプシャフト騎士団の名にかけて!」

 敬礼する騎士団の面々を見つつ、ラウラは本当にガブリエルは口の上手い人だと溜息を吐いた。
 伝令を任された非力な女を守れと言われれば、皆意気揚々とするだろう。けれど、ラウラはこれは己への牽制なのだと解釈した。己の存在をここまで印象付けられては、カスピエルとふたりきりで会っている時に騎士団に見られでもしたら、色々と面倒な事になりそうだからである。





「ラウラ、疲れてはいませんか?」
「大丈夫です。お気遣いありがとうございます」

 騎士団が警備する場所のうち、徒歩で移動出来る地点を一通り回り終えたところで、ガブリエルはラウラの様子を窺った。ラウラの返答は決して強がりではない事は、凛とした表情から窺え、改めて彼女を王宮の外に出すのは正解だったとガブリエルは安堵した。
 尤も、メギドと恋仲になってしまった上、かつ相手が相手な為に王宮に侵入させるわけにはいかない以上、ラウラの人権を考えれば王宮の外に出さざるを得ない。ならば、いっその事ラウラを外の世界で活躍させようというのが、シバの女王と話し合って出した結論であった。
 勿論、危険な目に遭うこともあるだろう。だからこそ、こうして騎士団のそれなりの人数に彼女の存在と役割を印象付ければ、緊急事態が発生した際も彼女の身の安全はある程度保障されるという訳である。

「ガブリエルさまこそ、お疲れではないですか?」
「徒歩程度で疲労を感じる体ではありませんよ」
「体については心配していませんが、その、気疲れというか……」
「いえ、全く」

 ガブリエルはラウラの今の問いで、気疲れしているのは彼女自身なのだと解釈した。でなければ、ハルマ相手にそんな言葉は出て来ないだろう。

「ラウラ、今日はお疲れ様でした。よく頑張りましたね」
「子供扱いしないでください」
「そういう意味で言ったわけではありませんよ」

 ハルマという種族として何百年と生きているガブリエルにとっては、ラウラなど子供どころか赤子同然なのだが、それが自然と言葉に出てしまったのだろうか、とガブリエルは少しだけ考え込んだ。だが、ハルマとしての価値観を説明したところで、ヴィータとして生を受けたラウラには理解出来ない感覚であろう。幸い、ラウラもただ口をついただけで特に気にしている様子ではなかった為、このまままっすぐ王宮へ戻る事にした。

「さあ、帰りますよ。今日は早めに仕事を切り上げて、ゆっくり休んでください」
「だから子供扱いしないで――」
「どうしました? ラウラ」

 言葉を途中で止めて硬直しているラウラを見て、ガブリエルは彼女の視線の先へと顔を向けた。
 そこには、マゼンタの長髪を靡かせて、ヴィータの女性と共に並んで歩く男の後姿があった。後姿とはいえ、普通のヴィータではないただならぬ容貌を見れば、あれが誰なのかは最早考えなくても把握出来た。さすがにこれにはガブリエルも溜息を吐かざるを得なかった。

「ラウラ、気は確かですか?」
「…………」
「彼はあなたを生涯愛すると誓ったはずです。あなたが望むのであれば、護界憲章に触れない程度に少々痛め付けるくらいなら私でも出来ますが」
「いえ……」

 心ここに在らずといった様子のラウラであったが、ガブリエルの言葉に対してゆっくりと首を横に振った。

「ああいう人だと分かっていてお付き合いすることを決めたのですから、大丈夫です」
「大丈夫には見えませんが」
「それは私の心が弱いせいです。これは私自身の問題で、カスピエルさんに罪はありません」
「何をどう考えてもあなたに罪はなく、あの男が悪いですよ」
「それでも……」

 何かを言おうとするも、涙が零れて言葉が出て来ない様子のラウラに、ガブリエルは再び大きな溜息を吐いた。彼女に対してではなく、あの男に対する溜息である。いくら惚れたのがラウラの方とはいえ、誠実でいようとするならば、愛する気がない時点でラウラに何を言われても頑なに断れば良い話である。
 メギドがヴィータを振り回すというこの現状が、ハルマであるガブリエルにとっては些か不愉快な事象であった。

「ラウラ。帰った後、王宮の仕事は務まりますか?」

 ガブリエルの問いに、ラウラは泣きながらも頷いた。

「この先、伝令を務めることも出来ますか?」

 ラウラは再び頷いた後、なんとか涙を拭ってガブリエルを見上げた。その濡れた瞳に迷いはない。

「それとこれとは別問題です。シバさまから任された仕事は、責任を持ってこなしてみせます」
「その言葉が聞けて安心しました。ですが、一人で抱え込まないよう、周囲を存分に頼りなさい。あなたにはその権利があります」

 ガブリエルなりに気を遣って言葉を選んだつもりであったが、ラウラは頷かなかった。勿論、仕事に支障が出ないよう自分の言葉に責任を持って行動してくれるとは思うが、ラウラがここまで惨めな思いをしても絶対にカスピエルのことを悪く言わないそのさまが、ガブリエルには理解出来なかった。



 互いに無言で王宮への帰路を辿る中、ガブリエルはラウラにごく自然に問い掛けた。

「ラウラ。何故そんなに辛い思いをしてまで、あの男に拘るのですか」
「確かに辛い時もありますが、一緒にいる時は幸せですから」
「離れている時間の方が圧倒的に多いのに?」
「はい」

 ガブリエルの望む答えは得られなかった。ヴィータという種族はハルマや純正メギドと異なり、繁殖して子孫を残していく種族である。だからこそ異性に恋愛感情を持つのは、いずれ生殖をおこなうにあたりごく自然な事ではあるが、別にあのメギドに拘る必要はない。より外見の良い個体に惹かれるのもまた自然と言えるが、他にもいくらでもいるではないかと思わずにはいられなかった。ラウラが絶対にメギドでないと嫌だと思っているとしても、あの男よりまともな人格を有しているメギドは当たり前だが何人も存在するのだ。

「あの男でないといけない理由は何ですか?」
「え?」
「ラウラ、あなたはまだ世界を知らないだけです。この先、様々な人との出会いがあれば、あの男に振り回されている時間がどれだけ無駄か分かると思いますよ」
「ですが、恋愛ってそういうものではないですか?」

 ラウラの突然の問いに、今度はガブリエルが呆気に取られてしまった。

「……分かりませんね。長い間このヴァイガルドを見てきているつもりではいますが……」
「いえ、私も人の話や小説などで得た知識なので、何が正解とは言えませんが……人を好きになるって、理屈ではないと思うんです」

 理屈ではない、と言われれば最早理解することは困難である。好きになれば相手にどんなに酷いことをされても許せるというのか。ガブリエルはもうこれ以上答えの出ない問いを考えるのは止めた。

「では、素朴な疑問ですが……ラウラは何故あの男を好きになったんですか?」

 きっとまた理解出来ない答えが返ってくるのだろう。そうガブリエルは思っていたが、ラウラからの答えはない。押し黙ったままである。さすがに心配になって足を止めて、ラウラの様子を窺うと、そこには困惑した様子で俯く姿があった。

「ラウラ、どうしました?」
「今、思い出そうとしているんです。カスピエルさんを好きになった理由を。ええと、思い返すと初めて出逢った時、すでにあの方の美しさに見惚れていた記憶があります」
「要するに、顔ですか?」

 ガブリエルとしては至極全うな回答を口にしただけなのだが、ラウラはそれを不愉快に感じたらしい。眉間に皺を寄せて、無言で批判めいた視線を向けて来た。

「違いますか?」
「確かにそれもありますが、それだけでここまでのめり込んだりはしません」
「では他に何が理由ですか?」
「……少し、時間を頂けますか?」

 強がっているだけのようにも見えるが、上手く言葉に出来ないだけで、きっとあの男に彼女の心を撃ち抜くような何かがあったのだろう。そうガブリエルは解釈したが、別にそれを知ったところで何の得にもならない。それどころか、ラウラが改めてそれを認識すれば、カスピエルへの一方的な愛情が加速するだけである。寧ろそれは避けたいところであった。

「無理に答えなくて結構ですよ。即答出来ないのが答えでしょうしね」
「いえ、いつかガブリエルさまに説明出来るよう、答えを用意しておきますので……」
「結構です。そこまでして知りたいわけではありませんから」

 こんな実のない話をこれ以上続けても時間の無駄である、とガブリエルは判断し、一方的に話を切り上げて再び歩き出した。

「……やっぱり私、ガブリエルさまのこと苦手です……」
「何か言いましたか?」
「いえ、何も」

 ガブリエルとしてはこれで話は終わったつもりでいたが、ラウラにとっては逆であった。どうして己はこんなにもカスピエルの事を好いているのか。外見の美しさ、一緒にいて楽しいから、自分に優しくしてくれるから。それなりに複数の答えを出すことは出来るが、それこそガブリエルに「そんな男は他にもいる」と返されてしまうのが目に見えて分かっており、何も言えなくなってしまったのだ。

 自分の事なのに自分の気持ちが理解出来ず、ラウラは少しだけ心に迷いが生じた。確かにカスピエルと一緒にいる時は幸せだが、他の女性と一緒にいる場面に出くわす度に、怒りと悲しみで胸がいっぱいになり、最終的にそういう人を好きになったのは自分なのだから仕方ない、と半ば諦めるようにしていた。

 カスピエルに自分だけを愛してと言えば済む話だが、彼はそれを望まないだろう。それが分かっていて、自分自身も彼と別れたくないと思っているから我慢しているのだが、このままで良いのだろうか、とラウラは思い始めていた。『あの男に振り回されている時間がどれだけ無駄か』という、ガブリエルの言葉が後になってじわじわとラウラを蝕んでいくのであった。

2019/05/25


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