俎上の恋



一、 王宮内への侵入を禁ずる。止むを得ない事情がある場合は必ずソロモンを同伴する事。
二、 王宮およびハルマにとって不利益となる行動は慎む事。一人で行動する際も同様である。
三、 ラウラを生涯愛する事。

「なんやねんコレ」
「シバに押し付けられたんだよ、これが守れなければ別れろって」

 ソロモンがシバから受け取った――と称すより強引に押し付けられたのは云わば誓約書であり、これが守れないのなら今後ラウラとの接触を一切禁じ、かつカスピエルの王都への出入りを禁ずると、きつく言われたのであった。

「……なんやもう円満に別れた方が良い気して来たわ……」
「早すぎだろ! ていうか、そんな軽い気持ちならどうしてあんな事したんだよ」
「あんな事って、なんやったっけ」

 カスピエルは惚けてみせたものの、明らかに己を責めるような視線をソロモンに向けられて、さすがに冗談を言っている場合ではなかったと肩を竦めた。

「そんな怒らんといて? 軽くちゅってしただけやんか」
「カスピエル、お前たいして好きでもない女の子と平気でキスするのかよ!」
「違う、誤解や! 好きな子としかせえへんって!」

 軽蔑の眼差しを向けるソロモンに、カスピエルは慌てて釈明したが、正直あの時はああするしかなかったと思っていた。己の軽薄な言葉が信用ならないというのなら、行動に移すしかないと判断したのだが、こんな誓約書紛いのものを突き付けられては、明らかに判断ミスだったと思わざるを得なかった。

「まあちょっと性急過ぎたわ。せいぜい抱き締めるくらいに留めといた方が良かったかも知れん」
「はあ……お前、ラウラのこと本当に好きなのか? それともただの遊びなのか?」

 何とも答え難い質問を投げ掛けられ、カスピエルは閉口した。思い返せばそもそも『本気で好き』という状況に陥った経験もなく、所詮女などのし上がる為の道具としか思っていない男にとっては、ラウラが何故か己に惚れ込んでくれた事に対しても、労力を費やさずに便利な駒が増えて運が良いぐらいにしか捉えていなかった。それも王宮の人間などという立場であれば、多少強引な手を使ってでも己のものにすべきであると判断した結果――が、この誓約書である。

「大事な質問で黙り込むなって!」
「ああ、すまん。勿論遊びとちゃうで。俺あんま長続きせんから、出来れば長う付き合いたい思っとるしな」
「つまり他の女の子たちとは違って、ラウラは特別ってことだよな?」
「うーん……まあ、そうやな」

 あくまで使える女だから、という意味であり、そこに恋愛感情は微塵もないのだが、ソロモンの問いに対して嘘は言っていない。それに――

「コレ、女王様にしては結構譲歩してくれとるんやな。他の女と手を切れとは一切書かれてへん」
「シバとしては、お前がこの誓約を破るよりも、ラウラのほうから愛想を尽かして別れてくれた方が、後腐れもないし好都合なのかもしれないな」
「それに、最初の『王宮への侵入禁止』以外は全体的にぼんやりしとるな」
「とりあえず王宮に不利益になる事さえ控えてくれれば、後は本人たちに任せるって感じで様子見するのかもな」

 正直、王宮への立ち入りを禁止されては、何のためにラウラと繋がったのかという話になり、となれば別れたところで痛くも痒くも無いのだが、己がラウラに頼み込めば侵入出来る可能性はある。ラウラが承諾しなければ、所詮そこまでの女であり、その程度の感情だったという事だ。それこそ、ラウラが本気で己を愛しているのであれば、王宮への侵入くらい快く許可して貰いたい位である。そうカスピエルは勝手極まりない思考を巡らせた。

「とにかく、ラウラを大切にしろよ。俺たちはハルマと協力関係にあるんだ。下手に揉めたら大変だからな」
「勿論や。ソロモンには絶対に迷惑掛けへん」

 口ではそう言ってみせたものの、カスピエルは今頃になって面倒な女に手を出してしまった、と少しばかり後悔した。これまで、女とは決して綺麗な別れ方ばかりしてきたわけではなく、揉めたところでいつもの事なのだが、王宮の人間とはいえまさかたかだかメイド如きでここまで大事になるとは思ってもいなかった。初めて会った、というか侵入者と勘違いして殺しかけた時の事を思い返しても、ラウラは女王の護衛としてはあまりにも非力であった。いくらヴィータとはいえ、暗器を隠し持っているのであれば、少しくらいは善戦しても良い筈なのに、まるで抵抗した様子がなかったようにも思えた。

「カスピエル、何考え込んでるんだ?」
「ああ、いや……こないな仰々しい事になると思わんかったから、ラウラちゃんってそんな凄い子やったんかなって」
「いや、普通の女の子だと思うけど。まあ、シバに仕えている時点で普通じゃないか」
「王宮のメイドさんてそんなに凄い存在なんやろか」
「うーん……ラウラの立場がどうっていうよりも、シバにとってラウラが大切な存在なのかも知れないな」

 それが事実であれば、仮にも王都の女王が一方的な誓約書を突き付けてもいいのかとカスピエルは呆れかけたが、女王である以前にヴィータの小娘でもあると考えれば、ラウラに対して甘いのも納得は出来なくても理解は出来た。本当に気に食わなければ女王の命令で強引に引き離すぐらい容易いだろうに、こうして己を試すような事をしてくるのは、ラウラに対する譲歩でもあろう。

「ま、ソロモンもほんま甘いしな……ヴィータ自体そういう生き物なのかも知れん」
「え?」
「いや、ただの独り言や」





 アジトでカスピエルがソロモンとそんな話をしていた頃、王宮では――

「全く、あんな男のどこが良いのか全くもって理解出来ん」
「ですが、なんだかんだで私たちの仲を許可してくださり、ありがとうございます、シバさま」
「許可などしておらんっ! 今は単なる様子見の期間じゃ!」

 シバの女王の自室にて。ラウラは女王の桃色の美しい髪を梳いてやりながら、楽しく談笑をしていた。と言っても楽しいのはラウラだけであり、シバは当然不機嫌極まりない表情である。

「もう王宮の皆様にはご迷惑をお掛けしませんので、大丈夫です。その為の誓約書ですから」
「あんなもの、交戦許可証のような強制権もないただの紙切れに過ぎぬぞ」
「いいんです、それで。一つ目の項目がすべてで、残りは蛇足に過ぎません」

 シバがソロモンに突き付けた誓約書の一項目目は、『王宮内への侵入を禁ずる』。それは当然の事なのだが、残りは蛇足だというラウラの言い回しにシバは眉を顰めた。

「蛇足? どういう意味じゃ」
「あの方の狙いは分かっています。私の事を好いてなどおらず、私を利用して王宮に侵入して遺物を盗もうとでも思っているのでしょう。それさえ封じられれば、王宮への害にはならないでしょう」
「……ラウラ、正気じゃったか……」
「色恋沙汰ではないですが、ルネが以前似たような体験をしていましたし。その時のシバさまとメギドの対決、是非見てみたかったです」
「見世物ではないぞ。そもそもあの時は既にルネは避難させておったしな」

 ラウラがあまりにも淡々と話すものだから、シバは内心驚きつつも安堵した。てっきりあの真面目一辺倒だったラウラが、あんな良くも悪くも刺激的な――というかシバにとっては完全に悪い意味でしかないのだが――男に絆されるなど、王宮に仕えるメイドとしてあるまじき行為であり、なんとか目を覚ましてくれないものかと思っていたが、その心配は杞憂であり、漸く心から安心出来たシバであった。
 しかし、そうなるとまた別の疑問が湧いて出た。

「そこまで冷静に分析出来ておるなら、何故まだあの男に拘るのじゃ?」
「……正直、分からないのです」
「何じゃと!? ラウラ、やはりおぬし目が覚めてなどおらぬではないか!」
「きゃっ、動かないでくださいシバさま」

 大人しく髪を梳かれていたシバが突然立ち上がって向き直り、ラウラは小さく悲鳴を上げつつも至って平静を保ったままでいた。

「愛のない接吻を合意もなく強引にされたというのに、デレデレとしおって! しっかりせんか!」
「愛はなくても、私初めてだったので……」
「あんなものノーカウントじゃっ!」
「ですが、感触も覚えていますし、なかった事には出来ません。軽くでしたので、俗に言うキスの味とやらは分かりませんでしたけど、カスピエルさんからふわっといい香りが……」
「そんな生々しい話など聞きとうないっ! 味も何もあるか!」

 シバの怒号にラウラはさすがに調子に乗り過ぎてしまったと、項垂れて反省の意を示してみせた。

「申し訳ありません、シバさま。王宮での勤めに支障を来さないようにしますので、その点はご安心頂ければ、と」
「当たり前じゃ! というか、そもそもその点は心配しておらんが……わらわが心配しておるのは、あの男に弄ばれておぬしが傷付く事、それだけじゃ」

 つい先程まで美しい顔を険しくさせて怒っていたというのに、徐々に表情が曇り、心の底から心配するように悲しそうに目を細めて見つめて来たシバに、ラウラは苦笑まじりに囁いた。

「幸せ者ですね、私は。子供の頃、シバさまに救って頂いてからというもの、ずっとご迷惑をお掛けしてばかりだというのに、見捨てないでいてくださって……」
「急に何をしおらしいことを言うておる。明日は雨でも降りそうじゃな」
「シバさまこそ、今でも私のことを心配してくださるなんて、正直驚いています。てっきり、王宮に関わる人間が素行の悪い者と付き合えば、何かあった時に王宮に迷惑が掛かるから、という理由だけだとばかり――」

 ラウラが話している途中で、シバはわざとらしく大きな溜息を吐けば、少し怒気を含んだ声で言った。

「ラウラ、何やら勘違いしておるようじゃが」

 次の瞬間、シバはラウラを優しく抱き締めた。そこに怒りの感情はなく、まるで子供が拗ねるように唇を尖らせていたのだが、その表情はラウラの位置からは窺えなかった。

「おぬしは王宮のメイドである以前に、わらわの大切な友人じゃ。愛する友が悪い男に引っ掛かりそうになっておるというのに、反対したり心配しない友がどこにおる」
「シバさま……」
「マイネ、ルネ、そしてラウラ。おぬしたちはわらわにとって、この王宮で心を許せる存在なのじゃ。だから……」

 徐々にか細くなっていく声を聴いて、ラウラはシバの背中に手を回し、まるで子供をあやすように撫でた。

「申し訳……いいえ、ごめんなさい。私を心配してくれてありがとう、アミーラ」

『シバの女王』としての使命を果たし、王都を背負って生きていかなければならない少女は、女王であると同時に己と同じひとりの人間なのだ。いつからか口にしなくなった女王の名前を口にした瞬間、ラウラは子供の頃に戻ったような錯覚を覚えた。

「心配しているのは勿論じゃが、おぬしが遠いところに行ってしまう気がして、それでわらわも気が立ってしまったのかも知れぬ」

 シバはラウラを抱いていた腕を解き、互いに顔を見合わせた。そこには毅然たる女王と機械のような使用人ではなく、対等な友人に見せる微笑がどちらにもあった。

「アミーラ、本当に心配しすぎですよ。私はどこにも行きませんから」
「じゃが、おぬしとて己の幸せを優先する権利がある。わらわへの恩義として王宮に一生を捧げるなど、馬鹿なことを考えてはおらぬな?」
「馬鹿なこと……でしょうか。あまりそうは思いませんけれど」
「一生王宮を出てはならないと思い込んでいるからこそ、ああいう自由奔放そうな男に惹かれるのではないか?」

 シバは何気なく言っただけなのだが、その言葉はラウラの胸に深く刻まれた。己が王宮に一生を捧げる以外の人生を送るなど、考えた事もなかったラウラは、己がカスピエルに理由もなく恋焦がれる理由が少しだけ分かった気がした。

「それもあるかもしれません。ただ、思い返すと初めて見た瞬間からとても美しい方だと……」
「一目惚れというヤツか? 全く、おぬしは殺され掛けたというのに……外見よりも中身を重視せぬと、痛い目を見るに決まっておる」
「仰る通りです。だから、アミーラが与えてくれた、この『様子見』の期間で、私が人生を捧げても良い相手かどうか、見極めたいと思います」
「わらわはあんな男におぬしが人生を捧げるなど、断固として認めん!」

 結局またいつもの調子に戻ってしまったものの、シバが己を心から心配してくれている事が分かり、ラウラは正直嬉しくて泣きそうなのを堪えていた。この先どうなるかは分からないが、己の行いが原因でシバの女王――アミーラを傷付けてはならないと固く心に誓った。王宮に仕える者としてではなく、ひとりの友人として。

「ところで……ラウラ、『蛇足』とは言うが、もっと項目を増やしても良かったのではないか? 寧ろ他の女性に手を出すな、くらいははっきり主張しておかぬと、また同じ事を繰り返すぞ?」
「それなのですが……私だけを愛するよう強制するのは、違うと思うんです。きっと彼もそれは望んでいないでしょうし」
「全く、どこまで甘いのじゃ!」
「いつかカスピエルさんが私を選んでくれるよう、努力してみせますから」

 シバは早く別れてしまえと願ったが、嬉しそうな表情を浮かべるラウラを見ると、どうしても無理矢理別れさせるという強硬手段を取ろうとは思えなかった。ラウラに対して甘いといいつつ、自分自身も甘すぎるとシバは心の中で溜息を吐いた。
 とはいえ、ラウラは大切な友人であると同時に、王宮に深く関わる人間でもある。少しばかり外の世界で火遊びするくらいなら大目に見てやるつもりではいるが、ラウラの身にもしもの事があれば、その際はハルマを連れて、脅しではなく本当に報復してやると密かに心に誓ったのであった。

2019/04/25


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