人間の矜持

鴎暦841年 冷の月 3日

 総代・ミユウの命令を受け、魔導院で燻っていた候補生たちは一気に湧き立ち、すぐさま部隊を組んで各々朱雀正規軍の救助に向かった。
 本作戦では回復班の4組、7組が主体となり、他のクラスは正規軍を守りながら白虎軍への攻撃を引き受ける。民衆の命を犠牲にする秘匿大軍神召喚のサポートを行うより、余程アギトに相応しい――誰もが皆そう感じており、自分たちが今為すべき事さえ明確になれば、行動に移すのは容易かった。
 まるで、この時を待ちわびていたかのように、候補生たちの瞳は闘志に燃えていた。



「後は僕たちに任せてくれ!」

 0組を先頭に、次いで1組も朱雀正規軍の援軍に回る。駆け付けるアギト候補生たちに気付いた正規軍たちは、絶望の淵から光を見い出したかのように、その瞳に輝きが戻った。

「まずは重傷者を優先して回復します! 軽症者は、間もなく回復班が来ますので、それまで持ち堪えてください……!」

 回復魔法を得手とするデュースとレムが残り、他の0組の面々は正規軍を飛び越えて、白虎軍と対峙する。そして、続けて駆け付けた1組は正規軍を白虎の攻撃から守る盾となった。

 今回の作戦で決して忘れてはならないのは、ユリヤたちアギト候補生の目的は、白虎軍の殲滅ではなく、朱雀正規軍を一人でも多く救う事だ。それは決して不可能な作戦ではなかった。朱雀の降伏を白虎が受け入れ、停戦の命令が出るまでの間、ひたすら白虎の攻撃を耐えるのだ。白虎が受け入れない可能性も考えられるが、この永き戦争に疲弊しているのは朱雀だけでなく白虎も同じである。朱雀が降伏する事は、白虎にとって損な事は何ひとつないのだ。
 きっと全てが上手くいく――ユリヤはそう信じて、正規軍の周りにウォールを張り巡らせ、他の1組の候補生たちと共に、白虎軍の攻撃を引き付けるべく、囮となって前へ出た。

 不思議な事に、この時のユリヤに迷いや恐怖は一切なかった。漸くアギト候補生として、1組の候補生として一人前になったとも言えるが、恐らくはこの場にいる誰もがユリヤと同じ思いであった。
 1組から12組の候補生――戦闘を得手とする者も、不得手とする者も。そして百年に一度の逸材である0組の候補生も、例外なく全員が心をひとつにし、この作戦を成功させるために動いていた。

 戦争に負けても、多くの命が失われないのなら、決して己たちは負けではない。候補生たちは誰もがこの作戦の成功を確信していたが、その油断が仇となり、間もなく試練が訪れようとしていた。
『今の』ユリヤ達の敵は、白虎軍だけではなかった。クリスタルへの忠誠心を失ったアギト候補生たちは、朱雀クリスタルにとっての『敵』と化したのだ。





 ユリヤたち候補生が正規軍の救出にあたっている間――白虎に降伏の意を伝えたカリヤは、白虎の元帥であるシドから答えを受け取り、直ちにミユウへと伝達した。

「ミユウ君、白虎軍元帥シド・オールスタインが、当方の降伏を受け入れました。ただちに交戦を停止し、和平条件の交渉を開始するとのことです」
「そうですか……! ではこれでもう、血が流されることはないのですね?」
「ええ、戦争はこれより終結に向かいます。しかし一つだけ、危惧していることが……」

 早速、戦場にいる候補生たちにこの事を伝えようとしたミユウであったが、カリヤが眉間に皺を寄せて不安を吐露した。戦争は終わりを告げたというのに、何を危惧する事があるのかと不思議に思った瞬間。
 カリヤとミユウしかいない一室に、けたたましい足音と共にノックもなしに乱暴に扉が開かれる。そこには息を切らしながら走って来た軍令部長の姿があった。

「ぎ、議長! たった今、セツナ卿が戦場に出現したとの通信が!」
「セツナ卿が……? 秘匿大軍神召喚を、断行するためにですか?」
「いえ! セツナ卿が召喚したのは、軍神『バハムート零式』です!」

 カリヤとミユウは共に双眸を大きく見開いた。国の存続を最優先とするクリスタルにとって、今の己たちの行いは反逆行為そのものであった。ゆえに、朱雀クリスタルが白虎への降伏を由とせず、何らかの行動に出るだろう――最悪のシナリオとして二人とも覚悟はしていたものの、召喚された軍神は想定外のものであった。
 混乱するカリヤとミユウに、軍令部長は狼狽しながらも詳細を説明する。

「セツナ卿は通常の軍神の中でも最強の力を持つ『バハムート零式』を、自らの能力により召喚し、候補生たちを攻撃し始めました! クリスタルに逆らう者を、排除するつもりの模様です!」
「やはり……! 我ら人間の選択に関わらず、クリスタルは勝利を目指すつもりのようですね」

 カリヤはこうなる可能性を想定していたものの、対応策など当然持ち合わせておらず、苦々しく唇を噛み締めるばかりであった。
 この戦争に勝利する正攻法がないからこその、クリスタルの意思による秘匿大軍神召喚作戦。それを候補生たちが拒否したのだから、朱雀クリスタルとしては国の存続の為、別の手段に出るまでだ。民の命を使って秘匿大軍神を召喚出来ないのならば、ルシ・セツナ一人の力で召喚できる軍神で、朱雀に勝利をもたらそう、と。

 だが、ミユウたちアギト候補生が選んだ道は、クリスタルの意思に従い、あらゆる命を犠牲にしてでも戦争に勝利する事ではなく、降伏してでも民の命を守り切る事である。人間にだって意思はあるのだ。

「ならば僕等もあくまで、自らの意思を貫くのみです!」

 ミユウは迷いなく、COMMで候補生全員へと通達した。

「アテンション! 我々はこれよりバハムート討伐作戦を敢行する! クリスタルの意思を跳ね除け、人間の矜持を示せ!」

 これは最早、朱雀対白虎の戦争ではなく――人間とクリスタルの戦いであった。





 国境線で戦闘を繰り広げていた朱雀、白虎両軍に停戦の通達が届くより先に、彼らの頭上に巨大な飛行物体が現れた。ある者は目視で気付き、そしてアギト候補生はその並々ならぬ魔力を感じ、誰もが一時戦闘を中断して空に浮かぶそれを見上げた。
 巨大な翼を羽搏かせる『それ』を目の当たりにした刹那――それは強大な魔力を溜めるように光り、間もなく凄まじい威力の魔法攻撃が来る事を察したアギト候補生たちが、一斉に声を上げた。

「皆、逃げろ!! メガフレアが来るぞ!!」

 己たちの頭上にいる『それ』は、魔導院のアギト候補生たちにとっては見覚えのあるものであった。
 軍神『バハムート零式』。
 目の当たりにするのは初めての者も多いが、秘匿大軍神を除く通常の軍神で一番の威力を持つバハムート零式は、候補生は誰もが知識として持ち得ていた。

 まずは軍神が力を溜めている間に射程範囲外へ逃げなければならず、反撃はそれからだ。ユリヤは呆然としている朱雀正規軍のひとりの手を取って、強引に引っ張って走り出した。

「あれは最強の軍神です! 攻撃を食らったら跡形もなく消えてしまいます!」

 己たちが今遂行している作戦は、朱雀正規軍を助ける事だ。だが、あのバハムート零式が己たちを助けようとしているとは思えなかった。矛先は白虎軍だけではなく、己たち候補生も射程に入っている。まるで全てを巻き添えにするかのように思え、ユリヤは出来る限り多くの正規軍を避難させながら、必死で考えを巡らせた。

 通常、軍神召喚は人の命を犠牲とする。朱雀の歴史において、これまで幾度となく白虎と戦争が繰り広げられてきたが、アギト候補生の命を犠牲にして軍神召喚を行う任務も記録に残されている。
 一体誰が、誰の命を使って軍神召喚を行ったのか。ユリヤがその答えに辿り着くよりも先に、空を舞うバハムート零式からメガフレアが放たれ、射程範囲内の地上は一瞬にして焦土と化した。
 そこには、逃げ遅れた朱雀正規軍、白虎軍、そして、アギト候補生もいた筈だった。彼らの命は、一瞬にして消え去った。訳が分からないまま、恐らくは痛みすら感じずに。

「一体何が……どうして……」

 呆然と呟くユリヤたちに、突然通信が入る。

『アテンション! 我々はこれよりバハムート討伐作戦を敢行する!』
「え? バハムート討伐……!?」
『クリスタルの意思を跳ね除け、人間の矜持を示せ!』

 通信はそこで途絶えた。混乱している暇などユリヤにはなかった。今の端的な言葉で確実に分かるのは、今己たちが最優先すべき事は、あのバハムートを討伐する事。そして、あの軍神はクリスタルの意思で己たちを攻撃した――軍神にとって今のアギト候補生は守るべき朱雀の民ではなく、敵だと認識されているという事だ。

「ユリヤさん、お怪我は!?」

 刹那、トレイが血相を変えて駆け付けて来て、ユリヤはその姿を見た瞬間心の底から安堵した。事態は何も解決していないというのに、想い人を視界に捉えただけで安心するのだから、我ながら単純だ――そう自嘲しつつも、今は呑気な事を考えている場合ではない。ユリヤは真剣な面持ちでトレイへ言葉を返した。

「私は大丈夫です! それより、どうして軍神が……」
「恐らくセツナ卿がルシの力で召喚したのでしょう。バハムート零式を召喚するには、アギト候補生――少なくとも2組レベルの力を持った候補生の命を多く必要とする事が、過去の歴史で判明しています。ですが、この場を見る限りでは、先程のメガフレア以外で命を落とした候補生は見受けられません。つまり――」

 戦闘中でもトレイの長話は相変わらずであったが、そのいつも通りな様子に、ユリヤは安心感を覚えた。0組が――トレイが冷静さを欠かない状況であれば、この苦境は乗り越えられる。そう断言できるからだ。

「――あれはクリスタルの意思です。バハムート零式は明らかに我々を『敵』と見做し、抹殺しようとしています」
「そんな……秘匿大軍神は召喚せずに済んだのに……」
「寧ろ民の命を犠牲に秘匿大軍神が召喚されたのではなく、セツナ卿の力のみで召喚できる軍神であった事を幸運と思いましょう。大軍神に比べれば遥かに、我々にも勝ち目がありますからね」

 勝ち目なんてあるわけない――以前のユリヤなら、否、トレイと出逢わなければそう思っていたであろう。だが、トレイがそう言い切るなら間違いなく真実だ。ユリヤは決して盲目になっているのではなく、これまでの経験則からそう判断していた。トレイはいつも冷静沈着で、不確定な事を断言はしない。
 絶対に、大丈夫だ。心からそう信じる事が出来た。

「……はい! 絶対に勝ちましょう、トレイさん!」

 迷いのない瞳でそう告げるユリヤに、トレイは一瞬驚いたものの、すぐに微笑を湛えてみせた。
 トレイは初めてユリヤと出逢った時、別に彼女に恋をしたわけでもなければ、何か惹かれたものがあったわけでもなかった。迷子になった猫に構う程度の感覚で助けただけだったのだが、それが切欠でユリヤに慕うようになり、トレイも当然悪い気はせず、それどころか逆に彼女を陰ながら助けたりと、無意識に構うようになっていた。トレイはその感情を恋だと認識してはいなかったのだが、ユリヤから告白めいた素振りを見せられた夜、漸く自覚したのだった。
 ユリヤを守りたい――純粋にそう思う気持ちに嘘はなく、この感情を恋だと称するのは何も間違いではないのだと。





 候補生はクリスタルの意思に抗い、軍神『バハムート零式』の討伐に成功し、それと同時に、ルシ・セツナも昇華した。
 その後、朱雀は白虎に降伏。戦争はついに終結を迎えた。

 生き残ったアギト候補生たちが魔導院に帰還する中、0組を代表してエースがミユウの元を訪れた。

「……お疲れさま、総代。これで僕等の戦争は、終わりだな……」
「……いや、まだ終わってはいない」

 この結果を一番喜ぶのは、紛れもなく総代であろうと思っていたエースは、笑みひとつ零さないミユウに違和感を覚えた。いつもの総代ではない――その懐疑は、ミユウが言葉を紡ぐ度により強くなっていった。

「確かに白虎との戦争は終わった。だがその戦は、来るべき真の戦いの前哨に過ぎない」
「総代……? 何を言ってるんだ? 真の戦いって、何の事だ?」
「今は分からずとも、すぐに分かる。じきに、この世界に住むすべての人間が知るだろう。君たちの真の敵と、『フィニス』という言葉の意味を」
「フィニス……?」

 その単語は、アギト候補生ならば知識として頭に入っている。だが、今この時に口にする言葉としては不可解であるがゆえに、エースは怪訝な表情を浮かべた。

「伝承に記されている、世界の終末の事か……まさかそれが、近づいているとでも言うのか?」

 困惑するエースをよそに、室内には戦争に勝利した白虎の元帥、シド・オールスタインの演説が通信機から流れている。

『本日を以って、クリスタルに囚われた旧時代は終わった。我ら人の手による、新たな時代を始めよう。戦乱を平定し、新時代を築いた白虎の民こそ、神話に語られるアギトである!』

 シドの演説をまるで他人事のように無表情で聞き流せば、ミユウは淡々と言葉を紡いだ。

「……そう、人と人の戦は終わった。試練を乗り越え、審判を受けるに足る魂が揃った。そして始まりの封は切れ、審判の刻が訪れる……」

 かつてのアギト候補生総代、ミユウ・カギロヒではない別の誰かと錯覚するほど、今のミユウは誰が見ても別人のようであった。

「……人よ、終末の中で踊るがいい」



 程なくして、白虎では――シドが演説を終えようとした瞬間、白虎兵が声を荒げた。

「シ、シド元帥! 緊急通信です!! 各地で未確認の魔物による襲撃を確認! 敵の数は不明、数え切れません!」
「何だと……!? 正確に報告せよ、魔物とは一体なんだ!?」

 白虎兵が状況説明するよりも早く、世界は一変する。日中だというのに辺りは一気に暗くなり、雲一つない晴天であった空は、単なる天候では有り得ない、禍々しい紅色に染まっていた。

「な、何だというのだ、これは……!? まさか、これが……これが神話に語られる、『フィニス』だというのか!」



 ミユウの不吉な予言の通り、その刻は訪れた。怪物は魔導院の周辺のみならず、世界中に同時に出現し、無差別に人類を襲い始めた。
 それはまさに、神話に記された世界の終末――『フィニス』の到来であった。

2020/09/10

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