臈たける花々

鴎暦841年 土の月 27日

 白虎・蒼龍の二正面作戦にあたる朱雀は、候補生を決戦の地に送り込む事を決断した。
 エースの演説により、候補生たちは戦意を取り戻し、皆それぞれ白虎に立ち向かう決意を胸に抱いていた。無論、ユリヤとて例外ではなく、黙って死を待つより、いっそ死ぬまで足掻いてやろうと思うようになった。魔導院の敷地内にある墓地で友人にそんな事を心の中で語り掛けていた。

 授業以外でも訓練に勤しみ、更にクリスタリウムで書籍を漁り、知識を蓄える日々を送っていたユリヤであったが、出撃命令が出る前のある日、突然ミユウに呼び出された。
 指定場所は――軍令部、第二作戦課であった。



「失礼致します」

 部屋の前で深呼吸して冷静を保ちつつ、ユリヤは扉を叩いた。扉の向こうから「入れ」とミユウの声が聞こえ、恐る恐るドアノブに手を掛け入室した。
 己を呼び出したミユウの他、軍令部長、更には魔法局局長のアレシアもいて、ユリヤは早くも気圧されそうになった。
 そんなユリヤの様子をすぐに察したのか、ミユウが歩を進めてユリヤの傍に立ち、初めて会った時と変わらない凛々しい笑みを湛えてみせた。

「こうして顔を合わせるのは久し振りだな。ユリヤ、君の日頃の頑張りは聞いている」
「いえ、何もしていないと落ち着かないだけです」
「良い心掛けだ。0組以外にも逆境に立ち向かう存在がいれば、他の候補生にも良い影響を与えるに違いない」
「そこまで凄い事はしていないです、ただ闇雲に訓練したり、本を読んだりしているだけで……」
「本を? 気分転換も出来ているなら何よりだ」

 緊迫した世情であるが故に、ミユウは少し意外そうに目を見開きつつも、すぐに微笑を浮かべた。ユリヤはその反応に、もしかして呆れられてしまったかも知れないと、慌てて弁明しようとした。

「気分転換というか、トレイさんに勧められたんです」
「0組の者か」

 思わぬ人物の名がユリヤの口から出た事に、ミユウは満足げに頷けば今度は軍令部長とアレシアへ顔を向ける。

「彼女――ユリヤ・アキヒメは0組の候補生たちとも打ち解けているようです。戦力が不足している今、実力と人望を兼ね備えた候補生を積極的に昇格させるべきかと」
「え!? わたしは実力も人望もないと思いますが……」

 ミユウの言葉は決して己に向けられたものではないが、ユリヤは口を挟まずにはいられなかった。己はそこまで持ち上げられる程の人物ではない。

「この娘は本当に大丈夫なのか? この戦時中、自らを卑下するような候補生を1組に昇格させるなど……」
「私はそうは思わないわね。戦時中だからこそ、謙虚な心でやるべき事を地道に出来る子は、他の候補生の模範になるんじゃないかしら」

 苦言を呈す軍令部長と反するように、意外にもアレシアはユリヤに太鼓判を押す。その言葉が信じられず、ユリヤは思わずアレシアに視線を向けた。笑みを湛えてはいるものの、どこか面白がって言っているようにも見え、その言葉が真意なのかは疑わしいものがあった。
 だが、真意ではないとしても、ユリヤにとっては有り難い言葉である事に変わりはない。礼儀として、ユリヤはアレシアに向かって頭を下げた。

「アレシア局長、ありがとうございます。ただ、聞き間違いでなければ、先程『1組に昇格』という言葉が聞こえたのですが……」
「ああ、そのつもりだ」

 ユリヤの何気ない問いに、アレシアの代わりにミユウが答える。
 聞き間違いなどある筈がなかった。この場に呼び出されたのだから、雑談で終わるわけがない。ましてや降格で呼び出すわけもなく、人員不足であるという理由でクラスが繰り上げになるのは不自然な事ではなかった。

「尤も、ユリヤ本人の意思を尊重するつもりだが……」
「いえ。有事の際ですから、総代の指示に従います」

 きっぱりとそう告げるユリヤに、ミユウはまさかこう易々と受け容れられるとは思っておらず、一瞬驚きで目を見開いた。だがそれも束の間の事で、すぐに平常心を取り戻し、しっかりと頷いてみせた。

「ユリヤ。暫く見ないうちに、君も随分と成長したのだな」
「いえ! ただ、友達が戦死したので、彼女の分も頑張ろうと闇雲に動いているだけです」
「その子の事など覚えていないというのに、律儀なものね」

 今度はミユウに変わりアレシアが言葉を返す。
 確かに、友達だったとはいえ、記憶が失われている以上、あくまで自分がそう思い込んでいるだけだ。本当はたいして仲も良くなかったのかも知れない。それどころか、彼女が戦死したのは自分のせいかも知れない。仮定を挙げればきりがない。
 だが、彼女の死を無駄にしたくない。友達だけではなく、この朱雀という国の為に戦い、命を落とした者の死を。

「ユリヤ、今回は一先ず1組としたが、やはり0組に入る気は今でも無いだろうか」
「さすがにそれは荷が重いです。レムとマキナならともかく」
「その二人だが、このタイミングで0組に配属させる方向で進んでいる」
「本当ですか!?」

 何気なく名を口にした二人が、まさか本当に0組に配属されるとは思わなかったユリヤは、驚きつつも心強く、そして純粋に嬉しく思った。

「出来れば君も0組にと思ったが、いきなりでは不安だろう? まずは1組として魔導院を代表する候補生のひとりとして動いて欲しい」
「いえ、1組でも充分大躍進だと思います……人手不足は重々承知していますが、それでも」

 ユリヤは自分が0組に配属されるなど頭になかったうえ、3組から1組に昇格するだけでも物凄い事だと感じていた。ゆえに今回の指名はプレッシャーも凄いものの、実に喜ばしい事であった。これ以上の事は望んでおらず、寧ろ過大評価されていると思っているぐらいである。

「あまり気負い過ぎないように。ユリヤの他にも昇格する候補生は複数いる。君だけに背負わせるわけではないから安心して欲しい」
「0組に行くレムとマキナの方が大変だと思いますし、あまり弱音は吐かないようにします」
「無理も禁物だ」
「はい……」

 早速ミユウに釘を刺され、ユリヤは大人しく頷いた。ただ、レムとマキナがあの0組に正式に配属される采配は、ユリヤの不安な気持ちを払拭する事にも繋がった。元々0組に配属しているのではなく、他クラスからの昇格となれば苦労も多いだろう。己より更に過酷な状況で戦う候補生がいるのだから、自分は弱音を吐いている場合ではない――2組を飛ばして1組へ昇格する事も普通に考えれば滅多に無い事なのだが、今回は有事の際であるという事情から、ユリヤは環境の変化をすんなりと受け容れる事が出来ていた。自分でも驚くほどに。





 正式に1組への配属が決定したユリヤは、早速支給された新しいマントを羽織り、自室のスタンドミラーの前で自分の姿を確認した。紫色から青を飛ばして水色へと変わったマントに、似合う似合わないよりも違和感を覚えずにはいられなかった。

「本当にいいのかな……」

 やはりまずは順序立てて2組への昇格が先ではないか、と今更ながらユリヤは思ったが、今は緊急事態である。1組への配属を薦めたのはミユウだが、軍令部長やアレシア局長も許可したからあの場にいたのだろう。尤も、軍令部長は懐疑的ではあったが。
 ただ、何故あの場にアレシアがいたのか、ユリヤにはよく分からなかった。そういえば、0組の候補生十一人はアレシアが育てたという話がある。

 もしかしたら、アレシアは己を品定めしていたのかも知れない。元々ミユウは己を0組へ配属させようとしていて、それを断った経緯がある。アレシアがこの子は1組ではなく0組でも活躍出来るかも知れない、と期待を込めて顔を合わせた結果が「使い物にならない」と思ってそのまま1組配属で話が進んだ可能性もある。

 悪い方向に考えようとすればいくらでも出来てしまうが、今はそれよりもやるべき事をやるだけだ。白虎と蒼龍の侵略を食い止める為に、朱雀を守る為に、自分でも出来る事を精一杯しなくては。
 そう思い直すと、不思議と水色のマントが頼もしく、輝いて見えたのだった。



 ふと、突然ユリヤの部屋の扉が叩かれた。

「ユリヤっち〜、わたしだよ〜」
「こら、シンク! 名前ぐらい名乗りなさい!」

 扉の向こうから聞こえたのは、0組のシンクとクイーンの声であった。名乗らなくてもその特徴的な喋り方を聞けばすぐに分かる、とユリヤは笑みを零しつつ、扉を開けた。

「シンクさん、クイーンさん。どうされましたか?」
「あっ、ユリヤっち〜! これからお祝いパーティーをやるから捕獲しに来たよ〜」
「捕獲!?」

 物騒な言葉が飛び出すと同時に、シンクがユリヤの身体に巻き付いて拘束、というより抱き着き、そのままの状態で歩を進める。

「全く、シンクときたら……ユリヤ、申し訳ありません。少しだけわたくしたちの我儘にお付き合い頂ければと思います」
「いえ、こういう時は一人でいるより誰かと一緒にいた方が心強いので。寧ろ、お誘いありがとうございます」
「そう言って貰えると助かります。ただ、白虎との戦いは恐らく長期戦になります。逆に、一人で穏やかに過ごせる時間は今だけかも知れません」
「そうですね……また魔導院に無事戻って来れる事を願います」
「ええ、頑張りましょう」

 クイーンと真面目な話になってしまったためか、ふと己に抱き着いたままのシンクに目を向けると、少々ふくれっ面をしているように見えた。可愛らしい顔をしているので不機嫌な姿も愛らしく思いつつも、これから祝いの場に向かうというのに戦いの話をするのは野暮だという訴えなのかも知れないと察した。
 とりあえず、話題を変えようとユリヤは素朴な疑問を口にする。

「ところで『お祝いパーティー』って、何のお祝いですか?」

 ユリヤの問いに、シンクは一気に表情を明るくさせて答えた。

「レムっちとマキナんの0組歓迎パーティーと、ユリヤっちの1組昇格パーティーだよ〜」





 シンクたちに連行された先は、なんてことはない、0組の教室であった。尤も、0組の教室に他のクラスの候補生が足を踏み入れる事はないため、充分貴重な体験ではある。
 教室内には0組の既存メンバーである十一人の他、新たな0組の一員となったレムとマキナも来ていた。
 だが、パーティーと称するには簡素なものであり、教室内には飾り付けもなく、机上にお菓子が置かれているだけであった。戦時中である以上、これ以上はめを外すわけにはいかない、という事であろう。

 己はともかく、普通の候補生であるレムとマキナが0組に配属されるのは非常に喜ばしい事だけに、大々的に祝えないのは0組の面々としても心苦しいだろう。ならば、少しでも自分も盛り上げなくては、とユリヤは妙な使命感を抱いた。

「レム、マキナ、0組配属おめでと――」
「ユリヤ! 1組昇格おめでとう!」

 ほぼ同時にレムが祝いの言葉を述べた事で、ユリヤの言葉は途切れてしまった。思わず互いに気まずくなるユリヤとレムであったが、すぐに教室内に笑いが溢れる。

「レムとユリヤって案外似てるんじゃないか?」
「レムみたいに器量が良くて可愛ければ、浮いた噂のひとつくらいは出て来ると思うけど……」
「ユリヤ待って!? 私、別に浮いた噂なんてないよ!?」

 マキナの何気ない言葉にユリヤは真面目に答えたつもりであったが、レムが頬を朱く染めて反論する。レムに片想いしている男子の候補生もいると聞くし、そもそも今レムのすぐ傍に居る男子こそ、運命の相手ではないのかとユリヤは内心思いつつも、さすがにそれを口にする事はしなかった。一応、分別は弁えているつもりである。

「ユリヤさん。そこまでご自身を卑下されなくても、私はユリヤさんの良さを充分理解していますからね」
「トレイさん! 先日はありがとうございました」
「いえ、また何か困った事があればいつでもお申し付けくださいね。1組になれば気苦労も増えるでしょうし」

 すかさず我こそはとユリヤの前に出ればフォローするトレイを見て、ジャックが苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。

「ちゃっかりしてるよね〜トレイって。たまたま気が向いて助けただけでこうも慕われてさぁ。僕もその場にいたら、ユリヤちゃんが僕に惚れてた可能性も無きにしも非ず……」
「ジャックはその軽いノリを直さない限り、彼女を助けたとしても脈はないんじゃないか」
「エイト、真面目に返さないでよ! 僕だって言われて傷付く事くらいあるんだよ!?」
「まあ、トレイの長台詞を受け容れられる時点で相性は良いんだろう」

 ジャックの愚痴にエイトが真顔で正論を述べ、キングもまるで二人の仲を認めるかのような事を口にする。恋愛などしている状況ではないが、0組の作戦に支障が出ないのであれば、友好を深めるくらいは大目に見るというスタンスである。

「そういえば、トレイさんに薦められてから、毎晩魔導書を読む習慣が付いたんです」
「良い心掛けですよ。一時的ではなく、続ける事が大事ですよ。そもそも――」
「はいはーい、お説教はそこまで! 今日はユリヤとレムとマキナのお祝いなんだから!」

 トレイの話が長くなりそうになったのを見計らい、ケイトが間に割って入って声を上げる。ユリヤとしてはこのまま聞いていても問題なかったのだが、主役は己というよりレムとマキナである。ここは一歩引くのが適切であろう、とユリヤはケイトに向かって笑みを浮かべてみせた。

「ユリヤ、食べられないものはあるか?」
「いえ、大抵のものは食べます! いえ、食い意地が張っているわけではないのですが」
「ふふっ、『腹が減っては戦は出来ぬ」というからな。寧ろ良い事だ」

 続いてセブンがお菓子の乗った大皿を持ってユリヤの前に現れた。美味しそうなカップケーキやクッキーが乗っているのを見て、誰が作ったのかすぐに察したユリヤは、思わずその名を口にした。

「これ作ったのってデュースさんですか?」
「えっ、どうして分かったんですか!?」
「勘です」

 おしとやかなデュースに何となくそういうイメージが付いているせいか、何気なく言っただけであったが、先日ユリヤと練習試合めいた事をした女子が黙っていなかった。

「おいユリヤ、デュース以外は作りそうにないって思ってるんじゃないだろうな?」
「あ! サイスさんも作られたんですね? 強いのに料理も出来るなんて凄いです」
「褒めても何も出ねぇぞ!」

 半ば言いがかりであったが、ユリヤは先日の手合わせでサイスのような強い女性になりたい、と思うようになり、世辞ではなく心からの賛辞を述べた。幸いその真意も伝わり、サイスは顔を赤くして照れ隠しをするかのように怒鳴ったのだった。

「トレイ、女性陣にすっかりユリヤを取られてしまったな」
「何を言ってるんですか、エース。曲者揃いの0組と打ち解けるのは喜ばしい事ではないですか」
「そういう事にしておこう。ただ、ユリヤも0組に入れる事が出来れば良かったな。総代がユリヤに対しては、随分慎重に対応しているようだ」
「ユリヤさん本人が、『まだ』それを望まないでしょう。尤も、0組の人員を増やさなければならない程戦局が傾くのは避けたいところですが」

 トレイとしては、ユリヤも0組に配属する事になってくれれば、彼女に危険が迫っても守る事が出来る。だが、ユリヤは意外にも負けず嫌いであり、守られるだけの存在でいる事を由とはしないであろうとトレイは推察していた。来る白虎との戦いでユリヤが生き抜き、1組として前線に出る事で自信が付けば、0組への編入の話が出ても、今度は断らないだろう。

 だが、今しがたエースに告げたように、上位クラスへの昇格、というより人員補充が行われている今は異常事態であった。白虎、蒼龍との戦いを乗り越える為には、とにかく人員が不足しているのが現状である。ゆえに、この戦いに勝利し、朱雀に平和が訪れる事で、ユリヤが前線に出なくて済む状態に戻す事が最善とトレイは考えていた。

 とはいえ、二つの大国を相手にした戦があっさり終わるとは思えない。長期戦を強いられ、当然ユリヤの身にも危険が迫るだろう。彼女が命を落としてしまえば、己から彼女の記憶は消える。今はまだ、彼女を失いたくないとトレイは純粋に思っていた。それを異性に対する愛情と称するかは判断し難いが、己に憧れる女生徒を助けたいと思うのは当たり前の感情である。これが最後の晩餐とならぬよう、0組の作戦に支障が出ない程度にユリヤを見守ろう――トレイはそう決意したのだった。

 そして、ついに魔導院の候補生たちが戦場に出る日が訪れた。



『――アテンション! 我々は西方『白虎戦線』にて、白虎軍の侵略を押し留めるべく戦う事となった。正規軍が蒼龍戦線で攻勢をかける間、白虎軍の主力を押しとどめるのだ。この決戦は、オリエンスの未来を左右する重大な戦いとなる事だろう』

 総代、ミユウ・カギロヒの演説が魔導院中に響く。最早悲観に暮れる者はいなかった。絶対にこの戦いに勝利して、朱雀に再び平和をもたらす――候補生たちの心は一つとなっていた。

『死なないでくれ、諸君……我等に、クリスタルの加護あれ!』





 その頃白虎もまた、朱雀への迎撃のため、歴戦の将を動かしていた。

「……出るのか、カトル准将?」
「ああ。勢いづいた候補生たちを、我が手で討つためにな」

 白虎の科学者、リーン・ハンペルマンが問う相手は、幾多もの戦闘で勝利を収めてきた准将、カトル・バシュタールであった。

「最早あの連中は、ただの若造ではない。戦局を左右し得る戦士たちだ」
「ああ、わかってるさ。だから俺も、俺の戦いを始めるとするよ」

 軍人と科学者では共に戦う事は出来ないが、目指す先は同じである。リーンは一瞬言い留まるも、もしかしたらこれが最後の会話になるかも知れないと思い、言葉を続けた。

「……一応言っておくけど、死ぬなよ。あんたの記憶まで失うのは、俺はごめんだぜ」
「その時は振り返らず、前に進め。アギトを目指す者よ。このオリエンスを白虎の手で統一し、新たな時代を築くのだ」
「……ああ」

 この日、月日にして二ヶ月にも渡る、朱雀と白虎の長い戦いが幕を開けたのだった。

2020/03/07

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