反撃の狼煙

鴎暦841年 土の月 24日

 ユリヤが友人の弔いのために墓地に行くようになり、十日程経った頃。立ち直りつつあるユリヤと相反するように、朱雀の状況は日に日に悪化の一途を辿っていた。

 首都を滅ぼされた蒼龍は白虎の軍門に下り、朱雀に宣戦布告した。白虎・蒼龍連合軍の合計兵力は、朱雀正規軍及び候補生の3倍以上である。
 この朱雀が迎えた難局は、候補生たちにも絶望を与えていた。



 本来心身共に休まるはずのランチタイムも、憩いの場であるサロンやリフレッシュルーム、テラスにて皆、口々に不安を吐露する。こんな局面は歴史上例を見ない事であり、魔導院全体が暗い雰囲気に陥ってしまっても無理はない。たとえ世界を救うアギトを目指す候補生といっても、現実を理想で覆すのは、考えれば考えるほど不可能であると、ユリヤも思わざるを得なかった。

「本当に、どうなっちゃうんだろう」

 ユリヤは誰に話し掛けるでもなく、サロンのソファーに深く腰掛けて窓の外をぼんやりと眺めながら、ひとり呟いた。傍から見れば滑稽であるが、誰も気に留める者はいない。それほど、この魔導院全体が絶望に包まれている。

 白虎と蒼龍に攻められるまでの限られた時間で鍛錬を積んだところで、付け焼き刃でしかなく、ただの自己満足にしかならないのではないか。勿論、何もしないよりは良いが、前向きになれないなか身体を動かしても、身にならない気もしていた。

『ユリヤさん。早く私に追い付いてくださいね』

 ふと、戦死した友人の名を探すのを手伝ってくれたトレイが、そんな事を言っていたのを思い出し、沈んでいたユリヤの心に僅かな光が差した。
 行動したところで無意味かもしれない。けれど、何もしなければいつまでも前に進めず、死を受け容れるのみである。抗う事は、この朱雀を護るアギト候補生として『しなければならない』事だ。

 きっとこの瞬間も、0組の皆はこの窮地を脱する為に様々な策を練っているのだろう。
 落ち込んでいる暇はない。
 ユリヤはすぐさまサロンを出てクリスタリウムに向かい、魔法や戦術に関わる本を漁るのに昼休みの残り全ての時間を充て、一晩で辛うじて読み切れそうな冊数を拝借し、授業へと戻ったのだった。





 放課後。まだ陽も高く、夜が訪れるのはだいぶ先であろう時間帯。ユリヤは闘技場を訪れて模擬訓練を行おうとした。だが、そんなユリヤの背中に思いがけない人物が声を掛ける。

「この魔導院は腰抜けばかりだと思いきや……ユリヤ、まさかあんたがやる気を見せるとはね」
「あっ、サイスさん」
「どれ、あたしが稽古付けてやろうか?」

 頭頂部で縛られた銀髪が陽光に照らされ、光輝いて見えるサイスの不敵な笑みに、ユリヤはつい圧されて身構えてしまった。
 以前のユリヤなら、0組相手にまともな稽古なんて出来るわけがないと決めつけていたであろう。0組がこの魔導院に来たばかりの頃、偶然ナインと戦う羽目になってしまったが、ユリヤは手も足も出ず逃げ惑うばかりであった。
 だが、今は違う。勿論0組に勝てると思うほど向こう見ずではないが、数々の実戦を経験し、少なくとも逃げるだけで終わる事はない。少しくらいは善戦出来なければ、アギト候補生としての名が廃る。己はもう、入学したばかりの素人ではないのだから。

 ユリヤは息をひとつ呑めば、真剣な眼差しをサイスへ向け、はっきりと口にした。

「はい! 是非、お願いします!」

 その答えに、サイスは目を細めて口角を上げてみせた。



 考えている暇はない。考えている間にやられてしまう。ユリヤはサイスが振り回す鎌を上手く回避しながら、次の一手を考えようとしていたが、逃げるばかりで思考が追い付かなかった。

「はっ! さっきの威勢の良さは口だけかい!?」
「いえ! まだまだ……これからです!」

 この状態では攻撃魔法を唱えている間にやられてしまうだろう。ユリヤはとにかくサイスの動きを止めなくては話にならない、そう判断し、間一髪のところでウォールを唱えた。ユリヤの前方は見えない壁で守られ、サイスの鎌が微かに弾かれ、ユリヤの身体を貫く筈が壁で押しやられた事で空振りする。

「なかなかやるね。でも、守ってるだけならいつまで経っても反撃は――」

 サイスが再び己の目の前で鎌を振り被った、瞬間。
 ユリヤはウォールを構成した後すぐさま次の攻撃魔法を唱えており、このタイミングでブリザドBOMを放った。
 ユリヤの周囲が一瞬にして冷気を帯び、巨大な氷柱の数々が地面から現れ、串刺しのように宙を突き刺す。
 当然、サイスの身体にも氷柱が貫かれるはずである。
 相手が百年に一度の逸材である『0組』の者でなければ。

「なるほど、守られているだけの子猫ちゃんってワケじゃないようだね」
「はい?」

 酷い形容の仕方を聞いて、なんだか背中に悪寒が走った気がしたのは、ブリザドを唱えたせいではないだろう。ユリヤが顔を引き攣らせた、瞬間。

「――だけど、甘いッ!!」

 果たしてユリヤを油断させるために言ったのかは不明だが、サイスは一瞬呆気に取られたユリヤに向かって鎌を振り被った。
 ブリザドは一切効かなかったのか、などと考えている余裕もないまま、ユリヤは反射的に避けたが、刃が頬を抉った。掠る、なんて生易しいものではない。痛みを感じるより先に熱を覚え、ユリヤは今己が血を流しているのだと察した。いちいち触って確認する余裕はない。今のユリヤの頭には、これが闘技場での稽古だという事が抜け落ちていた。
 目の前にいるサイスは敵である。無意識に、ユリヤの思考はシンプルになっていた。

 黙っているだけでは、殺される。ユリヤの本能がそう告げていた。
 ウォールで誤魔化すのはもう通用しないだろう。その証拠に、サイスの鎌からは先程まではなかった魔力が溢れ出ていた。どういう仕組みかは分からないが、これだけは分かる。
 この鎌の刃が当たったら、次は単なる傷だけでは済まない。

 だが、今のユリヤには不思議と恐怖心はなく、それよりも『どうすれば勝てるか』という気持ちが強かった。この時のユリヤは、自分でも何故だか分からないくらい、不思議と高揚していた。

「これで終わりだッ!!」

 サイスが振り被る鎌がユリヤの身体を貫くのが先か、ユリヤの詠唱が間に合いサイスの動きを封じるのが先か。
 恐らく、いや確実にユリヤが負けてしまうだろう。『0組』は、例え向こうが手を抜いていたとしても簡単に勝てる相手ではない。
 それでも、ユリヤとてアギト候補生としての矜持があった。

「はいはーい、いったんストップ!」

 緊迫した中、突然間の抜けた声が闘技場に響く。
 詠唱が終わる直前であったが急遽ユリヤは取りやめ、同様にサイスも鎌を止める。刃がユリヤの目と鼻の先で止まり、本当に間一髪であった。

「ユリヤっちはまだまだ経験が浅いしね。ここから先はシンクちゃんが助太刀しま〜す」

 突如現れた0組のシンクが、ユリヤの隣に立ってメイスを片手に満面の笑みをサイスへと向ける。

「おい、シンク! 余計な真似するな!」
「っていうかユリヤっち、血ぃ出てるじゃん! やりすぎだよ〜」

 突然水を差されて苛立ちを露にするサイスをよそに、シンクは頬から血を流すユリヤの顔を見た瞬間、目を見開いて驚きの声を上げれば、再びサイスに顔を向けて苦言を呈す。

「ユリヤ、大丈夫!?」
「怪我はないか!?」

 今度はレムとマキナが駆け付けて来て、ユリヤはさすがにおかしいと平常心を取り戻し、冷静になって周囲を見回した。

「えっ、嘘!?」

 いつの間にか闘技場にはギャラリーとして多くの候補生たちが集まっていた。ユリヤがここに来た時は闘技場で鍛錬している候補生はまばらであったと記憶しているが、明らかに皆、『騒ぎを聞きつけてここに来た』という様子である。

「……ったく、興醒めだ」

 サイスは完全にやる気を失ったらしく、不貞腐れたように仏頂面でユリヤ達に背を向けた。

「ごめんね〜ユリヤっち。わたし、もっと早く助けに来れば良かったね」
「いえ、大丈夫ですので。ありがとうございます、シンクさん。それに……」

 よしよしと頭を撫でてくるシンクに若干照れを感じつつも、ユリヤはこのまま去ろうとするサイスに向かって声を上げた。

「サイスさん! お相手してくださって、ありがとうございました!」

 ユリヤは真剣な眼差しでそう言って、深々と頭を下げた。
 サイスは舌打ちしたが、それは不快に思ったからではなかった。次の言葉に、ユリヤは思わず顔を上げた。

「……ユリヤ、意外と度胸あったぜ」
「いえ、サイスさんも手加減してくださっていたと思うので」
「まあな。この状況下で候補生一人でも失ったらまずい事くらい、あたしだって分かってる」

 つまり、初めからユリヤに勝ち目などなかったのだ。どういう意図でサイスが話を持ち掛けたのかは分からないが、云わば腕試しといったところだろうか。ユリヤが見ている限り、サイスは0組の皆とも普段一緒にいるわけではなく、単独行動が多いようだ。そんな彼女が己を気に掛けるなど、不思議な事もあるものだ、とユリヤはぼんやりと思った。

「サイスさん。是非また、お手合わせお願い致します」
「あたしは師匠じゃないっての。ただ、まあ……気が向いたらな」
「ありがとうございます!」

 サイスはそのまま颯爽と闘技場から歩き去り、二人のやり取りを聞いて呆然としていたシンクたちは漸く我に返り、レムとマキナもユリヤの傍に駆け寄った。

「怪我してるじゃないか! 礼を言ってる場合じゃないだろ」
「もう! ユリヤ、無茶しすぎだよ」

 マキナとレムは叱責しつつも心配しており、レムはすかさず回復魔法を唱えてユリヤの頬の傷を癒す。じわじわと傷が癒えていくむず痒い感覚に、ユリヤは痩せ我慢をしていたつもりはないが、どこか頭のネジが外れてしまっていたような気がして、少しばかり反省した。サイスと戦えた事は光栄であったが、自分は一体どうして高揚感を覚えてしまったのだろうか、と。戦場では冷静さも必要である。サイスは己と戦っている間も我を忘れているわけがなく、圧倒的な強さを持っているからこその余裕を湛えていた。

「でも、ユリヤっち、成長したねぇ」
「そうでしょうか……確かにナインさんから逃げ回っていた頃に比べたら、少しだけ動く事は出来ましたが、結局太刀打ち出来ませんでしたし」
「違う違う! あの恐いサイスに立ち向かえる事がまず凄いんだよ〜」

 シンクは喜ばしい事だと笑顔を溢れさせてそう言ったが、ユリヤとしては、対等ではなくとも朱雀を護るという意味では、サイスは同じ仲間である。これから対峙する白虎や蒼龍の軍人に比べたら、恐いとは思わなかったのだ。尤も、シンクの言っている『恐い』とは性格の事を意味するのだが。

「それにしても、トレイが知ったら怒りそうだな」
「あのう……トレイさんには内密にお願いします」
「ああ。さっきのやり取りを見れば、サイスが一方的に君を攻撃したんじゃなくて、双方合意の上で戦闘したって分かるからさ。万が一何か言われたら、ちゃんとオレたちが説明しておくよ」

 マキナの言葉にユリヤが安堵した瞬間。
 突然、魔導院中に通信が響き渡った。

『候補生の皆、こちらは0組のエースだ。こんな時にすまないが、少し僕の話を聞いてくれ』

 ユリヤは思わず0組の三人を交互に見つめたが、三人とも落ち着いた様子であった。エースが何を言おうとしているのか、同じ0組であるゆえに知っているのだろう。
 困惑の表情を浮かべるユリヤの手を、レムが優しく握る。

『今、この朱雀は苦境に晒されている。この魔導院でも、仲間たちの命が次々と失われている』

 ユリヤはふと、墓地の方角へ顔を向けた。この後も、日課で墓地に向かうつもりでいた。失われた命は、ユリヤの友人だけではない。白虎が魔導院を襲撃した日から、仲間は日に日に減ってきているのだ。

『僕等はひどい時代に生まれ落ちてしまったな……平和な時代に生まれたいと、誰もが思うだろうに。人は生まれる時代も世界も選べない。だけど――自分がどう生きるかを決めることは出来る』

 自分がどう生きるかは、自分で決める。
 エースの言葉に、ユリヤは胸を貫かれたような感覚を覚えた。

『だから皆、考えてくれ。僕等がどう生きるべきか。僕等が得た力は、何の為にあるのか。僕等の力は、この戦乱の時代を終わらせて、平和をもたらす為にあるんじゃないのか……?』

 何の為に自分は、この魔導院に来たのか。
 生きる為、では何の為に生きるのか。
 クリスタルによって魔法の力を与えられた者が、何の為に生きるのか。
 己たちは今、何をすべきなのか。
 ユリヤだけでなく、候補生全員が漠然と抱いていた不安や葛藤は、エースの言葉によって除かれつつあった。

『白虎を倒さない限り、僕等はこれからも失い続ける! そんなことはもう終わりにしたい! 皆、今こそ鍛え上げてきた力を使う時だ! 僕等の力を結集すれば、どんな敵にも勝てるはずだ! 僕等の力で白虎を倒し、オリエンスに平和を取り戻そう!』



 そのごく短い通信に、奮起する候補生は少なくなかった。怯えていた者も力弱き者も、戦う意思を滾らせ始める。
 やがて候補生たちは一つとなり、この苦境を乗り越えようと立ち上がった。魔導院を護り、未来を手に入れる為に。

2020/02/15

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