イデアを喪う世界

鴎暦841年 土の月 14日

 アルテマ弾の投下により、蒼龍の首都は崩壊。蒼龍クリスタルは白虎に奪取された。
 これは一つの国の終わりを意味するだけではなく、朱雀の更なる難局の始まりも意味する事件であった。

 任務に参加したアギト候補生たちが遠い白虎の地から魔導院へ戻り、ミユウは早速カリヤ達朱雀政府と会談を行った。

「……ミユウ君。先ほど蒼龍が、我が国との同盟を破棄しました。今後、蒼龍は白虎側に付き、朱雀の敵に回ると見られています」
「まさか……!? なぜ、蒼龍が!? 白虎に首都を滅ぼされたのに、なぜ白虎側に付くのですか!?」

 ミユウの疑問は尤もであった。玄武のように国ごと滅ぼされたのではなく、首都以外は無事なのだから、同盟関係にある朱雀と協力し、奪われたクリスタルを取り戻すべきではないか。普通に考えればそうする筈なのだが――ミユウの問に、同席しているアレシア・アルラシアが淡々と答えた。

「シドは奪取した蒼龍クリスタルを盾に、蒼龍に同盟を強いたのよ。朱雀を討つのに協力しなければ、蒼龍クリスタルを破壊すると告げて……そうすれば蒼龍の民は、皆『力』を失う。クリスタルを奪われた以上、従わざるを得ないわね」

 アレシアの発言を補足するように、カリヤも言葉を続ける。

「そして首都を滅ぼされたとしても、まだ各地には、多数の蒼龍軍が残っています。シドはその兵力を自軍の駒として使い、朱雀を潰しにかかるつもりです」

 二人の説明に、ミユウは蒼龍の選択を受け容れざるを得なかった。納得は出来ないが、蒼龍の民の事を思えば、国としてそうするしかなかったのだろう、と。

「さてどうするかしら、候補生総代? さらなる戦火の中、なおもアギトを目指す……?」
「……!」

 この朱雀という国が危機に瀕しているというのに、何処か他人事のようなアレシアの問いに、ミユウは答える事が出来なかった。





 放課後、3組の教室にて。白虎との戦争だけでなく、蒼龍も敵に回ってしまったとなれば、さすがに候補生たちも楽観的にはなれず、教室内は重い雰囲気に包まれていた。
 こんな時、いつもなら「なんとかなる、大丈夫」だと励ましてくれる友達がいたような気がして、ユリヤは心にぽっかりと穴が開いたような感覚を拭えずにいた。

「ユリヤ、お客様だよ〜」

 そこまで話すことのなかったクラスメイトの呼声に、ユリヤは顔を向けた。視線の先は教室の扉の向こう側――そこには、『0組』のトレイが微笑を湛えて立っている。瞬間、ユリヤの顔は誰が見ても一目瞭然なほど赤く染まったのだった。



 ユリヤがトレイに連れられた先は、当然男女が仲睦まじく過ごすような場所では決してなく――ノーウィングタグの保管室であった。

「ユリヤさんのご友人のノーウィングタグを探すと約束していましたからね」
「約束?」
「もしや、私との約束を忘れてしまったのですか……?」
「いえ! まさか本当に一緒に探してくれると思わなくて」
「一度口にした事はちゃんと守りますから」

 まさか任務から撤退する際に何気なく放った言葉を律儀に守ってくれるとは夢にも思わず、ユリヤは喜ぶというよりも恐縮してしまった。
 白虎だけでなく蒼龍との戦争も回避出来なくなった今、0組の候補生が自分なんかに付き合わせても良いのだろうか……良くない。ユリヤはそう思い直して、早く用事を済ませようと気持ちを切り替えた。

 朱雀兵、およびアギト候補生には、自身の名前が記載された『ノーウィングタグ』なるものが付与される。簡易的な身分証明のようなもので、これを元に戦死者の照合を行う事が可能であり、魔導院の8組は戦場におけるタグの回収が主な任務である。
 尤も、任務に向かう候補生は照合を正確に行えるよう、事前に魔導院に預けていく為、8組が回収するタグはほぼほぼ朱雀兵のものである。

 つまり、アギト候補生で任務から生きて帰ったものは、ノーウィングタグを返却して貰える為、この保管所にタグはない。ここにあるのは、紛れもなく戦死者のものである。

「でも、名前も覚えてないからどのタグなのか分からないな……」
「いえ、ある程度絞り込む事は可能ですよ。3組の戦死者の名前を控えておきましょう」

 一体どんな方法で絞り込むのか、ユリヤはまるで見当が付かなかったが、対するトレイは随分自信があるように見えた。いくらなんでも特定までは無理だろう、とユリヤは考えていたが、すぐに手のひらを返すことになるのだった。



 次に向かったのは、クリスタリウム。多くの書物を所蔵しており、図書室というよりも巨大な図書館と称した方が正確であろう。ここにある書物をすべて読破するのは、誰であっても、生涯を費やしても不可能と言われるほどである。

「そういえば、授業の調べ物以外でクリスタリウムに来たのは初めてかもしれません」
「読書が嫌いでなければ、まめに足を運ぶことをお勧めしますよ」
「はい! 本を読むのは寧ろ好きなので、そうします」

 ユリヤは至って普通の受け答えをしたつもりだったのだが、急にトレイの目の色が変わって、何か失礼な事を言ってしまったのかと身構えた。

「奇遇ですね。実は私も読書が趣味なので、ユリヤさんとはやはり気が合いそうです」
「い、いえ! トレイさんのように博識ではありませんから、気が合うかどうかは……」
「魔力は歳を重ねるごとに落ちていくものですが、知識はいくらでも積み重ねる事が出来ますよ」
「でも、トレイさんに追い付くのは当分先になりそうです……果たしてそれまで私が生きているかどうか……」

 ユリヤは苦笑いを浮かべながらそう口にした後、『0組』相手になんて不躾な事を言っているのかと、己の失言に顔を青褪めさせた。己のようなただのいち候補生が、百年に一度の逸材であるトレイに追い付くどころか近付ける筈もないというのに。ユリヤは慌てて謝ろうとしたが、当のトレイはまるで気にしていないどころか、どこか嬉しそうに瞳を輝かせているように見えた。

「すみません! 私、失礼な事を言ってしまって――」
「ユリヤさん。早く私に追い付いてくださいね」
「ひえっ、さ、さっきのは言葉のあやで……」
「知識に自信がないのであれば、私がユリヤさんを全力でサポートしますので、大船に乗ったつもりで私に頼って頂ければ幸いです」

 トレイはユリヤの発言を失礼と思うどころか、『博識』の二文字に非常に気を良くし、自身の胸を軽く叩けば自信満々な笑みを浮かべてみせた。
 トレイの言葉が社交辞令ではないとしたら、一気に距離が縮まったという事になる。ユリヤは決して疚しい気持ちはなかったというのに、結果的にそういう展開になってしまい、心苦しさを感じていた。というのも、ここに来た本来の目的は別にあるからだ。

「ええと、それで、友達の名前を調べる件なのですが……」
「大丈夫ですよ。ユリヤさんの本来の目的を忘れるほど舞い上がってはいませんから」

 微笑を湛えたままきっぱりとそう告げたトレイの左腕には既に、何らかの資料と思わしき分厚い冊子が抱えられていた。

「トレイさん、それは……?」
「3組の任務記録です。ユリヤさんが3組に配属されてからの記録を辿っていけば、ご友人の名前が特定できるかもしれません」



 任務記録を見たところで、誰と誰が親密か、誰がいつ誰とどんな会話をしたかなんて当然記録されているわけがないのに、一体どうやってトレイは友人の名前を特定しようとしているのか。ユリヤは内心半信半疑で、空いた席に腰掛けたトレイの隣に座り、並んで一冊の任務記録に目を通した。

 まだ真新しい紙の上をなぞるトレイの指を目で追いながら、ユリヤは思考を巡らせた。トレイは『特定できるかもしれない』と言ったが、僅かな可能性に懸けているのではなく、ほぼ特定できるという確信があるように見える。
 ただぼうっとして頼っているだけでは駄目だ。トレイに追い付けるとは到底思えないが、せめて彼の後ろをついて行けるよう努力ぐらいはしなければ。
 そう思いながら資料を目で追っていたユリヤはふと、とある法則に気が付いた。

「……トレイさん。この子の名前ですが……」
「ええ、私もユリヤさんと同じ事を考えています」
「やっぱり、この子が私の……」

 3組の任務記録。そこにはユリヤの出撃履歴も全て記載されており、ユリヤの名前がある場所には必ず共に記載されている名前があった。同じクラスとはいえ、常に3組全員で一緒に行動するわけではない。他のクラスと協力して任務を遂行することが殆どだ。つまり、ユリヤが出撃する任務に必ず名前があるというのは、意図的に一緒に行動していたという事になる。

「この子が私の、友達」
「……と思われます。先程控えた戦死者のリストにもありますし、ここまで一緒の任務、それも大規模な任務では同じ班とは、偶然では考えられません。それほどまでに仲の良いご友人であったと考えるのが妥当でしょう」
「…………」

 トレイのお陰であっさりと目的は達成出来た。けれど、友人の名前が分かったところで、彼女が生き返るわけでもなければ、己が彼女の事を思い出すわけでもない。
 死者の記憶を忘却させるのがクリスタルの優しさだという説があり、辛い記憶ならなかった事にする方が良いのだろう。けれど、真実を知らないままで、前に進めるのだろうか。このオリエンスの『在り方』を問うなど、クリスタルの力を以て魔法を操り、こうして生き永らえている身でなんという罰当たりか、とユリヤは心の奥底に沸いた疑問を強引に消し去った。

「では、行きましょうか」
「は、はい! ありがとうございます、トレイさん。お忙しい中、私の個人的な事に付き合ってくださって……」
「いえいえ、最後までお付き合いしますよ」
「え?」

 約束は友人が誰かを調べる、という事だけだった筈だ。正直、トレイがこれ以上己に付き合う理由が思い浮かばず、ユリヤは嬉しいというよりも訝しく感じてしまった。友人の名前が分かったところで何がどうなるわけでもないと改めて実感し、内心落ち込んですらいる。ユリヤはとてつもない虚無感に襲われている今は、一人になりたかった。
 だが、トレイとて当然理由もなくユリヤに付き合うほど暇ではない。つまり、れっきとした理由があるのだ。

「全く理解していないと見受けられますが、ユリヤさんはまだ行った事がないのですね」

 呆然とするユリヤを嘲笑するでもなく、過剰に気を遣うでもなく、トレイは至っていつも通りの笑みを浮かべながら、ユリヤの手を取った。

「決して変な場所に連れ出すわけではありませんので、ご安心ください。私は務めを果たすまでですから」





 トレイに手を引かれながら魔導院の外に出ると、外は既に暁に染まっていた。そんなに長い時間調べ物をしていたのかと、ユリヤは改めて時間の流れの速さに驚きつつも、何処に行くのか見当も付かずに困惑していた。
 魔導院の外、といってもここは裏庭である。敷地内であり、当然ユリヤも何度もここに来た事があるが、トレイは更にその奥へ歩を進めている。

「私、この先にはまだ行った事がないです」
「成程。入学時の案内が不足していたようですね」
「私が聞いていなかっただけかもしれませんが……」
「いえいえ。余程の理由がない限り、足を運ぶ場所ではありませんから」

 トレイの言葉に、ユリヤは答えを見つけつつあった。戦争真っ只中に0組であるトレイが、わけもなくここまで時間を割くとは考えられず、ここに己を連れて来る事までがトレイの中での『戦死した友人を見つける事』に含まれるのだろう。
 もう答えは出ていたが、それを言葉にする前に、二人は目的地へと辿り着いた。

 ユリヤの目の前には、夕暮れの下に佇む墓標が広がっていた。

「ユリヤさん、墓地はご存知ですか?」
「はい、知ってはいましたが、来たのは初めてです」
「朱雀の為に命を落とした者へ、祈りを捧げる場だそうです」

 祈りを捧げる場があると知識としては頭にあった筈だったが、この場に来るまで思い出す事が出来なかったユリヤは己を恥じ、トレイに対しても申し訳ない気持ちになった。大切な友人なのだから、自ら率先してこの場に来るべきだったのだ。

「ごめんなさい、トレイさん。忙しいのに、ここまで気を遣わせてしまって」
「どうして謝るんですか? 墓地があると知らなかったのですから、ご友人の名前を知った後どうすれば良いか分からず、さぞ混乱したでしょう。すみません、私こそ気が回らずに」
「いえ! トレイさんは何も悪くありません! 本当に、何もかも教えて頂いて何度お礼を言っても足りません」
「これからも、いくらでも教えて差し上げますよ」

 ユリヤはその言葉を社交辞令だと受け取ったが、トレイはあくまで本気であった。0組内ではやれ話が長いだの何だのと雑な扱いを受けがちなトレイにとって、出逢った当初からずっと己へ敬慕の目を向けるユリヤの事を快く思わないわけがないのであった。

「ユリヤさんは、これからどうされますか? もう日も暮れますし、ご友人の死を悼むのは明日でも構わないと思いますが」
「いえ、私、ここに残ります。トレイさん、今日は本当にありがとうございました。また是非、色々と教えてください」

 深々と頭を下げるユリヤに、トレイは非常に気を良くし、名残惜しむようにそっと手を離した。

「私は0組の頭脳派ですから、いつでも、いくらでも頼ってくださいね。クイーンも知識が豊富ですが、やや話が冗長ですから」

 そこまで深い付き合いではなくとも、どう考えてもクイーンのほうが簡潔ではないかとユリヤは思い、今この場でトレイの発言を突っ込むべきなのかと一瞬悩んだが、これ以上彼の時間を拘束するのは駄目だと頭を切り替えて、笑顔を作ってみせた。

「はいっ! 頼りにしてます!」



 トレイが去った後、ユリヤは墓地を歩き回り、友人の名前を探した。日が完全に落ちて墓標に刻まれた文字が読めなくなる前に、なんとしても見つけたい。気が焦りつつあったユリヤの背中に、突然声が掛けられた。

「誰かを探してるの?」

 まさか自分以外に人がいるとは思わず、ユリヤは肩をびくりと震わせたが、そもそも今回の任務で命を落とした者は己の友人だけではなく、それ以前の任務でも戦死した者はいるだろう。祈りを捧げに来る候補生が他にいてもおかしい事は何もないのだ。
 ユリヤが振り返ると、視線の先には大きな帽子を被った、長い黒髪の少女がいた。候補生である事は制服から分かるが、どことなく不思議な雰囲気を漂わせており、まるで己とは違う世界に生きているのではないかと思うほどであった。

「は、はい! 友達の名前を……」

 少女はユリヤの目の前まで歩み寄れば、ユリヤの手元にある友人の名前を控えていたメモを覗き込んだ。

「こっちよ」

 少女は躊躇いもなくユリヤの手を取り、歩き出した。引きずられるように少女の後をついて行くユリヤであったが、実に慣れた少女の様子から、この候補生が墓地を管理しているのだと察する事が出来た。

 少女が立ち止まり、ユリヤも慌てて歩を止めた。目の前にある墓標には、間違いなく友人の名前が刻まれていた。

「あの、ありがとうございます! ええと……」
「私は……トオノ。トオノ・マホロハ」
「トオノさん、ありがとうございます。私はユリヤ・アキヒメといいます。これからよろしくお願いします」
「これからよろしく、というのもおかしな話ね」
「ですが、私、これからここに頻繁に足を運ぶつもりなので、顔を合わせる機会もあると思いますから」

 ユリヤはごく当たり前の事を口にしたつもりであったが、トオノと名乗った少女は、その言葉にほんの僅かに笑みを浮かべた――ように見えた。

「その子、あなたのような優しい友人を持って幸せね」
「そんな……もしかしたら私が見殺しにしたかもしれないのに……あ、一緒の任務だったんです。それが、私だけ生き残ってしまって……」
「覚えていないのだから、考えても仕方ないわ。私は、死後も祈りを捧げてくれる友達を持ったこの子を、幸せだと思っただけ」

 トオノは淡々とそう言うと、ユリヤから離れ、いつの間にか姿を消してしまった。気付けば日は落ちて、薄青い空は徐々に黒に染まろうとしていた。まるで夜の闇に同化したように思えて、ユリヤは本当に彼女はこの世の人間ではないのではないかと非現実的な事を考えてしまったが、すぐに墓標へと向き直った。

「名前が分かっただけでは何の解決にもならないけど、祈りを捧げる事だけは出来るんだね」

 ユリヤは己の記憶から抜け落ち、顔も声も性格も、何もかも覚えていない友人に向かって、手を合わせ祈りを捧げた。これが彼女の為になるかは分からない。もう命を落としているのだから、何の為にもならないだろう。けれど、間違いなく、ユリヤの中で止まっていた時計の針が動き出したのだった。

2020/01/21

[ 13/30 ]

[*prev] [next#]
[back]
- ナノ -