いのちの光芒

鴎暦841年 土の月 13日

 ユリヤが大切な友人の記憶を失い、負傷者たちと一時避難し回復にあたっていた頃。戦場では、ミユウと0組率いる候補生たちの必死の攻撃によって、ブリューナクは破壊された。

「……ふぅ、これで任務は完了だな」
「ああ、それじゃ魔導院に帰ろう」

 多少の犠牲は生じたが、0組は誰一人として深い傷は負っていない。やや手こずったものの、涼しい顔をしているエースに、ミユウもまた毅然とした態度で頷きながら、帰還を口にした。避難地点にいる候補生たちと合流して脱出しよう――そう思ったのも束の間。

「よう、候補生」

 エースたちの背中に、仲間ではない声が掛けられる。
 この状況下であれば、どう考えても相手は敵でしかない。
 エースはすぐさま振り向いて、相手の男を睨み付けた。

「誰だ! 白虎の兵士か!?」
「そう熱くなるなよ、俺は一介の科学者だ。お前たちと戦いに来たわけじゃない」

 その言葉通り、男は軍服ではなく白衣を身に纏っており、戦闘行為をする気はない事が窺えた。0組の面々もミユウも、相手を信用出来ない以上警戒を解く事はないものの、男の言葉に耳を傾けた。

「一つ教えておきたいことがあってな。お前たちはアルテマ弾を、すべて破壊したと思ってるだろ? 悪いが、破壊前に一発だけ持ち出させてもらった。そしてそれはルシ・クンミの手で、蒼龍首都に運ばれた」
「なに!? どういうことだ!?」

 何故そんな事を己たちに教えるのか、そもそも事実なのか、攪乱目的の嘘なのか。男の意図は分からないが、朱雀のアギト候補生たちを混乱させるには充分であった。

「彼女は逆転の一手を打ちにいったんだよ。自分の命と引き換えに、元帥の理想を叶えようと」

 男の言葉に偽りはない事が、この後すぐに証明された。
 突然、この施設にいる全候補生のインカムに緊急通信が入る。

「っ!? カリヤ議長からの緊急通信!?」
『全候補生に緊急通信です! たった今、蒼龍の首都にアルテマ弾が投下されました! ただちに魔導院に帰還してください! 繰り返します、たった今蒼龍の首都に――』

 誰かが騙るわけがなく、議長が嘘を吐く理由もない。目の前の科学者が言っている事は紛れもない事実である事が、この通信を以て証明されてしまったのだ。

「バカな……! お前たち、蒼龍にもアルテマ弾を!?」
「ま、そういうことさ。そしてここからが、戦いの第二幕だ」

 驚愕するミユウに、白虎の科学者は飄々とした態度で告げれば、片手を振ってこの場を後にしようと歩を進めた。

「また会おうぜ候補生、今度は戦場でな」
「待て、お前は一体……!? お前、何者なんだ!」

 議長から帰還命令が出ている以上、いくら0組やミユウとて、政府の指示を無視してこれ以上深追いをするのは許されない。だがせめて、こんな情報を己たちへ突き付けた科学者の素性ぐらいは押さえなければならない。
 相手の後姿が完全に見えなくなる前に、エースが叫んだ瞬間。白衣の男は振り返って、あっさりと素性を明かした後、再び踵を返して歩き出した。

「俺か? 俺の名は、リーン・ハンペルマン。お前たちと同じ、『アギト』を目指す者だ」





「ユリヤさん、怪我はないですか?」

 生き残った候補生たちが帰還命令に従い、残り少ない体力で助け合いながら工場を脱出する最中、ユリヤの様子が気になったトレイは0組から一時離れ、回復班と共に逃げる彼女の横に並んで問い掛けた。

「はい、なんとか。ただ、私も戦っていた筈なのに、どうして逃げて来たのか詳しく覚えてなくて……」
「思っていた以上に厄介な敵でしたので、皆さん退避するよう私たちが命じて、ユリヤさんはそれに従っただけですよ。記憶が混濁するのは、戦場ではよくある事です」
「記憶が混濁……」

 蒼龍にまでアルテマ弾が落とされたという事実に混乱しているユリヤにとって、トレイがこうして己を気に掛けてくれるのは嬉しいし心強いものの、記憶が曖昧な状態がより不安を掻き立てていた。
 記憶が曖昧というよりは、抜け落ちて空っぽになっていると称した方が正しかった。この戦場での出来事だけでなく、過去の記憶もところどころ欠けているように感じるのだ。
 そのような現象が起こる理由は、このオリエンスに住まう者なら誰もが知っている事である。

「誰か……私の大切な人が、死んじゃったのかな……」
「断定は出来ませんが、その可能性は高いでしょうね。ただ、今は帰還する事が最優先です。魔導院に戻ったらノーウィングタグを調べましょうか」
「はい、そうします」

 トレイの提案にユリヤは大人しく頷いて、彼の言う通り今は白虎を脱出する事だけを考えるようにした。いくら悩んでも失われてしまった記憶を思い出す事は出来ないのだから、今は余計な事は考えないようにするのが賢明である。トレイがそこまで気を遣って言ったのかは定かではないが、少なくともユリヤは彼の言葉で救われたのだった。





 白虎領を脱出して、魔導院への帰路を辿る中。ユリヤは生き残った候補生たちと共に行動していたが、どうにも違和感を拭えずにいた。
 こういう時、いつも己の隣に誰かがいたはずだ。いつも己を励まし、寄り添い、手を繋いで共に歩いてくれた人が。

「ユリヤちゃん、大丈夫?」
「え? ああ、うん、ごめんなさい。ちょっとぼうっとしてて」
「派手な戦いだったしね。でも、ユリヤちゃんもじきに慣れるよ。入学から一気に3組まで上り詰めたんだし、経験を積めばもっと上に行けるよ」
「3組と2組、2組と1組の間にはとてつもない壁があると思うけど……」
「そんな事ないよ〜。ユリヤちゃんが上がってくるの待ってるからね」

 ユリヤに話し掛けて来た候補生の女子は、水色のマントを身に纏っていた。1組の候補生である。『0組』が突如現れるまでは、この魔導院で一番強いと言われていたクラスである。無論、0組というクラスが百年ぶりに現れたとはいえ、1組の候補生が強い事に変わりはないため、ユリヤも心の中で敬意を払っていた。

「……ユリヤちゃん、まだ経験が浅いから慣れてないんだと思うけど」
「は、はい」

 己に歩幅を合わせ、真横を歩く1組の候補生の諭すような口調に、ユリヤはつい身構えた。きっと己は戦場で失敗してしまい、それを咎めようとしているのではないか、と。記憶が抜け落ちていてまるで覚えていないが、もしかしたら、己が何らかのミスをして、大切な人が己を庇って命を落としたのかも知れない。考えても分かるわけがない事だというのに、ユリヤの思考回路はどんどん負の方向へと落ちて行った。

「戦場で仲間を失うのは当たり前の事だから。クラスが上に行けば行くほど、ね」
「……はい」
「だから、『自分のせいで仲間が死んだんじゃないか』とか、悪い方向に考えない事。何があったのか思い出す事は出来ないんだから、考えるのは時間の無駄」

 手厳しい言葉だった。だが、決して己を責めているわけではないというのはユリヤも理解出来た。これは幾多もの戦いを乗り越え、今もこうして生き延びている1組のアギト候補生から、未熟な己へのアドバイスなのだ。

「考えても意味はないって、頭では分かっているんです。でも、きっと私の大切な人で……私を構成していた多くのものが一気に失われたように感じるんです。両親を喪った時もそうでした」
「……友達、だったんだね」
「友達……いたんでしょうか、私にも」
「喪失感が大きいのは、それだけ密度の濃い時間を一緒に過ごした大事な人だったからって事。それはきっと、ただの仲間じゃなくて、もっと踏み込んだ仲だったんだと思うよ」

 1組の候補生は、そう言うとユリヤの手を取った。手を繋ぐなんて子供の頃以来で、自分は余程幼く見えているようだ、とユリヤは一瞬情けなく思ったが、同時に懐かしい感覚を覚えた。懐かしいと言っても昔を思い出したのではなく、失われた感情が少しだけ戻ってきたような気がしたのだ。

「大切な人を失った時、過去に引き摺られないように、感傷的にならないために、死者の記憶を失う……クリスタルの慈悲ではあるけど、そうやって心に穴が開いてる感覚があるんじゃ、かえってモヤモヤしちゃうよね」
「……ありがとうございます。アギト候補生なんだから、過去に囚われずに常に前を向いていないといけないのに……」
「さっきも言ったけど、じきに慣れるからさ。そうして、最後まで生き残った人が『アギト』になれるんだと思う」

 私には無理だ。ユリヤは一瞬だけそう思ってしまったが、1組の候補生の言葉を無下にしてはならないと決意を新たにした。
 人が死ぬ事に慣れていくだなんて、まるで人として大切なものを失っていくようだとユリヤは少し恐ろしく感じたが、この魔導院にいるアギト候補生は、ずっとそうして生きて来たのだと痛感せざるを得なかった。今の己たちだけでなく、何十年も、何百年も前の候補生も、ずっとそうやって生きて来たのだ。それが嫌ならば、アギト候補生などやめてしまえばいい。そんな弱い人間など、誰も構いはしないだろう。

 ユリヤは断片的にしかない己の人生を振り返り、まだここで終わりたくはないと強く思った。最早己に帰る家はない。家族も居らず、己の帰る場所は魔導院なのだ。何も出来ないままひとりぼっちで死んでいくより、せめてこの世界に何かを残したい。何を残せるかは分からないし、結局どう足掻いても何も残せないかも知れない。けれど、何もしないよりはずっと良い。だから、辺境から遥々この魔導院に来たのだ。当初の理由を忘れてはならない。

「……魔導院に帰ったら、ノーウィングタグを調べてみるつもりです。どれが私の友達かすら分からないかも知れませんが」
「まあ、あれはあくまで戦死者の管理だから、見て思い出すものではないけどね。でも、見つかるといいね」
「はい」

 1組の候補生の言う通り、意味はない。名簿と照らし合わせ、誰が戦士して誰が行方不明なのかを管理するだけのものだ。それでも、このオリエンスには死者を弔うという文化も存在し、魔導院の敷地内に戦死者の為の墓地もある。だから、ユリヤも己の大切な友達だった候補生のタグが見つかれば、日々弔う心持ちであった。大切な友人だったのであれば、己が相手の成し遂げたかった事を少しでも叶えられるよう邁進しようと思える。もし、己のせいで命を落としてしまったのであれば、懺悔の為にも弔いの気持ちは忘れずにいたい。
 それをしたところで相手が生き返るわけでもなく、相手が喜ぶわけでもないが、これは己が前に進むための儀式である。ユリヤはこの戦乱の世で少しでも生きた証を残すため、友人の分も懸命に生きると、固く心に誓ったのだった。

2019/12/30

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