終末を避けるために

鴎暦841年 氷の月 20日

 0組への編入の話を断ってからというもの、ユリヤはいつになく悩むようになった。自分がミユウの誘いを断ってしまったせいで、友人は己に配慮して0組に編入したくても申し出ることが出来ないのではないか、と。
 レムとマキナとはあれ以来顔を合わせるタイミングが無いが、きっとあの二人なら0組に入るだろう。直接そう聞いたわけではなく単なる勘に過ぎないが、そうなる気がしていて、二人の実力を鑑みればユリヤにとって驚くことではなかった。

「それで、私のところに相談に来たという訳ですか。賢明な判断ですね、ユリヤさん」

 今、ユリヤの目の前にいるのは、転入当初から何かと縁のある――というかユリヤが一方的に羨望している相手。『0組』の頭脳派的存在ことトレイであった。

「はい……突然0組編入の話が出て、断りはしたんですけど、本当にそれで良かったのかなって今更悩むようになってしまって……」
「悩むのは当然です。命令ならともかく、本人に判断を委ねるようなやり方はあまり感心しませんね。まるでユリヤさんに心理的負担を掛けるのが目的のように思えますが」
「まさか、総代がそんな事をするわけがないです! 私を困らせたところで、総代にとっては何の得にもなりませんし」
「冗談です」

 全く以て冗談に聞こえなかった……とユリヤは安堵しつつも心の中で溜息を吐いた。
 総代と0組が対立している話は全く聞かないし、協力関係を結べているとは思うが、総代の周りはそうもいかない様子なのだ。
 0組が現れる前もこれからも、魔導院の代表は総代であるミユウという事実に変わりはないが、これまでの枠組みからは大きく外れる0組という12人の選ばれた存在は、間違いなく魔導院、およびこの朱雀という国に大きく影響するであろう存在であることは明白であった。
 つまり、0組は良くも悪くも目立ち、羨望だけでなく本人たちの知らぬところで反感も買っているのである。それを風の噂で知ることもあるかもしれない、とユリヤは内心冷や冷やしていたが、どうやら杞憂であったようだ。

「というか……個人的な相談だというのに、トレイさんの貴重な時間を奪ってしまってすみません。自分で解決しなきゃいけない話なのに……」
「そんなに畏まる必要はありませんよ。それに、嫌ならはっきりと断りますので、時間を奪われたとは思っていません。ユリヤさんの悩みも、失礼ながら聞かずとも察していましたから」

 ユリヤたちが今いるのは、0組の教室から距離の近い裏庭であった。ユリヤとしては0組の教室でも良かったのだが、他の面々に余計な茶々を入れられないように、というトレイなりの配慮である。立ち話ではなく、二人並んでベンチに腰掛ける姿は、傍から見れば恋人同士に見えなくもないが、残念ながら話の内容は色恋沙汰とは程遠いものである。

「本題ですが――ユリヤさんと私は長年の付き合いという訳でもなく、今日までのわずかな期間で見て来た言動からしか、あなたのことを推し量ることが出来ません」

 それは当然だ、とユリヤは素直に頷いた。寧ろこの短い期間、しかも交流もあまりないにも関わらず、己の入学初日に任務先で偶然助けてくれたよしみというだけで、こうして相談に乗ってくれるなど、なんて優しい人なのだと思わずにはいられなかった。
 だが、相手は『0組』である。己のような普通のアギト候補生とは違う、百年に一度の選ばれた存在だ。だからこそ極力迷惑を掛けたくないのだが、今回に限っては相談内容が0組に関わることであるゆえに、別であった。

「ユリヤさんはまだ、人を殺めることに恐れがあるのではないのでしょうか」

 その言葉を聞いて、ユリヤは自分がアギト候補生に相応しくないと遠回しに言われているのではないかと真っ先に思ったが、恐る恐るトレイの様子を窺うと、その表情に侮蔑といった感情はないように見えた。

「あなたはまだアギト候補生としての日が浅い上に、それまで何かしらの訓練をしていたわけでもありません。そんな中、魔導院に来て早々人殺しをさせられたのが、ご自身の中で一種のトラウマとなっているのではないですか?」
「そうでしょうか……あの時は、そうしなければこちらが殺される状況だったので、トラウマ以前にあまり覚えていないというか」
「俗に言う深層心理というものですよ。ご自身で自覚していないだけで、ユリヤさんは戦争というものにまだ抵抗があるのでは……『覚えていない』というのも、恐怖を忘れたいからなのかも知れません。人の死はクリスタルが忘却させてくれるとはいえ、目の前に死体があれば、普通は良い気分などするわけがありませんからね」

 トレイは一気に畳みかけるように言えば、間違ったことを言ってはいないか確認するかのように、ユリヤの様子を窺った。ユリヤとしてはトレイの仮説に反論する余地はなく、腑に落ちた部分もあるのだが、やはり最初に感じた通り、戦争を恐れるなどアギト候補生としては情けない話である。前線に出ないクラスならともかく、ユリヤは曲がりなりにも攻撃魔法に特化した3組なのだから、落ち込むのは当然であった。

「ユリヤさん……私、何か間違ったことを言ってしまいましたか?」
「いえ! そうじゃなくて、その……トレイさんの言う通りだと思うと、自分はアギト候補生として『なってない』なあって……」
「全ては慣れです。ユリヤさんは魔導院に来て日が浅く、単純に経験不足です。否が応でも戦場に駆り出されるようになれば、じきに慣れますよ」

 ならば、尚更0組への編入を断ってしまったのは間違った判断だったのではないか、とユリヤの悩みは更に深まった。視線を下へ落とし徐々に表情が曇っていくユリヤの様子に、トレイは慌てふためいた。

「ユリヤさん、失礼なことをもし言っていましたら、遠慮なくご指摘ください!どうやら私、悪気なく人を不快にさせてしまう事があるようで……」
「えっ!? まさか! トレイさんにこんなに親身に相談に乗って貰ってるのに、不快になるだなんて、それこそバチが当たります」
「ではどうしてそんなに浮かない顔をされてるんでしょうか……」

 いつもの冷静沈着なトレイは最早見る影もなく、眉を寄せて困惑の表情を見せる姿は、『0組』の壁を感じさせず、彼も己と同じ人間なのだとほんの少しだけユリヤは思ってしまった。尤も、彼は己と同じと思うなど烏滸がましいにも程があり、口には決して出せないが。

「トレイさんの分析を聞いて、私……経験を積むならそれこそ0組に入るって言った方が良かったなって思って、それで……」
「経験を積むのは0組でなくとも出来ますよ。これは個人的な意見ですが、ユリヤさんを0組に昇格させるのは時期尚早だと思います。まあ、白虎によって玄武というひとつの国が消滅させられたのですから、政府が焦るのも無理はないですが」

 朱雀政府――だが、政府が己の存在を知っているとは、ユリヤには到底思えなかった。恐らく、人海戦術で誰でもいいから目ぼしい候補生を0組に昇格させろという話なのかも知れない。マキナとレム、そして己の友人が抜擢されたのは理解出来るが、どうして己なのか……とユリヤは人選ミスだと思わざるを得なかった。

 だが、政府がそこまで焦っているのなら、0組に入ることを選択させずに強制的に配属させるのではないか。そして、この話を己たちに説明したのは政府直々ではなく、魔導院の総代であるミユウだ。
 これらの事実から鑑みるに、もしかしたら、ミユウが気を遣ってあえて強制ではなく選択する余地を与えてくれたのかも知れない、とユリヤは考えた。それならばすべてが自然な流れである。

「……総代はどう思ってるんでしょうか、0組が増えた方が良いのか、それとも……」
「流石にそれは、私は総代ではないので分かりませんね」
「ですよね……」
「ですが、政府の意見に従うのであれば、強引にユリヤさんを0組に入れているでしょうね」

 何気なく言ったトレイの言葉が、己が思っていた事と一緒であり、ユリヤは一気に表情を明るくさせた。やはりこれは総代の温情だ。

「ユリヤさんの中で答えは見つかりましたか?」
「え?」
「笑顔が戻って来たので、そう思ったのですが」
「いえ……トレイさんと考えていたことが同じだったので、嬉しかっただけです」

 その言葉にトレイも自身が失言をしてはいないと安堵したのか、自然と笑みが零れた。とはいえ、ユリヤの悩みが解決したわけではない。一番ユリヤが気にしているのは、友人のことである。己が0組にはいけないと言ってしまったせいで、友人も己に合わせるしかなく、本当は0組に行きたいのに行けずにいるのではないか。そして、それを友人本人に訊ねることもどうにも出来ずにいるのだった。

「では、私とユリヤさんの思考が本当に一致していると仮定して、ひとつアドバイスを」
「はいっ、よろしくお願いします!」
「ユリヤさん、あなたはあなたです。人に合わせて何かをする必要はありません。それはきっと、あなたのご友人も同じだと思います」

 トレイの的確な助言に、ユリヤはもう悩む必要がなくなった。自分が分かりやすい性格をしているのか、トレイが人の心を推し量るのが上手いのか、それともただの偶然の一致なのかは分からないが、とにかく、その言葉だけでユリヤの心は救われたのだ。

「私の言葉で、ユリヤさんの悩みが少しでも軽減されたなら何よりです」
「え?」
「なんだか吹っ切れたように見えましたので」
「はい! トレイさんのお陰で、これからどうしたらいいのか、道が見えて来ました。ありがとうございます、本当に相談して良かったです」

 ユリヤはそう言って立ち上がれば、深々と頭を下げた。

「そんなに改まらなくても結構ですよ。それに」

 トレイに肩を叩かれて、ユリヤは顔を上げた。トレイはユリヤではなく別の方向を見ていて、ユリヤも同じ方向へ顔を向けると、友人の姿が視界に入った。

「偶然か、もしくはユリヤさんが心配で来たのかも知れませんね」
「……あの、トレイさん。今日は……いえ、今日も、本当にありがとうございました」
「いえいえ、有意義な時間を過ごさせて頂きましたよ」

 本心ではなく建前だと分かってはいつつも、ユリヤは頬を紅潮させた。その言葉が本当なら、またこうして二人きりで話せるかもしれない。今度は悩み相談ではなく、ごく普通の楽しい会話が出来たらいい――そう願って、ユリヤは再度トレイへ頭を下げて、友人の元へ駆けて行った。

「人を殺める行為など、恐れるのが『普通』の感覚なのでしょうね」

 ぽつりと零したトレイの言葉は、ユリヤの耳に届くことはなかった。裏庭に降り注ぐ陽光は穏やかで、この平和な時間は嵐の前の静けさのようでもあった。





 朱雀からの同盟要請を受けていた蒼龍政府は、これを受諾。かくして朱雀・蒼龍同盟が締結された。
 更に『アルテマ弾』を搭載する新型魔導アーマー『ブリューナク』の情報を入手した朱雀政府は、候補生にブリューナク製造工場への潜入と、アルテマ弾の奪取作戦を命じた。

 朱雀政府の命令に、アギト候補生の間には混乱が広がった。それは『0組』の間でも同様であった。エースは早速、ミユウの元を訪れ問い質した。

「アルテマ弾を奪い、持ち帰れだって? 朱雀政府――八席議会は何を考えてるんだ?」
「ああ。朱雀・白虎の両国がアルテマ弾を持てば、戦力的に均衡を保てるとの考えからだ。しかし……」

 エースの言い分は尤もであり、ミユウも此度の政府の命令には懸念があった。

「……ただでさえこの緊迫した戦況下で、互いに自制などできるのだろうか? ひとたび撃ち合いになれば、それは国土の滅ぼし合いを意味する……万が一にもどちらかが撃てば、世界が滅びかねない。そうなれば『フィニス』の到来だ」
「フィニス……神話に記されている、世界の終末か」

 ――9と9が9を迎える時 根源なる意思 世界に『フィニス』を与えん――オリエンスに伝わる伝承に記されている言葉であり、フィニスとはクリスタルが力を失ったときに訪れる災厄であると解釈されている。

「そして『アギト』は、その終末から人々を救う救世主だ。僕等アギト候補生としては、議会の意向に従い、アルテマ弾を奪うのも正しいかもしれない。だが道はもう一つある」

 これは賭けであった。いくら総代とはいえ自分一人の意思では決断出来かねる事だ。ミユウは意を決して、真剣な眼差しでエースを見つめて言葉を続けた。

「議会を説得してでも、その意向を変更させ――アルテマ弾を破壊し、終末を招く兵器を根絶するという道が」
「……どうする、総代? それは朱雀の未来を分ける選択になるかもしれないぞ」
「僕の一存で決めるべきことではない。ここは候補生の皆で決断しよう。命令どおりアルテマ弾を持ち帰るか、僕等候補生の手で、アルテマ弾を破壊するか……」

 ユリヤのミユウ・カギロヒという少女への認識は、間違っていなかった。ミユウは決して総代という立ち位置に驕り、議会に従うだけの傀儡ではない。
 かくして、ミユウの手によって、命運は魔導院のアギト候補生全員に託されたのだった。

2019/09/20

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