その手が導く隘路へと


 ランメルスベルグの後部デッキにて、エールゼクス達のイデアールは次の作戦に向けて舗装作業を受けていた。特にハーノインとイクスアイン、クーフィアは追加兵装が装備され、これまでの作戦とは明らかに違う空気をクルー達も感じていた。
 間もなくモジュール77は月へ到達しようとしており、これ以上の失敗は許されない状況である。

 その頃ブリッジでは、ハーノインを除くパーフェクツォン・アミーの面々が、カインから作戦の説明を受けていた。

「中立地帯の月に逃げ込まれたら、手が出せなくなる。次が最後の戦いになるな」
「逃がしはしません」
「カルルスタイン機関の名誉にかけて」

 カインの言葉に、アードライとイクスアインが次々と答える。エールゼクスも、最早己の弱さに落ち込んでいる暇はないと決意を新たにした。中立地帯である月では戦闘行為を行う事は出来ず、もし起こそうものならドルシアという国は世界中から非難され、単なる国と国との戦争だけでは済まなくなる。つまり、何としても次の作戦を完璧に遂行しなければならないのだ。
 これは戦争であり、ジオール側の民間人の犠牲は免れない。綺麗事など、カルルスタイン機関に入った時点でとうに捨てている。エールゼクスは訓練兵だった頃に比べたら、今回の任務など生ぬるいほうだと、心の中で何度も言い聞かせた。

「今回は私も出る。ヴァルヴレイヴを取り逃せば、私の首が危うい」

 突然のカインの発言に、エールゼクスだけでなく他の三人も驚きで目を見開いた。

「まさか!」
「有り得ません。総統の側近であらせられる大佐が」
「二十年前はそうではなかったよ。あの方も総統ではなかった」

 現ドルシア総統とカインは古い友人である。のちに『紅い木曜日』と呼ばれるクーデターを共に起こし、ドルシアの旧体制を崩壊させた事で現在の地位まで上り詰めた二人だが、その経緯を踏まえてもカインが失脚する可能性がある理由を、イクスアインはすぐに把握し口にした。

「国王派の巻き返しを、案じていらっしゃるのですか」
「それもあるが……」

 カインはそれ以上語ることはなかった。ふと、パーフェクツォン・アミーの面々を見遣り、一人欠けている事に気が付いて話題を変えた。

「ハーノインはどうした?」
「サボりでーす」

 カインの問いに嬉々として答えるクーフィア。対して、イクスアインは苦々しい表情をしていた。その様子を見て、エールゼクスもさすがにこんな大事な作戦前に大佐の呼び出しに応じないなど、ハーノインは一体何をしているのかと怪訝に思いつつ、アードライに訊ねた。

「アードライは、ハーノが何処にいるか知ってる?」
「いや。イクスアインすら知らないというのは些か不可解だが……」
「作戦会議より優先する事って何なんだろう……」

 ちょうどその時、司令室でハーノインとクリムヒルトが接触している事など、エールゼクス達は知る由もないのであった。





 今回の作戦は、表向きにはエールゼクス達が前面に出て戦闘を行うわけではなく、別の艦隊――カインより上の地位にいる少将が出向く事となった。

『らしくない失態だな、カイン大佐』
「申し訳ありません」
『君の報告によればあのヴァルヴレイヴ、稼働時間に限界があるようだ』
「はい。物量で押せば――」
『その通りだ。長期戦に持ち込み消耗させるだけでいい』

 スクリーンに映る少将と己の上官の遣り取りを横目に見ていたエールゼクスは、口答えしたい気持ちを堪えつつ、なんとか無表情を保っていた。が、通信が切れた瞬間、思わず本音を零してしまった。

「口で言うだけなら簡単ですよね。ヴァルヴレイヴがどれだけ危険か、本当に分かってるんでしょうか、あの人」
「エールゼクス、慎みたまえ」
「うっ……申し訳ありません……」
「私達は為すべき事をするだけだ。然すれば、自ずと光明を見出せるだろう」
「……はい!」

 エールゼクス達の為すべき事。それは――少将の艦隊とは別行動で、モジュール77に潜入する事であった。失敗は許されない、最後の戦いである。
 今はカインに呼ばれ、こうして少将との通信に同席していたのだが、エールゼクスはこれからアードライと共に行動する段取りとなっている。

「では、そろそろアードライと合流します。ですが……」
「どうした? エールゼクス」
「……私達が未熟なばかりに、大佐まで戦場に出る事になってしまい、不甲斐なく思っています」
「先程の遣り取りを気にしているのか?」

 カインの問いに、エールゼクスはこくりと頷いた。いくら大佐より上の立場とはいえ、直接ヴァルヴレイヴと戦闘したわけでもなく、報告書の情報しか知らない者に、大佐を小馬鹿にされた事が悔しかったのだ。

「君が気にする必要はない。部下の不始末は、上官の私が責任を持って片付ける必要がある」

『部下の不始末』とは、紛れもなくエルエルフの裏切り行為である事は、訊ねるまでもなく分かった。エールゼクスは何故この場に己が呼ばれたのか、漸く察しつつあった。

「エールゼクス。アードライのサポートを頼む。これは君にしか出来ない事だ」
「そ、それは買い被りだと思います……ですが、私もアードライの事を支えたいと思っているので、出来る限り助力致します」

 エールゼクスはたどたどしくそう言って、その場を後にした。サポートなど出来るわけがなく、寧ろされる側なのだが、エルエルフを失ったアードライは、誰かが支えなければならない状態になるであろう事は想像に容易かった。

 裏切者は殺すのがカルルスタイン機関の規則であり、例外はない。今まで何度も説得の機会を与えられたのは、あくまで大佐の温情である。それをアードライが一番分かっているからこそ、この最後の作戦でエルエルフと対峙した際は、確実に引き金を引くだろう。その後、友を殺した罪の意識に苛まれるであろう事も、エールゼクスは痛い程よく分かっていた。
 己にエルエルフの代わりが務まるわけはないが、少しでも支えになりたい。例えそんな力がなくても、そうありたいと想うのは自由だ。エールゼクスはそう自分に言い聞かせて、失敗出来ない作戦を遂行するべく、気持ちを奮い立たせるのであった。





 案の定――と言うと些か不謹慎ではあるが、少将の艦隊は時縞ハルトの搭乗するヴァルヴレイヴのハラキリ・ブレードによって、宇宙の粒子となって消滅した。当然中にいた艦長である少将やクルー達も犠牲になったのだが、あっさりと失敗した理由が『カインがハラキリ・ブレードの事を伏せていた』事であるとは、エールゼクスは知る由もなかった。
 大佐の招集を無視して艦長室へ探りに入ったハーノインとクリムヒルトのみが、真実を知っているのだった。

 かくして、エールゼクス達の作戦は開始された。今までのように極秘で侵入するわけではなく、正々堂々と。これは侵略行為そのものであった。

 追加兵装として巨大ドリルが実装された、ハーノインの搭乗するイデアールがピットの中へと突入し、モジュール77の隔壁を削って内部へと侵攻する。それと同時に、ドルシア兵達も次々とモジュールへと侵入した。

『B4階層以下の隔壁を、全て閉鎖します。繰り返します。B4階層以下の隔壁を、全て閉鎖します!』

 モジュール内に咲森学園の生徒のアナウンスが響くも、最早手遅れである。このドリルからは毒ガスが散布されており、ドリルが地上に出ればガスがモジュール全体に回り、パイロットスーツを身に纏わない生身の身体であれば、死に至る。毒ガスによる戦闘行為は条約違反であるが、任務遂行のためには手段は選んでいられない状況であった。

 カインがコクピットをハーノインに預け、ドルシア兵達に紛れて無重力の空間へと出る。

「ハーノイン、ドリルは任せたぞ」
「ブリッツゥン・デーゲン!」

 カインの後姿を、ハーノインはコクピットの中で睨み付けた。元々カインへ懐疑的な目を向けていたハーノインであったが、此度の作戦で少将にヴァルヴレイヴの情報を伏せていた事で、更にその確信が強まるばかりであった。

 既にドルシア兵の銃撃でジオール側に死傷者が出ており、エールゼクスは勝利を確信しつつあった。ただ、あのエルエルフがみすみす黙っているわけがない。油断してはならないと思い直し、アードライと共にモジュール内の無重力空間を進んで行った。

「エールゼクス、大丈夫か」
「え、大丈夫だけど……そんなに頼りなく見える……?」
「流石に条約違反を犯して民間人を巻き添えにしてまで任務を遂行するとなれば、君の良心が痛むのではないかと思ったが……」

 アードライは気遣うように言ったが、その言葉は己よりアードライ自身に当て嵌まるのではないか、とエールゼクスはふと思った。普段口にする事はないが、彼は元王族である。己のような戦争孤児で、生きる為に人の心を捨てた人間とは、きっと価値観も何もかもが違うのだ。そう思うと、己が密かに恋心を抱いている事自体が烏滸がましいのだと気付き、少しばかり心が痛んだ。

「気にしていないのなら問題ないが……どうした? やはり不安か?」
「あ、ええと……正直不安はある……でも、訓練兵だった頃に比べたらまだ心は痛まないかな」

 下手にアードライの方が気掛かりだ、などと言えば、例え悪い意味ではなくても絶対に気を良くしないだろうと、エールゼクスは言葉を選んで嘘ではない答えを口にした。訓練兵時代の通過儀礼である仲間殺しに比べたらまだマシだと思わなければ、非人道的な行為などやってはいられない。綺麗事を言える立場ではなく、そもそも言う資格もないとエールゼクスは思っていた。多くの人間の命を犠牲に、今の己があるのだから。

「エールゼクス。私も同じ気持ちだ」
「え?」
「私達の行為は決して人として許される事ではないが……この世界を変える為には、やむを得ない犠牲だ」

 今を生きる事で精一杯のエールゼクスにとって、アードライの『世界を変える』という言い回しに若干の違和感は覚えたが、特に気にすることはなく、頷いてみせた。

「アードライも同じって知って、少しだけほっとした。私は軍人として甘いんじゃないかって思うけど、罪悪感を何も感じなくなってしまうのも、なんていうか、怖くて……」

 弱音を吐きすぎてしまったと気付き、エールゼクスはそれ以上言葉を紡ぐのをやめた。さすがにアードライに呆れられてしまっただろうと思ったが、その不安はすぐに払われた。

「私は君という仲間を持った事を誇りに思う。だから、あまり自分を責めないで欲しい」

 アードライの言葉に恋愛感情といった類のものは当然含まれていない事ぐらい分かっている。それでも、エールゼクスはその言葉に胸が熱くなった。
 好きになる事自体が烏滸がましい――そう思いつつも、アードライの事を特別な存在として想う気持ちを止める事など出来るわけがなかった。

2019/06/05

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