潰える視界の片隅で


 モジュール77が中立地帯の月に到着するのを阻止するべく、ドルシア軍が再襲撃を行っている間。エールゼクスはアードライと共に、小型の輸送艦でモジュール77へと接近していた。以前潜入した際に、ゲートのロックを解除しておいたのだ。
 イデアールに搭乗したイクスアインとクーフィアが、ヴァルヴレイヴを相手に宇宙空間で派手に戦闘を繰り広げるのをモニターで確認しつつ、エールゼクスはアードライの様子を遠目に窺う。

 この先は再びエルエルフとの戦闘になる。カインが最後のチャンスだと言っていたのを思い出し、エールゼクスはアードライに全てを任せつつも不安を拭えなかった。これが最後だという事は、今回説得が叶わなければ、後はもう殺し合いになる事を免れないからだ。

 かくして、エールゼクス達を乗せた輸送艦は、モジュール77の地下外殻にある資材運搬用のゲートへ辿り着き、警備も何もあったものではない状態の中、あっさりと戦艦を奪ったのだった。



 順調に任務が進む中、輸送艦がモジュール77の海上へと出た時、エールゼクスは意を決してアードライに声を掛けた。

「アードライ、覚悟は出来てる?」
「無論だ。君が心配するまでもない」
「そ、そうだよね……ごめん、余計な事言って」

 自分が出しゃばる事ではなかったと反省するエールゼクスだったが、アードライは少し項垂れる彼女を見てすぐにフォローを入れた。

「謝るのは私の方だ。君に余計な心配を掛けてすまない」
「余計じゃないよ、私にとってもエルエルフは仲間だし……」
「……ありがとう。だが、私とてカルルスタインの男だ。覚悟は出来ている」

 エールゼクスを心配させまいと、アードライは僅かに口角を上げてきっぱりとそう言い切った。その表情を見て、エールゼクスは己が安易に心配する言葉を発することは、アードライの事を信用しきれていないからだとますます反省するのであった。アードライを信じよう。改めてそう心に決めて、再び目の前の任務に集中した。





 射程範囲内まで接近した輸送艦からスピーカー越しに、アードライは咲森学園に向かって降伏するよう指示を出した。

『ジオール国民の諸君。武器を捨て、降伏したまえ。これより、一分につき100メートル、着弾地点を近付けていく』

 その声は学園まで確実に届いている。当然、エルエルフも聞いている筈だ。

『我々の攻撃が、校舎に着弾する前に答えを出したまえ』

 エルエルフが降伏するとは思えないと分かってはいつつも、エールゼクスは一縷の望みに賭けていた。エルエルフ、そして咲森学園の生徒に逃げ道はない。学園の生徒を見殺しにしてエルエルフ一人が脱出することは容易いが、果たして、ドルシアに反旗を翻したエルエルフがそれを実行するだろうか。となれば、一時休戦という形で降伏し、ドルシア軍が学園の生徒たちの身柄を拘束した後でエルエルフ一人が脱出する可能性はある。もしくは、何らかの理由で己たちに接触を図ってくるか――エールゼクスはただ事態の行く末を見守っていた。

 アードライは宣言通り、一分ごとに砲撃を行い、着弾箇所を徐々に咲森学園の校舎へと近付けていく。しかし、学園からの反応はない。

「時間です」
「意外と強情だな」

 同乗する副長に告げられ、アードライは憐れむような視線を学園へと向けた。そこに迷いはなく、冷徹に命令を下す。

「構わん。校舎を狙え」
「はっ」

 副長から砲術士へと命令が下り、咲森学園の校舎に向かって砲撃が撃ち込まれようとした瞬間。

「なんだっ!?」

 戦艦が大きく揺れる。立っていられない程戦艦が傾き、皆一斉に支えにしがみ付いた。まさか――エールゼクスはアードライと顔を見合わせれば、共に外の様子を窺った。
 そこには信じられない光景があった。穏やかだった筈の海は大きな波を立て、弧を描きながら収束し、大きな渦潮が発生していたのだった。

「モジュールの海で渦潮だと……馬鹿な、有り得ない!」

 モジュール内でこんな自然現象が起こるなど有り得ない事であった。しかし渦潮は勢いを増していき、戦艦は今にも転覆しそうになっている。
 混乱に陥る中、通信士が宇宙の映像をモニタに映して叫んだ。

「海水が……流出していきます!」
「流出……!?」

 モニタには、モジュール77の外壁から海水が噴出している映像が映し出されていた。何故こんな不可思議な現象が起こっているのか、最早考える必要もなかった。

「これは……エルエルフの作戦か……っ!」





 もう任務の遂行は不可能と判断し、戦艦を脱出したエールゼクスとアードライは、待機させていたイデアールへ搭乗し宇宙へと出た。そこではイクスアイン、ハーノイン、それにクーフィアがヴァルヴレイヴと戦闘を繰り広げていた。

「イクスアイン、戦況は? こっちは残念ながら任務失敗」
『こちらも同様だ。ヴァルヴレイヴ機がモジュールの外壁に穴を開け、そこから噴き出した海水でサーバを氷結させられた』

 己達の邪魔だけでなく、イクスアイン達にも同時に対抗出来るとは、どう考えてもエルエルフの采配であった。
 だが、ヴァルヴレイヴ二機のうち、時縞ハルトが搭乗する機体は熱量切れか動きが止まっていた。残り一機であれば、ドルシア戦艦とイデアールで対抗でき、己達に勝機はある。間髪入れず攻撃態勢に入ったエールゼクス達だったが、それもエルエルフは見越していた。

『熱量をチャージする時間は稼がせてもらう』

 エルエルフは小型のスプライサーに搭乗していた。怯むことなく宇宙を舞い、ビームライフルを発射する。しかしそのビームはイデアールではなく、時縞ハルトの搭乗するヴァルヴレイヴに直撃した。

 まさか、エルエルフがジオールを裏切ったのか――エールゼクスは一瞬淡い期待を抱いたが、その考えをすぐに打ち消した。最初から裏切る気であれば、とうに降伏している。一体エルエルフの意図は何なのか。
 その答えを知るよりも先に、事態は急変した。エルエルフは決してジオールを裏切ったのではなく、破壊しない程度の威力のビームを当て、ヴァルヴレイヴの熱量を一気に上げることであった。

 エールゼクス達がエルエルフに気を取られている隙に、時縞ハルトを乗せたヴァルヴレイヴの熱量は666を超え、黄金の刃を振りかざした。
 その光はエールゼクス達のイデアールを通り過ぎ、ドルシア艦隊に向けて放たれた。

「退避だ! 急げ!」

 艦隊でクリムヒルトが叫んだが、退避は間に合わなかった。黄金の刃は隣の艦隊に直撃し、後方に控えていた他の艦隊も飲み込んでいった。一瞬にして宇宙の藻屑と消えた艦隊はざっと十を超える。
 クリムヒルトは絶句した。光の矛先が少しでも違えば、己が乗る艦隊が消滅していたのだ。それに、ここまでの被害が出る程の威力だとは、これまでの戦闘では把握出来ていなかった。
 こんな人型兵器を今まで秘匿していたなど、ジオールという小国は一体――答えの出ない疑問を抱えるクリムヒルトだったが、突然の通信に我に返った。

『クリムヒルト少佐! ご無事ですか!?』
「エールゼクスか。ああ、幸いな」
『良かった……あっ、その、ここまで甚大な被害が出て良いわけがないのですが』
「分かっている。気にするな」

 涙ぐむようなエールゼクスの声に、クリムヒルトは少しだけ安堵した。己を慕ってくれる彼女の為にも、命を落とすわけにはいかない。そう決意したのだった。





 それから数日後。ドルシア軍は掃討戦に移行することとなった。最早エルエルフを説得する術はなく、モジュール77を落とすことにしたのだった。
 だが、今回の作戦はカインではなく、別部隊の准将が取り仕切るものであった。
 エールゼクスは、己達パーフェクツォン・アミーが結果を出せていない故に、カイン大佐が今回の作戦から外されてしまったのだと自責したが、今回の配置はカインの差し金であり、准将は捨て石だった事など知る由もなかった。



 此度の作戦も失敗に終わり、准将を乗せた艦隊は撃ち落とされた。それどころか新たなヴァルヴレイヴが一気に二機も現れ、戦況は更に苦しいものとなった。
 ドルシア軍の力に、カイン大佐の力になれていない未熟な自分に落ち込むエールゼクスだったが、思いがけない人物が声を掛けて来た。

「エールゼクス、調子はどうだ?」
「お姉さ……っと、クリムヒルト少佐!」
「モジュール77を追い掛けている以上、これからお茶でも……という訳にはいかないが、少し二人きりで話さないか?」
「はい、是非!」

 突然のクリムヒルトの誘いに、エールゼクスは迷うことなく頷いた。モジュール77が月に到達するのを阻止する方針は勿論変わっておらず、当然地球に戻って喫茶店でゆっくりと話すなんて事は現状不可能だが、空いている部屋を見つけて二人きりで話すくらいなら出来る。
 エールゼクスは落ち込んでいたのも忘れ、嬉々としてクリムヒルトと共に空き部屋へと向かった。



「ところで、お話とは……プライベートな雑談ではないですよね?」
「そう硬くなるな。いや、元気がないと聞いたものでな。立て続けの戦闘で疲弊していない?」

 まさかクリムヒルトが己を心配してくれているとは夢にも思わず、エールゼクスは一気に表情を明るくさせたが、逆に不必要な心配を掛けてしまっているのだからと慌てて気を取り直した。

「ご心配をお掛けして申し訳ありません。肉体的な疲れはなく、カイン大佐の役に立てていない自分に落ち込んでいるだけです」
「大佐の?」
「はい、私たち……というより私が未熟なせいで、カイン大佐が先日の作戦から外されたのではないかと思いまして」

 そう言って視線を落とすエールゼクスに、クリムヒルトは「なんだ、そんな事か」とでも言いたげに微笑んでみせた。

「大丈夫よ、エールゼクス。前回の作戦配置はそれとは関係ない。カイン大佐は上層部から評価されているから」
「ですが、その評価が私のせいで落ちてしまっている気がしてなりません」
「きっと、誰が指示してもこうなっていたと思う。あんな人型兵器を相手にするなんて、どんな手練れでも無理があるわ。それぐらい、イレギュラーなのよ。あのヴァルヴレイヴという存在は」

 クリムヒルトは特にエールゼクスを過度に思いやるわけではなく、あくまで事実として当たり前の事を述べた。だが、それがエールゼクスの心を少しだけ穏やかにさせた。下手に気を遣われてはますます落ち込むだけであり、だからこそクリムヒルトの冷静な意見に素直に耳を傾けることが出来た。

「ありがとうございます、少佐。こういう時こそ、皆で力を合わせていきます」
「そうね。……そういえば、アードライとはどう?」
「アードライですか?」

 クリムヒルトは悪戯に笑って訊ねてみたのだが、エールゼクスは己たちの関係を聞かれたのではなく、単純にアードライの様子を聞かれたのかと勘違いしてしまった。

「アードライは……本人は大丈夫だと言っていますが、エルエルフがもうドルシアに戻る事はないと確定した以上、色々と思うところはあると思います」

 てっきり頬を赤らめて「そういう関係じゃありません!」なんて言うかと思っていたのだが、全然異なる回答が返ってきて、クリムヒルトは目を丸くした。気にせず、エールゼクスは言葉を続ける。

「私、アードライになんて声を掛けていいか分からなくて……どうしてエルエルフがこんな形でドルシアを裏切ったのかも分からないままですし、というかジオールという国は何かがおかしいです」

 困惑するような顔でそう言うエールゼクスに、クリムヒルトははっとした。この子は、きっと今の状況に違和感に気付いている。ただ、確証が持てないから言語化することが出来ないのだ。そう思い、クリムヒルトは改めて室内に誰も居らず、監視カメラもない事を確認して、エールゼクスの耳元で囁いた。

「エールゼクス。何かおかしいと思っていることがあるなら、話して。ここだけの、あなたと私だけの秘密にするから」

 その言葉に、エールゼクスもまたクリムヒルトの事情を瞬時に察した。クリムヒルトは己以上に情報を得ているだろう。だから、ジオールの不可解さも知っているかもしれない。
 エールゼクスは念には念をと、極めて小さな声でクリムヒルトに打ち明けた。

「アードライとモジュール77に潜入してエルエルフと対峙した時……アードライは間違いなく時縞ハルトを殺したんです。それなのに……」
「それなのに、時縞ハルトは生きている」
「目の前で生き返ったんです。信じられないでしょうけど、私、この目で見たんです。あの国は一体何を研究してるんでしょうか……」

 エールゼクスはずっと心の中でもやもやしていた事を打ち明けて、少しだけ気が楽になった。いくら考えても自分自身で答えを見つけることは出来ない問題であり、だからこそ信頼できる誰かと共有したかったのだ。

「私がおかしい事を言っているとお思いかもしれませんが、もしそう判断したのであれば、今の話は忘れてください」
「いえ、気に留めておくわ。アードライが殺し損ねた可能性もあるけれど……エールゼクスの言う通り、あの国は不可解よ」

 何も解決していないものの、同意者を得ることが出来、エールゼクスとクリムヒルトの間には、秘密を共有するという見えない絆が生まれた。もしかしたらエルエルフが不自然な裏切り方をしたのにも、ジオールという国が絡んでいるのかもしれない。何も解決してはいないが、エールゼクスは僅かでも望みを捨てたくはなかった。己のためではなく、アードライのために。

2019/05/11

- ナノ -