起動する異端者


 ドルシア軍によるモジュール77の攻略は順調に進み、まずは整備班の生徒たちと教師と見られる男を拘束する事に成功した。捕虜となった彼らをパイロット待機室にて監視する兵士たちの元に、アードライとエールゼクスを引き連れたカインが足を踏み入れた。
 教師の男は銃弾で傷を負ったらしく、軍の医療班が治療にあたっていた。敵国の捕虜とはいえ、ヴァルヴレイヴの事についてドルシアが知り得ない情報を持っているに違いなく、そう易々と死んでもらうわけにはいかないのだ。

「君は軍人だな」

 教師の男を一瞥して、カインがそう断言する。その言葉に、生徒たちが動揺と困惑の声を上げた。

 カインの視線は、治療の為に服を脱がされた男の肩へと向いている。そこには今受けたものではない古傷があった。

「左肩の傷は銃痕。45口径のフランジブル弾。縫合痕の粗雑さから、戦場で応急処置したものと分かる。手の綺麗さを見るに、軍医か研究者」

 カインが男の容貌と古傷を見ただけでそこまで把握出来る事に、エールゼクスは感嘆の溜息を零した。男が否定しないところを見ると、事実なのだろう。軍医か研究者――もし後者であれば、ヴァルヴレイヴの関係者である可能性もあり、そうでなくても知識は十二分にあるだろう。

「彼は別枠で尋問する。リストに入れておいてくれ」

 カインは監視にあたるドルシア軍の兵へそう言うと、踵を返して待機室を後にしようとした。

「大佐、どちらへ?」

 すかさずアードライが声を掛けると、カインは振り向いて微笑を湛えながら言ってみせた。

「卒業式だ」

 カインの後姿を見えなくなるまで目で追った後、エールゼクスはアードライを恐る恐る見上げた。『卒業式』の意味。すなわち、カルルスタイン機関を『卒業』させるという事だ。裏切者には、死をもって。

「エールゼクス。君はここで待機していてくれ」
「待ってアードライ、私も行く」
「だが、君を巻き込むわけには……」
「巻き込むも何も、仲間でしょ私たち。それに、私だってエルエルフと直接会わないと気が済まない」

 これはアードライとエルエルフの問題なのだから、己は関係ない。けれど、仲間である以上何も知らないままでいるなど、エールゼクスには耐えられなかった。ここで安全な場所で待機するなど、この後何が起ころうと絶対に後悔するからだ。それに、カインからアードライを支えるよう命じられているという大義名分もある。

「分かった。君を信じよう」
「ありがとう。でも、信じるって?」
「自分の身は自分で守れるという事。それと……君が理想論を振り翳して、エルエルフを救おうなどとしないという事だ」
「大丈夫だよ。こう見えても私だってカルルスタインの軍人なんだから」

 エールゼクスの言葉に、アードライは優しく頷いた。尤も、エールゼクスにはそもそもドルシアを裏切ってエルエルフを救う力などなく、裏切る理由もないのだが、今回の作戦は倫理的に問題がある以上、アードライも気掛かりだったのだろう。エールゼクスはそれよりも、アードライが己を立派な軍人のひとりとして扱ってくれたことが、内心嬉しくて仕方がなかった。とはいえ、ここは戦場である。すぐに気を取り直して、アードライと共にカインの後を追った。





 カインが向かった先は、未だ起動していないヴァルヴレイヴが保管されている第五倉庫。地下通路を走るエールゼクス達は、閉ざされた扉の向こうから銃弾の音を聞き、足を止めた。カインとエルエルフが戦闘しているのだと瞬時に察し、互いに顔を見合わせる。

「アードライ。エルエルフは、そう易々とは殺されないと思う」
「相手がカイン大佐であってもか」
「うん。でも、協力者がいれば逃げ切る可能性は充分考えられる」

 エルエルフの協力者――時縞ハルト。過去にアードライが銃弾を撃ち込んでも、死ななかった生徒だ。死ななかったというより、生き返ったという方が正しいのか。どちらにせよ、あれは見間違いではないとエールゼクスは今でも断言出来る。
 つまり、時縞ハルトもあの場にいれば、その能力を使ってエルエルフを逃がす事も考えられるのだ。

「ここで待伏せした方が遂行できる可能性は高いという事か」
「うん、必ずではないけど……」
「いや、私も同意見だ」

 アードライは、カインがエルエルフを直接この場で殺すことはないと確信していた。エルエルフの事は己が任されており、己が何らかの失敗を犯さない限り、殺す権利は己に委ねられているからだ。

 どれだけの時間が経っただろうか。さして長い時間ではないが、ハーノインの操るドリルビットが地上へ到達すれば、モジュール内に毒ガスが行き渡る。エルエルフが生身である以上、それまでには事を済ませておきたいと、エールゼクスが考えていたその時。
 二人の前に、浮遊しながらこちらへ向かって来る人影が現れた。咲森学園の制服。靡く銀色の髪。その姿はエルエルフに違いなかった。

 エルエルフがこちらの存在に気付くと同時に、アードライは銃口を向け、呟いた。

「大佐は私を尋問役に指名してくれた」

 エールゼクスは、アードライの背中越しにエルエルフの様子を窺う。激しく殴打された跡がある。エルエルフにここまでダメージを与える事が出来るのはカインしかいない。痛む箇所を庇いながら浮遊する姿から、拘束は容易だとエールゼクスは判断した。

「安心しろ。すべてが終わったら瞳は貰ってやる。君は私の左目となって、私の革命を一緒に見るんだ」

 アードライには最早かつての慈悲はなかった。幾多もの説得に応じなかったのはエルエルフであり、アードライを撃った事への弁解もなかったのだから、エールゼクスはもう何も口出しする気はなかった。こうなる事を選んだのはエルエルフ本人なのだから。そう自分に言い聞かせ、エルエルフを見据えて言い放った。

「エルエルフ。国家反逆罪としてあなたの身柄を拘束します」



 後に、ヴァルヴレイヴ一号機を確保し、更に時縞ハルトを捕らえたカインと合流し、小型の輸送艇で運ぶこととなった。更にはドリルビットの先端が地上へと姿を表し、貫通すればモジュール内部へ毒ガスが散布される。そうなれば咲森学園の生徒は皆、ドルシア兵のいる地下に避難するしか生き延びる術はない。彼らがどう足掻いても、ドルシアの勝利は約束されていた。

 エールゼクスは決して疑っていたわけではないが、カインが戦場に出ただけでここまで戦況がドルシアにとって有利になり、計画通りに事が進むとは思っていなかった。それと同時に、自分自身の未熟さを痛感するばかりであった。全てが終わったら、また訓練に励もう。そう決意を新たにしていた瞬間。

 地上に出たドリルが突然逆回転し、地下へと逆進し始めた。

「なんだと!?」

 その光景を目の当たりにし、アードライが叫ぶ。更には紫色の機体がゆっくりと舞い降りて来るのが視界に入り、エールゼクス達だけなく、エルエルフとハルトも驚きの声を上げた。

「六号機……!」
「誰が乗ってるんだ!?」

 二人の会話からも、紛れもなく眼前の機体は新たなヴァルヴレイヴであると思わざるを得なかった。まさか勝利が目前に迫ったこのタイミングで出て来るなんて、とエールゼクスは苛立ちを露にしたが、狼狽えている暇はない。

「ハーノイン! バッフェ隊を出せ!」

 アードライが通信端末でハーノインに向かって叫び、すぐに二体のバッフェがヴァルヴレイヴ六号機に向かって飛んで行く。六号機は身を翻し、杖のような武器を振り被るも、バッフェにあっさりと防御された――筈だったのだが、二機のバッフェは突然防御を解除し、同士討ちを始めた。
 その結果、どちらも破壊され、爆発による風がエールゼクス達の元へも吹き荒れ、視界が保てなくなった。

「ハーノイン! どういうつもりだ!」
『違う! 機械が勝手に!』

 通信端末越しに聞こえるハーノインの言葉に、エールゼクスは耳を疑ったが、いくらなんでもこの状況下で嘘を吐くとは思えない。ドリルビットが逆進し、無人機が同士討ちを行うなど、敵に操られていると考えた方がまだ無難である。
 ――敵に操られる。

「まさか、ハッキング!?」

 新たなヴァルヴレイヴの能力が分かったところで、最早エールゼクスに為す術は無かった。
 紫色の機体が、エールゼクス達の立つ輸送艇の足場と一号機を固定するベルトを引き裂く。足場が崩れた隙に、エルエルフは手錠を引き千切り、ハルトを連れて一号機の方へと向かおうとしていた。

「逃がさない!!」

 完全に油断していた。エルエルフならば手錠など容易く外してしまう事など、考えなくても分かる筈なのに。己たちパーフェクツォン・アミーは、戦場で派手に戦うだけでなく暗殺等の隠密活動も任務として行ってきていた。敵に拘束された時に手錠を破壊出来るよう、硬貨炭素の付け爪を付けるのもごく当たり前のことである。

 一号機は無理でも、せめてエルエルフだけでも。エールゼクスが何としてもエルエルフを確保するために飛び付こうとしたが、エルエルフはハルトのパイロットスーツのスラスターを噴射させ、一気に一号機へと飛んで行く。その煙に煽られてバランスを崩し、もうこれは自力では追い掛けられない――なんとも情けないがそう判断した。ここは下手に動くよりカインとアードライの元へ戻ったほうがいい。そう思って輸送艇へ戻ろうとするも、何やら下のほうでハーノインのイデアールがドリルビットに巻き込まれているのが目に入り、エールゼクスは顔面蒼白と化した。

「ハーノ!! 何やってんの、早く脱出して!!」

 最早自分の通信端末を取り出す余裕もなくエールゼクスはそう叫んだが、当然ハーノインの耳には届いていない。とはいえ、ハーノインとて命の危機に瀕していることは重々理解しており、命からがらイデアールを捨てて脱出した。
 その直後、イデアールの燃料が引火して爆発し、ドリルビットと共に砕け散った。
 爆風でまたしても煽られて、平衡感覚を失ってしまったエールゼクスの元に、なんとか難を逃れたハーノインがやって来た。

「ハーノ! 大丈夫!? 怪我はない!?」
「何とかな。いや、さすがに今回は死の危険を感じたぜ……」

 とりあえず互いに手を取り合って、無重力空間を漂いつつほっと溜息を吐く二人。安堵したのも束の間、爆炎の中で一号機が起動しているのと、近くで宙に漂っているカインの姿が視界に入り、エールゼクスはハーノインをちらりと見遣って、どちらともなく頷いた。
 エールゼクスは、きっと大佐ならこの逆境も何とかしてくれる筈だ。否、万が一どうにもならなくても、この状況で大佐以外の人間が上官だったとしたら、もっと悲惨な結果になっていただろう。そう思って事の顛末を見守ろうとしていた。
 尤も、ハーノインはエールゼクスとは別のことを考えていたのだが、この時のエールゼクスはまだ知る由もなかった。この後の出来事を目撃するまでは。

 時縞ハルトとエルエルフは既に一号機に搭乗していた。そして、機体の頭部からカインに向かって銃撃が放たれる。

「大佐!!」
「待て、エルゼ! お前まで死ぬぞ!」
「でも!!」

 いくらなんでも生身の人間に向かって、ロボットを使って攻撃するなんて予想すらしていなかった。エールゼクスはすぐ近くで上官が殺される場面を目の当たりにし、すぐにでもカインの傍に向かおうとしたが、ハーノインに羽交い絞めにされ、力尽くで止めに掛かられてしまい、身動きが取れないままでいた。
 銃弾は壁を穿ち、煙が巻き起こる。カインがどうなっているのか目視出来ない状態であったが、漸く射撃が終わり、立ち込めていた煙が飛散していく。
 だが、銃弾が放たれた場所にカインの姿はなかった。

「エルゼ」

 ハーノインがぽつりと呟き、エールゼクスは我に返った。ハーノインの顔は上方へ向いており、エールゼクスも倣って顔を上げる。己達の頭上にいたのは。
 そこには、緑色の光を放ちながら宙に浮くカインの姿があった。

「だから教えただろう。君は私には勝てない」

 更に光が強くなり、カインを包み込んだかと思えば、今度は更に飛び上がってどこかへと消えてしまった。

 呆然とするエールゼクスとは対照的に、ハーノインはまるで初めから大佐が『人ならざる者』であることを知っていたかのように、忌々しい視線を宙へ向けていた。

「ハーノ……」
「エルゼ、今見たことは誰にも言うな」
「……うん」

 そう頷くしかなかった。誰かに言ったところで、誰にも信用して貰えないだろう。時縞ハルトが不死身だという事と同様に非現実的であり、己の上官が不死身で、不気味な力で人間離れした動きで移動したなどと口にしようものなら、間違いなく気がふれたと思われ、除隊どころか最悪病棟行きである。
 ただ、少しだけエールゼクスの混乱する心を落ち着かせる要素があった。それは、今この場でハーノインも同じ光景を見ていて、その落ち着いた様子から、己の知らないこと――例えばこのヴァルヴレイヴをはじめとする不可解な現象について、何か知識を、あるいは見解を得ているのだろう、という事であった。





 新たなヴァルヴレイヴ、六号機の出現で戦況は狂い、エールゼクス達は撤退を余儀なくされた。だが、作戦は失敗ではなかった。
 カインが二号機の奪取、および持ち帰ることに成功したのだ。
 普通の人間では搭乗できない代物であるはずだが、一体どうやってそれに搭乗したのか。理由は分からない、というよりも考えたくなかった。あの不可思議な現象を目にしてしまった以上、もうエールゼクスはカインを己たちと同じ人間だとは思えず、己の理解の範囲を超えているのだから、ドルシア軍が搭乗すると死に至るような呪いの機体への搭乗くらい、出来ても不思議ではなく、寧ろ『適合する』存在である――思考を巡らせれば、いずれ答えを導き出せるような気がしたが、今は何も考えたくなかった。相手は上官であり、己の恩師でもあるのだから。

 モジュール77の月への到達を許してしまった今、己に出来ることは、来るべき戦いに向けて鍛錬を積むこと。そして、アードライを支えることであり、余計なことは考えてはいけない。エールゼクスはそう自分に言い聞かせた。
 ドルシアとて、このモジュール77の独立を易々と許しはしない。目の前の任務以外のことで悩むのは、この戦争が終わってからでいい。ランメルスベルグに帰還した後、宇宙に煌々と輝く星たちをガラス越しにぼんやりと眺めつつ、エールゼクスは思考を放棄したのだった。

2019/06/24

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