暗幕に疼く囁き


 モジュール77への潜入任務を終えたエールゼクスは、アードライと共にランメルスベルグへと帰還し、カインへの報告を行った。エルエルフの説得および奪還は叶わず、そしてヴァルヴレイヴを奪取することも出来なかったが、ひとまず機体の調査という極秘任務は達成することが出来た。尤も、胸を張れる状況ではない為、エールゼクスはただただ反省するばかりであった。
 しかしながら、アードライが提出したレポートに目を通しているカインは、エールゼクスとは対照的に随分と機嫌が良いように見えた。

「大佐の指摘通りでした。モジュール内最下層にて、完成品のヴァルヴレイヴ五体を確認しました。他にも、未完成なのか破棄されたのか、不完全な機体も多数確認しています」
「アードライ……これは良い写真だよ。とても良い……」

 エールゼクスの位置からは、カインの視線の先が何のレポートなのかは確認出来なかったが、アードライの報告内容から、恐らく標本室の最奥にあった機体のことを指しているのだと推察した。不完全な機体のうち、一機だけ異様な雰囲気を放っている機体があったのだ。あくまで撮影だけで、結果的に奪取までは出来なかったのだが、カインはいたく上機嫌に見え、エールゼクスはひとまず心の中で安堵した。

 ふと、カインの机の端に置かれている鳥籠が、かた、と音を立てて揺れた。鳥籠といっても中に鳥は居らず、骨董品のような空の籠である。
 エールゼクスはアードライと共に鳥籠へ視線を向けたが、カインの一声ですぐに目線を元に戻した。

「ところで、エルエルフだが――特別扱いはそろそろ限界だ。改新前の古参兵を抑えるにも限界がある」

 潜入任務における、機体の調査については満足な結果を出すことが出来た。けれど、他の目的――エルエルフの説得、および奪還は叶わなかった。元々このドルシアでは、今から20年ほど前にクーデターで現体制となったが、旧王党派の残党はごく僅かながら存在しており、何かあれば反政府運動が勃発しかねない状況である。そんな情勢で、エルエルフがドルシアを裏切りジオールへ寝返った事は、新体制派である己たちカルルスタイン機関にとって、非常に好ましくない事態であった。

 エールゼクスは、エルエルフとアードライが直接会い、話し合いが成立すれば、共にドルシアへ帰還し弁明させたのち、原隊復帰することが可能だと僅かな期待を抱いていた。だが、エルエルフ本人によってその一縷の望みが呆気なく砕かれてしまった今、カルルスタイン機関としては裏切り者は粛清しなくてはならなくなる。

「だから――今回が、最後の機会だ」

 しかし、カインから放たれた言葉は、最後のチャンスを与えるという、エールゼクスだけでなくアードライにとっても予想しなかった事であった。

「はい! 彼を拘束する学生を叩けば、エルエルフは戻ります」
「次の作戦は君に任せる。潜入の成果はこの写真だけではあるまい?」
「はっ! ありがとうございます!」

 今回の潜入任務で、またモジュール77に安易に潜入し、戦艦のひとつでも強奪できるよう、地下外殻にある資材運搬用のゲートのロックを解除しておいたのだが、まさかこんなにも早くそれが役に立つ時が来ようとは、エールゼクスは思ってもいなかった。尤も、あまりにも警備が甘すぎて盗んでくれと言っているようなものだったのだが。

「ブリッツゥン・デーゲン」
「ブリッツゥン・デーゲン!」

 カインに敬礼し、アードライはブリッジを後にした。エールゼクスも後を追おうとしたところ、カインに敬礼する直前に声を掛けられた。

「エールゼクス。君はどう考えている?」
「……どう、とは……エルエルフの事ですか?」
「他に何か気になることでも?」

 エールゼクスは此度の任務で一番疑問に思ったことと言えば、アードライが一度殺したはずの時縞ハルトが生き返ったことであった。とはいえ、それをカインに報告したところで信じて貰えるとは思えず、気が狂ったとでも思われかねない。脳に異常があると見做されて、降格どころか軍を追放されたりでもしたら堪ったものではない。

「いえ。他には特に。私の見解ですが……」

 時縞ハルトの件は黙っておいて、エールゼクスはシンプルにカインの問に答えることにした。

「アードライは説得を試みましたが、エルエルフがドルシアに戻って来る可能性は、限りなくゼロに近いと私は判断します」
「不可能に近いという事か。だが、ゼロではないと思う根拠は?」
「エルエルフの行動原理が未だに不明だからです」

 エルエルフがドルシアを裏切った理由。アードライを撃った理由。そして、此度の任務で顔を合わせた際、己たちを殺さなかった理由。エルエルフ程の能力があれば、己たちを一思いに殺すことなど容易いだろうに、まるで手心を加えたかのように見えた。これまでの行動が一貫していない。いっそ、アードライを撃った時のエルエルフは別人だと仮説でも立てたほうが納得がいく。とはいえ、こんな仮説を口にしようものなら、それこそ脳に異常があると思われてしまいかねないので、エールゼクスは心の内に留めておくしかないのだが。

「行動原理が分かれば説得出来るという事か」
「その可能性はゼロではありません。と言っても、私とエルエルフの関係は希薄ですから、全てはアードライに懸かっています」
「そう言うな、エールゼクス。エルエルフはあれでも君を気に掛けていたと私は思っているよ」
「そうですか……」

 さすがにこれにはエールゼクスも閉口せざるを得なかった。必要以上に罵られることを気に掛けていると称したくはないが、まあ、言い難いことを率先して言ってくれていたと解釈すれば、少なからず仲間のひとりだと思ってくれてはいたのだろう。そう思えば思うほど、どうして何も言わずにドルシアを裏切ったのかと、尚更疑問を抱かずにはいられなかった。関係性の薄い己に言わないのは分かるが、アードライだけは打ち明けることが出来る関係だと、端から見ても思っていたのだけれど――いくら考えても答えの出ない疑問に苛まれながら、エールゼクスはカインに敬礼してその場を後にしようとした。

「エールゼクス」
「は、はい!」
「アードライを頼んだぞ。エルエルフを失った今、彼を支えられるのは君だけなのだから」
「……はい!」

 別に自分なんて支えにはなっていないし、それどころかアードライに迷惑ばかり掛けているとエールゼクスは思っているのだが、ひとまず表面上はカインの言葉を素直に受け止めることにして、その場を後にした。
 ブリッジから出る直前、空の鳥籠が風もないのに再びかたかたと揺れていたことに、エールゼクスは気付いていなかった。





 イデアールの整備が行われている格納庫にて。エールゼクスはたまたま近くを通りかかっただけなのだが、クリムヒルトの後ろ姿を見つけて、少しの間でも軽く話でもしようと近くへと寄った。
 すると、仲間たちもそこにいて、事もあろうにハーノインはクリムヒルトを口説いているのを目の当たりにした。

「んん〜、相変わらず美しいねぇ、クリムねーさん」
「上官だぞ」
「男と女だ」
「いや、大人と色ガキだ」

 ハーノインのナンパを窘めるイクスアインに反論するも、それをクリムヒルトはあっさりと跳ねのけて、後でクーフィアがけらけらと笑っている。

「だったら、僕を大人にして下さい! ぜひ! お願いします!」

 年下に笑われても、幼馴染に釘を刺されても、未だクリムヒルトを諦めないハーノインの姿を見て、エールゼクスは呆れがちに声を掛けた。

「ハーノ、クーフィアの前で恥ずかしいと思わないわけ?」
「うおっ!? エルゼ、いるならいるって言え!」
「今来たとこ」

 皆の顔が己へと向き、エールゼクスは心底呆れた表情を浮かべてみせて、クリムヒルトのすぐ傍に近寄ればその腕に自分の腕を絡めた。

「お姉様は私のものだから、ハーノは大人しく諦めて?」
「は!? おいエルゼ、アードライにもクリムねーさんにも手を出そうなんざ、欲が深すぎるぞ!」
「ちょっと! アードライは関係ないよね!?」
「『二兎を追う者は一兎も得ず』って言うしな。エルゼ、クリムねーさんを諦めないとアードライとの恋は成就しないぞ」
「はああ〜!? それを言うならハーノこそ色んな女の子ナンパしてるじゃん! 二兎なんてレベルじゃないよね!?」

 あまりにもくだらない言い争いに、イクスアインとクーフィアは大きな溜息を吐いた。その姿が視界に入り、エールゼクスは慌ててクリムヒルトに絡めた腕を解き、しおらしく俯いてみせた。

「申し訳ありません、お姉様――クリムヒルト少佐」
「まあ、構わんが……ハーノインが兎を何羽も追っていることも分かったしな」
「クリムねーさん、誤解です!! エルゼ……覚えてろよ……」

 恨みがましい目付きをエールゼクスに向けるハーノインだったが、覚えてろと言われたところで、ハーノインが己を傷付けたことなど今まで生きてきて一度もなかったため、まるで気にしていないエールゼクスであった。ハーノインはなんだかんだでエールゼクスのことを妹のように思っており、要するに甘いのだ。

「ところで……カイン大佐は、なぜエルエルフの事を上に報告しないの?」
「え?」

 突然、クリムヒルトから真面目な問が出て、ハーノインは目を見開いた。代わりにクーフィアとイクスアインが次々と答える。

「めんどくさいから?」
「報告するには、情報が不確定すぎるからでしょう」
「そう……そうね」

 納得していない様子のクリムヒルトを、ハーノインはいつにもなく真面目な顔で見つめていた。そして、クリムヒルトの問はエールゼクスにも掛けられた。

「エールゼクスはどう思う?」
「……私も、イクスアインとクーフィアと同じ意見です」
「クーフィアも?」

 まさか『めんどくさい』に同意するとは思えず、呆気に取られるクリムヒルトに、エールゼクスはおずおずと答えた。

「面倒と言ったら語弊がありますが、エルエルフの裏切りはカルルスタイン機関の問題です。他の誰かに粛清されるよりは、カイン大佐自らの手で責任をもって対処したいのかもしれません」
「クーフィアの意見と全然違うだろう」
「上に報告すると色々と面倒なのも事実ですし、そもそもエルエルフが裏切った理由すら分からない状態なので、報告に難儀するという意味でも、クーフィア、イクスアイン二人と同意見です」
「ものは言いようだな……」

 苦笑いを浮かべるクリムヒルトに代わって、今度は珍しく真剣な面持ちのハーノインが、エールゼクスへ顔を向けた。

「エルゼはエルエルフの裏切りをどう見ている?」
「どうも何も、何も分からない状態だし……ただ、アードライはエルエルフの原隊復帰を諦めてない」
「なっ!? マジかよ……」
「私は正直不可能だと思ってるけど……でも、アードライの気持ちの整理が付くまでは、出来る限り協力するつもり」

 エールゼクスの本音は今の言葉がまさにそれであった。アードライの前ではいい子ぶってはいても、アードライを撃ったのが実はエルエルフではない、なんていう仮説の立証が出来ない以上はエルエルフは裏切り者でしかなく、説得にも応じなかった以上どうしようもないと見るしかないのであった。

「愛だなぁ……」
「何が?」
「いや、なんでもねえ」

 不可能だと分かっているにも関わらず、惚れた相手に尽くすために自分の意思を押し殺すとは健気なことだ、とハーノインは少々呆れがちに思ったが、下手なことは言わず、この話は終わりとなった。

「……イデアールの整備が終わり次第、状況を開始する。お前達も準備しろ」

 クリムヒルトはそう言って、踵を返した。モジュール77が月へ到着するのを断固阻止しなければならず、まだ戦闘は続けなければならない。エールゼクスは今回もアードライと共に別行動を取るため、格納庫を後にして、途中までクリムヒルトについて行く形となった。

「エールゼクス。今度、二人きりでお茶でもしようか」
「本当ですか!? 嬉しいです、お姉様っ!」
「公務の場で『お姉様』はやめろと――まあ、今は周りに誰もいないから構わんが……」

 己を姉のように慕うエールゼクスの事を、クリムヒルトは好意的に思っており、助けになってやりたいと思っているが、それとはまた別に思惑があった。
 凝り固まった考えに染まっていないエールゼクスならば、きっと秘密を共有することが出来、かつカインから別行動を命じられている彼女ならば、己が持っていない情報を保持しているに違いない――そんなクリムヒルトの思惑に、エールゼクスは全く気付いていなかった。

2019/03/24

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