不利なる疎隔


 指南ショーコのモジュール77独立宣言後、ドルシアは沈黙を続けていたが、当然、独立を受け容れたわけでは決してない。『ドルシアが動けばヴァルヴレイヴはARUSに渡す』――指南ショーコはそう宣言したが、現実問題として孤立しているモジュール77がARUSへヴァルヴレイヴを送ることなど出来ない。本当に実行するのであれば、モジュール77に駐在しているARUS艦隊へ機体を渡すことになるだろう。
 その際に、ARUS艦隊ごと叩くのがドルシアの狙いである。
 ジオールとARUS、どちらにも気付かれないよう計画を進め、そして今、カインの命令でドルシアの全艦隊が戦闘体制に入った。
 ハーノイン、イクスアイン、クーフィアも専用機体に搭乗する中、アードライとエールゼクスの姿だけがない。
 二人は、今まさにカインの極秘命令で別行動を取っているからだ。





「新たなヴァルヴレイヴが出て来て、イクスがあっさりやられて全軍撤退か……」

 通信で戦場の状況を把握した後、エールゼクスはぽつりと呟いた。表面上では冷静に振る舞っていたが、実際は心の中では混乱しきりであった。あんなとてつもない兵器がもう一機出て来ただけで、入念に練ったであろう侵攻計画も台無しになったのだから、無理もない。
 ヴァルヴレイヴが一機だけではない事は、エールゼクスも勘づいてはいたが、あれを操縦出来るパイロットがいなければ宝の持ち腐れである。しかしながら、こうして戦場に出て来たという事は、時縞ハルトのようなイレギュラーが複数いるという事だ。それが果たして何人なのかまるで分からないが、選ばれた生徒だけなのか、それとも――と、答えの出ない問いを自分自身に投げ掛けていたところで、アードライから通信が入って我に返った。

『そう落ち込むな、エールゼクス。カイン大佐はこうなる事を想定した上で、我々に特命を与えたのだろう』
「想定範囲内、か……確かに、カイン大佐がそうそう判断を誤るとは思えないしね」

 行動原理など至ってシンプルでいい。余計な事など考えず、ただカイン大佐の命令に従い、任務を遂行すれば良いだけの話だ。エールゼクスはアードライの言葉がきっかけで、そう結論付けた。いくら考えても答えが出ない事は分かり切っているのだから、目の前の事に集中するだけだと。
 かくして、二人が搭乗するバッフェ二機は、戦闘に紛れてモジュール77への侵入に成功したのであった。





「前もそうだったけど、こんなにあっさり侵入に成功するなんて……この国のセキュリティは一体どうなってるのかな」
「油断するな、エールゼクス。エルエルフはこの敷地内にいるはずだ。本当にジオールに協力しているのなら、何かしらの対策はしているだろう」
「これだけ甘いと何とも言えないね……」

 カインの極秘命令の内容は、モジュール内の最下層にある格納庫に潜入し、保管されている機体――ヴァルヴレイヴの把握、および奪取であった。端末で内部の全体図や機体を撮影しつつ、エールゼクスは呆れるばかりであった。こんな人型兵器を隠しておきながら、警備のひとつも出来ないとは、ドルシアに盗んでくれと言っているようなものではないか。そう思ったが、そもそもドルシアの軍人が搭乗した際に何らかのプログラムが発生したのか、気付いた時には血まみれで死んでいたというのだから、盗んだところで乗りこなせなければ意味がない。エルエルフはそう判断したのだろうか、とエールゼクスは考え直した。尤も、奪取さえしてしまえばジオールの戦力を大幅に削れる上に、恐らくドルシアでもこの機体の謎を解明するための研究に入るだろう。つまり、この任務を成功させれば戦況は一気に変わり、ドルシアが圧倒的有利になるのだ。

「エルエルフが何を考えているのか、直接会って確かめないとね」
「エールゼクス、目的が逆転しているぞ。私達の任務は……」
「任務はほぼ完了に近いものだし。ヴァルヴレイヴは五体、他は未完成か廃棄ってところだね。後はこれを運び出すにあたって……」
「……君は戦場に立つよりも、こうした任務のほうが性に合っているようだな」

 その言葉の意味が瞬時に理解できず、まさか自分が減らず口を叩いているせいで嫌味でも言われているのかとエールゼクスは内心気が気ではなく、恐る恐るアードライの顔を窺ったが、その表情に負の感情は見受けられなかった。寧ろ、目が合うや否や申し訳なさそうな顔をされ、エールゼクスは身構えた。

「すまない、何か気に障ることを言ってしまったか」
「え!? いや、全然!」
「その割には泣きそうな顔をしていたが……」
「あ、えっと、気のせいだって! エルエルフの嫌味に比べたら全然――」

 エールゼクスがそう言い掛けた瞬間、

『――申請ジオールの国民諸君。この国は、エルエルフ=カルルスタインが占領した』

 突然の校内放送がこの最下層にも響き、エールゼクスとアードライは共に無言で顔を見合わせた。

『時縞ハルト。ただちに2年B組に出頭しろ。お前には国防軍の中核戦力として、ヴァルヴレイヴを運用してもらう』



「今の、どういう意味……?」
「分からない……だが、占領という事はドルシアを裏切ったわけではないのか……?」
「うん。寧ろジオールを利用しようとしてる」

 思案したところで答えは出ないことを頭では分かっていつつも、エールゼクスは少ない情報でいくつかの可能性を考えた。アードライを撃ったことはこの目で見ており、紛れもない事実であるが、そうせざるを得ない事情があったのか。己たちの知らないところで、ジオールを支配する計画を立てていた? カイン大佐も、誰も知らない秘密裏で進めていた? 何のために? 考えれば考える程エルエルフの行動に辻褄が合わず、結局自ら解を導き出すことは諦めた。そもそもエールゼクスは、エルエルフの過去すら知らないのだから無理もない。アードライに分からない事ならば、己には知る術もないだろう、そう結論付けた。

「エールゼクス」
「は、はい!」
「隠れるぞ。誰か来る」

 まさかエルエルフではないかと思いつつ、エールゼクスはアードライと共に物陰に身を隠した。
 現れたのはエルエルフではなく、時縞ハルトであった。出頭などという言葉に従うわけがない、という事なのだろう。指定された場所へは行かず、ここに来てヴァルヴレイヴに乗り込もうとしていた。その瞬間、聞き慣れた声がエールゼクスの耳をついた。

「動くな」

 その声、その姿は紛れもなく、仲間だったエルエルフそのものであった。
 エルエルフはハルトに向かって拳銃を向けており、エールゼクスとアードライの存在には気付いていないようだった。

「そんな甘いことでは、お前の大事な人は守れない」
「大事な人……?」
「幻想だと言ったはずだ。争いのない世界など」

 仲間割れ、というよりも元から協力関係など結んでいないのか、それとも――二人の関係がまるで分からないまま様子を窺っていたエールゼクスだったが、アードライに耳打ちされ、目を見開いた。

「私が出る。君はここで待機していてくれ」

 エルエルフと対峙するという意味なのだと瞬時に悟り、エールゼクスはこくりと頷いた。待機とはいえ、アードライの身に何か起こるようであれば己の命に代えてでも助ける心構えであった。
 アードライの背中を見送り、様子を窺う。あの二人はまだ気付いている素振りは見せていない。そして、アードライはエルエルフの背中に向かってアサルトライフルを撃ち放った。

「なに!?」

 エルエルフは咄嗟にハルトの体を盾にして銃弾を躱した。幾多もの弾丸のうち一発が、ハルトの肩に命中し、制服が血で染まっていく。銃を放った者が誰なのか漸く把握したエルエルフは、驚愕の表情を浮かべた。

「アードライ……!」
「片目でも、お前は見間違えはしない」
「そういう事か……」

 カインの意図を瞬時に理解したエルエルフはそう呟いた後、躊躇いなくハルトの体をアードライに向かって突き飛ばした。無重力空間に浮かぶハルトの体に向かって、アードライは容赦なくアサルトライフルを連射した。
 一瞬にして時縞ハルトの体は血で染まり、間違いなく息の根を止めたであろうとエールゼクスは判断した。これで漸くアードライもエルエルフと話し合える――エールゼクスはそう思ったが、この間、エルエルフは機体の陰に隠れて端末を操作していた。

「ここでの戦闘も想定済みだ」

 そして、室内に仕掛けられた閃光弾が爆発し、アードライだけでなくエールゼクスも、一気に視界が塞がれた。

「しまった……!」

 光が収まり、漸く視界が開けつつあるなか、エールゼクスは目を凝らして様子を窺うと、そこにはアードライに銃を向けるエルエルフの姿があった。その状況を認識したと同時に、血の気が引いた。また容赦なく撃つのではないかと思うと気が気ではいられず、助けに行こうと迷わず体を動かした瞬間、アードライが口を開いた。

「……お前が裏切ったなど、私にはどうしても信じられない」
「信じなければどうする。許すのか? お前の目を抉った俺を」
「……許す。お前はいずれ、私の片腕になるべき男だ。お前という最高の腕を得られるなら、片目など惜しくはない」

 アードライはそう言って、左眼を覆っていた包帯を外せば、振り返ってエルエルフと対峙した。引き金を引く様子はないエルエルフを見て、エールゼクスはひとまず安堵してまだ様子を窺うことにした。

「俺は誰の腕にもなるつもりはない」
「なに……?」
「俺は俺の腕を見つけた」
「……誰だ」

 アードライがエルエルフに問い掛けた瞬間、銃声が響いた。
 放ったのはエルエルフではなかった。他に誰かいたのかとエールゼクスが周囲を見回すと、信じられない光景があった。

「馬鹿な……なぜ生きている……!?」

 アードライが殺したはずの時縞ハルトが、血まみれの状態で立ち上がっていた。銃を放ったのはハルトであった。そして、エルエルフはハルトをちらりと見遣って、アードライに言い放った。

「これが俺の腕だ」
「な……っ!」
「学校を……開放しろ……!」

 当のハルトは、アードライではなくエルエルフへ銃口を向けている。協力体制にあるのか、仲間割れをしているのか、まるで状況が見えてこないが、エールゼクスが唯一分かったことは、エルエルフが時縞ハルトの事を『俺の腕』と称したこと――即ち、ドルシアを裏切りジオールと手を組む気であるという事だ。
 もう、迷う必要はなかった。二対一、それも殺したはずの相手が生き返るような状況ではアードライに勝ち目はない。エールゼクスは緊急事態と判断して、三人の元へと飛び出し、エルエルフへと銃を向けた。

「エールゼクス!? 待っていろと言った筈だ!」
「ごめん、さすがに二対一は分が悪いと思って」

 エルエルフは少し驚いた顔をして、エールゼクスへ顔を向けた。かつて仲間だった相手と対峙し、エールゼクスはほんの少しだけ迷いが生じたが、そもそもアードライを傷付けたのは紛れもなくエルエルフなのだ。寧ろどうして今まで様子を窺うなどと悠長なことを考えていたのかと、心の中で自戒した。

「エルエルフ、さっきの言葉はドルシアに戻る気はないって解釈で良い?」
「だとしたら? 俺を殺すか、エールゼクス。尤も、練度評価Cのお前が俺を殺せるとは思えんが」
「もう仲間じゃない奴の小言なんて聞く気ない」

 エルエルフの言う通り、どう考えてもエールゼクスに勝ち目はない。そもそも今回の任務にエルエルフを殺害するという事項などなく、任務遂行の邪魔をするというのであれば、せいぜい両腕両足を撃って動けなくするのが関の山だ。軍人としての才能は圧倒的にエルエルフが上である以上、それすら出来ない可能性が非常に高いのだが。

「エールゼクス、君は手を出すな!」
「私はどうなってもいいけど、アードライに何かあってからじゃ遅いの!」
「『どうなってもいい』とは、随分と愛されたものだな、アードライ」

 何も考えずに放った言葉に対して、エルエルフにそんな揚げ足の取られ方をして、エールゼクスは恥ずかしさのあまり声を荒げたくなったが、この状況下でそんな平和惚けした態度を取れるほどの余裕はなかった。戦力外と思われている以上、エルエルフが己を殺すことはないだろうとエールゼクスはそれなりに冷静な判断は出来ていたが、問題は時縞ハルトである。間違いなくアードライはハルトを殺したはずであったが、今この瞬間も問題なく行動出来ている。後々、現状を説明したところで誰も信じないであろうことが起こっているのだ。アードライへの恋愛感情を茶化されて腹を立てている場合ではない。

 最早話し合いすらまともに出来ない手詰まりの状態の中、突然射出口のハッチが開いた。そして、間髪入れずにバッフェが現れる。
 ――計画通りだ。あくまで己たち二人だけの極秘任務は『潜入調査』であり、『エルエルフの確保』は極秘でも何でもない正式な任務なのであった。

「どこから!」
「クーフィア! ゲートは開けておいた、確保しろ!」

 狼狽するエルエルフと対照的に、アードライがバッフェに向かって叫ぶ。
 だが、バッフェに搭乗していたのは戦闘狂のクーフィアだ。大人しくアードライの命令を聞くような性質ではないのだった。

『そんなのめんどくさいよぉ!』

 アードライの命令を無視して、クーフィアはエルエルフに向かってビームガトリングを乱射した。
 しかし、エルエルフとハルトは逆方向に逃げてそれを躱す。

「確保と言ったはずだぞクーフィア!」
『ふっふっふ〜。甘いなぁ皇子様は』
「馬鹿! 何やってるのあの子……」
「エールゼクス、クーフィアを止めるぞ!」
「分かった!」

 アードライの言葉に頷くも、クーフィアがまともに従うわけがない……素直に言う事を聞くなら間違いなくエルエルフを確保出来ていたというのに。エールゼクスは内心溜息を吐きたい気持ちを堪え、アードライと共に無重力空間を進んでクーフィアのバッフェへと辿り着き、コクピットを叩く。
 それに気付いたクーフィアが、漸く攻撃を止める。

「やめろクーフィア!」
「どうしてぇ? 裏切り者には死を!じゃないと、僕らもお仕置きじゃん!」
「違うんだ、あいつは……」

 ハッチが開いたと同時にエールゼクスとアードライはコクピットに乗り込み、無理だとは思いつつも説得を続けた。

「クーフィア、多分何をやってもあいつらは死なない。ここは出直してまた作戦を練った方がいい」
「はあ!? 『何をやっても死なない』って、単にエールゼクスがエルエルフを殺せなかっただけじゃん」

 などと言い争いをしている間、エルエルフは手元のレバーを操作し、刹那、いくつもの大きな針が出現し、バッフェを捕らえた。

「串刺し〜!?」

 クーフィアが叫び、その言葉通り串刺しにされた状態で、三人が乗るバッフェは宇宙へと放り出されてしまった。
 それと同時に、外で待機していたドルシア軍の攻撃が始まった。

『叩き出されてきたのかよぉ、なっさけねぇなぁ』
「うぅ〜、でもパイロットはやっつけたよ!」
『プランBに変更。全機、包囲陣形を取りつつ攻撃開始だ』

 イクスアインとハーノインの通信を聞きつつ、漸くエールゼクスは平常心を取り戻すと同時に、己の役立たずさに落ち込んだ。結局ヴァルヴレイヴの奪取すら出来ず、任務は失敗に終わったのだ。いくらイレギュラーがいくつも発生したとはいえ、情けないと己を責めた。

 そして、悪い流れは続くものである。ドルシア軍を迎撃するために出撃したヴァルヴレイヴによって、別のプランですらも太刀打ち出来なかったのだ。当然、カイン大佐はこうなる事を見越して次の作戦を考えているとは思うものの、エールゼクスは落ち込むばかりであった。



「そう気にするな、エールゼクス。誰に非があるわけではない」
「でも……」
「それよりも、『私はどうなってもいい』とはどういう意味だ」

 帰還する途中で、アードライにそんな事を訊ねられて、その時のやり取りを思い出したエールゼクスは一気に頬を紅潮させた。己の何も考えていない発言は最早どうでもよく、それよりもエルエルフに言われた「随分と愛されたものだな」という言葉が脳裏をよぎり、その事について訊ねているのかと勘違いしてしまったのだ。

「あの、別に、変な意味じゃないです……」
「『変な意味』?」
「ううっ」

 何やら気まずそうに視線を逸らすエールゼクスを見て、アードライはこれ以上追及出来なくなってしまった。エルエルフと比べて己は甘いと自覚しつつも、己が厳しく当たってしまっては、誰が彼女をフォローしてやれるというのか。どうにもエルエルフと一緒にいた頃の癖が抜けないが、かといって今更彼女への接し方を変えるなど出来なかった。

「とにかく、自分の命を犠牲にしてまで何かを成そうなどと考えるな。ましてや私のせいで君が命を落とすなど、あってはならない事だ」
「……そうだよね、仲間を庇って死ぬなんて、死んだ方はともかく残された側は堪ったものじゃないよね」
「真っ先に残された側のことを思うとは、君らしいな」

 その言葉が良い意味なのか分からず、何も言えずにいたエールゼクスだったが、その心配は杞憂に終わった。

「私は君を失いたくない。それだけだ」

 エールゼクスとて脈がない事ぐらい理解しており、アードライの言葉に決して深い意味がない事だって分かっている。エルエルフが裏切った今、これ以上仲間を失いたくないという意味だ。それなのに胸が熱くなって、鼓動が早くなる。さして深い意味はないと分かってはいるのだが、アードライの為にも絶対に死んではならず、その為にもっと強くならなければならないと、決意を新たにするのであった。

2019/02/03

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