然すれば青


 モジュール77にて、咲森学園の女生徒、指南ショーコによる独立宣言が為されてから数日が経過したある日。ブリーフィングルームに集まり皆でテレビの中継を見ている中、エールゼクスはぽつりと呟いた。

「この流木野サキっていう子、綺麗だね」
「エルゼお前、そっちの趣味だったのか……」
「は!? 同性に対して綺麗とか可愛いって思う位、普通でしょ?」
「クリムねーさんの事も『お姉様〜』って追っ掛けてるし、なるほどな」
「え? 何? どういう意味で納得してるわけ?」

 モニターに映っているのは、独立宣言をしたモジュール77をアピールすべく、歌と踊りを披露している咲森学園の女生徒、流木野サキである。エールゼクスは手元の端末で情報を調べ、彼女が元アイドルであるという事実に辿り着いた。敵国とはいえ、己の感性に従って美しいと感じた相手が過去芸能活動をしていたという事実こそ、ハーノインの言葉で言うなれば『なるほどな』である。
 序に『クリムねーさん』ことクリムヒルト――女性でありながら優秀な成績で士官学校を卒業し、カイン大佐の副官を務めている彼女は、エールゼクスにとって敬愛の対象であった。

 女性が女性に憧れる事はあって当たり前だ。それならイクスアインのカイン大佐への敬愛も同じではないか、とエールゼクスは反論しようとしたが、それを口にする前にイクスアインが話に割って入って来た為、その言葉を飲み込むこととなった。

「確かに、エルゼが好きな異性のタイプを口にした事はないな」
「つーか、エルゼの好きなタイプって言ったら……」

 ハーノインはちらりとアードライを見遣って、再びイクスアインに視線を戻す。その一連のアクションで、イクスアインはその真意を瞬時に理解した。

「エルゼの好きな異性のタイプは、聞くまでもなかったな」
「初めから答えが決まってるからな〜」

 淡々と返すイクスアインに対し、にやりと口角を上げて言うハーノインのやり取りに、エールゼクスは思い切り眉を顰めた。

「何言いたいのか知らないけど、二人にしか分からない話なら他でやってよね」
「いや、張本人以外全員分かってるだろ」
「何が」
「おいハーノ、その辺にしろ。女性に恥をかかせるな」
「イクス、恥って何? 何が?」

 イクスアインの仲裁を素直に受け容れれば良いものの、ついエールゼクスは突っ掛かってしまった。二人の会話を皆に分かるように解けば、イクスアインの言う通り恥をかくのはエールゼクスただ一人なのだが。
 そんな終わらない押し問答を続けていると、突然アードライが立ち上がり、嵌めていた手袋を脱げばモニターへと投げつけて、無言でブリーフィングルームから去って行ってしまった。

 さすがに言い争いをやめ、アードライの行動に呆気に取られるエールゼクス、ハーノイン、イクスアインだったが、ひとりマイペースに携帯型のゲームに耽っていたクーフィアが、呆れるように呟いた。

「三人とも馬鹿な話してるから、王子様も呆れ果てたんでしょ〜?」
「えっ」
「特にエールゼクスなんて、ジオールの女を褒めちゃってさ。俺たち戦争してるって自覚ある?」

 クーフィアの言い方はエルエルフ程辛辣でもなく、決して糾弾の意思はない事は見て取れた。だが、エールゼクスとしては自分より幾分も幼い少年に諭される事自体が恥ずかしかった。己がアードライを好いている事を茶化される方がまだマシである。少なくとも己が恥ずかしい思いをするだけで、当のアードライは己の恋心など全く気が付いていない為、誰にも迷惑は掛けないからだ。だが、今のこれは違う。アードライを不快にさせた時点で、全面的に己に非があるのだ。

「私、アードライに謝ってくる」
「あ、おい、エルゼ!」

 ハーノインが引き留めるより先に、エールゼクスは床に落ちた手袋を拾って、ブリーフィングルームを後にしアードライを追い掛けた。

「……あ〜、行っちまった」
「エルゼは体を鍛えるより先に、行動する前に冷静に考える意識付けをしていった方が良い気がするな」
「謝らないと駄目だって考えたから、すぐに行動したんじゃないの?」

 日頃のエールゼクスの過剰な訓練を良しと思っていないイクスアインはそう呟いたが、意外にもクーフィアは今のエールゼクスの行動を肯定した。

「おっ、クーフィアにしては珍しくエルゼの肩持つんだな」
「別に〜。任務と関係ない事でうじうじされてもウザいだけだし」

 結局は舐められているのだが、結果的にクーフィアの何気ない言葉はエールゼクスにとっては助言となったのだった。





「アードライ、待って!」

 エールゼクスはアードライの背中に向かって声を上げたが、取り付く島もなかった。明らかに聞こえているのに無視して、立ち止まることもなく歩を進めるアードライを何とか捕まえるべく、エールゼクスはすぐ傍まで追い付けば、軍服の袖の端を掴んだ。手を払われることを覚悟の上で行動に移したのだが、その心配は杞憂に終わった。アードライは漸く立ち止まり、振り返ってエールゼクスと目を合わせたからだ。その表情に怒りの色は無い。

「何の用だ」
「あの、さっきはごめんなさい! 戦争中なのに、軍人らしからぬ発言をして」
「……それだけか?」
「え!? 私、他に何か失言があった……?」

 今にも泣きそうなエールゼクスとは対照的に、アードライは気の抜けた表情を浮かべた。その態度が意味する事は、つまり――

「何か勘違いしている様だが、君に非はない」
「はい?」
「エルエルフがあんな平和惚けした連中と手を組んでいると考えただけで、虫唾が走る。それだけだ」

 その名前を聞いた瞬間、エールゼクスは己の配慮に欠けた発言を改めて恥じた。
 あのヴァルヴレイヴに搭乗していたのはエルエルフではなく咲森学園の生徒、時縞ハルトだという事は、つい最近になって得た情報であった。つまり、イデアールに搭乗したアードライを攻撃したのはエルエルフではなく、時縞ハルトだ。けれども、大前提としてエルエルフが己たちを裏切ったのは事実であり、アードライを撃ったのもエールゼクスはこの目で見ている。どんな事情があろうと、カルルスタイン機関出身の兵士にとって裏切り行為は死刑に値する罪である。

「どちらにしても配慮を欠けた発言をしたのは事実だから。間違いなくあの平和惚けした連中の中に、エルエルフもいるわけだし……」
「やはり、エールゼクスもそう思うのか?」
「中立国のただの学生に、ドルシアとARUSに対抗出来る力なんてあるわけない。学園の地下にヴァルヴレイヴがあったって、特殊なカリキュラムを受けてた情報なんてないし、宝の持ち腐れ。でも……」
「エルエルフの協力によって、我々に対抗する力を持ち得たという事か」

 アードライの問いに、エールゼクスはこくりと頷いた。

「そもそも、あのヴァルヴレイヴに搭乗出来る時点で『ただの学生』ではないし……彼らを倒すには、あまりにも敵の情報が少なすぎる」

 ドルシア軍がヴァルヴレイヴと搭乗者を捉えた際、試しに搭乗した軍人が謎の出血死を遂げた事は、エールゼクス達にも情報が入っている。中立国と謳いながらあんな恐ろしい兵器を隠し持っていたのだから、もっと倫理に反した研究をしていてもおかしくはない。ただしこれはあくまで憶測に過ぎず、確証がない以上妄言にしかならないので、エールゼクスはその点については黙っていた。

 ふいに、此方へ近付く足音が聞こえ、エールゼクスとアードライはどちらともなく視線を移した。二人の視線の先には、クリムヒルトの姿があった。

「エールゼクス、ちょうど良いところに……いや、私は邪魔だったようだな」

 クリムヒルトの口許に笑みが零れる。その発言が理解出来ない二人だったが、ふと、エールゼクスは己がまだアードライの袖を掴んだままである事に気付き、一気に顔を赤らめて慌てて手を放した。

「違うんです! お姉様! これは!」
「……公務の場で『お姉様』はやめてくれ」
「す、すみませんお姉――クリムヒルト少佐!」
「うむ。慕ってくれるのは有り難いが、公私の区別は付けるように」

 クリムヒルトは嫌がっている様子はなく、寧ろ今の言葉を鵜呑みにするのなら、プライベートでのお姉様呼びは歓迎という事である。すっかり上機嫌になったエールゼクスだったが、アードライが傍にいる手前、浮かれてもいられない。すぐに姿勢を正し、真面目な顔付きでクリムヒルトに向き直った。

「ところで、どのような御用件でしょうか」
「カイン大佐がお呼びだ」
「私を、ですか?」

 大佐が自分を指名するなんて、絶対にろくな事ではない。説教か、苦言か、あるいは――まるで好意的な理由で呼び出すという選択肢が浮かばない。実績が無さ過ぎて降格か、あるいは先日アードライに指摘されたように、訓練内容が身の丈に合っていないとでも言われるのだろうか。良い理由は全く思い浮かばず、悪い理由はいくらでも思い付く。折角ここまで頑張って来たのに、降格してチームから外されるかもしれない……戦争中なのに敵国の女の子の容姿を褒めるような意識の低さだし……と己の馬鹿さ加減を呪いつつ、エールゼクスは執務室へと向かった。





「特別命令……ですか?」

 エールゼクスは信じられない気持ちで一杯だった。落ちこぼれの自分が特命を受けるなど、一切頭になかったからだ。……いや、調子に乗ってはいけない。特命で別行動を取るという事は、皆と共に戦場に立てないという事だ。それが意味する事は即ち――戦力外という事だ。

「不服か? 気が乗らない様に見えるが……」
「いえ! カイン大佐の命令に背くなど、有り得ません! ただ……」
「ただ?」
「皆と共に戦場に立つには、自分では力不足なのかと……」
「そんな事を悩んでいたのか? 私は力の無い者を部下にする程お人好しでもなければ、鑑識眼が無いとも思っていない」

 その言葉を信じていいのだろうかとエールゼクスは思った。大佐はお人好しではないと言っているけれど、テロリストに家族を殺され、孤児となった己を救い、カルルスタイン機関へと導いてくれたのは、目の前にいるカイン・ドレッセルであった。その当時はまだ大佐ではなかったが、数年の時を経てドルシア総統の右腕となった今も、その優しさは変わっていないとエールゼクスは信じていた。

「ありがとうございます、カイン大佐。やっぱり大佐はお人好しです」
「そんな事を言うのは君ぐらいだよ、エールゼクス」
「いえ! 私よりもイクスの方が……えっと、イクスアインの方がカイン大佐の事を慕っていますよ」
「仲良くやれているようで何よりだ。女性一人では何かと気苦労も多いと思うが、何か困った事はないか?」
「その点は大丈夫です! クリムヒルト少佐も気に掛けてくださって……とても恵まれています」

 そう言って笑みを浮かべるエールゼクスを、カインは氷のような微笑を湛えて見つめていた。
 エールゼクスはたまにカインが恐いと感じる事があったが、その度に何を考えているのかと己の思考を否定した。己の命の恩人に対して、上手く言葉に表せない恐怖を覚えるなど、あってはならない事だった。いつからだろうか、幼い頃に助けて貰った時に感じたあたたかさがなくなったのは。でもきっとそれは、国を動かす程の立場となった事で、己のようなただの兵士には分からない程の苦労があるからなのだろう。そんな中でも己に対して優しくあろうとしてくれている。カイン大佐は敬愛すべき存在なのだと、エールゼクスはまるで自分自身を洗脳するように頭の中で言い聞かせていた。





 エールゼクスがカインの特命に若干浮かれていた、ある日の事。

「何故だ! 何故私が作戦から外されるのだ!」
「カイン様のご命令は絶対だ」

 アードライの怒号が響く中、イクスアインはそれを窘めるように冷たく告げる。エールゼクスは気が気ではなかった。何故ならアードライがモジュール77侵攻の作戦から外された理由は、エールゼクスも関わっている事だからである。

「カイン様、ねえ」
「ねえねえ、大佐様と王子様ってどっちが偉いの?」

 イクスアインのカインへの呼称に呆れるハーノインに、呑気な事を尋ねるクーフィア。完全に二人はマイペースで、エールゼクス一人が狼狽している状態である。

「私の言葉はカイン様のお言葉だ。従えないというなら――」
「私とて選ばれしカルルスタインの男だ。ルールは承知している」

 アードライはイクスアインの言葉を遮ってきっぱりと言い放つ。このままだと雰囲気が悪くなる一方だ。そう思ったエールゼクスは、息を飲めば勇気を振り絞って、アードライへ声を掛けた。

「あの、アードライ。ちょっと話があるんだけど……」
「後にしてくれ」
「大事な話! 今の件に関わる事!」

 引かずに声を上げるなど、今までのエールゼクスでは考えられなかった。その場にいる全員が呆然とする中、エールゼクスはこの隙にとばかりにアードライの手を掴んで、強引に別室へと連れ出した。



「エールゼクス、一体どういう事だ?」
「アードライは作戦から外されたんじゃなくて、私と一緒に別の作戦に参加する事になったの」
「君と一緒に?」
「あの、悪い意味じゃなくて、寧ろアードライにとっては良い事、だと思う」

 曖昧な言い方をするエールゼクスに、アードライは苛立ちを隠せずに眉間に皺を寄せた。その態度にすぐ気付いたエールゼクスは、意を決して本題を口にした。

「エルエルフと直接話が出来るかもしれない。確かめよう、真実を」

2018/12/02

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