皮膚をつたう疑惑の虫


 エールゼクス達は乗り捨てられたバイクを見つけ、アードライが搭乗し、サイドカーに残り二人で座る事となった。
 陽も落ち、外灯など存在しない夜の集落を、バイクのヘッドライトだけを頼りに進んで行く。
 救難信号は無事ドルシア軍に届き、一先ず仲間たちに無事を伝える事は出来ているだろう。だが、未だジオールの学生達との戦闘が終了したかは不明である。陸軍の作戦に再度介入するか否かの議論も出来ない状況下にいる事をエールゼクスは悔しく思ったが、今は安全な場所へ退避し、軍と合流する事が最優先だと考え直した。
 そして、この少年を無事軍に保護して貰う事も。

「ごめんね、窮屈で。もう少し我慢してて」
「いえ、大丈夫です。お気遣いありがとうございます、エールゼクス大尉」

 カーツベルフはエールゼクスが密着している事を特に気にしていない様子で、寧ろ礼を述べてみせた。一応大尉という肩書ではあるものの、士官学校を卒業したエリート達にしてみたら、カルルスタイン機関卒の叩き上げは嫉妬の対象であった。更にエールゼクスは機関卒では数少ない女性という事もあり、軍の内部での立場は良いわけではなかった。勿論、士官学校卒の軍人でも良くしてくれる人は多くいるが、どの世界にも相性の悪い人間はいるものである。

 また、エールゼクス達の後に機関を卒業し軍に入隊した後輩はまだいない為、後輩から『大尉』などと呼ばれたのは今この瞬間が初めてであった。ゆえに、エールゼクスはなんとも形容し難い照れ臭さを覚えたのだった。

「大尉?」
「あ、ええと……こうやって後輩と話すって初めてだな、って。私たちの後がまだ軍に入って来ていない状態だから」
「自分も早く入隊出来るよう頑張ります。大尉のような優しい方が軍にいると思うだけで心強いです」
「そう言って貰えると頼もしい」

 果たして今まで、他人からこんなに己を肯定して貰った事があっただろうか。優しさは、軍人基準で考えると甘さでもある。エールゼクスはカーツベルフの言葉を素直に受け止め切れなかったが、後輩相手に謙遜するのもおかしな話である。エールゼクスは一先ず、表向きには毅然とした態度で答えてみせた。

 この後、外に放置された輸送艦を偶然発見するまでの間、様々な事が起こっていた事にエールゼクスは気付く由もなかった。
 軍と合流した後は、当たり前のように仲間が待っていて、またいつもと変わらない生活に戻るのだと信じて疑わなかった。軍人は死と隣り合わせであり、いつ日常が崩壊してもおかしくない立場である事は充分すぎるほど分かっていたが、それでも、まさかこんなタイミングで仲間の命が失われていたなど、エールゼクスだけでなくアードライも夢にも思わなかったのだった。





 暫く移動したのち、森の奥で不自然に佇む輸送艦を発見したエールゼクス達は、迷わずそこで降りて中を探索する事となった。
 正直、遭難して軍に保護されて終わりなど、それこそパーフェクツォン・アミーの名に傷をつける事となり、己たちの上官であるカインの立場をますます悪くするだけである。陸軍から依頼されたわけではなく、逆に自分達から強引に作戦に介入したのだから、せめて戦果のひとつでも挙げなければならない。
 エールゼクスはそう思っていたが、アードライの目的は戦果とは別のところにあった。本来彼がこの作戦に介入したのは、それが理由ではないからだ。

 輸送艦に記されたシリアルナンバーを辿り、アードライはきっぱりと言い放った。

「やはり、エルエルフ達が奪取したものだ。敵は学生だけではない。エルエルフがいる可能性もある」

 カルルスタインの集落でヴァルヴレイヴが姿を現したのだから、新生ジオールの学生達が移動手段として使用しているものが近場にあるのは云わば当然であった。
 エールゼクスとしては、大前提としてアードライがわざわざ陸軍の作戦に横入したのはエルエルフが絡んでいるからだと分かるのだが、何も知らない人間からしてみれば、特定の人物に固執しているように見えるのだろう。カーツベルフは少しばかり怪訝そうに、アードライに向かって訊ねた。

「大尉は、エルエルフの事を随分気にしているようですね」
「それは、警戒すべき相手だからだ」

 エルエルフがドルシア軍全体の中でも群を抜いてトップクラスの能力を持っている事や、己達を裏切ってジオールに亡命した事を、カーツベルフは知らないからこそ浮かんだ疑問なのだろう、とエールゼクスは結論付けた。
 この少年の正体がヴァルヴレイヴのパイロット、流木野サキである事を知らない以上、そう解釈するのは自然な流れであった。

「私とエールゼクスは操縦席を。君は格納庫を当たれ」
「ブリッツゥン・デーゲン」

 アードライは的確に指示を出し、カーツベルフを格納庫の探索に当たらせる。二人きりになり、エールゼクスはすぐさまアードライへ声を掛けた。

「あの子、一人にして大丈夫かな?」
「随分気に掛けているようだが、あの少年とてカルルスタインで訓練中の兵士だ。寧ろ君より容赦なく敵を殺すかも知れないな」
「アードライ、ひどい。私だってやる時はやるんだからね」

 さすがにまだ機関を卒業していない少年より役に立たないという烙印を押されるのは、エールゼクスとしては例え相手がアードライでも内心腹立たしい事であった。尤も、アードライは彼女を貶すつもりで言ったわけではないのだが。

 慎重に歩を進めるも、一向に人の気配が感じられなかった。己達の先程の話声を聞いて勘付いたとしても、足音や雑音はする筈である。だが、そういう次元の話ではなく、本当に誰もいないのではないかと思わせる静けさであった。

「誰もいない? どういう事だ」
「……この輸送艦を捨てて、全員既に逃げた可能性が高い、と思う」
「エルエルフ……」

 エールゼクスはこうなる事は何となく予想は出来ていた。『あの』エルエルフが、例え森の奥とはいえ敵地に堂々と輸送艦を置いておくとは思えない。何らかの移動手段を手に入れ、この輸送艦を捨てたのだろう。
 だが、ドルシア軍の誰かがこの輸送艦に気付いたとも考え難い。既に見つかっていたらこの周囲は軍が包囲している筈だ。つまり、これを発見しただけでも小さな戦果と言え、手ぶらで帰るわけではない。少々苦しいが、エールゼクスはそう前向きに捉え、この輸送艦の通信システムを利用して、アードライと共に早速カイン達に連絡する事にしたのだった。





「ドルシアの東方30kmの森に、エルエルフ達が奪取した輸送艦を発見しました。しかし、艦内には誰もいません」
『輸送艦を捨てたという事は、新たな移動手段の目星がついたという事だな』

 久々に上官の姿をモニター越しに見て、エールゼクスは心の底から安堵している事を実感した。ハーノインと共に見たカインの人ならざる行動は気掛かりではあるものの、今は仲間と共に協力しなければならない時である。

『ヴァルヴレイヴを乗せるなら大型の奴だよね? 民間じゃそんな大掛かりなのは……あ! この基地だ!』
『成程、悪くない推測だ』
『クーフィア、出撃しま〜す! ブリッツゥン・デーゲン!』
『まだ命じてないぞ』

 モニターの向こうでクーフィアが勝手に話を進め、カインの命令を待つまでもなく姿を消してしまった。尤も、カインも止めずに余裕の微笑を浮かべているあたり、出撃命令を出すつもりだったのだろう。

『エールゼクス。君から何か報告はないか?』
「えっ!?」

 現状、己達のリーダーはアードライである以上、エールゼクスは黙って任せていたのだが、ここに来て話を振られるとは思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。この輸送艦を発見したこと以外で敢えて報告すべき事、とは何だろうか。だが、悩むまでもなく答えはすぐに自然と口をついていた。

「ジオールの学生を発見したカルルスタイン機関の少年兵を保護し、今この輸送艦を探索させています。といっても、全てアードライがした事ですが」
『ほう? 一人で行動させて大丈夫なのか、その少年は』
「大丈夫だとは思いますが……ただ、機関自体が私達の時代より緩くなったようですし、万が一ジオールの学生と対峙した時、迷わず銃を撃てるのか疑わしくはあります」
『……それはどういう意味だ? エールゼクス』

 カインの目の色が変わり、エールゼクスは思わず背筋に悪寒が走った。何かおかしな事を言っただろうか。どちらにせよ雑談が過ぎてしまった。カインは報告しろと言ったのであり、個人の主観を述べろと言ったわけではない。己の失態を詫びようとしたが、今のカインは謝罪を求めているのではない。己の何気ない発言を、誰にでも分かるよう説明しろという事だ。
 大体、カインは幼い頃に両親を喪った己を救ってくれた恩人である。それを怖がるなどと、無礼も良いところだ。堂々としていれば良い。カインは己を咎めるなど今までした事がないのだから。
 エールゼクスはそう言い聞かせ、真っ直ぐにモニターを見つめてはっきりと答えた。

「カーツベルフ――あの少年は、仲間内で内通者がいた場合、班全員が死罪になる規則を知らなかったんです。そういう罰則がない中で訓練しているのだとしたら……」
『エールゼクス。規則は何も変わっていないぞ』
「え?」
『君が訓練兵だった頃と同じだ』

 カインの言葉に、エールゼクスは頭が真っ白になったが、それも一瞬の事で、己が今何をすべきか考えずともすぐに理解した。

「大佐! カーツベルフを捕まえて来ます!」

 一体あの少年は何なのか。機関の絶対的なルールを知らないという事は、正式な訓練兵ではないという事だ。入隊したばかりだとしてもおかしい。詳しい状況は何であれ、とにかくあの少年を捕まえる。話はそれからだ。
 万が一内通者だとしたら、この輸送艦の通信を利用して敵と連絡を取る可能性も考えられる。何が何でも一人にしてはならなかったのだ。

「エールゼクス、早まるな!」
『全く……クーフィアといいエールゼクスといい、向こう見ずな部下ばかりだな』

 カインは叱責というよりも何処か可笑しそうに笑みを湛えていたが、アードライとしては気が気ではなかった。女性とはいえ、さすがに身体能力で少年兵に負ける事はなく、本人が先程言った通り『やる時はやる』のは分かっている。任せていても大丈夫だと頭では分かっていつつも、どうしても不安が拭えずにいた。
 そんな中、アードライの背中を押す声が掛けられた。モニターの向こうにいるイクスアインの声である。

『アードライ、エルゼを頼んだぞ』

 その言葉が意味するのは、今すぐ彼女の元に行ってやれ、という事である。仲間としてずっと一緒にいるのだから、お互いにある程度の意思疎通は出来ていた。

「ああ、任せておけ」

 アードライは簡潔にそう返せば、エールゼクスを追い掛けに通信室を後にした。イクスアインの言葉に、自分のように大切な友を亡くさないよう全力を尽くせ、という意味が込められている事に、この時はまだ気付く筈もなかった。

『さて、他の可能性はないのか? 王党派の手引きの可能性は……大いにあるのではないか?』

 カインの独り言を、イクスアインは複雑な心境で聞いていた。
 己達を裏切って王党派と繋がっていた事が理由で、仲間のハーノインが処刑されたのだから。

2020/02/18

- ナノ -