子羊の歎きと狼の祈り


 夢を見ていた。遠い、遠い昔の夢を。
 幼い頃、突然両親を喪い、故郷を失った時のこと。当時はまだ少佐だったカインに助けられ、孤児院へと預けられた時のこと。そして、カインのような軍人になりたいと願い、カルルスタイン機関へと入隊したこと。
 入隊後、生きるために多くの人間を殺め、地獄のような生活を送っていた時のことは、機関を卒業して正式に軍人になった後も、たまに悪夢として思い出すことがある。これは一生消えない疵だ。一生、死ぬまで抱えて生きて行かなければならない罰だ。
 それを忘れる事は、罪そのものだ。





 エールゼクスが目を覚ますと、真っ先に視界に入ったのは綺麗な青空なんて美しい景色ではなく、土砂の塊であった。
 夢の中にいた意識が明確になるにつれ、鈍痛が身体全体を蝕んでいる事に気付き、エールゼクスは漸く己がどうしてここにいるのか、ここは何処なのかを思い出した。

 地球に降下したヴァルヴレイヴのパイロット達を追うため陸軍に合流し、一時はドルシア軍が有利に進んでいると思っていたものの、エルエルフの罠で地中に埋められていたであろう爆弾が爆発し、一体の地面が崩壊し――今に至る。
 幸い、エールゼクスは無意識に受け身を取っていた事と、たまたま落下した地面が柔らかかったようで、致命傷は負わずに済んでいた。多少の切傷はあるが、感染症を気にするほどの深さではない。

 エールゼクスは軋む身体をなんとか動かして起き上がり、辺りを見回したが、土砂崩れを起こしている周囲の景色の中には人影が見当たらない。
 見当たらない可能性としては、地面に埋まっているか、もしくは辛うじて助かり退避したかのいずれかだ。後者である事を願いたいと思いつつ、エールゼクスは冷静に通信機に手を掛け、救難信号を出した。これで余程の事がなければ助けが来るだろう。

 ほっと息を吐いて歩き出したと同時に、エールゼクスの視界に仲間の姿が映った。
 遠くても、それが誰なのかすぐに分かった。エールゼクスは無心で、仲間の元へと走り出していた。

「アードライ!!」

 駆け寄った先には、アードライが血を流して倒れていた。目の前まで辿り着いたエールゼクスはその場にしゃがみ込めば、アードライの顔を覗き込んだ。彼の腕の中には、道案内の訓練兵、カーツベルフがいる。恐らく、地面が崩落した際に目の前にいたこの子を咄嗟に庇ったのだ。

「アードライ、目を覚まして!」

 声を掛けながら、エールゼクスはアードライの傷を負っていない側の肩を揺さぶった。返事はない。

「ちょっとごめんね、確認させて」

 エールゼクスはひとまずカーツベルフの身体に被さっているアードライの腕を強引に解き、呼吸をしているか確認した。胸元が上下しているように見えて、少なくとも息はあると判断した。意識が戻るかは別として。
 そう思った瞬間、本当に息はあるのだろうか、判断力が鈍ってはいないかと、エールゼクスは再び不安になり、恐る恐るアードライの顔を覗き込んだ。
 その瞬間、アードライの瞳がうっすらと開く。

「アードライ!? よかった、生きてて……」

 まだ会話すらしていないというのに、エールゼクスの目からうっすらと涙が浮かぶ。安堵のあまり全身の力が抜け、そのまま地面に倒れ込みそうになった。

「……エールゼクス? ここは……」
「私たち、任務中に爆発に巻き込まれた。救難信号は出してるから」

 思い出すのに多くを説明する必要はない。エールゼクスは簡潔に言えば、アードライのすぐ隣で倒れているカーツベルフの傍へ行き、息があるか確認した。
 呼吸している様子はない。脈もない。
 いつ心臓が止まったかは分からない。けれど、今ならまだ間に合う可能性はある。
 アードライが目を覚ました今、エールゼクスは冷静さを取り戻し、自分が何をすべきか考えずとも理解していた。

「待ってて、今助けるから」

 エールゼクスはカーツベルフの身体を仰向けにして、心臓の位置に両手を置き、その手を思い切り押した。蘇生法も勿論教わってはいるが、自分がこの少年を蘇生出来るかどうかは分からない。でも、やるしかない。不安を感じている暇はないと、エールゼクスは胸骨圧迫を行っていたが、突然肩に誰かの手が触れて我に返った。

「後は私がやろう」
「でも、アードライ怪我してるし……」
「何も出来ない程深い傷ではない」

 アードライの肩に滲む血を心配そうに見遣りつつ、エールゼクスはカーツベルツから離れた。入れ替わるように、すぐさまカーツベルツに人工呼吸を施すアードライを見守り、エールゼクスはこの少年が息を吹き返してくれる事を願った。神頼みと言うと語弊があるが、いずれは己たちのようにドルシアの軍人になるであろう少年を、こんなところでみすみす死なせたくはない。少年と深い関わりがあるわけでは勿論ないが、同じ機関のよしみである。後輩にあたり、いつか仲間になるかも知れない存在なのだから。

「大丈夫か? しっかりしろ、カーツベルフ!」

 ふと、少年が咳き込んだ。漸く意識を取り戻したのだと、エールゼクスは安堵したのも束の間。
 カーツベルフは己たちを見た瞬間、悲鳴を上げて逃げ出そうとした。

「落ち着け、カーツベルフ!」
「カーツ……ベルフ……?」

 カーツベルフが足を止め、困惑するように呟いたのを見計らって、エールゼクスはすぐ傍まで駆け寄って、少年の身体を抱き締めた。

「大丈夫、私達は敵じゃない。あなたを守るためにいるから」
「守る……? わたしを……」

 混乱するカーツベルフの背を撫でてやり、とりあえず落ち着かせようとエールゼクスは優しい言葉を掛けた。女子に見えなくもない振る舞いや口調に若干違和感を覚えたが、カルルスタイン機関に入隊する前の記憶と入り混じり、パニックに陥っている故であろう、とエールゼクスは判断した。
 まさかこの少年の身体を、敵国であるジオールの少女、流木野サキが乗っ取っているなどと当然分かるわけもない為、無理もない話であった。

「救難信号を出してる。心配するな」
「……はい」
「メンタルコントロールはまだ未収得か。ならば仕方ない。ここは安心しろ、私が付いている」

 アードライの頼もしい言葉が聞けたところで、エールゼクスはカーツベルフを解放した。もう随分と落ち着いているし、この様子なら問題ない。己がこの年齢の少年に寄り添うのは、自分は良くても相手はあまり良い気分はしないかもしれない。そう思いつつも、エールゼクスはカーツベルフの手を取った。

「嫌だったらごめんね。でも、こうしていた方が恐くないかなって思って」
「……ありがとうございます」

 立場上逆らえないだけかもしれないが、多分、嫌がってはいない。エールゼクスはそう思い、このまま手を繋いで歩き出そうとした。だが、アードライが何かに気が付いた様子で、己たち――というよりもその後方を凝視していた。

「右に避けてくれないか」
「は、はい」

 カーツベルフと共にエールゼクスが避けると、己たちが立っていた場所の後方がちょうど崖になっており、そこに文字が刻まれていた。

「随分懐かしいものを見つけたよ」

 その文字を見たアードライが声を上げて笑いながらそんな事を言って、カーツベルフは突然の事に呆気に取られていたが、エールゼクスは書かれている文章を読んで全てを理解した。
 これはエールゼクスがまだ、アードライ達の班に入る前に書かれたものである。

 当然、カーツベルフはそんな経緯など分かるわけもない。アードライはカーツベルフに向き直って、言葉を紡いだ。

「私も君と同じように、この土地でカルルスタインの訓練をしていた。しかし、ある事が発覚して、友達を殺すことになってしまったんだ」
「え……」
「まさに、この水辺でだ。友達は王党派……つまり、旧政権の勢力と繋がっていた。現政権を裏切るものが我々のチームにいる事が軍に知られれば、チーム全員、一蓮托生で罪に問われる。ハーノイン、イクスアイン、クーフィア、私とエルエルフ」
「どんな罪なんですか?」
「死罪だ」

 カーツベルフは酷く驚いた表情をしてみせて、エールゼクスは己たちの時代と違って今の機関は少し緩くなったのだと推察した。己たちが機関を卒業した後、訓練の過程であまりにも死者が多すぎると問題になったのかも知れない、と。

「だから、私たちは密かに友達を殺した。生きる為に」
「生きる……為に」
「『殺されるなら殺せ』――私の友達が刻んだものだ」

 言うまでもなく、この字を刻んだのはエルエルフである。
 彼らしいと一瞬思ったものの、まさかそういう経験をしているにも関わらず、当のエルエルフ自身が仲間を裏切るなど、改めて不可解であるとエールゼクスは何とも言えない感情を抱いた。己たちを殺してでもジオールに亡命し、時縞ハルトと手を組みたかったのかと思うと、アードライとて笑いたくもなるだろう。
 結局エルエルフの不可解な行動も謎に包まれたままであり、有耶無耶なまま戦わざるを得ない状況が続いている事に、気が重くなる一方なエールゼクスであった。





 救難信号は出しているものの、すぐに助けが来るわけではない。恐らくまだ、新生ジオールのヴァルヴレイヴとどこかで戦闘中であろう事はエールゼクスも理解している。向こうにエルエルフがいる以上、そう簡単に事が進むわけがない。

 カーツベルフが用を足しに行くと一度己たちの傍を離れ、その隙にエールゼクスはアードライの様子を窺った。

「……肩、どう?」
「大した怪我じゃない。全く、君は心配し過ぎだ」
「心配に決まってるよ。化膿してるかもしれないし」

 珍しく引かないエールゼクスに、アードライは苦笑を零せば、おもむろに軍服の上着を脱ぎ始めた。

「アードライ、待って!?」
「傷口を見せないと君も納得しないだろう」
「あ、そういう……うん、見せてくれると助かる」

 一体何を勘違いしているのかと、エールゼクスは頬を真っ赤に染めながら、外気に触れたアードライの肌に顔を近付け、肩の傷口を確認した。

「……嘘つき」
「どういう意味だ」
「やっぱり化膿してる。待ってて、一応気休めの処置なら出来るから」

 エールゼクスはつい先程まで恥じらっていた事などすっかり忘れ、予想以上にアードライの傷が深かった事に腹を立てていた。持参している携帯鞄から消毒薬と包帯を取り出して、まずは消毒薬を傷口へかける。

「ぐっ」
「痛いだろうけど我慢して。子供じゃないんだから」
「まさか君にそう言われるとはな」
「黙って我慢してる方が悪い!」

 濡れた肩を拭いた後、傷口にガーゼを押し当てて肩の周りを包帯で巻いていく。エールゼクスも自分自身への応急処置はしても、人にする事はあまりない為、こんなに雑で良いのかと思ったが、迷っている時間はなかった。

「……すまないな」
「もっと早く言ってくれれば良かったのに。昔は私に我慢するなって言ってたのに」
「そうは言っても、カーツベルフの前で傷を見せる訳にはいかないだろう」
「あ、そっか……そうだよね。ごめん……」

 エールゼクスは、かつての自分が怪我を隠していた事で仲間たちに迷惑を掛けてしまった事を思い出し、腹を立てていたのだが、あの時と今は状況が違う。素直に反省して、それどころか言い過ぎてしまったと落ち込む始末であった。

「そんなに落ち込むな。ありがとう、エールゼクス」

 アードライはエールゼクスの振る舞いに怒る様子はなく、微笑を湛えながら彼女の髪を撫でた。やや子供扱いのような対応ではあるが、それでも今のエールゼクスを元気づけるには充分であった。いつドルシア軍との合流が叶うか先が見えない中、前向きにただ出来る事をするのが、今の己たちが為すべき事である。



 カーツベルフがこの場に戻って来て、再び三人は歩き出した。不要とは思いつつも、エールゼクスはカーツベルフの手を取った。別にこの少年が逃げるわけでもなければ、もう怖がっている様子もない。結局のところ、カーツベルフの為に手を繋いでいるというよりも、自分自身が安心する為ではないかと、エールゼクスは心の中で苦笑してしまった。

 道中、アードライがカーツベルフに言葉を掛けた。

「覚えておけ。生還は、兵士にとって最も重要な事だ」

 そこで漸く、カーツベルフはアードライが肩を負傷している事に気付き、目を見開く。

「その傷……」
「気にする事はない。君の命と秤にかけたら、軽すぎる損傷だ」

 カーツベルフに向かってそう言い切るアードライに、エールゼクスは一先ず全員命を落とさずに済んだ事に改めて安堵しつつ、先行きの不透明な道を共に進んで行くのだった。

2020/02/08

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