響けば空も遠く


 新生ジオール、もといヴァルヴレイヴのパイロット達が地球に降り立ったという情報が、月軌道上で待機していたドルシア軍から入ってから数時間が経過していた。
 落下地点はジオール領内ではなく、ドルシア領――どういう因果か、己たちが苦楽を共にしたカルルスタイン機関の集落であった。

 陸軍と連携を図り、ひとまずエールゼクス達は飛行部隊と地上部隊に分かれる事となった。ハーノインとイクスアインが飛行部隊、残り三人が地上部隊という振り分けとなり、エールゼクス達は地上でジオール人を追跡し捕らえ、万が一ヴァルヴレイヴの機体が攻撃を行おうものなら、ハーノインとイクスアイン率いる飛行部隊で反撃する段取りである。これは新型兵器『キルシュバオム』の試運転も兼ねている。

 イクスアインがカインに連絡を取ってくれた事で、ここにはクリムヒルトも戦艦で援軍に来てくれている。ここは宇宙ではなく地上のドルシア領だ。地の利は己たちにあり、余程の事がない限り命を落とす事はないだろうとエールゼクスは確信していた。

「三人とも、気を付けろよ」
「そっちもね」

 ハーノインとエールゼクスはそう言い合えば、まさかこれが今生の別れになるとは夢にも思わないまま、互いに背を向け、それぞれの持ち場へ向かった。
 ハーノインとイクスアインと別れ、アードライ、クーフィアと共に地上部隊に合流しようとする中、エールゼクスは言いそびれた事をふと思い出した。

「あ、忘れてた」
「どうした、エールゼクス」
「イクスアインに、ハーノインと仲直りしてって言おうと思ってたのに……すっかり忘れてたよ」
「案外、次に会う頃には元に戻っているかも知れんがな」

 それが本音なのかはさておき、アードライはエールゼクスを勇気付けるように言った。エールゼクスはまさかアードライにカインの事を言うわけにもいかず、黙って頷くしかなかった。そう単純に蟠りが解けるなら良いのだが、と自然に溜め息が零れた。

「ほら、エールゼクス。任務に集中!」
「ひえっ」

 ぼうっとしていたエールゼクスの脇腹あたりに突然クーフィアがナイフを振り翳し、慌てて避けて事なきを得た。というか、クーフィアは今のところ本気でエールゼクスを刺そうとしたわけではないようだった。今のところは。

「ごめん、しっかりするね。いつエルエルフが見つかるか分からないしね」
「そうそう。あーあ、早く見つけて殺したいな〜」
「はあ……」

 あの男があっさり見つかるとは到底思えないが、少なくともヴァルヴレイヴのパイロット一人くらいは捕虜にしたいところである。最悪、パイロットではない咲森学園の生徒でも構わないが、その他大勢でしかない民間人が役に立つとは思えない。総理大臣である指南ショーコがモジュール77を放置して地球に来るとは思えず、となるとやはり捕虜にするならパイロット一択となる。

 だが、あのエルエルフが何の対策もせずに地球に降下するとは思えない。ドルシア領に降り立ったのは、宇宙で待機していたドルシア軍の攻撃によって地球降下時に位置がずれたのだろうと推察出来るが、当然不慮の事態も想定した上で来ているだろう。

 これまで悉くエルエルフにしてやられた事を考えれば、今回もまた寝首を掻かれるのではないか、とエールゼクスに不安がよぎる。機体に搭乗しているわけではない為、生身の身体でヴァルヴレイヴの攻撃を食らったら一瞬にして肉塊になるだろう。楽観的ではいられない――そう思わせるのは、ここが辛い思い出ばかりのカルルスタイン機関の集落だからなのかもしれない、少しばかり感傷的になったエールゼクスであった。





 久々に訪れた集落は、エールゼクスがいた頃と何も変わっていなかった。
 何も変わっていない。それは景色だけではなく、ここで過ごすカルルスタイン機関の訓練兵たちも同様であった。生気のない顔付き。機械のような動き。人の心を失い、生き残る事だけを考え、生き残る為に人を殺す。
 正式なドルシア軍人となり、任務のない日はごく普通の生活を送る事が出来ている今となっては、ここでの暮らしは地獄そのものであると、エールゼクスは思わざるを得なかった。

 陸軍の軍隊長が訓練兵たちに侵入者がいないか訊ねたところ、ひとりの少年兵が手を上げた。

「北側の丘でイレギュラーを確認。十代後半の少年2、少女1。うち二人は話し言葉からジオール人と思われます」
「さすがはカルルスタインの少年だ。道案内は頼めるな? 直ちに北側の丘へ向かう!」
「ブリッツゥン・デーゲン!」

 陸軍の軍隊長の指示に少年兵が従おうとした瞬間。

「待て。私達も同行しよう」

 アードライが牽制するようにきっぱりと言い放った。
 このままではわざわざ己たちが陸軍に介入しに来た意味がない。陸軍の手柄を強奪するわけではないが、この少年兵が見たのは間違いなく咲森学園の生徒であろう事は考えるまでもない。寧ろ、同行しない理由がない。

「ねえねえ。そのうちのひとりって、銀髪だった?」

 クーフィアが、エルエルフがいなかったか訓練兵たちに訊ねている間、軍隊長は気を悪くしたのか苦虫を噛み潰したような顔で口を開く。

「お言葉ですが……」
「分かっている。あくまで我々はオブザーバー。交戦時の指揮権はそちらにある。理解している」

 アードライはそう返したが、横で聞いていたエールゼクスはそう易々と後方部隊で満足するわけがないと思っていた。万が一エルエルフが表に出て来ようものなら、自ら率先して指揮を執るアードライの姿が自然と目に浮かぶくらいである。

 それに、これまでの任務で我らがパーフェクツォン・アミーはヴァルヴレイヴに対して苦戦を強いられてきた。おめおめと中立地帯である月へと到達させてしまい、あまつさえ咲森学園の生徒たちは新生ジオールとして正式に建国までしてみせたのだ。ここで汚名返上しなければ、己たちの立場――というよりも、さすがにカインも失脚する可能性が出て来る。なんとしてもエールゼクス達は、ここである程度の成果は出さなければならなかった。

「銀髪でさあ、目つきが悪〜い奴なんだけど。いなかった?」
「いなかったと思います」
「ん〜残念。じゃあ学生かなあ?」
「多分」

 目撃者である少年兵に訊ねるも、エルエルフではなかった事に落胆するクーフィア。その様子に、エールゼクスはそれはそうだと溜息を吐いた。仮にエルエルフが訓練兵と出くわしたら、間違いなく殺していたであろう。エルエルフがこの少年兵を。
 少年兵が生存し、目撃したと証言できる時点で、エルエルフと関わってはいないのだとエールゼクスは結論付けた。ヴァルヴレイヴのパイロットの人ならざる能力などエールゼクス達は知らないのだから、そう考えるのが妥当である。

「そういった質問も我々が……」
「はいはい」

 窘める軍隊長にクーフィアは呑気にそう返し、ひとまずエールゼクス達はジオール人を目撃したとされる地点まで、少年兵と共に同行することが叶った。
 だが、まさかこの少年兵が、ヴァルヴレイヴのパイロットである流木野サキが乗り移った姿であるとは当然分かるはずもなく、エールゼクス達は容易にエルエルフの罠に嵌ろうとしていたのだった。





 エールゼクス含む地上部隊は、目撃地点まで向かおうと車輛で荒れ地を走っていたが、突然上空で爆発音がし、皆それぞれに周囲を見回した。

「海か!?」

 突如、海の方面でヴァルヴレイヴが姿を現し、やはりエルエルフはこの地にいるのだと、エールゼクスは改めて思い直した。
 だが、目視で確認できる機体は二体。飛行部隊の中には援軍であるハーノインとイクスアインがいる。彼らが搭乗する機体はキルシュバオムという新兵器であり、カインが持ち帰ったヴァルヴレイヴの機体を元に開発された代物だ。
 今回はあくまで試運転だが、そう簡単に壊れるものではないだろう。あの二人なら大丈夫だ――エールゼクスはそう信じていた。

 案の定、ハーノインとイクスアインがヴァルヴレイヴ二体を圧しつつあった。息の合ったコンビネーションに、やはり二人は切っても切れない仲であり、己が心配する必要は何もなかった、とエールゼクスは安堵した。
 しかしながら、悠長に構えている時間はなかった。エルエルフもいるのならこんなにあっさりと己達が有利になるのは有り得ない。寧ろ罠だと考えた方が自然であろう。

「いいないいな〜。キルシュバオム、次は僕の番だからねっ」

 クーフィアが仲間の空中戦を羨ましそうに見上げながら、無邪気にそんな事を言ってのけたが、その傍でアードライが陸軍全員に向かって声を上げた。

「全軍、撤退する!」

 突然の命令に、陸軍の面々は驚きを隠せずにいた。それ以上に一番驚いた表情を見せたのは、少年兵――カーツベルフであった。

「えっ、あの、僕がジオール人を見たのはもっと先なんですけど……」
「これはエルエルフの作戦だ。この先に他のヴァルヴレイヴが待ち構えている筈だ」

 アードライの読みに、エールゼクスはやはり己たちは考える事は同じだと頷いた。
 このカルルスタイン機関の集落は広大な面積があり、身を隠す場所などいくらでも存在する。あの巨大な機体を容易に隠せる場所ですら、エールゼクスでもそれなりに当てがあるくらいである。

「勝手に命令するな!」
「エルエルフがいる。奴はこの地形を良く知っているだけでなく、あるポイントを利用しようとしている」

 つい先程はオブザーバーだと宣っていたというのに、結局のところ指揮を執ろうとしているアードライに、当然軍隊長は腹を立てて声を荒げた。特務大尉とはいえ部外者かつ十代のうら若き少年少女に顎で使われるなど、軍隊長としてのプライドが許さないのだろう。
 とはいえ、エルエルフが絡んでいるのなら、今こうして言い争いをしている間に己達を陥れる作戦を進めているに違いない。

「勝手な事を言って申し訳ありません。ですが、ドルシアを裏切りジオールへ亡命したあの男は危険です。我々をここで殺す事など、赤子を捻るも同然です」
「だからってここで撤退しろと?」
「何の成果もあげてないのに!?」

 アードライを庇うようにエールゼクスはフォローしたが、己のような小娘が訴えたところで皆聞く耳を持たないのは当然である。一度撤退し次の作戦を練るのが得策なのだが、どうしたものかとエールゼクスはアードライへ視線を遣ると、既に通信機でハーノインへと連絡を取っていた。

「ハーノイン、あの洞窟にエルエルフが潜んでいる。上空から爆撃し、岩盤を破壊しろ」

 流石行動が早い、というよりも己の頭が働いていないだけかもしれない、とエールゼクスは少しばかり反省しつつ、再び退避を陸軍へ促そうとした、瞬間。

 地鳴りがして、足元がぐらつく。間違いない、地下に埋めた爆弾が爆発する際の感覚だ。カルルスタイン機関で訓練兵だった頃に、敵を仕留める為にありとあらゆる事を学んだが、まさか自分が殺される側になるなど、エールゼクスは思ってもいなかった。

「みんな、逃げて!!」

 そう叫んだエールゼクスの声は、爆発音にかき消された。地面は割れ、足場がなくなり、まるで空中に放り出されたかのように身体が宙に浮く。
 悲鳴を上げる暇もなく、死を覚悟したエールゼクスの視線の先には、こちらに手を伸ばすアードライの姿があった。必死でその手を取ろうとするも、指先が触れる事もなく、背中に何かがぶつかる。その衝撃と共に、エールゼクスの視界は暗転し、そのまま意識を失ったのだった。

2020/01/30

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