腐敗の白


「陸軍の作戦に介入する? アードライ、本気で言ってるの?」
「私が君に不誠実な態度を取った事は一度もないと記憶しているが」
「いや、それはまあ、そうなんだけど……」


 アードライの言い分は理解出来る……が、月軌道軍である己たちが、いくら新型兵器の試運転の為地球に降り立っているとはいえ、我儘で陸軍の作戦に横入りするなど許されるのだろうか、とエールゼクスは難色を露わにした。本来己たちがそんな事をする理由はない。
 それなのに何故アードライがそんな事を言い出したかというと、今この瞬間、ヴァルヴレイヴのパイロット達が突如月から地球に降り立ったという情報を得たからである。
 その中には当然、エルエルフもいる事は想像に容易かった。素人集団である学生たちには、エルエルフの存在が必要不可欠である事ぐらい、考えずとも分かっていた。

 エルエルフ達を捕える為にドルシア陸軍が動き出したのだが、その情報が己たちに入って来るや否や、アードライは即座に陸軍への協力を志願したというのが事の顛末である。


「私達が出しゃばっても良いものなのかな……イクスはどう思う?」
「私か?」
「イクスが一番客観的な意見をくれそうだと思ったから」


 エールゼクスがイクスアインに軽口を叩いたが、それに対してハーノインが反論する様子はなかった。いつもなら己がこう言えば、真っ先にハーノインが「俺じゃ頼りにならないのか」等と言ってくるのだが、そんな様子は微塵もなく、どこか上の空であるようにも見える。
 やはり、二ヶ月前の任務でカインの人ならざる姿を目の当たりにして、ハーノインも思うところがあるのだろう、とエールゼクスは推察した。イクスアインは特にカインを崇拝している事を鑑みれば、二人の仲がぎくしゃくするのも分からない話ではない。
 後でハーノインにそれとなく話を聞いてみよう。そう意を決すると同時に、イクスアインが質問に答えてエールゼクスは我に返った。

「カイン様の許可を取らずに勝手な行動を取るのは得策ではないな。まずはカイン様に指示を仰ぐべきだろう」

 要するに、カインが頷かない限り、イクスアインは陸軍への合流に反対という事だ。
 正直、今の己たちはただひたすら訓練をこなすだけの日々であり、次の実践がいつになるかは不明である。陸軍への協力も、見方によっては奉仕活動と言えなくもないが、己たちパーフェクツォン・アミーがそこまでする必要はない。

「クーフィアはどう思う?」

 エールゼクスは続いて、少し離れた場所で携帯型のゲーム機を弄っているクーフィアへ声を掛けた。ゲームに集中している状態でも、意外にこちらの話は耳に入っているようで、少し時間を置いて指を止めれば、エールゼクスの方へ顔を向けた。キリの良いところでゲームを一時停止させたのだろう。

「ねえ、それってエルエルフと戦えるって事?」
「多分ね。前線にヴァルヴレイヴのパイロットを立たせて、エルエルフは隠れてる可能性もあるけど」
「行く! 引きずり出して殺してやるもんね!」

 戦闘好きのクーフィアなら、訓練に退屈してこの話に乗ってくれる可能性がこの中では一番高いと思っていた為、エールゼクスはひとまず胸を撫で下ろした。
 そして最後に、ハーノインへ視線を移す。

「これってまさか多数決か?」
「もちろん」

 面倒臭そうに頬を引き攣らせながら訊ねるハーノインに、エールゼクスは容赦なく頷いた。
 ハーノインはこと政治事には興味がなく、陸軍がどうなろうと知った事ではないだろう。それがごく当たり前の反応であるがゆえに、エールゼクスは特に何も思わなかった。アードライのように志の高い軍人がかえって珍しいのだ。
 尤も、今回はエルエルフが絡んでいる事もあり、アードライの意志は固く、変えられないだろう。多数決とはいえ、二の足を踏んでいるハーノインとイクスアインを無理矢理同行させるのもどうかとエールゼクスは複雑な心境であったが、意外にもイクスアインは気が変わったらしい。

「カイン様には私から、これから陸軍と合流する旨を連絡しよう」
「えっ? イクス、いいの?」
「多数決なら仕方ないだろ。行くなら早い方がいい」

 正直言ってエールゼクスはリーダーでも何でもなく寧ろ一番下っ端と言っても過言ではなく、仕切ったところで無視されるのが当たり前だと思っており、てっきりアードライとクーフィアと三人で行動する事になる事を覚悟していたくらいであった。
 イクスアインの切り替えの早さに驚きつつも、微妙に仲間内がぎくしゃくしている状況下ゆえに、離れ離れにならずに皆で一緒に行動出来る事に、エールゼクスは内心安堵していた。

 そんなエールゼクスとは反対に、アードライは酷く驚いた顔をしてみせた。

「良いのか? これは任務ではないのだから、無理に付き合わなくても構わないが……」
「いや、やっぱりパーフェクツォン・アミーは皆一緒じゃないと。それに私はどのみちついて行くつもりだったし……アードライが迷惑じゃなければ、だけど」
「迷惑など一度たりとも思ったことはない。君がいれば心強い」

 遠慮がちに訊ねるエールゼクスに、アードライは安心させるように微笑を湛えてきっぱりと言ってのけた。あまりにも迷いのない声で言われ、エールゼクスの頬は瞬く間に紅潮し、他三人から呆れるような溜息が漏れる。

「エルゼ、遊びに行くんじゃないんだからな」
「うるさい。それぐらい分かってるから」

 呆れがちに苦言を呈すハーノインに、エールゼクスは眉間に皺を寄せて反論した。もののついでとばかりに、エールゼクスはハーノインの傍まで歩み寄り、こっそりと耳打ちした。

「ていうか、イクスと仲直りしてよ? 任務が終わっても仲直りしてなかったら、さすがに私も口を出すからね」
「別に喧嘩なんてしてねぇよ」
「そう? カイン大佐の事で……色々あったし、やりにくいんだろうなと思ってたんだけど」

 言い難い事ではあったが、先に釘を刺しておかないと、任務中に更にハーノインとイクスアインの関係が悪化したら堪ったものではない。そもそも己が間に入ったところで二人の関係が修復されるとは限らないし、不要な心配であれば良いのだが。
 エールゼクスは余計なお節介である事を承知の上で、それとなく切り出したところ、ハーノインは一瞬目を見開けば、真剣な眼差しをエールゼクスへ向けた。

「エルゼ。『あの事』は誰にも言ってないよな?」

 ハーノインの言う『あの事』とは、聞き返すまでもなく分かる事であった。カインが宇宙で見せた、人ならざる行動の事である。

「言うわけないよ。言ったって誰も信じてくれないの、分かってるし」
「了解。いいかエルゼ、何かあったらクリムねーさんを頼れ」
「お姉様を?」
「あの人にはこれまでの事を全て共有してる。身の危険を感じたり、異変があればすぐに姐さんと合流しろ。いいな?」

 何かあったら、だなんて。一体何が起こるというのかとエールゼクスは訝しく思ったが、あまりにも緊迫した雰囲気に圧され、全てを理解する前にハーノインの言葉に即座に頷いた。

「何の話だ?」

 不審に思ったのか、イクスアインがこちらに近付いて来るのと同時に、ハーノインはエールゼクスから顔を離した。イクスアインは己以上にカインの事を崇拝しており、まさか大佐が人間ではないかも知れないなんて口が裂けても言えない。少なくとも今は隠しておいた方がお互いの為である。
 エールゼクスは平静を装って、眉を下げて困惑している表情を作ってイクスアインに言葉を返した。

「クリムヒルト少佐の話だよ。ハーノもさあ、私に恋愛話振られても困るんだけど」

 嘘を吐くのは心苦しいが、今はこうするしかない。エールゼクスはイクスアインに心の中で詫びながら、嘘と真を交えて自然にそう答えてみせた。





 急遽陸軍に飛び入り参加する事になり、自室で準備をしていたエールゼクスの元に、思いもよらない人物が訪れた。出発時刻が前倒しになったのかと、エールゼクスは扉を軽く叩く音が聞こえるや否や慌てて飛び出した。扉の向こうにいたのは、イクスアインであった。

「忙しいところすまないな」
「……イクス、どうしたの? まさか今になって行かないほうがいいとか?」
「止めたって聞かないだろう。私とて無意味な行動を取る程暇じゃない」
「酷い言われよう」

 一応他人の意見を聞く柔軟さは持ち合わせているつもりだ、とエールゼクスは言い返そうとしたが、暇じゃないのは己も同じである。イクスアインが無駄話をしに来るとは思えず、用件だけを言いに来たのだろう。一緒に陸軍に合流するのだし、仮に現地で別行動になったとしても、仲間との連絡が完全に取れなくなるわけではない。
 それを踏まえると、他言したくない話なのだと考えられた。己にそんな話があるとは思えないものの、エールゼクスは素直に聞く姿勢を見せた。
 イクスアインの手を引き部屋を招き入れ、扉を閉めれば、エールゼクスは簡潔に訊ねた。

「それで、用件は?」
「エルゼに頼みがある。念の為、アードライが不審な動きをしないか見張っていてくれないか?」
「アードライが? まさか」

『不審な動き』など、まるでアードライが裏切り行為を働いているとでも言うような表現ではないか。そんな事は断じて有り得ない。エールゼクスはそう断言出来るが、いつだって慎重かつ冷静であるイクスアインが何の確証もなく、そんな事を言うとも思えなかった。

「エルゼがアードライの事を好きなのは分かっているが、だからこそ心に留めておいて欲しい」
「いや、あのさあ。好きっていっても、今すぐに何がどうなるわけじゃないから」
「……最近、王党派の動きが活発でな。カイン様も憂慮していらっしゃる」
「つまり、大佐がアードライの事を王党派だと疑っているって事? そんな……」

 アードライがこのドルシアという国を変えたい、と言っていたのは記憶に新しい。だが、まさか王党派復権を目論んでいるなど、アードライが考えるだろうか。それがアードライの成し遂げたい事とは思えない。だが、エールゼクスはイクスアインの言葉を否定する気にもなれなかった。

「……アードライ本人がどうこう、っていうよりも、元王族のアードライを利用しようとする王党派がいてもおかしくはないね」
「流石だ、エルゼ」
「別に褒められるような事じゃないけど。だって、アードライが私利私欲で仲間を裏切るとは思えない」

 今回、陸軍に協力する運びになったのは、エルエルフの事が絡んでいるのが大きいと皆言わずとも分かっている。仲間の裏切りという不始末を片付ける責任が己たちにはあり、陸軍がエルエルフを確保出来るとも限らない。
 アードライが今回動いたのは、決して裏切り行為を働くという目的ではない。エールゼクスはそう言い切る事が出来た。

「ああ、私もアードライが王党派に協力しているとは思いたくない。だからこそ、エルゼがしっかりアードライの事を守ってやってくれ」
「私に出来るかな……いや、そんな事言ってられないよね。やるしかない」

 今はもう、カルルスタイン機関にいた頃のように守られているばかりの存在ではいられないのだ。己の実力がどうであれ、甘えは許されない。
 好きな人を守りたいと思い、努力するだけで終わるのではなく、それを実行する時が来たという事だ。もう腹を括るしかないと、エールゼクスはイクスアインをまっすぐな瞳で見上げて、はっきりと口にした。

「アードライは私が守る」
「……エルゼも大人になったな」
「全然。でも、いつかは変わらなきゃいけない。きっと今がその時なんだと思う」
「頼もしい。だが、無理はするなよ。異変があればすぐに私に共有して欲しい。いざとなれば助けに行く」

 普段なら仲間に迷惑は掛けたくないと思うところだが、王党派が裏で画策しているというのであれば話は別だ。逐一報告した方が良いし、いざとなれば助けを求める事で、結果的に最悪の自体は免れるだろう。己の保身に囚われる事で自滅する者を、エールゼクスはこれまでに何人も見て来ていた。

 話は終わり、イクスアインが部屋を後にした後。余計な事を考えている時間はなく、エールゼクスは準備を再開したものの、何かを忘れている気がしていた。思い出したのは、陸軍に合流した後、結果的にハーノインやイクスアインと別行動になってからであった。
 ハーノインと仲直りして欲しい。
 イクスアインにもそう伝えたかったのに、アードライの事に囚われてすっかり頭から抜け落ちてしまっていた。

 イクスアインが信頼すべきなのはカインではなく、親友のハーノインである。それはエールゼクスも同様であり、人ならざる存在であるカインではなく、クリムヒルトを頼れというハーノインの言葉が正しかったのだと、この時はまだ気付く由もなかったのだった。

2020/01/25

- ナノ -