真実は華奢な胸の内に


 モジュール77の月到達から二ヶ月が経過した頃。咲森学園の生徒たちは、ドルシア軍のジオール占領を不当とし、国際社会に訴え、それにより『新生ジオール』として国連会議で正式に国家としての主権が認められる事となった。
 だが、それはあくまで表向きのポーズであり、教師二人を除けば子供たちしかいない国に為政など出来るわけがなく、結局のところARUSの属国のような状態となっていた。
 そんな状況を打破する為、エルエルフは地球降下作戦を立ち上げた。地球のジオール本国を偵察し、新生ジオールにとって有力な人材を連れ帰る事が目的であった。

 時を同じくして、エールゼクスが所属するパーフェクツォン・アミーの面々は、新型機『キルシュバオム』の試験運用のため、宇宙から地球、ドルシアへと降り立っていた。
 この日もエールエクスはいつものように教練場で訓練に励んでいたものの、メンバーが一人足りない事に気が付いた。
 このパーフェクツォン・アミーのムードメーカーでもある、ハーノインの姿が見当たらないのだ。

「ねえイクス。ハーノ、体調でも悪いの?」
「さあな」

 イクスアインの素っ気無い態度に、エールゼクスは少しばかり呆気に取られてしまった。いつも己に対しては優しいというのに、こういう態度を取るという事は、つまり。

「エールゼクス、話がある」
「は、はいっ!?」

 突然背後から話し掛けられ、エールゼクスは素っ頓狂な声をあげた。声の主は、エールゼクスが恋焦がれる青年――アードライであった。

「その返事は了承と捉えて良いのだろうか?」
「はいっ、勿論!」
「では……」

 アードライは一瞬悩む素振りを見せたものの、すぐにいつも通りの毅然とした態度に戻った。

「今夜、私の部屋に来て欲しい」
「うん、わかった。…………って、ええ!?」
「驚くような事だろうか? 不都合があるようであれば、私が君の部屋に赴くが」
「いえ! こちらから伺わせて頂きますっ!」

 緊張のあまり敬語になってしまっているエールゼクスに、アードライは微笑を零しつつ踵を返した。
 アードライと入れ替わるように、一部始終を見ていたイクスアインがエールゼクスの耳元で囁く。

「頑張れよ、エルゼ」
「何を!?」
「アードライの事が好きなんだろう?」
「いや! ええと、まあ、そうだけど……そういう話ではないと思うよ?」

 エールゼクスは羞恥心を隠すように暈してそう返したが、どういう訳かイクスアインから今までの穏やかな笑みが消え、冷たい表情へと変わる。己の前では見せたことのない表情に、エールゼクスは慌てて口を開いた。

「私、何か変な事言った?」
「いや、色恋沙汰の話ではないとしたら、どういう話題なのかと思ってな」
「うーん……エルエルフ絡みの話かな? でもそれだと皆の前でも出来る話だよね。なんだろう……私が最近成長してるとか、あるいはその逆とか、私個人の話なのかもね」

 正直、エールゼクスも一体何の話があるのかまるで見当が付かなかったが、それよりもイクスアインの様子が気に掛かった。ハーノインとも、まるで仲違いしているというか、以前のような信頼関係が薄れているような気がしたのだ。

「内容によってはイクスにも共有するからさ」
「有り難う。そうして貰えると助かる」
「隠し事は良くないからね。仲間なんだし」

 エールゼクスはごく当たり前の事を言ったつもりであったが、その言葉にイクスアインの表情が和らいだ。やはりハーノインと何かあったのだろう、とエールゼクスは推察したものの、それを口にする事はしなかった。仲間とはいえ、其々のプライベートは尊重すべきだからだ。

 話もまとまったところで、クーフィアがこちらへ駆けて来るのが視界に入り、エールゼクスは顔を向けた。

「クーフィアも訓練終わり? いつも頑張ってるね」
「ここのところ戦闘もなくて退屈だしね。こんな訓練じゃ退屈凌ぎにもならないけど」

 己が必死でこなす訓練もクーフィアは汗ひとつ流さずにこなしてしまい、これが才能の差か、と内心自嘲するエールゼクスに、クーフィアは思いも寄らぬ事を口にした。

「ねえ、エールゼクスはどう思う?」
「何が?」
「エルエルフだよ。これで終わりだと思う?」

 エールゼクスはクーフィアの質問の意図を理解し、首を横に振ってそれに答えた。クーフィアはカルルスタイン機関の規則に法り、己たちを裏切ったエルエルフを殺したい――すなわち再び戦場で相見えたいのだと、エールゼクスとて理解している。

「新生ジオールが独立したところで、結局はARUSの傘下みたいな状態になってるし、乗っ取られるのも時間の問題。あのエルエルフがそれを由とはしないだろうね」
「エールゼクスも、エルエルフとまた戦えるって思う?」
「たぶん、ね。向こうが動けばこちらも動かざるを得ないだろうから。もっとも、どうしてエルエルフがドルシアを裏切ってジオールに亡命したのかが分からない以上、憶測でしかないけど」

 クーフィアと話していて、やっぱりアードライの話はエルエルフに関する事なのだろう、と結論付け、納得しつつも『そういう話』では全くもってない事に、エールゼクスは不謹慎ながらもほんの少しだけ気落ちしてしまったのだった。





「失礼します……」

 アードライの部屋に足を踏み入れたエールゼクスは、促されるまま椅子に腰かけるも、終始落ち着かない様子であった。アードライが一度席を外し、二人分のティーカップを手に戻って来るや否や、安堵の溜息を吐いたくらいである。色恋沙汰の話では絶対にないとはいえ、どうにも緊張してしまうのだった。

 目の前のテーブルに置かれたティーカップには、ミルクティーが注がれていた。アードライは基本的にストレートでしか飲まない為、わざわざ自分の為に用意してくれたのだと思うと、嬉しい気持ちと申し訳ない気持ちが交錯するエールゼクスであった。

「わざわざごめんね。私のもストレートで良かったのに」
「飲めるようになったのか?」
「失礼な、とっくに飲めますっ!」
「すまない。無意識に君のことを子供扱いしてしまっていたな」
「別にいいけど。美味しいし……」

 己はアードライにとって、機関にいた頃の子供の姿のままなのだと思うと、エールゼクスは年甲斐もなく不貞腐れてしまっていた。そもそも己がアードライに呼ばれたのは、他の皆には言えない重要な話があるからであって、プライベートで友好を深めようという目的ではない。エールゼクスは改めてそう思って、恋する相手の淹れてくれた紅茶を微妙な心境で味わいつつ、話を切り出した。

「はあ、美味し……で、話って何だろう」
「エールゼクス。君は……この国の現状についてどう思う?」
「へ?」

 まさかそんな仰々しい話を振られるとは夢にも思っておらず、エールゼクスは間の抜けた声を上げた。だが、そんな腑抜けた己を見てもアードライは至って真剣な眼差しを向けており、エールゼクスはすぐに気を取り直した。

 この国の現状。エールゼクスはドルシアに忠誠を誓う軍人ではあるが、本当に心の底からこの国に命を捧げようと思っているわけではない。己が命を捧げるのは、天涯孤独の身となった幼い己を救ってくれたカイン大佐である。国と人は別であると考えているエールゼクスにとって、その答えを口にするのは容易かった。

 軍に所属する人間である以上、時として建前は必要である。だが、目の前のアードライは己にどんな答えを期待しているのだろうか。大前提として、彼はそもそも己のような一般人ではない。元はドルシア皇族の人間なのだ。そんな彼が己ひとりを呼び出し、国の現状を問うという事は――今のドルシアという国に不満を抱いているという事実に他ならない。

「あえて二人きりの空間でそういう質問をするって事は、私に本音を言って欲しいって事でいいよね」
「私の出自に気を遣う必要はない。君個人の意見を聞きたい」
「そりゃあ……」

 この部屋に盗聴器でも仕掛けられていたら、軍人の資格を剥奪されるどころか、最悪拷問、処刑される可能性も無きにしも非ずだ。けれど、アードライを信じよう。エールゼクスはティーカップを机上に置けば、ひとつ息を呑んで、静かに言葉を紡いだ。

「どう見たって『良い』とは言えないよ。他国、それも中立国に戦争を吹っ掛けるなんて、国が傾いている証拠。現に苦しい生活を強いられてる民衆は数多くいる。ジオールを支配して技術を奪ったところで、他の国が黙ってない……終わらない戦争を続けた先に、未来はあるのかな」

 胸の奥で燻っている本音を零したものの、さすがに言い過ぎたかとエールゼクスは恐る恐るアードライを見つめたが、己の発言を咎めるような雰囲気ではなく、寧ろどこか安堵しているように見えた。

「ま、まあ、こうやってもやもやしたところで、じゃあどうすればこの国を変えられるのかなんて見当も付かないから、黙って軍人としての務めを果たすしかないんだけどね……」
「いや、君がそのような思いを抱いていると分かっただけで安心した」
「安心?」
「今の軍のやり方を良いと思ってはいない、という事だろう?」
「……うん」

 アードライの言う通り、条約違反を犯し、多くの民間人を巻き添えにしてまで作戦を進める今のドルシア軍のやり方は、人の心を失っていなければ許されるものではない。

「でも、『出来ない』なんて言えない。機関で多くの人を手にかけて来た事を考えたら、今更綺麗事なんて……」
「だが、心のどこかで間違っていると思うからこそ、私に話してくれたのだろう?」
「そうだけど、軍や国を変えるなんて出来もしないのに、いくら考えたって……」
「私はいずれ変えるつもりでいる」

 さすがにエールゼクスも言葉を失った。アードライの目に迷いはなく、本気で言っているのだと察するや否や、何も考えずに思った事を口にしてしまった己の浅はかさにエールゼクスは情けなく思ってしまった。だが、アードライはそんな風には思っておらず、寧ろ自身の胸中を打ち明けるに相応しいと捉えていたのだった。

「私は、エルエルフと共にこの国を変えると誓っていた。だが……」
「突然エルエルフが裏切ってジオールに亡命した……ううん、突然じゃなくてずっとそうしたかったのかも」
「私では力不足だったという事なのだろう」

 そんな事あるわけない、とエールゼクスは言い掛けたが、その根拠を言葉で表す事が出来ず、無責任な事を言うわけにもいかず、黙り込んでしまった。
 だが、疑問を口にすることなら出来る。

「……でも、エルエルフと約束したんだよね? それを無下にするとは思えないし、ジオールへの亡命が、ドルシアを変えることに繋がるとも思えない。やっぱり、どう考えても不可解なんだよね」
「エルエルフの裏切りに何か別の理由があると?」
「分からない……でも、分からないまま終わりにしたらいけないとも思う」
「君がそこまでエルエルフの事を気に掛けるとは、意外だな」
「ずっと一緒に戦って来た仲間でしょ? こんな形で敵対するなんて、どうしても納得できない」

 エールゼクスは、ヴァルヴレイヴに関する不可解な事象については今はまだ黙っておく事にした。アードライに気が触れたとでも思われたら堪ったものではない。
 エルエルフが突然裏切り、アードライを撃った事。アードライが撃ち殺した筈の時縞ハルトが生き返った事。カインが謎の力で浮遊した事。ハーノインが詳しい事を知っているであろう事。全てが繋がっているような気がするが、己の考えが正しいと証明する術がない以上、エールゼクスは黙秘するしかなかった。

「ずっと一緒に戦って来た、仲間……か」
「そうだよ。それに、ハーノとイクスも最近ぎくしゃくしてるしさ。こういう時こそ団結しないといけないのに……本当、どうしちゃったんだろう」
「あの二人がか? ただの喧嘩なら良いが……私も注視しておこう」

 まさかハーノインがクリムヒルトと情報共有を行っているなど知る由もないエールゼクスは、単なる喧嘩だと思い込んでおり、皆が思っている以上に溝は深い事に気付いていなかった。

「……ありがとう、エールゼクス」
「いや、お礼を言われる事なんて何もしてないよ。それに、私なんかじゃエルエルフの代わりにはなれないし」
「代わりになりたいと思っていたのか?」
「え!? いや、無理なのになりたいなんて思わないけど……でも、アードライの隣に立つ事は出来なくても、背中を追ってついて行く事は出来るから」

 そう口にして、改めて軍人らしからぬ後ろ向きな発言だとエールゼクスは苦笑せざるを得なかったが、アードライは自身の思いを肯定してくれたエールゼクスの事を、守るべき存在というだけではなく、己と共に戦う同志であると認めたのだった。

2020/01/18

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