ともしびはフィザリスのもとに


 エルエルフ達との戦力差はあるものの、エールゼクスも徐々に過酷な訓練に慣れていった。慣れると称するよりも、感覚が麻痺していったという方が近いかも知れない。この班の任務は専ら敵軍の殲滅――つまり、人を殺す事であった。
 このカルルスタイン機関で生き残るためには、綺麗事は捨てなければならない。入隊試験の時点で人を殺めているのだから、今更良心を持った人間の振りをしたところで、とんだ笑い種である。
 エールゼクスに出来る事、やるべき事は、無事このカルルスタイン機関を卒業して軍人になる事である。
 それが、己が殺めた同胞への弔いでもあった。

 機械のように感情を捨て、目の前の任務だけに集中し日々を過ごしていたエールゼクスであったが、ある日壁にぶつかる事となった。
 きっかけはエルエルフ、そしてアードライと共に三人で行動する事になった任務で起こった出来事であった。





「……どうしよう」

 つい宛てのない独り言を零してしまうほど、エールゼクスは平常心を失っていた。任務の途中で足を挫いてしまい、よくある事だとそのまま任務を遂行したのだが、痛みは引く気配がなく、寧ろ悪化しているように感じるのだ。
 今は丁度エルエルフとアードライとは別行動を取っており、中継地に向かっているところであり、だからこそ自然と弱音も口をついたのだが、言葉にしたところで問題は解決しない。

 不幸中の幸いか、己がやるべき事は全て片付き、後は二人と合流して帰還するのみであった。
 とはいえ、足首の痛みが引かない事に変わりはない。切傷なら応急処置も可能だが、あいにく捻挫した足首を補強するものは持ち合わせておらず、ただただ己の馬鹿さ加減を呪うばかりであった。





「無事任務を終えたようだな、エールゼクス」
「ま、まあね」
「一番難易度の低い任務を割り当てたのだから当然だがな」
「分かってるよ、それくらい」

 中継地には既にエルエルフが待機しており、普段通りにエールゼクスに厳しい態度を向けた。己が足を痛めている事への言及がない事に、エールゼクスは今の歩き方が傍から見て負傷しているようには見えないのだと、安堵の息を吐いた。尤も、エルエルフが仲間の異変に気付かないわけがないのだが、この時のエールゼクスには冷静に考える余裕などなかったのだった。

 エルエルフと任務報告以外の話をする事もなく、間もなくしてアードライも合流し、エールゼクスは痛む足と共に帰還する事となった。





「エールゼクス、大丈夫なのか?」

 帰路を辿る途中。エールゼクスにそう声を掛けたのはアードライだった。
 足を引きずらないよう努めているつもりであったが、やはり誤魔化しは利かないか、と覚悟を決めた。

「ごめん、実はちょっと足挫いちゃって……」
「『ちょっと』で済んでいるようには見えないがな」

 エールゼクスの自白に応えたのは、アードライではなくエルエルフであった。

「中継地に着いた時点で負傷していたと仮定し、今この時刻を以てしても痛みが引かないのであれば、単なる捻挫ではない」
「……靭帯の損傷か」
「そう考えるのが妥当だ。初手を誤れば後々引きずるだろう」

 二人の会話に、エールゼクスはまさか、と言い掛けたが、基本的にエルエルフの言う事に間違いはない。確かに、経験則からただの捻挫ならとうに痛みも引いている筈であり、寧ろ今は痛みが悪化しているような気がする位であった。

「……ごめん」
「何故謝る」
「不注意で二人に迷惑を掛けてるから……」

 いつもエルエルフは己に対して厳しいが、今回に限っては全面的に己が悪く、エールゼクスは素直に謝罪の言葉を口にした。だが、その理由にエルエルフは納得せず、厳しい口調で言い放った。

「ああ、その通りだ」

 現に、こうして遣り取りしている間も時間は過ぎて行く。その分帰還の時刻も後倒しになる。己を置いて二人で帰還することが可能なら良いものの、あいにくこのカルルスタイン機関は班での行動は連帯責任であり、一人が裏切れば全員の責任となり、一人のミスは全員で補わなければならないのだ。

「お前が俺と合流した時点で素直に打ち明けていれば、その場で何らかの対処が出来た筈だ。もうここまで進んでしまっては、下手に動くより目的地に到達してから処置した方が早いだろうがな」

 エルエルフはエールゼクスを責めてはいるものの、怒っているというよりも呆れているという様子で、溜息交じりにそう言い捨てた。
 エールゼクスもさすがにエルエルフが何を言いたいのかは理解出来た。己が二人に迷惑を掛けたことに関して申し訳ないと思うのは当然だが、負傷した事を素直に打ち明けず隠そうとした事に対して謝るべきだったのだ。

「本当に……ごめんなさい」

 エルエルフは何も言わなかったが、アードライと目配せをした後、再び歩き始めた。謝罪を聞いたところで足が治るわけでもなく、これ以上何かを話すのは時間の無駄だと判断した故であろう。
 さすがにエールゼクスも余計な事を言う気にはなれず、痛む足を庇いながら歩き出した瞬間。
 手を掴まれ、咄嗟に振り替えるとそこには顔を顰めてエールゼクスを見つめるアードライの姿があった。

「あの……ごめんね。なんとか歩けるから、気にしないで」
「君を放っておけるわけがない」

 アードライは何の迷いもなくきっぱりとそう言えば、エールゼクスの前で背を向け、その場にしゃがみ込んだ。背負って行く、と言いたいのだという事はエールゼクスもすぐに察しが付いたが、さすがにそこまで甘えるわけにはいかない。

「駄目だよ、アードライ。皆任務で疲れてるのに、負担を掛けるわけにはいかないよ」
「エルエルフも初手が重要だと言っていただろう。ここで無理をしたら取り返しの付かない事になる」
「そんな、大袈裟だよ」

 そう言っても、アードライは立ち上がる気配がない。確かにアードライの言葉、というよりエルエルフの言葉に間違いはないのだから、ここで意地を張るほうが後々皆に迷惑を掛けるというものだ。この任務を乗り切りさえすれば良いという単純な話ではない。この機関を卒業するまで、今のメンバーで頑張って行かなくてはならないのだから。

「……ごめんね」

 エールゼクスは今にも泣きそうな声で呟けば、アードライの背に身を預け、腕を回した。己より背は高いものの、互いに子どもであるがゆえに決して体格が良いとは言えないアードライに、負担を掛けてしまっている事が辛かったが、当の相手は特に気にしていないようにも見えた。女子ひとり背負って歩くのにいちいち泣き言を言っていられない、という事なのかも知れないが、エールゼクスは申し訳なく思う反面、アードライがとても頼もしく見えた。

「謝りたい気持ちは分からないでもないが、今は早く治すことだけを考えた方がいい」
「……うん、そうする」
「私がエルエルフより先に着いていれば、君も負傷の事を言い出せたのかも知れないが……」
「ううん、それは違う。きっと相手がアードライでも、隠してたと思う……」

 まさかアードライが自分自身を責めているのではないかと思い、エールゼクスはすぐに否定した。相手がエルエルフだから言い出せなかったのではない。相手が誰であっても同じだったのだ。結局のところ、言い出せなかった理由は『皆の足を引っ張りたくない』――つまり、自分を取り繕いたいだけなのだから。

「弱さを隠したって強くなれるわけじゃないのにね。私、本当に馬鹿な事した」
「もう答えが出ているなら大丈夫だな」
「え?」
「自分の弱さを認めて受け容れる事が、エールゼクスの言う『強さ』にいずれ繋がる……きっとそうだと思う」

 決して断言ではなく希望的観測に過ぎないが、アードライにそう言われると、確かにそうかもしれないと思えてしまうから不思議なものだ。エールゼクスはこの状況下で優しくされた事が嬉しくて、つい感極まって目の奥が熱くなった。泣くまいと必死に涙を堪えたが、つい鼻を啜ってしまった。

「痛むのか?」
「ううん、大丈夫。アードライが背負ってくれてるから……」

 ふとエールゼクスが顔を上げると、少し離れた場所でエルエルフが時折振り返ってこちらの様子を見ながら歩を進めている様子が視界に入った。
 目が合った瞬間、エールゼクスは何か言わなくてはならないと思ったが、どうにも謝罪の言葉以外が出て来ない。
 何か言いたそうにしているエールゼクスを一瞥して、エルエルフは立ち止まって口を開いた。

「アードライの優しさに感謝する事だな」
「……うん」
「これに懲りたら、今後はより一層障害物に気を配る事だ。それと、イレギュラーが発生した際はいかなる理由があっても共有しろ」
「はい……」

 まるで借りて来た猫のようにおとなしく頷くエールゼクスに、エルエルフはひとまず己の言いたいことが伝わり満足したのか、再び背を向けて歩き始めた。明らかに速度を落としている事がエールゼクスにも分かり、彼も彼なりに己に対して気を遣っているのだと、ますます自分が情けなくなった。
 エルエルフは己の負傷に初めから気付いていたであろう事を、エールゼクスは漸く理解した。己が言い出すのを待っていた、というより試していたのだろう。自分可愛さで負傷を隠さず素直に打ち明けていれば、エルエルフが先程言ったように、その場で何らかの応急処置が出来た可能性もあるのだから、全面的に己の判断ミスであった。

 黙り込むエールゼクスにアードライは、エルエルフに叱責されて落ち込んでいるのかと思い話し掛けた。

「誤解がないよう言っておくが、エルエルフは君の為を思って苦言を呈しているのであって、別に君を苛めたいわけじゃない」
「分かってる、だからこそ自分が情けなくて」
「それなら、あまり自分を追い詰めるな。エルエルフの言う通り次からは気を付ければ良い話なのだからな」
「うん……ありがとう」

 自然と口をついた感謝の言葉に、アードライは笑みを浮かべたが、背負われているエールゼクスがその表情を窺う事は出来なかった。だが、迷惑を掛けたくないという気持ちに加え、いつでも己の味方になってくれるアードライに信頼を寄せるようになり、次第に異性として意識するようになるのは時間の問題であった。

2019/11/09

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