キュリオシティ

 合宿一日目の深夜、無人のレストハウスにて。
 嵐の中、夜の海で遭難した己を助けようとしてくれた真琴先輩と、続いて助けに来た渚くん、遙先輩と共に、暖を取りにレストハウスに入ったのはいいものの、時間つぶしがてら何故か暴露大会が繰り広げられていた。
 と言っても、賽子に振られた名前は何故か己の数が多く、恥ずかしい暴露話はほぼ己が担当になっているのだが。

「はい、次は怜ちゃんの番!」
「『次は』じゃなくて『次も』じゃないですかっ!!」

 転がされた賽子の目は、またしても己の名前を上にして止まる。渚くんは実に嬉しそうな笑みを浮かべれば、己を指差してお題を口にした。

「じゃあ、お題は……『恋の話』!!」
「それさっき遙先輩が消化したじゃないですか」
「ハルちゃんの恋バナは全然恋バナじゃなかったし」
「いや、確かにそうでしたけど……」

 だからといって何故己が犠牲にならなければならないのか。よりによって恋バナだなんて、彼女のことを言えと命じられているようなものではないか。

「どうしても恋バナじゃないと駄目ですか」
「えー、怜ちゃん恋バナなら山のようにネタがあるでしょ?」
「一体僕は渚くんの中でどういうキャラ付けされてるんですかっ!」
「そういう意味じゃなくて、悠ちゃんとの話聞きたいな〜って」

 ごく当たり前のようにしれっと彼女の名前を出されて、気が動転しないわけがない。いや、大丈夫だ。冷静になれ。そもそも己と彼女はそういう関係では断じてなく、強いて言うならば友人であり、いや、友人と称する程仲が良いわけではない。彼女のアルバイト先に行くことがあるとはいえ、互いに饒舌に話すわけでもない。つまりただのクラスメイトではないか。よし、大丈夫だ。

「怜ちゃん、顔真っ赤〜」
「は!?」

 大丈夫だと思った矢先に指摘され、条件反射的に狼狽してしまったが、本当に己が紅潮していたのかを知る術はない。ふと視線を真琴先輩へ移せば、苦笑とも取れる困った微笑がそこにあった。

「怜、赤くなってないよ、大丈夫」

 どう考えても真琴先輩は嘘を言う人間ではない。ということは。

「やっぱり赤くなってなかったじゃないですか! 渚くんっ!!」
「ごめんごめん、でも怜ちゃん難しそうな顔で考え込んでたから、つい」
「『つい』で嘘を吐かないでくださいよ!」
「って言ってるうちに本当に赤くなったね」
「誰のせいだと思ってるんですか〜っ!」

 ひとしきり声を荒げた後、はっとした。このリアクションでは、まるで己が彼女を好いていると思われても仕方がないではないか。案の定、渚くんは屈託のない笑みをこちらへ向けており、実に嬉しそうである。
 己がどうこう、というより彼女の名誉の為に、ここははっきりと言っておいた方がいいだろう。ごくりと息を飲めば、渚くんに向き直った。

「……この際だからはっきりと言っておきますが、僕と悠さんは決して渚くんが期待するような関係ではありませんからね!」

 別におかしな発言をしたつもりはない。というか、この類の発言は日常発言である。筈なのだが。
 渚くんだけでなく、真琴先輩も少し驚いた顔をして己を見ている。遙先輩だけは相変わらず、我関せずとった表情をしているが、青の双眸は己に向けられている。

「……あの、皆さん、どうされたんですか?」
「怜ちゃん、いつから悠ちゃんのこと『悠さん』って呼ぶようになったの?」
「あ」

 後悔してももう手遅れだ。下の名前で呼ぶことに決めたのが切欠で、ついうっかり口にしてしまった。いや、下の名前で呼ぶくらいごく当たり前のことだ。動揺する必要なんてない。何も隠す必要などなく、ごく当たり前のことを、ごく当たり前のように言えば良いだけである。

「今日、ですね。自然に話の流れで、下の名前で呼ぼう、と――」
「おおーっ! これは大きな前進だよっ! そうだよね、マコちゃんっ?」

 渚くんは『ごく当たり前のこと』だと捉えなかったらしく、身を乗り出して来ては瞳を爛々と輝かせて、今度は真琴先輩へ顔を向けて同意を促す。

「確かに、悠ちゃんって怜に対してちょっと壁を作ってる感じだったよね」
「えっ、そうだったんですか!?」
「悪い意味ではなく、良い意味でだよ。だからそんなショック受けなくても大丈夫」
「いえ、別にショックは受けてませんけど……」

 眉を下げながら慌ててフォローする真琴先輩にそう答えたものの、正直、若干ショックであることは事実であった。渚くん情報では彼女は己のことを好いていて、出会いから今までの約三ヶ月の彼女の言動を思い返すと、恐らくそれは、かなり高い確率で事実なのではないか、という予想は立てている。確率が100パーセントであり彼女は己に恋している、と断言出来る確証はない為、自惚れているつもりではなかったのだが、逆に壁を作られていたなどとはっきり言葉にされると、正直、堪える。

「怜に憧れてるから、だからこそ、緊張しちゃうんじゃないかな」
「憧れ……ですか」
「うん、そう。そこに恋愛感情があるかどうかは置いといて、悠ちゃんが怜に憧れているのは、第三者の僕たちから見ても分かるからね」

『憧れ』。
 その形容詞を聞いて、自分の中でもやもやしていた言葉に出来ない感情が、一気に晴れた感覚を覚えた。
 恋だの愛だのをつい絡めてしまうから、余計な事を考えて、振り回されてしまうのだ。シンプルに考えれば何てことはない。実際に告白するかされるか、恋人として付き合うかどうかなどは、今考えることではない。今考え悩むことではなく、縁があればそういう関係になるかも知れないし、無ければそれまでの話だ。

「それで、怜ちゃんはどう思ってる?」
「へ?」
「悠ちゃんのこと」

 そう、今は悩み相談の時間ではなく、恋に纏わる暴露話をしなければならない時間なのである。とはいえ、異性との交際すら経験のない己にとっては暴露することなど皆無である。となれば、やはりどうしても彼女の話にしかならないのであった。

「どう、と言われても……正直僕自身もよく分からないんです」
「嫌いではない?」
「はい、それは勿論」
「じゃあ、僕が悠ちゃんと付き合ったらどうする?」
「はい!?」

 あまりにも突拍子もない発言に、つい声を上げてしまい、己の呆けた声が暗く静まるレストハウスに響き渡る。それは一体どういう意味なのか。ただの例え話で己をからかっているだけなのか、それとも、実は渚くんも彼女のことが好きで、己を気遣って身を引いているのだろうか。

「ただの例え話だから安心して」
「なんだ……ってどうして僕が安心するんですか」
「じゃあ怜ちゃん、答えてみてよ。僕と悠ちゃんが付き合ったらどうする?」
「どうするも何も、そりゃあ……祝福しますよ」
「怜ちゃんは諦めちゃうの?」
「友人の想い人を奪おうとする神経は持ち合わせていませんので」

 そう言って眼鏡をくいと上げようとしたが、本来あるべき場所に眼鏡がない。――忘れていた、眼鏡はここから遠く離れたテントに置き去りにしていた。無意識の行動に顔が熱くなるのを感じつつ、ごほんとひとつ咳払いをして周りの様子を窺った。

 何もおかしいことは言っていない。筈なのだが、渚くんも、真琴先輩も、そして少しだけ遙先輩も、驚いて目を見開いていた。

「怜ちゃん、すっごくかっこいい台詞だけど、眼鏡かけてないのに眼鏡上げる動作したよね?」
「そこツッコみますかっ!?」
「ツッコまないと気まずいかなと思って」

 渚くんの表情がいつもの屈託のない笑顔に戻り、安堵した。一体先程の妙な間は何だったのか。やれやれと肩を落としたところで、再び渚くんが口を開いた。

「ただの例え話なのに、真面目な答えが返って来てちょっとびっくりしちゃった」
「うっ」

 そうだ、ただの例え話だと何度も言っていたのに、何を大真面目に答えてしまったのか。例え話なのだから、現実に起こる事ではないのに。いちいち考えず、軽口を叩けるようになりたいものだと今だけ思ってしまった。

「それにしても、さすが怜はしっかりした考えを持ってるんだね」
「どうなんでしょうか。優柔不断とも捉えられそうですけど」
「そんな事……」
「そんな事はない」

 真琴先輩の言葉を遮って、遙先輩がぽつりと答えた。恐らく、二人とも同じ言葉を言おうとしていたと推察できた。

「怜。悠を信じろ。悠はそんな風には思わない」
「は、遙先輩?」
「悠はお前が船酔いに苦しんでいた時、ずっとお前の事を見ていた」
「えっ!?」

 遙先輩が何を言わんとしているのか。それよりも、己の醜態が彼女にしっかり見られていたという事実に、脳内が一気に埋め尽くされた。

「そんな情けない姿を見られていたなんて……」
「大丈夫だ、悠も船酔いしていた」
「それは知ってます、遙先輩が悠さんを気遣っているのを見ましたから」

 言っていて、思い出したくないことを思い出してしまった。
 彼女が己と同様具合を悪くして、江さんに介抱されていたまでは良かったのだが、その後遙先輩が声を掛けているのが視界に入って、船酔いで動けない己の無力さを心の中で嘆くと共に、何故か鬱屈とした感情に襲われてしまっていたのだ。島に着いた後、己を心配した彼女と話した時も、かなり大人げない態度を取ってしまった、ような気がする。合宿に来たのだからとあまり考えないようにしていたが、今思い返すと拙いことをしたと、段々後悔の念に駆られてきた。
 多分、彼女は気にしていないとは思うのだが、彼女の優しさに甘えるのは良くない。謝るべきか、いや、今更謝ったところで意味もなく、逆に蒸し返して気を悪くされるのではないか。

「怜ちゃん、それって焼きもち?」
「はい?」
「難しい顔してたから」

 渚くんに指摘されて、本当に頭を抱えそうになってしまった。焼きもち――つまり己は遙先輩に嫉妬していたのだと気付かされ、さすがに落ち込まざるを得ない。

「うーん、恋バナはこの辺にしておこうか」
「怜ちゃんごめんね、ちょっと根掘り葉掘り聞きすぎちゃったね」

 真琴先輩の鶴の一声でこの話は終わりとなり、渚くんも両手を合わせて頭を下げて来た。別に謝ることではなく、誰も悪くない。ただただ己の未熟さに落ち込んでいる、ただそれだけなのだから。

「怜、難しく考えるな。悠は怜を尊敬していて、怜は悠が練習を見に来た日は調子がいい。ただそれだけだ」
「おっ、ハルちゃん、見てないようでちゃんと見てるんだね〜」

 慰めになっているのかいないのか良く分からない遙先輩の言葉に、今は応えることすら出来なかった。彼女が見に来たことで空回りしていないだけ、まだ良かったと思うべきだろうか。

「あ、そうだ。怜ちゃん、そういえば悠ちゃんが」
「もう話は終わったんじゃなかったんですか!?」
「まあまあ、すぐ終わるから」

 どうせまた弄られるのだろう……と覚悟していたものの、渚くんから出た言葉は本当に簡素で、己の心を乱すような内容ではなかった。

「無人島に着いた後、トイレに行って戻ってこない怜ちゃんを迎えに行くことになった時、悠ちゃん凄く嬉しそうだったよ。多分、怜ちゃんとゆっくり話したかったんじゃないかなあ」

 渚くんは満面の笑みでそう言うと、今度こそ話は終わりとばかりに、賽子を掲げて勢いよく転がした。皆はもう次の話題に意識を切り替えているが、己はというと、話の最後に放った渚くんの言葉が頭から離れなかった。
 彼女が本当に己と話したかったのか、本当に嬉しそうだったのか。あくまで渚くんの主観であり事実であるとは当然断定は出来ないが、渚くんの言葉に嘘はないように思えたのだった。




「――くん、怜くん」

 深い眠りから覚め、瞼をゆっくりと開けたものの、眩しい陽射しで視界がはっきりとしない。己を呼ぶ声によって、ぼんやりとした意識が徐々に覚醒していく。はっきりと目を開けたそこには、真夜中のレストハウスで話題になっていた張本人の姿があった。まさか本人は話題にされているなどとは夢にも思っていないに違いない。まだどこか夢見心地でいるのと申し訳なさが先行して、つい真っ先に謝罪の言葉が喉を出掛かったが、先に彼女が口を開いた。

「おはよう、怜くん」

 その挨拶で、今は朝なのだと認識した。気付けば己は砂浜で大の字で寝ていたようで、上体を起こして周りを見ると、他の皆も同様の状態であった。

「びっくりしたよ、皆テントで寝てると思ったのに仲良く砂浜で寝てるなんて」

 何が起こっているのか分からず困惑しているだろうに、彼女は己の顔を覗き込んで、優しく微笑んでいた。

「皆、夜中に泳ぎの練習とかしてたの?」
「……まあ、そんなところですね」

 己が勝手に抜け出して夜の海に出て、遭難しかけた己を三人が助けてくれたという事実を伝えても構わないのだが、どうにも頭が働かない。まだ眠気が取れず、つい家に居る時と同じ感覚で大きな欠伸をしてしまった。

「眠かったらまだ寝てても大丈夫だよ。ただ、テントの中のほうがいいと思うけど……」
「いえ、起きます。というかすみません、悠さんの前で欠伸なんて」
「え? 全然気にしなくていいよ。私も欠伸するし」

 そう言って笑みを浮かべる彼女を見て、渚くんの『悠ちゃん凄く嬉しそうだったよ』という言葉が思い起こされた。もしそれが事実なら、今すぐに何をどうするという訳ではないが、これまで通り、彼女が部活に顔を出した時に話をし、偶に彼女が働く喫茶店に足を運び、機会があれば勉強を教えてやり、そうした日常を繰り返し、積み重ねていくことで、彼女が少しでも笑顔で日々を送れたらいい。そんな風に思うのは、己もまた彼女の笑顔に惹かれているからなのだろう。

2018/09/02
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