ガールズ・トーク

 無人島での合宿は、素人目だけれど随分とハードに思えた。勿論、江ちゃんが作ったプランに問題があるとは思わないけれど、正直、最近泳げるようになったばかりの竜ヶ崎くん――怜くんにとってはかなり負担が大きいのではないかと、部外者なのに勝手に不安になってしまっていた。

「一野瀬さん、皆が心配?」
「えっ!? い、いえ、そんな事は……」
「皆ちゃんと鍛えてるから大丈夫よ」

 海岸から少し離れた場所で待機している中。日傘で初夏の直射日光をかわしながら、天方先生が私の不安を取り除くように優しく微笑んでそう言った。
 確かに言われてみれば、体育会系の部活をしていない私の認識は、普段から鍛えている人とは違うのだろう。そもそも怜くんは水泳部に入る前は陸上部にいたのだし、高校に入る前から運動神経も良く、体も鍛えていたに違いない。

「そういえば、一野瀬さんは泳がないの?」
「私、泳がないというか泳げなくて……」
「でもちょくちょく水泳部に顔を出しているってことは、泳げるようになりたいって事よね。県大会が終わって落ち着いたら、誰かに教えてもらうと良いんじゃないかしら」
「そ、それはその……そこまでは……」

 まさか私が勝手に怜くんに一目惚れして、気付いたら成り行きで水泳部に顔を出すようになったとは口が裂けても言えない。

「泳げるようになりたいわけじゃないの? じゃあどうして水泳部に……あ、もしかして部員に好きな男子がいるからとか?」

 口が裂けても言えないことをあっさりと口にされてしまい、一気に顔が熱くなったのを感じた。当然それは顔色にも表れるわけで、恐らく紅潮しているであろう私を見て、天方先生は目を見開いて、食いつくようにずいと顔を近づけた。

「ひえっ」
「えっ、やだ、一野瀬さん本当に!? ねえねえ、良かったら先生に詳しく聞かせてくれないかしら?」
「あ、あの、その」
「先生! 悠ちゃんをからかわないでくださいっ!」

 しどろもどろになっていたら、いつの間にか近くにいた江ちゃんが助けてくれた。水泳部の皆を見る為に、ここより少し離れた場所にいたのだけど、こちらに戻ってきたということは休憩に入ったのだろう。

「江ちゃん、お疲れ様」
「いやいや、あたしは何もしてないわよ」
「ううん、ちゃんとスケジュールと合宿メニューを組んで皆を見てるんだから、しっかりマネージャー業こなしてて凄いよ」
「ふふっ、ありがと」

 はにかんで微笑む江ちゃんに、たくさんストックがあるスポーツドリンクを一本手渡した。

「直射日光にあたるだけでも体力消耗するだろうし、無理しないでね」
「悠ちゃん〜なんていい子なの!」

 江ちゃんにぎゅうと抱き締められて、なんだか体感温度が一気に上がった気がした。

「ふふ、若いっていいわねぇ」
「天方先生もじゅうぶん若いですよ、美人ですし」
「やだ、一野瀬さんってばお世辞が上手なのね」

 思ったことを素直に言っただけなのだけれど、天方先生は少し頬を染めて困ったように笑ってみせた。いや、実際天方先生は「あまちゃん先生」と呼ばれる程フレンドリーな先生だし、男子にも人気があるし、理想の女性と言っても過言ではないのだけれど。

「あっ、江ちゃんが悠ちゃんといちゃついてる〜!」

 突然聞こえた葉月くんの声。他の水泳部の皆も休憩でこちらに向かっていることに気付いて、声の聞こえたほうへ顔を向けた。葉月くんを先頭に、こちらに歩いて来る皆の姿が見えたけれど、気のせいだろうか、怜くんだけは少し疲れているように見えた。




「ごめんね、買い出しに付き合わせちゃって」
「ううん、全然いいよ! 逆に私、全然江ちゃんの役に立ってないし、少しでも役に立てることがあるなら寧ろ何でもやらせて欲しいから」
「悠ちゃん……嬉しいけど、良い子すぎて少し不安になるわ」
「ど、どういう意味!?」

 夕食時、笹部コーチがお土産に置いていってくれたピザを食べようとしたものの、調味料だけがなくて、江ちゃんと一緒に宿まで借りに行くことになった。
 江ちゃんは「付き合わせて悪い」なんて言うけれど、逆に知らない土地で江ちゃんと別行動になるほうが不安だ。そんなことを思っていた矢先に、不安になるなんて言われて、心臓が飛び出るかと思った。私が考えていることが、知らず知らずのうちに口に出てしまっているんじゃないか、なんて。

「悠ちゃん、頼まれると本当は嫌なのに安請け合いしちゃうんじゃないかな、って」
「えっ、そんなことないよ!? 嫌なら嫌ってはっきり言うし」
「そう?」
「うん、私そこまでお人好しじゃないよ。じゃなかったら、葉月くんに水泳部に誘われた時、たぶん流されて今頃正式な部員になってる」
「あははっ、確かにそうか。悠ちゃん、芯はしっかりしてるものね」

 そんな事、初めて言われたかも。江ちゃんが何を見てそう思ったのかは分からないけれど、嘘やお世辞を言う子ではない。なんだろう、バイトを始めたから、なんとなくしっかりしてるように見えるのかも。

「私にしてみれば、江ちゃんのほうが立派にマネージャーやって凄いと思うよ」
「うーん、あたしの場合、お兄ちゃんが子供の頃からずっと水泳やってて、馴染みがあるしね」

 江ちゃんはお兄さんの話題を出した途端、実に幸せそうな満面の笑みを浮かべた。勿論、部員の皆や私に対しても明るく、いつも笑顔を振りまいているのだけれど、それとはまた違う、特別な感情があるゆえの特別な表情に見えた。

「まさか江ちゃんのお兄さんもこの島で合宿してるなんて、すごい偶然だよね」
「まあ、鉢合わせになったら気まずいけどね……」
「そうなんだ、じゃあ寄り道しない方がいいね。時間のある時に探索してみたかったけど、そもそも合宿だしね」

 海での合宿を始める前に、近くにプールがあることが分かって行ってみたら、江ちゃんのお兄さんの高校が合宿で使用していたのだ。顔を出しても良いと思うのだけれど、なんだか込み入った事情があるみたいだった。なので、今もとりあえずさらっと流すことにした。

 江ちゃんはどう見てもお兄さんのことが大好きなのに、顔を合わせたくないなんて不思議だけれど、家庭の事情に口を挟んではいけない。お兄さんは今は一緒に暮らしておらず、寮生活をしているという話だ。
 ただ、水泳部のメンバー、というか七瀬先輩が頑なに会うのを拒否していたあたり、江ちゃんとお兄さんの間に何かあったのではなく、七瀬先輩と江ちゃんのお兄さんの間の問題なのかもしれない。

「そうね、あたしとしても悠ちゃんと親交を深めたかったんだけど……ま、夜は民宿でゆっくりしましょ」
「うん、天方先生も一緒だから何かと安心だしね」
「でも、怜くんが好きってことは黙っておいたほうが良いと思う。何がどうってわけじゃないけど、悠ちゃん自身が耐えられるのかなって……余計な心配だけど」
「いや、江ちゃんの言う通り……」

 改めて面と向かって己の恋心を第三者視点で普通に話されると、それはそれで妙な気恥ずかしさを覚えてしまう。

「なんだか怜くん、ちょっと元気ないわよね。やっぱりあたしが作ったメニューがハード過ぎたのかしら……」
「無理なら無理ってちゃんと言うんじゃないかな? それに、他の皆もちゃんと怜くんのこと見てると思うし」
「それもそうか! でも、悠ちゃんはあまり納得してないんじゃない?」
「え?」
「怜くんと会話はなくても、心配そうに目で追ってたし……」
「み、見なくていいから!」

 そんな雑談をしつつ歩いていると、道の途中にあるお店から出て来た人とぶつかりそうになった。

「松岡先輩の……妹さん?」

 相手がそう言うや否や、店の奥からもう一人遅れて現れた。

「――江?」
「――お兄ちゃん!?」

 まさか、今まさに話題になっていた人物と鉢合わせになるなんて。江ちゃんのお兄さんは、私たち、そしてつい今ぶつかりそうになった男子よりずっと背丈のある、江ちゃんと同じ髪の色をした人だった。江ちゃんも可愛ければ、お兄さんもかっこいい。うちの高校にいたら、彼の与り知らぬところで私設ファンクラブでも出来そうだ。

 というか、鉢合わせにならないほうが良いという話だったし、このシチュエーションは不味い。逃げるのもおかしいし、どうしよう、と江ちゃんとちらりと見ると、私や江ちゃんが何らかのアクションを起こすよりも先に、お兄さんが「似鳥、先に行ってろ」と、一緒にいた男子へ帰るように促した。

 という事は、私もこの場を後にしたほうが良いだろう。事情は全く分からないけれど、仲違いしているわけではなさそうだし。なんとなく、雰囲気でそう感じただけだけれど。

「江ちゃん、先に宿に行ってるね」
「あっ……あたしから誘ったのにごめんね」
「気にしないで、お兄さんと会うの久し振りだろうし」
「江、友達か?」

 お兄さんの顔が江ちゃんから私のほうへ向く。江ちゃんに視線だけ向けて二言三言交わしたあと、再び私に向き直って、口角を上げてみせた。

「江がいつも世話になってるみたいだな。ありがとう」
「いえ! 私のほうこそ、いつも江ちゃんにはお世話になりっぱなしです」
「そっか、江もそれなりにやってるんだな。これからもよろしくしてやってくれ」
「はい、勿論です!」

 正直、第一印象としては、かっこいいけど恐い、かも……と思ったのだけれど、そんな印象は間違いだとこの数少ない遣り取りだけで分かった。お兄さんもまた妹想いで、きっと江ちゃんが気まずそうにしていたのは、七瀬先輩絡みではないか、となんとなく察した。

 江ちゃんとお兄さん、そしてお兄さんより小柄な可愛らしい雰囲気の男子に一礼して、この場を後にした。
 宿までの道は把握している。見知らぬ土地、それも住み慣れた場所からは海を隔てた、知り合いも誰もいない土地をひとりで歩くのは、ほんの少しだけ不安を感じたけれど、ふと海岸に視線を移せば、橙色に染まった美しい夕焼け空と、きらきらと輝く海が目に入って、海なんて見慣れているはずなのに、なんだかとても胸が熱くなった。特別なことをしなくても、充分満喫出来ている。

 そんな能天気なことを考えている私は、情けないことに、怜くんが悩んでいることなど気付きもせず、宿で寝ている間に大変なことがあったなんて、知ることもなく朝を迎えることとなるのだった。

2018/08/07
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