Goes Around, Comes Around



 スタフェスは当初の予定通り、Trickstarの優勝で幕を下ろした。ただ、当日までにひと悶着あったらしい。桃李くんが作ったスタフェスの提案書が却下されたり、Trickstarの氷鷹くんがSSへの出場権を放棄し、それに対して会長が怒りを露わにしたりなど、私が自分の事で悩んでいる間にあった様々な事を、後になって弓弦にこっそり教えて貰ったのだった。

「あの時、桃李くんの様子がおかしかったのはそういう事だったんだね。こうして全てが終わった後聞かされると、会長も愛あっての行為でまさに『獅子の子落とし』って感じだけど」
「太平記ですか。樹里さん、意外と博識なんですね」
「意外ってどういう意味? そもそも単なる雑学だから博識とは言えないと思うけど」
「まあまあ、そういじけないでくださいまし」

 夢ノ咲学院も冬休みに入り、夏休みと同様アイドル活動を続ける生徒もそれなりにいるものの、遠方の実家から離れて単身この学院に通っている生徒は帰省している。ゆえに、学院内の人口密度は多くはない。
 と言っても誰もいないわけではない為、念には念をと弓道場を借りて、こうして弓弦と二人きりで穏やかな時間を過ごしている。弓道部員に限り飲食自由という緩いルールが設けられているこの場所で、持ち寄った茶菓子と弓弦が淹れてくれた緑茶をお供に、スタフェス前に起こった出来事を聞いていた。

「まあ、とりあえず……一件落着して良かったね。桃李くん、ただでさえご両親が海外で心細い思いをしてるのに、会長に突き放されたら……泣いてしまっても仕方ないよ」
「わたくしだけでは坊ちゃまの心の支えになっていないのが、何とも歯痒いですが」
「何言ってんの。弓弦がずっと桃李くんの傍にいたから、こうしてスタフェスも成功して仲直りも出来たんだと私は思うけど。絶対そうだよ」

 言い終えて、私は緑茶を口に含んだ。いつも紅茶を飲む事が多いから、偶に飲むと新鮮だ。特別大好きというわけではないけれど、家で飲む緑茶より美味しく感じるのは、これもまた高級な茶葉だからなのか、それとも好きな人が淹れてくれたお茶だからだろうか。

「樹里さん、緑茶はお嫌いではなかったようで安心致しました」
「私、基本的に嫌いなものないから」
「ほう?」
「……例外はそれなりにあるけど」

 弓弦が何か企むように口角を上げたものだから、ゲテモノ料理でも出されるんじゃないかと思ってつい顔を引き攣らせ、つい先程言った自分の発言を否定してしまった。

「そんなに怯えなくても、樹里さんに変な物を食べさせようとは思っていませんよ」
「それならいいけど……」

 疑いの眼差しを向ける私に、弓弦は苦笑を浮かべれば、傍に寄って私の髪を撫でた。

「ふふっ、樹里さん以前は『撫でられるのは苦手』と仰っていたのに、今ではすっかり受け容れてくださるようになりましたね」
「……好きな人になら何されても許せるって事」

 付き合う前と後では、感じ方や受け取り方も変わるのはごく自然な事だ。そう思った瞬間、ふとこの学院に転入したばかりの頃を思い出した。弓弦の事が嫌いで、酷い態度をたくさん取って来たというのに、根気良く接してくれた事を思い返すたび、顔から火が出そうな程恥ずかしくなってしまう。本当にこれほどまでに自分の至らなさを痛感する出来事などないと言っても過言ではない。

「おや? どうしましたか樹里さん。今にも死にそうな顔をされておりますが……」
「いや、ちょっと過去のトラウマを思い出したっていうか」
「もしかして、髪を触られるのが地雷だったりしますか? だとしたら改めますが」
「地雷ってわけじゃなくて……私たちが出会ったばかりの頃は、私、本当に弓弦に酷い態度取ってたなって改めて思って、ちょっと落ち込んだだけ」

 私の言葉に、弓弦は当時の事を思い出して気を悪くするどころか、寧ろ嬉しそうに口角を上げてみせた。

「こうして樹里さんが時折落ち込まれて後悔の念に駆られていると、当時のわたくしが知ればさぞ愉悦に感じるでしょうね」
「……良かったね」
「はい、それはもう。紆余曲折を経てこうして樹里さんも大人しい飼い猫のようになりましたし……」
「猫?」
「いえ、こちらの話です」

 まさか私が過去に食堂で居眠りしていた時に、弓弦と衣更くんが私の事を猫のようだと話していた事など私は知る由もないけれど、確か前に誰かが似たような事を言っていた気がする。それが桜フェスの時に氷鷹くんから聞いた衣更くんの遠矢樹里像だと思い出した瞬間、私の身体は弓弦に優しく拘束されていた。

「こらっ、駄目だってば! ここは公共の場!」
「この冬期休暇中を逃したら、もう樹里さんと校舎でこうする事も出来ないでしょうし」
「うっ……確かにそうだね……」

 春休みもあるにはあるけれど、プロデュース科の正式な設立、それに、私がアイドルとして復帰する事を考えれば、こうして二人きりの穏やかな時間を過ごせるのは今しかないかも知れない。場所が学院内であればなおさらだ。
 私は無意識に弓弦の胸に身を預けていて、そんな私を意外に思ったのか、弓弦は少しばかり目を見開いた。

「樹里さんがこんなに素直に甘えるとは、今日は雪ではなく季節外れの雨でも降りそうですね」
「も〜、何とでも言えばっ」

 私は頬を膨らませていじけながらそう言ってみせたけれど、心のどこかで不安と焦りを感じていた。
 もしかしたら、こうして好きな人の腕の中で甘い時間を過ごせるのも、これが最後になるかも知れない。
 恋を優先する為にアイドルを辞めて一般人に戻る子はたくさんいる。けれど、アイドルから一般人になり、そして再びアイドルの道に戻る場合。けじめとして、恋を終わらせなければならないのではないか。多分、英智さまに釘を刺されなくても、遅かれ早かれこの問題に悩まされていたと思う。

 アイドルとしてステージに戻る為に、この恋を終わらせるべきなのか。それとも、隠し通してアイドルを演じ切ってみせるのか。
 何が正解なのか、この時の私はまだ結論が出せずにいた。





 そしてあっという間に日々は過ぎ、年末の『SS』当日を迎えた。
 私はあんずのようにTrickstarと密接に関わっているわけではないけれど、夢ノ咲学院のプロデューサーの一人として、あんずに協力する為に動く予定だ。
 予選開始前、佐賀美先生と椚先生が私の傍に来て、世間話を始めた。あまりにも自然で、私の緊張を解く為かも知れないと何となく察した。

「いやあ、今年も本当に色々あったよな……な、あきやん」
「あきやんって呼ばないでください。遠矢さんの前ですよ」
「いえいえ、大丈夫ですよ椚先生。お気遣いなく」

 あんずは今は私とは別行動で、Trickstarと一緒にいる。あの四人もこれまでに夢ノ咲の外へ出て数々のステージをこなしていったから、ここまで来て怖気づく事はないとは思うけれど、あんずがいれば本当に優勝出来るかも知れない。それほど、あんずは特別なものを持っているのだから。

「それにしても遠矢ちゃんの大躍進には、先生たちも本当に驚いたぞ」
「え?」
「あんずと比べて自分は駄目だ〜って追い詰められて、潰れちまうんじゃないかと心配してたんだぞ? まあ、早い段階で自分が進むべき道を見つけられて良かった」

 佐賀美先生は微笑を湛えながらそう言って、私の頭をくしゃくしゃと撫でた。

「あ〜! 折角セットしたのに! 佐賀美先生、撫でる前に一言言ってください!」
「おっ、もう既にアイドルとして人に見られる事を自覚してるんだな。偉い偉いっ」
「アイドルに戻らなくても普段から気にしてますよ〜」

 悪びれる事もなく笑ってみせる佐賀美先生の様子につい自然と溜息を吐いた私の隣で、椚先生も釣られるように溜息を零した。

「全く……これではどちらが大人か分かったものではないですね」
「それは言い過ぎですよ、椚先生。佐賀美先生ものらりくらりと生きているように見えて、しっかり生徒を見て心に響く言葉を掛けてくれますし」
「成程、遠矢さんは佐賀美先生をそう見ているんですね」
「ちなみに椚先生は、佐賀美先生と対照的に一見冷たいように見えても、生徒思いという根本的なところは似ているように思います」

 言った後、余計な事まで口にしてしまったと冷や汗をかいたけれど、椚先生は眼鏡の奥で一瞬目を見開けば、少し照れ臭そうに微笑んだ。

「まさか私の事をそんな風に捉えているとは……遠矢さんと出会えた事で、私の教師人生は間違っていなかったと改めて思えました」
「えっ、言い過ぎですよ! 皆口にしないだけで、私と同じように思っている生徒は絶対たくさんいますって」
「口にしなければ相手には伝わりませんからね。ありがとうございます、遠矢さん」

 今度は私のほうが、嬉しさと気恥ずかしさで顔が熱くなった。
 考えてみたら、佐賀美先生も椚先生もあくまでアイドル科の教師であって、本来はプロデュース科の教師ではない。つまり、来年度に本格的にプロデュース科が設立されたら、もうこの二人のお世話になる事はなくなるだろう。そう思うと、まだ冬休みだというのに、春の別れの寂しさが押し寄せて来た。
 つい感傷的になって、私は二人に向かって声を掛けた。

「……佐賀美先生、椚先生。少し早いですが、この一年間……本当にありがとうございました。先生がたが支えてくれたお陰で、今の私がいます。そしてきっと、未来の私もこの一年を糧に頑張っていける筈です」

 そう言って、私は深々と頭を下げた。突然の事で二人とも驚いているのか、言葉はない。というか、そもそもこんな言葉は春の進級前に言えば良い話だ。つい気が焦ってしまったと私は顔を上げて謝ろうとした――ものの、佐賀美先生も椚先生も笑みを浮かべていて、寧ろ驚いたのは私の方だった。

「あ〜、遠矢ちゃんもしかして、春になったら俺たちとお別れだと思ってる?」
「違うんですか? さすがにプロデュース科とアイドル科は別々になると思いますが……」
「いや、そうなんだけどな。あきやん、あの話ってしちゃっていいのかな?」

 佐賀美先生が椚先生に視線を遣ると、椚先生は眼鏡をくいと上げて暫し思案した後、呟いた。

「遠矢さんに故意的に隠しているというより、単に伝達不足でしょうね。代わりに私が説明しましょう。遠矢さん、我々も春からESで動く事になりますので、私たちの関係はこれからも変わりませんよ。寧ろあなたがアイドルに復帰した後の方が、何かとサポートし易い環境かも知れませんね」
「え? あの……」

 呆然とする私に、とどめとばかりに佐賀美先生が気の抜けた笑みで言葉を続けた。

「というか、遠矢ちゃんの親御さんと一緒に仕事する事になりそうなんだよなあ、多分」
「はい!?」
「陣、そこまで言ってしまうのはどうかと思いますよ。まだ確定ではないんですから」
「え〜いいだろ、遠矢パパと既に顔合わせも済ませてるし、実質本決まりじゃん?」
「はあ……それはそうですが、こんな情報を一気に言われた遠矢さんの身にもなってください」

 椚先生の仰る通り、今の私はあまりの情報量に脳内がパンクしそうだった。お父さんがESに関わるというのは英智さまから聞いている。けれど、佐賀美先生や椚先生と一緒に? そんな事は一言も聞いていない。というかお父さんはずっと多忙を極めていて、ゆっくり話すどころか顔を合わせるタイミングもなかなか掴めないぐらいだから、情報が入って来なくても仕方がないけれど。
 先ほどまで感傷的な気持ちを抱いていたのは全て無駄だったのか。そう思うと再び頬が熱くなった。今回は完全に先走った恥ずかしさからだ。

「……あの、佐賀美先生、椚先生。先程の私の言葉は忘れてください」
「嫌だね〜」
「ちょっ、大人げないですよ佐賀美先生っ!」
「恥ずかしがる事なんてありませんよ、遠矢さん。先程のような感謝の言葉を掛けてくれる生徒は、卒業するアイドル科の生徒でもそんなに多いわけではないんですよ」

 純粋に意外だ、と思ったけれど、そもそも夢ノ咲学院は昨年までは荒れ果てていて、それを一気に改革したのが英智さまだ。ただ、その改革は最大多数の最大幸福を目指した結果、多くの人を傷付け、切り捨てられた弱者が這い上がれない仕組みを作り出す事となってしまった。その歪みを壊し、更により良い仕組みへと変えたのが、DDDにおけるTrickstarの活躍だ。
 学院は漸く良い方向へ進み出し、だからこそ英智さまもES計画なるものを打ち出す事が出来たのだと思う。その恩恵に与れなかった昨年度までの卒業生の事を考えると、教師への感謝の言葉が出て来るのは、上位にいた限られた生徒たちだけだろう。

 本当に、私は運が良かっただけだ。たまたま良い時期に転入した事で、私の人生は思わぬ方向へ動き出した。これは決して自分の努力の結果ではなく、様々な人たちが助けてくれたお陰だ。

「……私、本当に夢ノ咲に来て良かったです」

 ふとぽつりと呟いた私に、佐賀美先生と椚先生は二人揃って穏やかな笑みを浮かべた。

「そう言って貰えると、我々教師としても誇らしいですね」
「ただ、遠矢ちゃんがアイドルに戻れる事になったのは、夢ノ咲に来たからっていうより、遠矢ちゃん自身の実力だってちゃんと自覚するんだぞ? でなけりゃ、秀越学園だってちょっかい出したりしないからな」
「あの件は夢ノ咲側としても迂闊でしたね。天祥院くんが動いてくれたから良かったものの、危うく本当に遠矢さんを引き抜かれるところでしたから」

 このSSには当然、秀越学園で因縁のあった七種くんが所属する『Eden』も出場する。それどころか優勝候補だ。DDDのような奇跡が起こらない限り、Trickstarの優勝は厳しいと考えるのが無難だろう。
 けれど、Trickstarにはあんずがいる。これまで彼らを、夢ノ咲のみんなを高みへと連れて行った勝利の女神がいるのだから。奇跡は何度でも起こるだろう。不思議とそう思わせる力が彼女にはある。

 それに、私がアイドルに戻るきっかけを作ってくれた人達の中には、間違いなくあんずもいる。まさか私がアイドルの道を再び目指す事を想定して、予め衣装を作っておくなんて、なかなか出来る事ではない。あんずは本当にアイドルという職業を愛していて、私になんらかの可能性を見出したからこそ、そこまで動いてくれたのだと思う。
 アイドル科の皆があんずを慕う気持ちが、今になって改めて良く分かる。
 あんずと比べて私が劣っているとか、そういう次元の話ではなくて、あの子は本当に特別なのだ。アイドルに復帰した暁には、私もあんずに導いて貰いたい――そんな図々しい事を密かに願うほどに。





 現地でのんびりと関係者席で鑑賞、なんていう余裕はなかった。
 私がSSの場に現れたのには理由がある。奇跡が起こるのを待つのではなく、起こすために私たちプロデューサーは存在するのだ。私はあんずと協力して私は会場付近を走り回り、客引きを行った。夢ノ咲のアイドル科の皆も、あんずが事前に声を掛けたのか手伝ってくれて、Trickstarは順調に予選を通過していった。

 そして、本戦開始直前。SSの会場に到着し、予め用意されていた関係者席に座って、やっと一息吐いた。尤も、あんずは舞台裏でTrickstarを見守っているから、私みたいに安堵する余裕もないだろうけれど。Trickstarは勿論、あんずも頑張って――そう願いながら、トーナメントの組み合わせを決める抽選会の開始を待った。
 けれど突然、ステージが暗転した。

「え?」

 機材の故障ではなく演出だろう。まさか年に一度の大舞台でそんなミスが起こるとは思えない。困惑しつつも、息を呑んで見守る私の視界に飛び込んで来たのは、予想もしない映像だった。私だけじゃない、誰もこんな事になるなんて思いもしなかっただろう。

『……あの明星を覚えていますか?』

 スクリーンに映し出された文字と機械的な音声。
 その先に待っていたのは、まるで地獄のような光景だった。
 かつてトップアイドルであり、既に他界している明星くんのお父さまが、過去に犯罪行為を行っていた事。そして、その子供である明星スバルも同じような行為を繰り返している、という事実無根の内容。
 当然、夢ノ咲で一緒に過ごしている皆は、こんなのでたらめだと考えるまでもなく分かる。けれど、会場にいる一般のお客さまはそうじゃない。

 会場内がパニックに陥る中、私は何も考えられず呆然としていた。今頃、先生たちや英智さまが混乱を収めようと動いていると思う。けれど、私には何も出来ない。何が出来る? 私のような無名の人間など、選ばれたアイドルだけが立てるあの舞台に足を踏み入れる事すら出来ないのに。

 刹那、スマートフォンが振動して我に返った。本来このような場では電源を切るべきなのだけれど、何かあった時の為にマナーモードにしていた。端末を手に取って画面に表示されていたのは、SNSの通知。送り主は――秀越学園で共にステージに立った子からだった。
 過去の蟠りが解け、手紙で遣り取りした後、皆とSNSの連絡先を交換していたのだけれど、このタイミングで送られて来る内容などひとつしかない。メッセージを見た瞬間、私は考える間もなく立ち上がり、大混乱の会場を必死で抜け出した。

『樹里さん、こんな時にごめんね。
 夢ノ咲の人達が、秀越やコズプロの仕業だと疑ってると思って連絡しました。
 でも、茨さまはこんな事はしない人だって、樹里さんなら分かってくれると思う。
 黒幕は別にいる。
 お願い、樹里さんと話がしたい』

 これは強制ではなく単なる依頼だ。でも、私に出来る数少ない事は、彼女から話を聞く事だ。そうしないと、きっと一生後悔する。今の私に、迷いなど一切なかった。

2020/07/04


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