Angels We Have Heard On High



「私がスタフェスの前座を……ですか!? 無理です!」
「申し訳ないけどもう決まった事なんだ。ごめんね、樹里ちゃん」

 スタフェス当日。朝日が昇る前、薄暗い空にぼんやりと月が輝いている明け方、肌を刺すような寒さが少しでも紛れるようにと駆け足で学院へと向かい、準備に勤しんでいた私に、突然英智さま――会長が私に声を掛けて来た。
 まさか会長がこんな早い時間に学院にいるとは思わず驚いたけれど、ふと外を見るととうに空は明るく、陽光が校内を眩しく照らしていた。
『fine』の出番は後半で、かなり遅い時間だ。生徒会長という立場上朝から学院にいなければならず、かといって準備や運営は生徒会長のやる仕事ではない。要するに手持ち無沙汰なのだろう――そう思って話を聞こうとしたら、とんでもない事を言ってのけられた。

「もう決まった事って、そんなの聞いてないですよ! 練習だって何もしてないのに、大体お客さまは皆夢ノ咲のアイドル科の男子たちを見に来るわけであって……」
「そうやって言い訳していたら、とてもじゃないけどアイドルに戻るなんて到底無理だよ」

 会長は悪意も何もない、純真無垢な子供のような笑みを浮かべているけれど、その背後には悪魔の尻尾が生えているような気がしないでもない。大体言い訳も何も、夢ノ咲学院のアイドル科は男子校だ。いくらアイドルに戻るとはいえ、今現在プロデュース科に所属している女子がステージに立つなんて、非難轟々に決まっている。

「樹里ちゃん、君が恐れているのはどちらかな? 練習不足でステージで失敗をしてしまうから? それとも、男子しかいない筈の夢ノ咲学院のステージに突然女子が立つ事で、批判を浴びる事が恐いのかな?」

 会長は全て見抜いている。天祥院家の御曹司たるもの、このくらいお見通しでなければ生きてはいけず、夢ノ咲の革命を試みる事も出来なければ、生徒会長も務まらないだろう。
 取り繕っても無駄な事は重々承知している。ここは素直にならないと。

「……両方、ですが……強いて選ぶなら恐いのは後者です。練習不足は今から少しでも自主練すれば何とかなりますし。手持ちの歌一曲で良いのなら、ですが」
「うん。合格だよ、樹里ちゃん」
「はい?」

 会長が突然拍手をして、つい反射的に呆けた声を出してしまった。合格――つまり、私を試していたのは分かる。それは別に構わない。けれど、会長は脳内でどんなテストをしていたのかがさっぱり分からない。

「この先、君がアイドルとして生きていくなら、フットワークは軽くないとね。突然の出番にも怯まず、快く承諾する事が大事だよ」
「いや、拒否権はない言い方だったじゃないですか……」
「本当に嫌なら全てを投げ出して、ここから逃げてもいいんだよ?」
「出来るわけないですよ。私もこれでも一応プロデューサーですし、運営にも携わっているんです」

 どう足掻いたって会長に逆らえるわけがないのだ。大体逃げたら最後、二度と夢ノ咲の校門をくぐる事は許されないだろう。それに、誰かに押し付けて投げ出すのはしたくない。アイドルに戻るまでの間は、しっかりあんずを支えると決めている。

「ふふ。時間も惜しいだろうし、いじわるはここまでにしておこうか。樹里ちゃんが気掛かりにしている事だけれど、アイドルとしてステージに立つなら、どんなに恵まれた環境だろうと批判がない事は有り得ない」
「それは、心得てますが……」
「君が出るのはあくまで前座であって、メインステージじゃない。主役は当然アイドル科の生徒たちだ。樹里ちゃんはゲストであって、観客にとっては居ても居なくてもいい、取るに足らない存在だ」

 会長は何故私を突然ステージに上げると決めたのか。『取るに足らない』なら当然ステージに立つ必要はない。それなのに、何故会長は私を試すような事をするのか。
 ――そう、会長のテストは続いているのだ。今この瞬間も、そして私がステージから降りるまで、ずっと。

「……つまり、私を本当にアイドルとして復帰させても良いか、大勢の観客の前で歌わせて最終的な判断を下す、という事でしょうか」
「ちょっと違うかな。最終的も何も、君はもう来春からアイドルに復帰させるよう、水面下で動いてるんだ。でも、準備運動もなしに春から突然アイドルになるなんて、君自身は勿論、周囲も対応に苦慮するだろう。だから、これは予行練習と思って欲しいんだ」

 あまりにも話が出来過ぎている、と逆に不安になってしまったけれど、会長がESなるものを立ち上げようと日々動いている中で、私の復帰についても時間を割いているのなら、ここは全面的に会長を信頼し、従うのが筋だ。

「……会長、お心遣いありがとうございます。取るに足らない存在なら、当たって砕ける事も出来ますし!」
「こらっ、人の揚げ足を取って後ろ向きな事を言わないの。一人でも多くのファンを増やす、ぐらいの気持ちで挑んで欲しいのだけれど」
「皆、男子のアイドルを見に来ているわけですし、それは難しいと思いますが……」
「そうかな? 秀越での騒動で君も一部のアイドルファンには知られる存在になったし、寧ろあの時の不本意なパフォーマンスを上書きする、良い機会だと思って挑んで欲しいな」

 確かに、会長の今の言葉には素直に頷ける。この間のウィッシングライブはあんずの為のステージで、一般客は病院にいた人たちだけだ。こうした一般向けのライブ、それも秀越でのオータムライブのような大規模なステージに再び立つ事は、あの時のリベンジだと思えばいい。

「良い顔だね、樹里ちゃん」
「えっ、私変な顔してましたか……?」
「ほら、また後ろ向きになる。闘志を燃やすような、良い表情をしていたよ。君も弓弦に負けず劣らずの負けず嫌いだね。正反対なようで相通じる部分もあるからこそ、惹かれ合うものがあったのかな」
「それはないかと思いますが……私は全てにおいて弓弦には完敗ですし」

 後ろ向きだなんだと言われても、本当の事だから仕方ない。肩を落としてそう答える私に、会長は一瞬目を見開けば、微笑を浮かべてみせた。

「……樹里ちゃん、皆の前では『伏見』って呼んでいるけど、たまに『弓弦』って呼んじゃうよね」
「あっ、しまった! すみません! 以後気を付けます!」
「いや、弓弦と特別な関係だと悟られないよう、君なりの拘りなのだろうけど……別に名前で呼んでも良いと思うけどね? 桃李のことも下の名前で呼んでるし」
「う、うーん……桃李くんもある意味特別というか……それに会長のことも、心の中では英智さまと呼んでますからね」
「英智『さま』かあ。英智『お兄ちゃん』のほうが嬉しいんだけどな」

 また冗談かどうか分からない事を……と苦笑いを浮かべつつ、私は突然のミッションをこなす為に、至急空き教室へ向かうことにした。

「では、これから少し練習して来ます。会長、本当にありがとうございます! オータムライブのリベンジ、頑張ります!」

 もう決まってしまった以上、前向きにがむしゃらに、今出来る事をするしかない。私は笑顔を作って会長に言えば、慌ててこの場を後にした。

「……君の忠誠心を試すような事を続けてしまって申し訳ないけれど、僕は君を切り捨てたくない。横槍を入れたがるお偉いさん方を黙らせる為にも、君が投資するに値する存在だという確証が欲しいんだ」

 会長の声は私には届いていなかった。会長は、英智さまは――本当は私を切り捨てようと思ってはおらず、逆に助けようとしている事に、この時はまだ気付いていなかった。





 スタフェス本番の開始時間が刻一刻と迫るなか、私はあんずが以前作ってくれた衣装に袖を通し、最終確認を行った。披露するのは以前月永先輩が作ってくれた楽曲だ。さすがに正式なアイドル科の生徒たちが普段使用している共通課題曲を拝借するのは忍びない。幸い、前座なら一曲披露するだけで充分だ。
 舞台袖の向こう、ここからは死角で見えないステージ上で司会のアナウンスが始まった。
 そして、私の名前が呼ばれた瞬間。一瞬頭が真っ白になったけれど、もうここまで来たらやるしかない。会長は『後ろ向きになるな』と言っていたけれど、今の私に失うものはないのだから、当たって砕けたって問題ない。思い切り力を出して来よう。後悔のないように、笑顔で。

『会場の皆様、スターライトフェスティバルへお越しくださり、ありがとうございます!』

 ステージへと立ち、大勢の観客を目の当たりにして、眩暈がして倒れそうになった。当たり前だけれど、今ここにいる観客はオータムライブの時と違い、まさかステージに女子が立つなんて思ってもいない。明らかに困惑しているのが分かる。
 けれど、情けない醜態は絶対に見せられない。見せてはいけない。それがアイドルなのだから。

『簡潔に自己紹介させて頂きます。もしかしたら私を知っている方もいるかもしれませんが……プロデュース科の遠矢樹里と申します。実は来春、アイドルとして一からやり直す事になりました。今日は前座として、こうしてステージに立つ機会を頂きました』

 お客さまをひとりひとり、出来る限り捉えながらマイク越しに言葉を紡ぐ。「あの子、見た事ある」「こないだニュースになってなかった? 元アイドルの子」「秀越学園のライブに出てた子だ!」「春ぐらいにローカルテレビにも出てなかった?」――そんな声がざわつく中、私は精一杯の笑顔で、ワントーン上の声で想いを伝えた。

『ご来場の皆様! 今日は是非、アイドル科の皆のパフォーマンスをお楽しみください! その前に、僭越ながら一曲歌わせて頂きます。少しでも温かな気持ちになって貰えると嬉しいです』

 こんな感じで良かったのだろうか、と思いつつも言ってしまったものは修正も利かない。後はもう、出せる力を全て出し切るだけだ。
 ほんの少しの間を置いて、イントロが流れ始める。練習不足なのは否めないけれど、きっと大丈夫だ。ウィッシングライブの前日、Knightsの皆が練習に付き合ってくれた時の事、そして本番であんずに見せた時の事を思い出しながら、ひとつひとつの所作を丁寧に、声に抑揚を付けて、全てのパフォーマンスに想いを込めた。

 歌い終わった後は有り難い事に拍手を頂けて、後は本物のアイドル達のステージを存分にお楽しみください!なんて上手い事を言って颯爽と去ろうとしたものの――舞台袖に引っ込む直前に思いきり躓いて転んでしまった。
 ――もしかして、これも映像として残ってしまうんだろうか。



「樹里ちゃん、お疲れ様!」
「あんず!? どうしてここに?」
「いるに決まってるよ。プロデューサーで、樹里ちゃんの友達だもん」
「……あんず〜!!」

 舞台裏で私を待ち構えていたのか、あんずが笑顔で出迎えてくれて、私は全身の力が抜けて情けない声をあげてあんずに抱き着いた。みっともないと分かってはいつつも、小さな子供のようにあんずに甘える姿は、傍から見れば異様に違いない。尤も、あんずは全く気にしていないどころか私の髪を優しく撫でてくれた。

「本当に頑張ったよ樹里ちゃん。会長の無茶振りに応えるなんて疲れたでしょ。後はゆっくりお茶でも飲んで……」
「何言ってるの、私もあんずと一緒にプロデュース業頑張るよ」
「疲れたら遠慮なく言ってね。今日は長丁場だし、お互い無理しないでいこう」

 あんずの優しさに胸の奥が熱くなる。ひとまず今日のステージの反省会は後回しにするとして、今はやるべき事をやろう。あんずと一緒にスタフェスの運営に集中して、最後まで務めを果たさなくては。





 全ての公演が終わり、一息吐いた頃にはもう日付も変わるのではないかというぐらい遅い時間だった。Valkyrieの斎宮先輩が倒れたらしく、一時はどうなる事かと思ったけれど、Ra*bitsの子たちが上手く機転を利かせてくれて、なんと仁兎先輩がValkyrieに一時的に戻り、影片くんと一緒にステージに立ったのだ。その後、斎宮先輩もなんとか復帰する事が出来て、私が夢ノ咲に来る前、一世を風靡していたValkyrieの舞台を目の当たりにする事が出来た。もしかしたらこれは歴史的な瞬間に立ち会ったのかも知れない――なんて思う程崇高な舞台で、言葉では上手く表せない程心を打たれた。

 そして、少しばかり気掛かりだったfineも――本当に天使が地上に舞い降りたと錯覚するぐらい、美しい衣装に優美なパフォーマンスを魅せていた。お客さまにとっては最高のクリスマスプレゼントになっただろう。私が気掛かりだったのは桃李くんの様子がおかしかった事だけで、直前にfineがTrickstarと揉めた事など露知らず、私はfine――英智さまの元へ足を運んだ。

 控室の扉を叩いて、ひとまず入っていいか確認する。少しして扉が開き、弓弦があたたかな微笑を湛えて迎えてくれた。

「樹里さんだと思いましたよ。突然の前座、お疲れ様でした」
「いやいや、労うのは私のほうだから。fineの皆様こそ本当にお疲れ様でした! もう、最高のクリスマスプレゼントって感じだったよ」
「ふふっ、ありがとうございます。樹里さんも最後の最後に転んでしまうところもご愛敬で、愛らしいステージでしたよ」
「やっぱりそこ、皆に見られてたの!?」

 最早労いに来た事すらも忘却の彼方で、私は恥ずかしさのあまりその場に倒れ込みそうになった。あの転倒さえなければ、そこそこ良いイメージで終われたと思うのに。さぞ英智さまも落胆しているだろう――そう思ったものの。

「樹里ちゃん、おいで」

 弓弦の背中の向こう側から、英智さまの声が聞こえた。すると弓弦が私の手を引いて、ほぼ強引に控室の中へと足を踏み入れる事となった。

「そんなに落ち込まなくても大丈夫だよ。完璧じゃないところが樹里ちゃんの魅力でもあるからね」
「それ、褒めてないですよ〜」
「ステージ上での語りとパフォーマンスは完璧だったじゃないか。弓弦が言ったように、最後のオチはご愛敬だよ。皆可愛いって思ったはずだ」

 英智さまは膝に桃李くんを乗せて、随分とご機嫌だった。fineのステージが完璧なものだったから、と私は思っていた。英智さまと桃李くんの間で揉め事があった事も、そして桃李くんが英智さまの過去を知った上で、それでも英智さまを慕う気持ちに変わりはないと思いを伝えた事も、私には与り知らない出来事だからだ。

「完璧な人間よりも欠点がある人間の方が好まれる事もありますからね。ケースバイケースですが。今回の樹里さんは、オータムライブの時より遥かにアイドルとして優れていましたよ」
「日々樹先輩……ありがとうございます、そう言って頂けただけで私の恥も浮かばれます」

 日々樹先輩が素晴らしいフォローをしてくれて、思わず頬が綻んだ。するとすぐ傍で何やらわざとらしい溜息が聞こえた。こんな事をするのは一人しかいない。

「樹里さん、本当に相変わらず会長さまや日々樹さまに対してはデレデレとだらしない顔を……」
「してないけど!?」
「坊ちゃまにデレデレするのは、坊ちゃまの従者としては十分理解出来るのですけれど。誰彼構わずというのは些か感心しませんね」
「ねえ、変な事言わないでくれる!? 私は誰に対しても平等ですっ! fineの皆はちょっと特別だけど!」

 何故か弓弦と口論が始まってしまい、そういえば前にもこんな事があったとふと懐かしくなった。時を遡る事、遅咲きの桜が散った頃――サーカスを行った後の事だ。こうして控室でfineの四人と語らって……遠い昔の事にように思えるけれど、今年の話だ。私の立場も環境も変わりつつあり、弓弦との関係も変わったけれど、このどこか穏やかで落ち着く空間は、何ひとつ変わらない。

「こら〜! おまえたち、所構わず喧嘩するな! 会長の前だぞ!?」
「うっ、そうだね……桃李くん、皆さんごめんなさい」
「坊ちゃまに窘められるのは少々納得がいきませんが……樹里さんもお疲れでしょう、早速紅茶を淹れて来ましょう」
「待って! そもそも私が皆を労いに来たんだから、私がやる!」
「いえ、わたくしは元気が有り余っておりますので。樹里さんはどうぞごゆっくりお寛ぎくださいまし」

 お茶を用意しようとする弓弦を止めに入った私を見て、またしても桃李くんから呆れ果てる声が漏れた。

「も〜、おまえたちまた喧嘩して!」
「まあまあ。喧嘩する程仲が良いって言うしね」

 色々と思い悩む事はあるけれど、私はこの空間が、fineの皆が大好きだ。
 逆先くんが言ってくれた、自分の本心に従い、誠実であり続けろという助言。その意図が、私の想いと一致しているかは分からない。けれど、その言葉に素直に従うならば――私はこのあたたかな居場所を大切にしたい。例え、英智さまが私の事をどう思っていたとしても。

2020/06/14


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