Requiem for a Dream



 英智さまを敵に回してはいけない――それは初めから分かっていた事だ。過剰な媚び方をしたところで、天祥院財閥の子息である英智さまには見透かされるだろう。だから、常に英智さまには誠意をもって接していたつもりだ。それは、決して偽りの心ではなかった。

 私が夢ノ咲に来て日も浅かった頃、まずはこの学院の歴史を知らなければならないと思い、まずはここ二年の記録を片っ端から調べ上げた。今現在三年生の生徒の活躍を把握するには、二年前より昔の情報は不要と判断したからだ。
 その結果、この学院の現生徒会長――天祥院英智が昨年『fine』というユニットを結成し、大規模な改革を行い現在のドリフェス制度を作り上げた事を知った。ただ、この時のfineのメンバーは革命の成功と共に離散した。現『Switch』の青葉つむぎ、そして他校へ転学した巴日和と乱凪砂。転学した二名は、サマーライブとオータムライブでTrickstarが対峙し、来る『SS』で正面衝突する、実質全国でトップに君臨するユニット『Eden』のメンバーとして活躍している。

 それだけで、天祥院英智がどれ程までに凄い存在なのか――実力だけでなく、生き残る為の術を身に付けている、まさに理想のアイドルなのだと解釈していた。ただ、気掛かりだったのは、彼は病を患っており入退院を繰り返し、私が転入した時も入院中で顔を拝む事すら叶わなかった。
 私は天祥院英智のライブ映像を漁り、彼のアイドルとしての活躍を繰り返し見ては目に焼き付けた。プロデュース科なんていう突然出来た学科の素人である私が、彼の目に留まる事はないだろう。それでも、私がこの学院で新しい道を歩むのに、この人の存在は自分の指標となる。そう信じる事が出来る説得力が、これまでに彼が成し遂げた事、そしてアイドルとしてステージに立つ彼の姿から感じる事が出来たのだ。

 だからこそ、英智さまが復学し実際に対面が叶った時は、心から嬉しくて仕方がなかった。私の思い描いていた天祥院英智という偶像は、私の目の前に現れたその人と何ら違いはなかったからだ。

 ただ、英智さまは偶にひどく冷たい目をする事がある。
 DDD前にTrickstarに解散を命じてばらばらにした事を思い返せば、その認識は間違いではないと断言できる。
 人の上に立つ者は、特に冷酷でないといけないのだ。
 革命には犠牲が付き物だ。それを理解した上で、私はDDDで『fine』が敗れた時、彼らの為に動きたいと思った。単なる私利私欲、あるいは見返りを求めてではなく、彼らが好きだったから。fineを単なる悪役として終わらせたくなかったから。
 英智さまのした事には全て理由があり、必ずしも全てを悪だと決めつけるのは違うと思ったから。
 結果、Trickstarによってこの学院の歪みは全てなくなり、夢ノ咲の過去の醜聞など全て払拭される勢いで、この学院は更に高みへ登る事が出来た。
 まるで、これが本当のシナリオ――英智さまが成し遂げたかった最良の革命であったと思ってしまうくらいに、全てが完璧だった。

 全て私の思い込みなのかも知れない。
 けれど、英智さまが単なる悪人だとはどうしても思えない。
 だからこそ、仁兎先輩の忠告も受け止めはしたものの、どうしたら良いか分からない。それに――弓弦との関係を指摘された時に向けられた、英智さまの軽蔑するようなまなざし。あの瞳を思い返すたび、どうしようもない絶望感に襲われてしまう。
 きっとそう感じるのは、私が英智さまに嫌われたくなかったから。
 心から尊敬している人に、嫌われてしまった事が辛くて仕方がないからなのだ。



 fineのスタフェスの企画については、今回は私もあんずも関わらせて貰えない状態でいる。というのも、桃李くんが一人でやり切りたいからなのだという。勿論弓弦の助言はあるだろうし、四人で話し合って決めるだろう。fineだけでなく、実力のあるユニットはそもそもプロデューサーの力を借りずとも自分たちで全てをこなす事が多い。昨年まではそれでやって来たのだから当然と言えば当然だ。だから、あんずはこれまでになかった新しい企画を中心に様々な改革を行っていき、対する私は一年生や、これまで下位に埋もれてしまっていた生徒たちの底上げを中心に行ってきていた。

 つまり、そもそも私がfineに寄り添う必要は本来なかったのだ。自分が勝手に寄り添っていただけで、彼らは別に私を必要とはしていない。
 弓弦も桃李くんも日々樹先輩も、そして会長――英智さまも、決してそんな事を口にはしない。けれど、あの日をきっかけに、私がこれまでのうのうとやって来れたのは全て英智さまの温情であり、いつ切り捨てられても仕方のない存在だった。そう認識せざるを得なくて、どんなに弓弦に優しくされても、どこか上の空なまま機械的にやるべき事を淡々とこなしていくうちに、スタフェスの日が迫りつつあった。



 ふと廊下から窓の外を見遣ると、灰色の空から雪がはらはらと舞い降りていた。グラウンドもすっかり真っ白で、つい前まで地面が見えていたのが嘘みたいだ。
 今日は警報も出ていて、この後猛吹雪になるから早く帰るようにとお達しが出ている。連日深夜まで残っている生徒会、特に副会長でさえも今日は早く切り上げると言っていた。私も家が近いとはいえ、大人しく帰ろう――ぼんやりとそう思いながら廊下を歩いていると、進行方向にこちらへ向かって来る人影が見えた。
 顔を上げた先にいたのは、青葉先輩だった。

「青葉先輩! お疲れ様です」
「ああ、お疲れ様です、樹里ちゃん。今日は早く帰らないと駄目ですよ〜」
「はい、さすがに開店休業状態ですし、大人しく帰ろうかなと……」

 そう言い掛けて、私は重要な事を思い出した。今目の前にいる青葉先輩は、私がこの学院に転入する前――一年前、fineのメンバーだった人だ。
 青葉先輩に聞いても、何かを教えてくれるとは限らない。
 でも、このまま一人でもやもやとした感情に支配されていても意味がない。これは時間が解決してくれる問題ではなく、自分で動き、答えを見つけないといけない。仁兎先輩の忠告を元に、これからどう動いていけば良いのかを。

「あの、青葉先輩……少しだけお時間頂けますでしょうか」
「あれ? 帰るんじゃなかったんですか?」
「突然すみません。でも、今、どうしても青葉先輩にお聞きしたい事があるんです」

 私の突然の申し出に、青葉先輩は少し驚いたように目を見開いたけれど、何かを察したのかすぐに頷いてくれた。

「分かりました。立ち話も何ですし、図書室へ移動しましょうか」
「えっ、いいんですか?」
「はい。樹里ちゃんが俺なんかに聞きたい事……と言ったら、何となく察しが付きますから」





 図書室は私たち以外誰も居なくて、しんと静まり返っている。趣味のひとつと言えるほど読書する習慣はないけれど、本は嫌いではないし、不思議と落ち着く空間だ。まるでこの空間の主のようにも見える青葉先輩の雰囲気が、そう錯覚させるのだろうか。
 青葉先輩はいったん図書室を出て、恐らく誰も入って来ないように入室禁止の看板でも立てに行ったのだろうと思いつつ、適当に席に腰掛けた。図書室の窓からも、しんしんと降り続ける雪が見える。時折強い風が吹いて、じきに猛吹雪になる事が見て取れた。

「樹里ちゃん、お待たせしました〜」
「いえ、全然待ってないので大丈夫ですよ――あ」

 青葉先輩の手には缶のココアが二つあって、うちひとつを私の目の前に置いた。

「お気遣いありがとうございます、青葉先輩」
「温かくて甘いものでも飲みながら、リラックスしたほうが良いと思いまして」
「良いですね。いつも紅茶ばかりなので新鮮です」
「ああ、そういえば英智くんは紅茶派ですしね」

 青葉先輩からその名前が出た瞬間、缶のプルタブを開けようとしていた私の手が自然と止まった。

「樹里ちゃんが聞きたい事……英智くんの過去ですよね。違ってたら申し訳ないですが」
「……どうして分かるんですか?」
「さっきも言った通り、英智くんの力で再びアイドルに戻ろうとしている樹里ちゃんが、わざわざ俺なんかを捕まえて問い質したい事と言ったら、十中八九英智くんの過去だろうなと」
「俺『なんか』だなんて……青葉先輩も間違いなく過去にfineとして、英智さまと一緒に頂点に立った存在じゃないですか」

 現存している資料だけで把握している知識をもとに私がそう言うと、青葉先輩はどこか自嘲気味に笑ってみせた。いけない、失礼な事を言ってしまった気がする。

「すみません! あの、青葉先輩の事を根掘り葉掘り聞きたいわけではないんです。英智さまの過去も、その……伏せたい事であれば無理に言わなくても……」
「気を遣いすぎですよ、樹里ちゃん。今あなたの目の前にいるのは、『fine』の青葉つむぎではなく、『Switch』の青葉つむぎです」

 青葉先輩のその言葉に、はっとした。かつての『fine』のメンバーが離散して、『Switch』を結成し、今に至るまで――青葉先輩にも様々な苦難があった筈だ。そして、新しい道を歩み、逆先くんと春川くんというメンバーと共に実力のあるユニットして形を成している。
 今の青葉先輩こそが、再びアイドルとしての道を歩もうとしている私にとってのお手本であり、見習うべき姿勢なのかも知れない。

「青葉先輩、あの……私、前にとある方から、英智さまの事で忠告されたんです。私が英智さまにとって都合の良い人形でなくなった瞬間、切り捨てられると……」
「ああ、英智くんはあちこちで恨み買ってますからね〜」
「以前のfineの離散も、そのような経緯があったのだと推察しますが……でも、青葉先輩は英智さまを憎んでいるようには見えません」
「はい。俺は憎んでませんよ」

 青葉先輩は優しげな微笑を湛えつつも、きっぱりとそう言い切った。仁兎先輩が英智さまを憎んでいるのは、fineによってValkyrieを地に落とされ、詳しい経緯は不明だけれど、最終的に仁兎先輩はValkyrieを脱退する事となった。けれど、仁兎先輩は青葉先輩の事は憎んでいない。つまり青葉先輩も被害者であるという認識でいたのだけれど、傍から見たらそうであっても、本人にとっては違うようだ。

「どうして憎んでいないのか……それについては、これから話す過去の出来事を聞けば、樹里ちゃんも同意は出来なくても、一部分なら理解できるところがあると思います。過去を知って樹里ちゃんの悩みが解決するかは分かりませんが、きっとヒントが見つかる筈です」

 青葉先輩はそう言ってココアに口を付けた。私も倣って同じように口を付ける。少し外気に触れたせいか、熱すぎもせず程よい温かさだ。青葉先輩の言った通り、甘い香りが不安な気持ちを落ち着かせてくれる。

「あまり長くなるとお互い帰れなくなりそうなので、掻い摘んで説明しますね。もしかしたら、説明しなくてももう樹里ちゃんの中で答えは出ているかも知れませんが」

 答えが出ているかは分からない。出ていない、ではなく分からないと称した方が今の私の靄がかかったような気持ちを表すのに相応しい。それにしても、青葉先輩は一体どこまで私の事をお見通しなのだろう。
 私がどうすべきなのかという答えは出ていないけれど、私が英智さまを嫌いになる事はない――それだけは確実だ。根拠もないのに、そう言い切れる。





「青葉先輩、貴重なお時間をありがとうございました。このご恩を返す事が出来るかは分かりませんが……せめてココアのお礼ぐらいはどこかでさせてください」
「いえいえ、いいですよ〜。あ、でもココアのお礼に樹里ちゃんの淹れた紅茶、俺も飲んでみたい――あ痛っ!?」
「センパイ、可愛い妖精さんを連れ込んでセクハラなんて最低だネ。見損なったヨ」

 いつの間にそこにいたのか、逆先くんが辞書らしき分厚い本を片手に青葉先輩を見下ろしていた。ちゃんと見ていなかったけど、まさかその辞書の角で青葉先輩の頭を殴ったんじゃないだろうか。

「逆先くん、誤解! 私が無理言って青葉先輩に突撃しただけだから!」
「でも『樹里ちゃんの淹れた紅茶を飲ませて』は立派なセクハラでショ?」
「宙も樹里ちゃん先輩の淹れた紅茶、飲んでみたいな〜?」
「ソラ! センパイを援護するような事を言わないデ!」

 今度は逆先くんのすぐ横で春川くんがひょこりと顔を出して、本当にいつからそこにいたのだと突っ込みたくなった。まあ、聞かれて拙い話ではないけれど。春川くんにとってはよく分からない話だっただろうし、逆先くんはそれこそ『五奇人』に祭り上げられた一人なのだから、昨年の出来事はそれこそ嫌という程分かっているだろう。

「逆先くん、春川くん。青葉先輩を独り占めしちゃってごめんね」
「別に気にしなくていいな〜」
「それより早く帰ったほうがいいヨ。もう既に吹雪いてるようだシ、これ以上風が強くなると例え近所でも無事に帰れるか分からないヨ」
「うわ、本当に吹雪いてるね。長居させた私が言うのも何だけど、皆も早く帰ってね」

 逆先くんの言葉に窓の外へ視線を遣ると、帰るのが憂鬱になるぐらい雪が強風で渦を巻いていた。これが更に悪化するなら確かに緊急事態だ。私は空になった二人分の空き缶を手に取って、図書室を後にしようとした。

「樹里ちゃん、俺が捨てときますから置いといていいですよ〜」
「いえ、せめてゴミ捨てぐらいはさせてください。青葉先輩に話を聞けて、本当に有り難かったです」
「いやあ、俺は樹里ちゃんの為に何も出来てないですけどね」

 苦笑いを浮かべる青葉先輩の両隣に佇む逆先くんと春川くんは、微笑を湛えて私を見送りながら、不思議な事を口にした。

「樹里ちゃん先輩の色、前に比べて明るくなったな〜」
「センパイのお陰なのが癪だケド……妖精さん、ちょっとだけ失礼するヨ」

 図書室の扉を開けた私の傍に逆先くんが駆け寄って、ふと目が合う。

「自分の本心に従うんダ。キミは何も間違っていないヨ。これからも、例え不器用だろうと誠実であり続ければ、キミの事が好きな人たちは、これまでと変わらず手を差し伸べるだろウ」

 逆先くんとはそこまで深い付き合いもないし、私の悩みなど何も知らない筈だけれど、不思議とその言葉は私の胸の奥深くまで伝わり、素直に受け入れる事が出来た。

「……ありがとう、逆先くん」
「モジャ眼鏡センパイだけにいい顔させるのは癪だからネ」
「もう、仲良くしないと駄目だよ? 同じユニットなんだからさ」

 私がそう言うと、逆先くんは明らかに不機嫌そうに眉を顰めてしまった。逆先くんの怒りの矛先が私に向かうならまだしも、恐らく青葉先輩に向かうだろう。これ以上余計な事を言う前に退散しないと。私は慌てて皆に別れの挨拶を告げて図書室を後にした。





「うわ」

 校舎の外に出た瞬間、ひとりだというのに思わずそんな声が漏れてしまった。とはいえ、天気予報が当たるならこれ以上学院に留まったところで吹雪が収まることはないし、時間が経てば経つほど家までの帰路は困難な道程となるだろう。
 軽く溜め息を吐いて、仕方なしに雪が舞い狂う中歩を進めていると、少し離れた場所に人影が見えた。あれは――まさかあの二人がこんなところにいるなんて。

「弓弦! 桃李くん! まだ帰ってなかったの〜!?」

 私が大声で声を掛けると、二人はこちらへ顔を向けた。いつもならどちらともなく駆け寄るところなのだけれど、どうにも二人の様子がおかしい。真っ先に駆け寄って来る筈の桃李くんは佇んだままだし、弓弦も珍しく困惑しているように見える。
 何も考えず、私は駆け寄ろうとした――けれど、桃李くんが弓弦の後ろに隠れて、足が止まった。
 こんな事は今まで一度もなかった。この様子から察する事が出来るのは、桃李くんは私に顔を見せたくないという事。そして、弓弦が困惑している事から、何らかの緊急事態が発生している。二人の間ではなく、きっとこのタイミングだと、fineのメンバー間だ。

 きっと、これは私が口を挟んではいけない問題だ。少なくとも、今この瞬間は。

「……っと、二人とも早く帰りなよ〜!? スタフェス本番に風邪ひいたら大変だからね!」

 とりあえずそう言って、見てないだろうと思いつつも桃李くんに手を振って、再び歩き始めた私の背中に、声が投げ掛けられた。

「樹里さ〜ん、全てが解決したらお話しますので! 坊ちゃまは、わたくしにお任せください!」

 振り向くと、弓弦がこちらに手を振ってくれていた。とにかく桃李くんは今平常心ではない状態なのだろう。やっぱり私の判断は間違っていなかったようだ。

「了解! 任せたよ〜!」

 そう返して、私は再び前を向いて吹雪の中歩を進めた。以前の私なら、二人の中に割って入れない事に疎外感を覚えて不貞腐れたり、落ち込んでいたと思う。けれど今の私はとても心が落ち着いていて、穏やかだった。きっとSwitchの三人が魔法をかけてくれたのだろう、と思う事にした。

 青葉先輩から聞いた話――fineの結成から離散までの経緯。『五奇人』を次々に処刑していった様子。そして、この学院に残っている資料には書かれていない、消された真実。
 限られた時間の中だったから、掻い摘んでしか聞いていないけれど、Valkyieの面々をはじめとする残酷な目に遭った生徒たちが、英智さまを憎むのは当然の事だと理解出来た。

 でも、だからといって、英智さまが私に良くしてくれた事が、全て打算で偽りだったとも思えなかった。病気に蝕まれた身体に鞭を打ってアイドル活動を続けるその姿も、尊いものである事に変わりはない。
 腐り切った学院を変えるには革命を起こすしかなく、けれどその手段は残酷なものだった。罪が消える事はないけれど、償う事は出来る。SSの出場権を捨ててまで開催したDDD、Trickstarの勝利による革命、そしてこれから始まろうとしているES計画。それらは英智さまの野望だけでなく、かつて踏み躙った者たちへの贖罪も含まれているのかも知れない。
 やっぱり私は、天祥院英智という一人のアイドルの事を、どうしても嫌いになれなかった。私の憶測が見当違いだったとしても、私が今も抱いているこの感情は、間違いじゃない。

2020/06/06


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