The Fire Within



『イブイブライブ』も無事大成功に終わり、後はスタフェス本番に向かって準備を進めるだけだ。目の前の事に集中すればいい。その筈だったのに、今の私はまるで頭が働いていない。
 桃李くんのクリスマスパーティーに誘われ、皆でお屋敷にお邪魔して、久々に桃李くんの妹とゆっくり話をして――そこまでは問題なかった。その後私は皆と一緒に帰る予定だった。
 それが、どういうわけか成り行きでお屋敷に泊まる事になり、それだけならまだしも、私は弓弦の甘い言葉に流されるがままに、共に一夜を過ごしてしまったのだった。



「大丈夫ですか? 樹里さん。あまり熟睡出来なかったようですが」
「うん……」

 誰のせいだと怒りたいものの、桃李くんの手前そんな事は絶対に言えない。今、私は弓弦と桃李くんと共に、姫宮家の送迎車で学院へ向かっている。当然、私がこの二人と一緒に行動しているところを誰かに見られたら面倒な事になる。だからこそ、誰も登校していないであろう早朝に屋敷を出発して、かつ外から見られないように、私が座っている後部座席の窓はカーテンで閉め切られている。

「ごめんね、桃李くん。こんなに朝早くに登校させちゃって」
「ふぁあ、ふ……別にいいよ、たまにはこういう日があっても。それに、樹里が来てくれたお陰で妹も喜んでたし」

 桃李くんは私の肩に頭を乗せて、うつらうつらとしている。ほぼ弓弦が叩き起こしたと言っても過言ではないのだけれど、弓弦曰く「坊ちゃまは毎朝寝坊しておりますので、樹里さんをダシにして早起きして頂くのは、寧ろ坊ちゃまの為になります」という事らしい。

「樹里もちょっとだけでも寝た方がいいよ、昨日のイブイブライブの疲れも取れてないだろうし……」
「アイドル科の皆に比べたらどうって事ないよ」

 そもそもこの疲れと寝不足は昨日のライブの運営によるものではないから、桃李くんがこうして純粋に気遣ってくれるのがもどかしいし、申し訳なくも感じる。明日からはまたゆっくり朝を過ごせると良いのだけれど。



 学院に到着し、周囲に誰もいないか車内から入念に確認した後、桃李くんが先に、続いて私、最後に弓弦が車から降りる。まさに私の家に来た時と同じ状況で、こんなところを英智さまに見られたらひとたまりもない――そんな事を考えていると、不安が顔に出ていたのか、桃李くんが私の顔を覗き込んで満面の笑顔を見せた。

「大丈夫だよ。樹里はボクの妹の為に泊まったんだから。会長もそれは分かってくれるよ」
「そうかなあ……」
「いざとなれば妹君に証人になって頂きましょう。場合によっては会長さまが死にかける可能性もありますが、致し方ありませんね」
「は?」

 桃李くんの言葉にいまいち頷けない私に、弓弦が虫一匹殺さないような優しい微笑で恐ろしい事を言ってのけて、つい呆けた声が出た。

「樹里さんは妹君から会長さまの話はお聞きになられていなかったんですね」
「え、何も……っていうか死にかけるって何? 二人が出くわすと会長の心臓に悪い何かが起こるの?」
「ふふっ、いずれ分かる時が来るかと」

 なんとも思わせぶりな言い方をされてしまった。気になって仕方がないけれど、この真冬に校門で立ち話を続けていたら風邪を引いてしまいそうだ。私たちは話も程々に、足早に校舎へ入って行った。それと同時に当たり前の日常が戻って来て、姫宮家で一夜を過ごした事が夢幻のように思えた。





 再びスタフェスの準備に明け暮れる日々に戻り、忙しいのを口実に、弓弦との関係は今後どうするのか、決めなければならない事を有耶無耶にしていたある日。廊下を歩く私の背中に、思いがけない人物が声を掛けた。

「お〜い! 樹里ちん!」
「仁兎先輩」

 振り向くと、仁兎先輩が紅色の双眸をこちらへ向けて、屈託のない笑みを浮かべていた。

「スタフェスでのRa*bitsのステージで何かご相談ですか? 今、ちょうどひと段落したところなので、時間もある程度割けますよ」
「おっ、助かる! ……ただ、スタフェスじゃなくて、別の事で話があるんだ」

 つい先程まで浮かべていた笑顔が消え、仁兎先輩は珍しく真剣な面持ちを浮かべる。……いや、別に珍しい事なんてない。仁兎先輩は年上で、私が転入する前の夢ノ咲で頂点に近い場所にいたアイドルなのだから、いつも笑顔で可愛いだけの人じゃないのは分かっている。

「ここで出来ない話でしたら、どこか空き教室を抑えて来ますけど」
「……うん、そうして貰えると助かる」
「了解しました。ただ、私が仁兎先輩の力になれるかは分かりませんが……」

 てっきり仁兎先輩は相談事があって私に声を掛けたのだと思っていた。あんずが掴まらなくて、じゃあ私に……というのは少々考えにくいけど、『あんずには頼み難いから私に依頼が来る』と解釈すると有り得る話だ。例えば、生徒会に取り入る必要があるだとか――

「いや、そうじゃないんだ。おれが話したい事は……樹里ちん、おまえ自身の事なんだ」

 仁兎先輩が私を叱責するわけがない。当然その認識に誤りはないと思ってはいるけれど、この時ばかりは形容し難い嫌な予感がした。そして、そういった嫌な予感とは大概当たるものだと、私は過去の経験則から把握していた。





「それで……私自身に関する話って、何でしょうか」

 スタフェス前のこの時期で空いている教室を抑える事が出来なくて、ちょうど誰も使っていなかった視聴覚室を使わせて貰う事にした。急ぎの用事がないとはいえ、出来ればすぐに終わる話だと良いのだけれど。でも、仁兎先輩の表情を見る限り、仮にすぐに終わる話であっても、かなり重要な内容であっさり流せるものではない気がする。

「樹里ちん。おまえがプロデューサーとしてやっていくなら、おれも余計な事は言わないで黙っているつもりだったけど……天祥院の力を借りてアイドルに戻るっていうなら、話は別だ」

 仁兎先輩の目が吊り上がり、明らかに嫌悪めいた感情を露にする。私は仁兎先輩に恨みを買われるような事はしていない。だとすれば――仁兎先輩が敵意を表しているのは、私ではなく、英智さまに対してだ。

「樹里ちんは天祥院の綺麗な部分しか知らない。それは無理もない、だって樹里ちんは今年の春にこの学院に来たんだからな」
「……一年前、この学院で会長が改革を行って、その結果生徒会が教師以上の権力を得たという事は知っていますが」

 当然それを見ているわけじゃないから、憶測でしかないけれど、私が転入した時点でもこの学院が荒れていた事を思い返せば、残念ながら英智さまの改革は失敗だったのだろう。だからこそ反生徒会という不穏分子が暴れ回り、それを生徒会が武力で鎮圧していた。そして最終的にTrickstarがDDDでfineに勝利した事で、誰もが幸せになれる革命が成し遂げられたのだ。

 英智さまの改革は間違っていたのかも知れない。けれど、それがなければTrickstarの革命も起こらなかった可能性だってある。全ては私の憶測――妄想でしかないけれど、英智さまの行った事は無駄ではないと思っている。
 革命が必ずしも民衆にとって良い結果に終わるわけではない事は、人類の歴史が証明している。学校の授業でも学ぶ内容だ。

「……改革なんて綺麗な言葉で片付けられるものじゃない。あれは『粛清』だった」

 仁兎先輩が私に伝えたい『本当の事』が、なんとなく分かり始めてきた。
 私がいなかった一年前、仁兎先輩はRa*bitsにいたわけではない。
 Valkyrie――『五奇人』のひとり、斎宮宗がリーダーのユニットに所属していた事は、記録で知っている。
 ただ、大前提として何故『五奇人』なる言葉が生まれたのか、そこまでは分かっていない。

「……あの、もしかして。仁兎先輩が会長に『粛清』されたという事なんでしょうか。仁兎先輩が、というより『Valkyrie』が……」

 ここまで深く立ち入って良いのか迷ったけれど、きっと、仁兎先輩がこれから説明しようとしている事と、私が察している事は同じだ。
 一年前のValkyrieは、遠く離れた地でアイドル候補生をしていた私でも存在を知っていた。夢ノ咲学院の生徒としては珍しくメディアに取り上げられていたし、その独特の世界観は、見た者の記憶から消える事はない。
 それなのに、ある時からValkyrieは表舞台から姿を消してしまったのだ。『記憶から消える事はない』と言っても、日々新しいアイドルが生まれるこの世界において、表舞台から消える事は、大衆から徐々に忘れられる事と同義だ。

「……そっか、樹里ちんはおれがValkyrieにいた事を知ってて、それで敢えて黙っていてくれたんだな」
「仁兎先輩がソロで活動されているならまだしも、Ra*bitsという新しいユニットで活動されていましたから。自分から仁兎先輩の過去に触れるべきではないと……」
「変な気遣わせちゃってごめんな」
「いえ、それは私も同じですし」

 気まずそうに目を逸らして詫びる仁兎先輩に、私は苦笑を浮かべて首を横に振った。言葉通り、私も過去別の学校でアイドル候補生だった事が、先日のオータムライブで明らかになってから、周りの見る目が変わったと感じている。それがどんな意味であれ、例え悪意が込められていたとしても、それに対して傷付いたり文句を言う気にはならなかった。忙しくてそんな暇がないと言った方が正しいけれど。
 だから、もしかしたら仁兎先輩も私と同じ――いや、それ以上に『やり難い』状況で学院生活を送って来ているのかも知れない。Valkyrieでの実績があるゆえに、私とは比べ物にならない程。

「でも、それなら話は早い。樹里ちんは天祥院に懐いてるようだけど……まず、おれは決して意地悪で言ってるわけじゃないって事を理解して欲しい」
「はい、仁兎先輩はそんな事をする人じゃないのは、Ra*bitsの子たちを見ていたら分かります」
「ありがとう」

 仁兎先輩は包容力を感じさせる、あたたかな笑みを浮かべたけれど、それも一瞬の事ですぐに険しい表情へと変わる。

「樹里ちんも察しているかも知れないけど……大前提として『五奇人』は、天祥院の革命の為に作り出された『絶対悪』だ。そして、天祥院によって五奇人に選ばれた皆は、あいつの革命の為に悪役に仕立て上げられ……次々と公開処刑されていった」
「Valkyrieが表舞台から姿を消したのも、それが原因ですか……?」

 仁兎先輩は沈痛な面持ちで、深く頷いた。

「天祥院にとって都合の悪い事実は、全て抹消されてる。お師さん――斎宮だけじゃない、『五奇人』と呼ばれた他の四人も、決して悪いヤツじゃないって樹里ちんも分かってるだろ?」
「はい。私が生徒会寄りであるにも関わらず、皆さん優しく接してくれています。斎宮先輩は、本人がどうというより、影片くんを私に近づけさせないようにしている感じがしますけど」
「それは、おまえ経由でみかちんが天祥院に関わるような事があったら拙いからだと思う。斎宮は、決して樹里ちんが嫌いなわけじゃない」

 基本的にValkyrieは自分たちで何もかもを成し遂げてしまう為、斎宮先輩とはそこまで交流はない。ただ、七夕祭の時に上機嫌で私に好意的に接してくれたのは強く覚えている。日々樹先輩の名前も口にしていて、日々樹先輩がどういうわけか『五奇人』として討伐された後fineに加入した事について、決して恨んでいる様子はなさそうだった。

「つまり、仁兎先輩は……私が会長に何らかの理由で貶められる事を危惧されている、という事でしょうか」
「うん、そういう事だ。あいつは平気で人を切り捨てる。前のfineがばらばらになったのもそういう事なんだと思う。革命が成功したからお役御免で……つむぎちんの事は知ってるか?」
「はい、青葉先輩が元fineだと桃李くんに教えて貰いました。今でも『つむぎさま』と呼んで慕っているようですし」
「……桃ちんも詳しい事は聞かされていないんだな」

 つまり、私もいずれ青葉先輩のように切り捨てられてしまう可能性があるという事だ。切り捨てられるだけならまだ良い。オータムライブでの一件を機に、英智さまは私のお父さんとも関わるようになった。私はまだ詳しい事を聞かされていないけれど、新しいプロジェクトに参加する事になったらしい。もしかしたら、英智さまが前に言っていた『ES』に関係するのかも知れない。だとしたら、私が下手な事をすればお父さんに迷惑が掛かってしまう。

「……仁兎先輩、ご忠告ありがとうございます。今後、会長への接し方について充分気を払うようにします」
「プロデュース科を卒業してどんな道を歩むにしても、天祥院を快く思わない芸能関係者だっているから、そこまで困る事はない。けれど……樹里ちんがアイドルとして生きるなら、天祥院にとって樹里ちんが都合の良い人形じゃなくなった瞬間、全力で潰しにかかる」

 仁兎先輩がここまで言うなんて、私がこの学院に来るまでの間、余程の事があったと考えられる。Valkyrieは七夕祭でfineと互角かそれ以上の勝負を魅せた事で復活してみせたけれど、果たして私が仮に英智さまの手で地に叩きつけられた時、同じように立ち上がる事が出来るだろうか。
 ……そんな自信も実力も、私にはない。

「ごめんな、樹里ちん。スタフェスの準備で忙しい時に、こんな話しちゃって」
「いえ、ありがとうございます。寧ろ早い段階で教えてくださって有り難いです」

 仁兎先輩の顔に漸く微笑が戻って、張り詰めていた空気が一気に緩んだ気がして、私も自然と笑みが零れた。視聴覚室を後にして、仁兎先輩と解散した後、私はふと思い出した。過去に朔間くんも同じような忠告をしていた事を。

 ――エッちゃんには気を付けて。あんたは随分と信頼してるみたいだけど、あまり入れ込まない方がいい。

 朔間くんはそう言いながらも会長と上手くやっているように見えた。きっと、一年前の『粛清』を知っている生徒は、皆そうして折り合いを付けて接しているのだろう。
 私は一体どうすれば良いんだろう。今更アイドルに戻る事を撤回しようとは思わない。でも、この先ずっと会長に切り捨てられる恐怖に怯えながら生きていかないといけないのだろうか。それに、きっと弓弦と付き合っている事を知られた時点で、会長の逆鱗に触れている。改めて八方塞がりな状況だと思い知らされ、私はどうする事も出来ずにいた。

2020/05/30


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