As Long As You're Mine



 夢ノ咲はスタフェス宣伝の為に、公園を貸し切って『イブイブライブ』なるものを開催する事になり、本来はValkyrieが出演するはずであったが、斎宮宗の体調不良により急遽『流星隊』と『2wink』が代打で出演する事となった。
 中止を免れ、プロデュース科の二人は安堵している様子であったが、スタフェスやその後のSSに加え、このような細々とした催しにも奔走する二人――遠矢樹里とあんずは、まさに猫の手も借りたい状況である事が見て取れた。
 己も生徒会の手伝いや姫宮家の事業で忙しく、先日の一件で彼女とゆっくり話し合う機会を持てないまま日々は過ぎていった。



「弓弦、まだ樹里と話出来てないの?」
「はい。なかなか互いに忙しく……特に樹里さんはあんずさんと一緒に『イブイブライブ』とやらの準備に明け暮れておりますから」
「全く、樹里にはfineを最優先に動いて貰いたいのに」
「そうなると他の事を全てをあんずさんに押し付けてしまう形になってしまいますからね。樹里さんとしては、プロデューサーとして残された三ヶ月をあんずさんの為に使いたいのかも知れません」

 姫宮家でのクリスマスパーティーを間近に控えた夜。いつものように主と雑談に興じていると、ふと何かを思い立ったのか、主は突然目を見開いて己を見つめた。

「弓弦! いい事思い付いた。明日のクリスマスパーティーに樹里を呼ぼうよ」
「よろしいのですか? 坊ちゃまの命令ならば樹里さんも二つ返事で頷いてくれるとは思いますが……」
「うん、お父様もお母様もまた海外に戻って、ボク……っていうより妹が寂しがってるし。妹も樹里と上手くやってるみたいだし、来てくれたらすっごく喜ぶと思う」

 主はもっともらしく言ったものの、要は主自身も寂しいのだろう。ここは従者として遠矢樹里を屋敷に招くミッションを遂行すべきだ。

「お任せください、坊ちゃま。妹君の為にも、樹里さんを必ずや拉致して参ります」
「物騒な物言いをするな! まあ、樹里なら断らないとは思うけどさ……」





 かくして、クリスマスパーティー当日。学校内で彼女に声を掛け誘おうとしたものの、タイミングの悪い事にこの日は『イブイブライブ』当日でもあった。休憩時間も彼女は奔走しており、その姿はまるで人に懐かない野良猫のようであった。

「弓弦、どうした? 誰か探してるのか?」
「衣更さま。いえ、樹里さんを捕獲したいのですがなかなかタイミングが合わず……」
「ああ、今日はイブイブライブにかかりきりだからな〜」

 B組の教室で衣更真緒に声を掛けられ、彼ならば変に詮索することもないだろうと正直に答えると、彼は思案する仕草を見せた後、苦笑いを浮かべて言葉を続けた。

「どうしても今日話したい事があるなら、ライブ会場に直接行くしかないな」
「やはりそうなってしまいますか。致し方ありませんね」
「つーか捕獲はするなよ〜? 遠矢もアイドル復帰するって話だし、ちょっと距離が近いところを週刊誌に撮られて、変な事書かれたらまずいしな」

 まさに一歩手前の事が秋にあり、あまつさえ生徒会長に牽制されている事を思うと実に耳の痛い話である。会場が校外である以上、より一層注意して行動しなくては。





 授業が終わり、生徒会の手伝いも一段落した頃には、とうに陽も落ちて空は闇に染まっていた。慌ただしく過ごしているうちに、陽が沈む時刻もいつの間にか早まり――つまり夜が訪れたからといって、今日という日がすぐに終わってしまうわけではない。『イブイブライブ』が終わった後、彼女が主の家に寄る時間は充分にある。

 白い雪はしんしんと降り続け、最早アスファルトを覆い隠さんとしていた。何事もない平凡な一日、あるいは恋人と過ごす大切な一日であれば、この情景を楽しむ事も出来るかも知れないが、あいにく己はそんな甘い雰囲気に浸っている状況ではない。主の命令のもと、遠矢樹里を姫宮邸まで連行するミッションがあるのだから。目的を達成する為、ライブ会場である公園まで無心で歩を進め、漸く会場が視界に入る。
 遠くからでも分かる。流星隊と2winkが滞りなくライブを行っており、観客も賑わっているようだ。

 今回はあくまでスタフェスの宣伝を兼ねており、無料ライブという体で開催されている。己たちfineや紅月など、校内で上位の立場にいるユニットはこういう形式のライブはなかなか実行出来ない。実力はあるもののまだ一年生である2winkや、元々子供や家族連れをメインターゲットとしている流星隊だからこそ、この代打も叶ったのだ。

 遠矢樹里もあんずと共に、会場設営や運営、グッズ販売等に当たる為、この会場にいると前もって情報を得ている。自身にアイドルに戻るきっかけのひとつを与えてくれたあんずの事を思えば、余程の事がなければ遠矢樹里が途中で帰る事はないだろう。その姿を探していると、何やら緑色の物体の傍に夢ノ咲の制服を纏った女子ふたりが並んでいる。最早それが誰なのかは、顔が見えなくても判別できる。

 すぐ傍まで歩を進めた結果、緑色の物体はクリスマスツリーに扮した『流星隊』の高峯翠であった。なんでも足を挫いて動けなくなった故の有様であるようだ。
 何にせよ、己のミッションは随分と困難になってしまった。遠矢樹里が一人にならない限り、これから家に来て欲しいと誘うのは無理がある。移動に関しては時間をずらして別行動で姫宮邸に来て貰えば良いが、問題は彼女にそうさせる為に話題を切り出す手段だ。
 オータムライブ前の例の写真は表沙汰になっていないとはいえ、fineのメンバーのような云わば身内以外の前で話を切り出そうものなら、特別な関係だと一気に疑われてしまうだろう。あんずだけならまだしも、流星隊のメンバーがいる上、更にはリーダーの守沢千秋もライブを終えてこちらに向かって来た。他の流星隊メンバーや2winkの二人も来るだろうし、彼女を誘い出すのは不可能と言っていいだろう。
 ……彼女『ひとり』を誘い出すのは。

「ところで伏見、何か用事があるんじゃないの?」
「すぐに察するとはさすがです、樹里さん」
「いや、あんずに頼み事してたのは知ってるけど、それだけの為にわざわざ夜のライブ会場にまで足を運ぶかなあって。桃李くんと離れてまでって考えると、重要とまでいかなくても結構急いでるんじゃないの?」

 よりによってターゲット直々にそう話を切り出されるとは。ここで馬鹿正直に答えては己たちの首を絞めるだけであり、生徒会長にもあわせる顔がない。
 致し方ない。ここは少々ミッション内容を変更しなければ。と言っても、彼女を家に招くことに変わりはない。

「実は本日、坊ちゃまの屋敷でクリスマスパーティーを行うのです。と言ってもご両親は既に海外に帰られた後でして……もしよろしければ、皆様もパーティーにご参加頂けませんか?」
「いいの? 私は是非喜んで行きたいけど……皆はどう? 行こう!」

 彼女は二つ返事どころか一気に表情を明るくさせて即答すれば、あんずやアイドル達に顔を向けて訊ねた。皆遠慮がちではあったものの、パーティー参加を承諾してくれた。
 予定は狂ってしまい、妹君には申し訳ない事をしてしまったが……ちょうど2winkや流星隊の一年生もいて、主と同じクラスの生徒もいる。少なくとも我が主にとっては実りのあるパーティーとなる事だろう。





 幸い、ライブが終わったのはそこまで遅い時間ではなく、姫宮邸でのパーティーは賑わいを見せていた。多少要望とは異なったものの、主にとっては寧ろ良い意味で計算外の出来事となっただろう。そこまでは良いのだが、問題は主の妹君である。妹君は非常に人見知りであり、更には兄である我が主への愛が重く、己に対しても嫉妬するぐらいである。つまり、この現状を快く思っているわけがない。

 そもそも、遠矢樹里が妹君に気に入られた事自体が未だに不思議であった。彼女もなかなかに気性が荒く難しい性格をしているが、どこか相通じるものがあるのか、もしくは遠矢樹里が妹君を気遣って一歩引いているからこそ、適度な距離感で友好を深める事が出来ているのか。
 などと、二人の不思議な関係に考えを巡らせながら執事としての仕事をこなし、ふと室内を見回すと一人足りない事に気が付いた。
 遠矢樹里が忽然と姿を消している。

「あのう、あんずさん。樹里さんはどちらに……」
「桃李くんに頼まれて、妹さんのところに行ってるみたい」
「妹君……やはり我儘を言われましたか」

 なんとなくこうなる予感はしていた。いくら広い屋敷とはいえ、大部屋で皆がわいわいと騒いでいれば、妹君の部屋にもほんの僅かでも喧騒が届いてしまうだろう。妹君はじっと黙っているタイプではなく、最悪いかなる手段を使ってもパーティーをぶち壊しにする恐れもある。愛する兄の面目を保つためにそこまではしないとしても、黙って我慢するような子ではない。
 兄に迷惑を掛けず、かつ自分の不満を解消する為に取る行動――それは本来一人で来る筈であった遠矢樹里を拉致する事。庭に地雷を仕掛けるのも容易い妹君にしてみたら、実に平和的な解決策である。

「ごめん、弓弦。妹に頼まれてどうしても断れなくてさ。でも、樹里も妹と話したいって言ってたし、良いかなって」
「はあ、坊ちゃまは相変わらず妹君に甘いですね。だから我儘を言っても何でも通用すると思ってしまわれるのですよ」
「だって、まさか樹里だけじゃなくてイブイブライブに出たヤツ全員来ると思わないでしょ? ボクは嬉しいけどさ、妹にしてみたら話が違うって怒るよ」
「そこを突かれると心苦しいですね……」

 ライブが始まる前に何としても遠矢樹里を捕まえて、事情を説明すべきだったと若干後悔しなくもない。ライブが終わった後に家に帰るふりをして一人で来て貰うか、あるいはどこか人目に付かない場所で落ち合うなり出来たのだから。
 ただ、主の事を最優先で考えると、こうしてクラスメイトや年の離れた先輩と交友を深めるのは喜ばしい事だ。他にもやりようはあったが、己の取った行動が間違っていたとも思わなかった。

「妹君の気持ちも分かりますが、樹里さんはパーティーに来たのであって妹君に拉致される為に来たわけではないですからね。少し、様子を見て来ます」
「見に行くのはいいけど、無理強いはしないでよね。妹も寂しくて仕方ないんだからさ」

 軽く溜め息を吐く主に、確かに強引に遠矢樹里を妹君から引き剥がすのは心が痛む――と少々らしくない事を思いつつ、妹君の部屋を向かったのだった。





「おや、邪魔をしてしまい申し訳ありません」

 妹君の部屋に入ると、そこには使用人が運んで来たケーキやオードブルを前に満面の笑みを浮かべている妹君と、少し離れた場所で歌とダンスを披露している遠矢樹里の姿があった。
 彼女は己が入室してもパフォーマンスを止める事はなく、サビが終わったところで歌うのをやめ、まるでそれも振り付けに含まれているかのようにステップと共にこちらへ身体を向ければ、照れ臭そうに苦笑を浮かべてみせた。

「いやいや、急に席外しちゃってごめん。もう戻った方が良いかな?」
「わたくしに強制権はありませんので……妹君次第ですね」

 そう言って妹君に視線を向けると、まるで玩具を取り上げられた子供の如く睨み付けられて、つい溜息を零しそうになってしまった。

「わたくしも意地悪で言っているわけではありません。皆さんは樹里さんとわたくしの関係を知りませんから、坊ちゃまの妹であるあなたと樹里さんがあまりに親密ですと、不自然に見られてしまいます。あらぬ誤解を受ければ取り返しの付かない事に……」
「あ、それなら多分大丈夫」

 妹君に苦言を呈していると、意外にも彼女が笑顔を向けて間に入って来た。

「私がウィッシングライブで見せたパフォーマンス、生徒会が録画してくれてたんだよね。それを桃李くんがダビングして、妹ちゃんに見せたら気に入ってくれて」
「成程。それで先程パフォーマンスを披露していたという事ですね」
「そういう事。だから、2winkと流星隊の子たちに何か聞かれても、そう伝えれば納得すると思う。思うも何も事実だし」

 夏に彼女をこの家に呼んだ事を伏せて、先日のライブで妹君が遠矢樹里のファンになった、と言えば確かに全ての辻褄は合う。妙に納得して彼女をまじまじと見遣っていると、何を思ったのか妹君が彼女の傍に駆け寄って、渡さないとばかりに彼女の腕に自身の腕を絡ませた。

「困りましたね。一応念には念をという事で、樹里さんには今一度皆さんに顔を見せて頂きたいのですが」
「うーん……時間的にもうこの部屋には戻れなくなっちゃいそうだけど」
「樹里さん。あなたは妹君の肩を持つんですか?」
「は? 肩を持つっていうか、やっぱりひとりぼっちは辛いと思うんだ。知らないお兄さんばかりで顔を出し難いのも、分かるし……」

 そう言って気まずそうに己から目を逸らす彼女の横で、妹君が彼女は自分のものだと言いたげに、得意気な顔で己に不敵な笑みを向けている。「妹君に騙されているぞ」と言いたいものの、妹君に今寄り添えるのは使用人ではなく遠矢樹里しかいないと思うと、ここは彼女に任せるしかない気もして来た。ここで変に妹君を怒らせると後々面倒な事になるのと、当の彼女が妹君と一緒に居たいと思うのなら、それを尊重するに越した事はないからだ。双方の利害は一致している。

「かしこまりました。では、皆様にはそう伝えておきますね。あんずさんも女子一人でも上手くやっているでしょうし」
「あ、そうだ。あんずもここに来て貰うのはどうかな?」

 彼女が何気なく放った一言が気に食わなかったらしく、妹君の機嫌が一気に悪化した。自分と二人きりは嫌なのかとごねだして、さすがの彼女も困惑している。

「うう……弓弦、どうしよう」
「ご自身が蒔いた種ですよ」
「なんでそんな意地悪言うの!? 弓弦のほうが妹ちゃんの事分かってるでしょ?」
「すみません、少々樹里さんをからかってみたくなりまして。考えられる解決策としては……いっそ樹里さん、今夜はこの屋敷にお泊まりになられたら如何でしょうか」

 出来る、出来ないは別として、ひとまず妹君が満足しそうな案を口にしたところ、妹君は即座に表情を明るくさせた。……これは、強制的にそうなってしまいそうな流れである。

「……樹里さん、申し訳ありません」
「いいよ、なんとなくそうなる気がしてたし。ただ、明日も学校があるし、着替えとかどうしよう」
「来客用の備えがありますから大丈夫ですよ。そこは御心配なさらず」
「何から何までありがとう。でも、もうこんな機会はないと思ってたから、ちょっと嬉しいかも」

 主も妹君に甘いが、遠矢樹里も大概である。まあ、本当に気が合うからこそ突然の外泊も心からの笑顔で承諾出来るのだろう。
 大広間に戻り、パーティーを繰り広げる面々に経緯を伝えると、皆驚きの表情を浮かべてみせた。

「遠矢先輩、凄いッス! もう熱烈なファンを獲得するなんて、やっぱりアイドルに相応しい方だったんスね」
「妹君が樹里さんのファンと言うより、単に話が合うのでしょうね。二人とも気性が荒く、『いい性格』をしていますから」
「あはは、伏見先輩相変わらず痛烈ですね〜。遠矢先輩が聞いたらそれこそ怒っちゃいますよ」

 とりあえず上手く誤魔化せたようだ(と言ってもほぼ事実ではあるが)。安堵の息を軽く零すと、ちょうど主と目が合った。主はよくやった、と言いたげにウインクして、それに答えるように己も頷いてみせたのだった。





 宴も終わり皆それぞれ帰路につき、騒がしかった屋敷も漸く静寂が訪れた。主は既に疲れ果てて寝ており、妹君と彼女も入浴を済ませたと他の使用人から聞いており、もう就寝していてもおかしくない時刻であった。
 己も執事としての業務を終え、入浴を済ませて自室に戻り、ベッドに潜り込もうとした瞬間。
 部屋の外から、扉を叩く音がした。

「坊ちゃま、眠れないのですか?」

 何も考えずに扉を開けると、そこにいたのは主ではなく、真剣な面持ちで己を見上げる遠矢樹里であった。

「樹里さん? どうかなさいましたか」
「妹ちゃんに……ちゃんと弓弦と話し合うようにって言われて」

 妹君も我儘放題に見えて、なかなか粋な計らいをするものだと珍しく感心してしまった。恐らくは恋話なるものに発展して、彼女が己との関係について妹君に赤裸々に話しでもしたのだろう。兄を独占したいあまり、己にも嫉妬するような妹君としては、寧ろ遠矢樹里には己を惹きつけておいて欲しいと思ったのかも知れない。

「わたくしも樹里さんとゆっくり話す時間が欲しいとずっと思っておりました。どうぞ、お入りくださいまし」



 こうして自室で彼女と二人きりになるのは、夏休みの夜以来だ。あの時も随分と油断した行動を取っていたが、まさか彼女を取り巻く環境がここまで変わるとは夢にも思っていなかった。彼女の過去を考えれば有り得る未来であったとしても、まさかこの半年足らずでここまで劇的に変わるとは誰が予想しただろうか。
 恐らくは、天祥院英智だけは彼女の将来を分かっていて、だからこそ優しく接してもいたのだろう。DDD前までは彼女を値踏みするような態度を見せていたが、彼女の父親に利用価値があるだけでなく、もしかしたら遠矢樹里本人にも価値があると、誰よりも早く気付いたのかも知れない。
 それが、よりによって自身と同じユニットのメンバーと恋仲になり、あまつさえそれを打ち明けないとなれば、彼が静かな怒りを露わにするのも理解出来なくはない話であった。

「……あのね、弓弦。私たちの、これからの事についてなんだけど……」
「樹里さん。わたくしも自分なりに考えたのですけれど」

 彼女がこれから取ろうとしている選択肢は、恐らく己が望んでいるものとは違う。それは天祥院英智から咎められた時の言動を思い返せば、問い質さなくても分かる。
 彼女は、己との関係を終わらせる事を望んでいる。
 自分がそうしたいからではなく、己の為を思って。

「まず結論から申し上げますと、わたくし、樹里さんと別れる気はございません」
「いや、でも、このままじゃ……」
「はい。このままでは会長さまが納得されないのは理解しております。仮にわたくしたちが『誰に反対されようと別れる気はない』と主張すれば、強引に別れさせる事はしなくても、万が一外部に知られることがあれば、庇う事はせずわたくしたちはたちまち潰されてしまうでしょう」
「そう。私はそれでもいいけど、弓弦は駄目だよ。私は失うものなんてもうないけど、弓弦には桃李くんがいるんだから」

 ベッドに並んで腰を下ろしつつ、諭すように話すものの、彼女は己の話の意図を探るというよりも自分の意思を主張したいように思えた。まずは己の見解に耳を傾けて貰わなければ。彼女の手を取って、顔を近付けて表情を窺うと、先程まで妹君の前で見せていた笑顔はまるで幻だったかのように、悲嘆に暮れる表情を見せていた。

「……樹里さんの仰る通り、わたくしには坊ちゃまに寄り添うという使命があります。fineを最優先に動いておりますし、幸い、樹里さんにもご理解頂けております。この体制を崩す気はありません」
「でも、今のままじゃ会長は納得しない」
「はい。ですから……会長さまに認めて頂くために、わたくしも樹里さんもより一層精進すべきだという結論に至りました。アイドルとして、夢ノ咲の生徒として、そして、ひとりの人間として」

 具体的にどうあるべきか、という結論までは出せていないが、己たちの本業、および来年度から遠矢樹里が為すべき事は、立派なアイドルを演じ切ってみせる事だ。舞台上で見せるパフォーマンスだけでなく、日頃の行いも含まれるだろう。スキャンダルなど以ての外である。

「つまり……立派なアイドルとしてやっていくために、別れるって事だよね」
「はあ、樹里さん。わたくしの話を聞いていませんね? わたくしは別れる気はないと申し上げております」
「聞いてるよ。会長に認めて貰うためにアイドルを全うするなら、いったん別れないと……」
「樹里さん、大事な事を忘れてますよ。会長さまは、プロデューサーの立場でアイドルに恋をした事を咎めているのです。アイドルに戻った後の事は自分で考えるように、と仰られておりました」

 そうは言っても受け容れられない、とでも言いたいのか、彼女は無言で首を横に振って俯いた。
 またいつこうして二人きりで話せるか分からない。今日も機転が利かなければ、こうして彼女がこの屋敷に泊まる事もなかっただろう。こんな事が再びあるとは思えず、それこそ彼女がアイドルとして復帰する為の準備を進めるのであれば、もう二度とこんな日は来ないかも知れない。
 今、話を付けなければ、取り返しの付かない事になる。

「樹里さんは非常に真面目ですから、わたくしがこれから言う事を受け居られないかもしれませんが」

 彼女の手を繋ぎ、指を絡ませる。一瞬震えて、恐る恐る顔を上げて己の顔を見上げる彼女は、どうして良いか分からず泣きそうな表情を浮かべていた。

「アイドルが恋愛をするなというのは、暴力的な言い方をすれば人権侵害です。会長さまや樹里さんの仰られる『ファン心理』を考えれば頂けない行為ではありますが……実のところ、皆に見付からないように上手く愛を育んでいる方もそれなりに多いんです」

 彼女の口が僅かに開く。それでも自分は受け入れられない、とでも言いたいのだろう。そう思って、彼女が言おうとした言葉を強引に遮るように、話を続けた。

「わたくしは先を急ごうとは思っていません。樹里さんとの将来を見据えて、ゆっくりと前に進んで行ければ良いと考えています。堂々とデートをしたりなどと、普通の交際は出来ませんけれど、お互いの立場を尊重する事と、愛を育む事は両立できると、わたくしは信じております。ですから――」

 もうそんな悲しい顔をしないで欲しい。あなたには心からの笑顔で、新しい道を歩んで欲しいのだから。叶うのならば、己と共に、己と同じ道を。
 彼女の唇に軽く口付けをし、囁いた。

「――どうか、わたくしを信じて、わたくしと共に歩んで頂けませんか。わたくしは、樹里さん――あなたにも寄り添いたいのです」

 彼女は頷くでもなく、虚ろな目で己を見つめていた。果たして何を考えているのか、承諾と受け取っても良いのか判断に悩むところではあるが、決して首を横に振る事はしなかった。

「すぐに結論を出せとはいいません。ですが、別れる以外にもわたくしたちにとって最良の選択肢となり得る道はある筈です。どうか、わたくしの言葉にも耳を傾けてくださいね」

 己の言葉が本当に彼女に伝わっているのかは分からない。けれど、このまま終わらせる事が己たちにとって最良の選択であるとはどうしても思えない。正直、会長は己たちの関係はほぼ認めているも同然であると考えている。そして会長の言った通り、問題は彼女自身の気持ち――アイドルとして復帰するにあたり、どう心の整理を付けるかだ。こればかりは、己が強引に説得したところでどうにもならないかも知れない。それでも、全てが無駄に終わったとしても、まだ諦めたくはない。共に未来を歩みたいと、彼女も願っている筈だ――そう信じたかった。

2020/05/20


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