After the Storm



「実を言うと決定的な証拠があるわけじゃなかったんだけど……今の樹里ちゃんの態度を見れば、追及するまでもないかな」

 生徒会長が鎌をかけているのは分かっていた。それこそ今本人が言ったように、証拠はあるのかと問い質して白を切る事も出来たというのに、彼女は呆然として何も言葉を返せずにいた。その反応だけで、男女の関係であることが事実だと認めているようなものである。見かねた主が彼女の手を引いて室外へと連れ出し、今に至る。

「聡明な君の事だから、上手くやっているんだろうけど……ただ、前もって僕に共有ぐらいはして欲しかったな」
「報告の義務があるのですか?」
「無いけれど、それは確実に隠し通せる場合に限るかな。コズプロに抑えられた写真データを抹消するのに結構苦労したんだよ」

 その写真とは一体何なのか、最早聞くまでもない。大前提として、秀越学園側が彼女の引き抜きを諦めただけでなく、あの写真が表沙汰にならなかった時点で、天祥院英智が全てを把握した上で蠢動していたのは少し考えれば分かる事であった。
 無意識に甘えが生じていたのかも知れない。主に付き添いこの学院に転入し、『fine』の一員として半年以上の時を共に過ごし、己たちの関係を察したとしても目を瞑って貰えるのだろう、と。

「……申し訳ありません。全てはわたくしが至らぬばかりに、会長さまのお手を煩わせてしまい……」
「別に煩わされてはいないけどね。あの子には利用価値があるから、そう易々とコズプロに奪われるわけにはいかないし。たださっきも言ったように、事前に打ち明けて貰えれば僕としてももっと動きやすかったかな」

 不思議と会長からは、己を非難する態度は感じられなかった。あくまで警告に留めているだけであり、その表情には敵視めいたものも一切ない。
 ならば、最初に会長が己たちの関係について話を切り出した際、まるで咎めるような視線を向けていたのは気のせいだったのだろうか。
 気のせいではないとしたら――会長の怒りの矛先は、己ではなく彼女に向いている。そう考えるのが妥当である。

「会長さま。わたくしが樹里さんと交際しているのは事実です。双方合意の元であり、どちらか一方の身勝手な感情ではないという事はご理解頂きたいのですが」
「君たちがそう思っていても、周りはそうは見ない場合もあるという事は肝に銘じておくように」
「樹里さんが強引に関係を強いているとでも言いたいのですか?」

 つい語気が強くなってしまったものの、己の発言を訂正するつもりはない。会長は誤解している。先に告白めいた言葉を口にしたのは彼女のほうであっても、それを断る権利は当然持ち合わせている。彼女の想いを受け容れたのは己の意思であり、仮に拒否したからといって己の立ち位置が不利になる事は有り得ない。プロデューサーといっても、この学院のプロデュース科においてはアイドルを支配するほどの力はなく、それどころか逆に会長率いる己たち『fine』のほうが遥かに権力があると言っても過言ではない。

「弓弦、僕は別に君たちの仲を反対したいわけじゃない。けれど、冷静になって考えて欲しいんだ。樹里ちゃんは同じ立場のアイドルでもなければ、一般人でもない。アイドルを陰ながら支え導く、『プロデューサー』という名の関係者だ」
「肩書はそうでも、実際のところ社会におけるプロデューサーほど権限があるようには思えませんが。関係者である事には変わりませんけれど」
「弓弦の認識通りなのだけれど、ただ傍から見れば、プロデューサーが商品に手を出していると思われても仕方ないよね」

 会長は淡々としているものの、頑なに彼女に非があるという考えは変わらないようだ。己が何を言ってもその考えを改める事はないだろう。
 だとしたら、今の己に出来る事は――この不毛な議論を早々に終わらせる事だ。

「会長さま。わたくしたちの関係について報告を怠り、その結果多大なるご迷惑をお掛けしてしまった事については、心から反省しております。きっと心のどこかで、会長さまに対して甘えがあったのだと思います。わたくしも、樹里さんも」

 主と彼女がこのまま戻って来ないとは考えられない。主が動揺する彼女を落ち着かせ、再びこの部屋に戻って来るまで、そう時間はかからないだろう。

「――ですので、今後何か進展があった際は必ず会長さまにご報告致します」
「進展?」
「はい。というのも、わたくしたちは精々手を繋ぐ程度の、あくまで健全なお付き合いに留めておりまして。この先の事を話し合う段階までは到っていないのです」

 少々事実と異なる箇所もあるが、会長の矛先がこれ以上彼女に向かないためにも、こう説明するしかない。

「ふうん。リスクを考えないで感情に任せるなんて君らしくないね。まあ、恋愛とは得てしてそういうものなのかも知れないけれど」
「……今回の件で懲りましたので、樹里さんがアイドルとして本格的に復帰されるまでに、今後どうお付き合いしていくかゆっくり話し合っていきたく存じます」
「うん、そうするべきだ。こちらとしてもまた同じ事があった時、オータムライブみたいに上手く揉み消せるとは限らないからね」

 一先ずはこれで話は纏まったと捉えて良いだろう。いくらなんでも誰と交際しているかを生徒会長およびユニットのリーダーに報告する義務はないものの、オータムライブでの『あのような事態』が起これば話は別だ。事前に共有出来ていれば、回避出来た問題もある。それこそ秀越学園から遠矢樹里の派遣依頼があった際に、病欠扱いで派遣しない手段も取れたのだから。

 ちょうど話が終わったタイミングで、主と彼女が室内に戻って来た。
 彼女が不安がっているのは考えるまでもなく分かる事だ。もう既に己と会長とのやり取りで解決していると伝えれば、彼女も一先ず安心するだろう。そう思っていたものの、彼女はまるで予想もしなかった事を口にしたのだった。

「会長。弓弦は何も悪くないんです。私が勝手に弓弦の事を好きになって、身勝手に告白して……弓弦は優しいから、私の気持ちを受け止めてくれた……それだけなんです。ですから、どうか処罰は私だけにしてください」



 己が甘く考えていたのは天祥院英智に対してだけでもなく、遠矢樹里についても同様であったのだと、痛感せざるを得なかった。あの夏を経験してからというもの、彼女は己の言う事なら素直に聞き入れてくれる――そう油断して、彼女の本質を見失っていた。
 彼女は過去の経験のせいか、自責の念が非常に強い。それこそ例の写真を世に放出させない為に、敵地のステージに立ったのはつい前の出来事だというのに。

 己と恋仲になる事は『処罰』に値する――それが彼女がこの短時間で導き出した結論だ。
 春までに解決策を導き出そうと決めた己とは真逆に、彼女は別れる道を選ぼうとしている。
 もう少し冷静になって考えて欲しい。春までまだ時間はある。それまでに何度でも話し合おうではないか。そう諭すのは容易いが、果たして彼女が聞き入れた後、本当に納得してくれるのか。別れるという意思はもう変わらないのではないか。

 ずっと幸せな日々が続いていた為か、己も少しばかり傲慢になっていたのかも知れない。彼女は己の言う事なら何でも聞き、従うと、無意識に思い込んでいたゆえに、このような事態に陥ってしまったのだから。





「って、おまえもマイナス思考になってどうするのさ! 樹里の唯一ダメダメなところがうつってない?」
「とはいえ、わたくしの説得で樹里さんが納得してくださるとは思えないのです。それこそ何が最適解なのか見当が付かず……」

 その日の夜、姫宮邸にて。らしくもなく落ち込む己を、見かねた主が珍しく慰める。それぐらい今日の己は酷い状態なのだろう。

「ボクも、会長が言うまでアイドルとプロデューサーが恋をしたら駄目だって思いもしなかったからさ……樹里はプロデューサーって言っても、社会のお偉いさんではないしさ、権力だってないじゃん。ボクとしては樹里は一般人って感覚でいたよ」
「わたくしも坊ちゃまに同意です。寧ろ咎められるのはアイドルであるわたくしの方だと思っていたぐらいですから」

 アイドルとて当然ひとりの人間であり、人権が侵害される事はあってはならない。だが、ファン心理を考えれば、恋愛に感ける暇があればアイドルとして邁進せよという理論は尤もである。落としどころを見つけるとすれば、せめてバレないよう上手くやれといったところであろう。

「ただ、ボクが思うに、会長は弓弦と樹里の関係は察していて、敢えて黙っていたと思うんだ。ただ、樹里がアイドルに戻るなら話は別で、復帰するならやっていい事と悪い事の区別は付けろって事なのかも。ボクは悪い事だとは思わないけど……」
「わたくしたちがそう思っても、世論はそうは思わないという事なのでしょう」

 随分と頭の痛い問題が舞い込んで来てしまった。身から出た錆であり、見て見ぬふりをして先延ばしにしていた結果が現状と考えれば、今の段階で考える時間が出来たのは不幸中の幸いだと思うしかない。彼女がアイドルに復帰するのは、新体制が始まる来年春になるだろう。幸い、あと三ヶ月は猶予がある。

「坊ちゃまにも心労をお掛けしないよう、必ずや解決してみせますね」
「別に心労ってほどじゃないし、ボクとしては上手くこっそり付き合っていけばいいんじゃないのって思うけどね。ボクの妹も珍しく樹里の事を気に入ってるし……」

 ふと、夏季休暇中に彼女がこの屋敷に泊まりに来た事を思い出して、そういえばもう半年も経つのかと感慨深くなったが、生徒会長の言葉を思い返すとこの時点でかなり軽率な行動であったと反省するばかりである。いくら主のわがままと云えど、そのわがままを言わせたのは己が彼女と関係を持ったゆえであるからだ。

「そういえば、妹君と樹里さんは半年近くお会いしていない事になりますね」
「たまにメールのやり取りはしてるみたいだけどね。ただ、樹里が元アイドルってバレて騒ぎになった後、あれ以来気を遣って連絡してないみたい」

 ふと、妹君の名前を出して彼女をまた屋敷に呼んで、ゆっくりと話し合いたい――などと思ったが、すぐにその案を却下した。それこそ彼女をまたこの家に呼び寄せるなど迂闊すぎる。せめて他に誰か一緒にいれば良いのだが。

「学院内で二人きりで話すタイミングはありますが、時間をかけて、となると少々厄介かも知れません。冬休み中に上手くプライベートの時間を活用出来れば良いのですが、如何せん場所が限られて来ますし……」
「あんずも連れて一緒にこの家に来て貰うとか?」
「あんずさんにそこまでして貰うと、樹里さんが気を病みそうですね」
「うーん……まあ、とりあえず今は目先の課題をクリアして、それから考えよう? スタフェスも近付きつつあるしね」

 今の状況ではいくら考えても答えは出ない以上、主の言葉に従うのが得策である。まずはアイドルとしての責務を果たし、彼女との今後についてはその後なんとしても話し合いの場を作らなければ。そう決めはしたものの、先行きに不安を覚えていたのだが、幸いにも冬期休暇を待たずに事態は思わぬ方向へ展開するのだった。

2020/05/09


[ 30/41 ]

[*prev] [next#]
[back]
- ナノ -