Evening Comes



 気付けば暦は十二月へと変わり、この夢ノ咲にも雪が降り始め、コートやマフラーを当たり前に身に纏うようになっていた。今の学院は、来るクリスマスシーズンに行われる一大イベント『スターライトフェスティバル』――通称スタフェスに向けて、一丸となって準備に励んでいる。
 と言っても、スタフェスはあくまで夢ノ咲学院内でのドリフェスに過ぎない。全国規模として考えれば、年末の『SS』がアイドルにとって最大級のイベントだ。夢ノ咲を代表してSSに出場するのは、春のDDDでfineに勝利したTrickstarである事は周知の事実だ。
 つまり、今年のスタフェスの開催意義は『Trickstarに箔を付ける為』でもあった。
 その事が、後に大きな蟠りを生む事も知らず、この時の私は漸く自分の進路が決まりつつあった事で、完全に気が抜けていたのだった。





「アンサンブルスクエア……ですか?」

 ウィッシングライブにて突発的にアイドルとしてステージに立った私は、翌日、弓弦と桃李くんに付き添って貰って、自身の今後の進路について直接話がしたいと生徒会長――英智さまに願い出た。幸い、この日は英智さまは体調が良く、すぐに視聴覚室を貸し切って、放課後に面談の場を設けてくれた。何故視聴覚室なのかと思ったけれど、その謎はすぐに明かされた。

「そう。来年度からは、このESを要としてアイドル業界を征服していこうと考えているんだ」
「征服? そんな物騒な……まるで戦争じゃないですか」
「樹里ちゃん、僕は比喩で言っているつもりはないのだけれど。秀越学園――というよりコズミックプロダクションが君を引き抜こうとしたのも、政治戦争そのものだからね」

 私の進路の話を切り出すはずが、英智さまは突然アンサンブルスクエア――通称ESのプロモーション動画なるものを流し、簡単に説明してくれた。簡単に、と言ってもあまりにもスケールの大きな内容で、話そうとしていた諸々の事が頭から抜け落ちてしまったぐらい、一気に新しい世界の内容が脳に叩きつけられた感覚を覚えた。
 混乱しているとはいえ、私の不躾な発言は英智さまの機嫌を少々損ねてしまったようだ。ひとまず私は、己の無礼を詫びた。

「申し訳ありません、会長。私、今の業界の事を分かっているようで全然理解してなくて……」
「ううん、いいんだよ。樹里ちゃんもじきに嫌でも分かるようになる。アイドルに復帰した暁には、身をもってそれを体感できる筈だ」

 その言葉に、私は本来の目的を思い出し、そして英智さまも決していきなり脈略のない話をし始めたのではなく、全ては繋がっているのだと漸く理解した。このESを要として来年度から動き出す――つまり私がアイドルとして復帰するなら、まさに自分自身に深く関わる内容だ。

「まあ、ESの詳しい事は追々説明するとしよう。まずは、この夢ノ咲学院でアイドル復帰の道を選んでくれてありがとう、樹里ちゃん」

 どうして英智さまが礼を言うのか、この時はよく分からなかったけれど、決して裏があるようには見えない微笑を湛えて拍手するものだから、私は卑下も謙遜も出来ずにただただ気恥ずかしさを感じつつ軽く頭を下げた。
 すると、今度は別方向からも拍手が飛んでくる。少し離れた場所に座っている弓弦と桃李くんだ。思わず二人に顔を向けてつい本音を零してしまった。

「いや、あのさ、恥ずかしいんだけど」
「どうして? 素直に会長の言葉を受け止めて、喜べばいいのに」
「わたくしも坊ちゃまに同意致します。ライバル校に奪われる事なく、樹里さんが自らの意思で新たな道を選び、この学院を選んでくださったのですから。会長さまにとっても実に喜ばしい事だと思いますよ」

 正直、こんなにあっさりと受け容れられるとは思っていなかった。
 弓弦と桃李くんは、昨日のウィッシングライブのレッスンに協力してくれた時点で、私がこの選択肢を取る事を分かっていたような素振りを見せていたから、この反応は理解出来る。
 けれど、突然私からこんな事を言われた英智さまが、まるで私が『こうする事』を初めから分かっていたかのような振る舞いで、正直引っ掛かりのようなものを感じていた。

「まるで『腑に落ちない』とでも言いたげな顔をしているね」

 私の考えなど全て見透かしているかのように、英智さまが笑みを湛えながら問い掛ける。私を試しているのか、面白がっているのか。その真意は定かではないけれど、少なくとも私は英智さまに嘘を吐く理由はない。

「不思議なんです。どうして会長は、こうして私がアイドルに復帰したいと申し出ても、驚きもしないのか」
「当然だよ。だって、僕は樹里ちゃんのアイドル復帰を、ずっと心待ちにしていたのだからね。寧ろ反対して欲しかったのかな?」
「……正直、反対されるかと思っていました。そんなに甘い道ではない、と」
「まあ、甘くはないのは勿論だけれど。ただ、樹里ちゃんは前の学校で色々と痛感しているだろうし、その点については危惧していないよ。ただ――」

 やっぱり私が覚えた違和感は正しかった。決して英智さまが何か企んでいるというわけではなく、今の私はアイドルに戻るには何かが欠けている。経験、技術、心構え、いくらでも思い付くけれど、どうしても言語化出来ず――見て見ぬふりをしていた。
 英智さまは、私がアイドルに復帰するには今の状態では不十分である事、その原因は何なのか、初めから分かっていたのだ。

「――樹里ちゃん。僕に隠し事をしているよね」
「隠し事?」

 一体何の事を言っているのか瞬時に把握出来ず、恍けた態度を取ってしまった私に、英智さまは顔色ひとつ変えず、口角を上げたままきっぱりと言い放った。

「樹里ちゃん、それに弓弦。君たちはいつから男女の仲になったのかな?」

 英智さまの言葉に私は何と返したのか、この後の記憶は曖昧だった。本当に頭が真っ白になる程思いもしなかった言葉だったのだ。気付いたら私は、桃李くんに手を引かれて廊下に出ていた。





「樹里、大丈夫だよ。会長には、弓弦がちゃんと説明してくれるからさ」

 廊下にいるのは私と桃李くんだけだ。今この瞬間も、弓弦が会長に説明してくれているのだろう。けれど、桃李くんの言葉に頷いて弓弦に全てを任せる気にはなれなかった。これでは弓弦に任せるというより、押し付けているだけだ。元はといえば、全て私のせいなのに。

「……桃李くん、ごめん。私にも説明の義務がある」
「頭真っ白になって何も言えない状態だったのに、今戻って会長にちゃんと説明出来るの? 弓弦が上手く話を纏めた後、樹里がめちゃくちゃにしちゃう可能性もあるんだよ?」

 桃李くんの言っている事は正しい。私が今出向いたところで、弓弦の助けになるどころか足を引っ張る事になりかねない。そもそも、弓弦が私との関係を英智さまにどう説明しているのかも見当が付かない。本当の事を正直に伝えているのか、それとも、事実無根で誤解だと言っているのか。
 ただ、どちらにしてもこのまま弓弦に全てを押し付けて帰るわけにはいかない。
 ――覚悟を決めないと。弓弦を振り回しているのは、悪いのは、全部私なのだから。

「大丈夫だよ、桃李くん。絶対に、弓弦にとって不利益になる事は言わないから」
「……本当に大丈夫? 弓弦がどうこうより、ボクは樹里の心のほうが心配だよ」

 私の顔を覗き込む桃李くんは眉間に皺を寄せ、その大きな双眸は僅かに細められている。私のほうが年上だというのに、これ以上桃李くんに心配を掛けては駄目だ。大体プロデューサーがアイドルに迷惑を掛けていること自体が本末転倒なのだ。桃李くんに対しても、弓弦に対しても、そして、英智さまに対しても。

 これはきっと、私がアイドルとして復帰する為の試練だ。私は試されているのだ。天祥院英智という、これからアイドル業界のトップとして君臨するであろう皇帝に。
 何かを手に入れるには、何かを手放さなければいけない。
 夢を諦めるには、何かを犠牲にしなければならない。
 このまま隠せば隠すほど、事態はどんどん悪化していくだろう。
 英智さまが私と弓弦の事を知ったのは、つい最近の話ではないのかも知れない。あくまで私が一般人だから目を瞑っていただけで、アイドルに復帰するとなれば話は別という事なのだろう。

「桃李くん、この事は私の口からもきちんと英智さまに説明しないと、絶対に駄目な事だと思うんだ」
「……樹里が落ち着いてちゃんと話せて、後悔しない選択肢が取れるなら、ボクは何も言わないよ」
「ありがとう、桃李くん。いつも桃李くんは私を助けて、背中を押してくれるよね」
「当然でしょ? 樹里は大前提としてボクの奴隷でもあるんだからねっ」

 漸く桃李くんに笑みが戻り、私も改めて覚悟を決めることが出来た。弓弦の為にも、桃李くんの為にも、逃げてばかりいたら駄目だ。





 桃李くんと共に視聴覚室に戻ると、既に英智さまと弓弦は肝心な話を既に終えているのか、穏やかな雰囲気でESの話に興じていた。

「会長〜! ただいま戻りました〜っ」

 桃李くんが英智さまの傍に駆け寄り、その隙に弓弦が私の方へ顔を向けた。

「樹里さん。話はもう終わってますので、心配なさらなくても大丈夫ですよ」

 弓弦は決して気を遣って嘘を言っている様子はなかった。強いて言えば、湛えている微笑や声がいつもよりも明るく感じられる。嘘は吐いていなくても、やっぱり私に気を遣っている事に変わりはない。
 もう既に解決しているのかも知れない。でも、私の口からもちゃんと言わないと。弓弦が英智さまに私たちの事をどんな風に説明したとしても。

 私は間髪入れず、英智さまの元へ歩を進めた。いつの間にか英智さまに抱き着いている桃李くんは、心配しているというより、鼓舞するように瞳を瞬かせて笑顔を向けてくれた。

「会長。先程の件ですが、私の口からも説明させてください」
「樹里さん、その話は終わったと申し上げた筈ですが」

 さすがに弓弦も困惑の表情を見せたけれど、対する英智さまはまるで私が申し出るのを待っていたかのように、無言で頷いてみせた。口角は上がっているものの、その瞳は冷たく感じられ、決して笑っていない事が嫌でも分かる。
 ――覚悟を決めないと。私は今にも震えそうな手を固く握り締めれば、英智さまの目をまっすぐに見つめて、口を開いた。

「会長。弓弦は何も悪くないんです。私が勝手に弓弦の事を好きになって、身勝手に告白して……弓弦は優しいから、私の気持ちを受け止めてくれた……それだけなんです。ですから、どうか処罰は私だけにしてください」

 そこまで言い切って、深々と頭を下げた。言葉は頭で考えるまでもなく、自分でも驚くほど自然と紡がれた。取り繕ってもいなければ何かを隠すわけでもない、真実を述べているゆえだろう。意外にも私は取り乱さず、不思議なほど冷静でいられた。ただ、誰も何も言わず、しんと静まりかえる室内に、さすがにおかしなことを言ってしまったと思い、恐る恐る顔を上げる。視線の先には、きょとんとして私を見つめる英智さまと、私ではなく英智さまの様子を窺う桃李くんがいる。弓弦の顔はまともに見ていない。見るのが恐くて、敢えて視界に入れないでいた。

「樹里ちゃん、君は盛大に誤解しているようだけれど」
「……誤解?」
「君がアイドルに手を出した事は、別に校則違反ではないからね。ファンの心理を考えれば、プロデューサー失格ではあるけれど」

 英智さまは笑ってはいないけれど、怒っているわけでも、呆れているわけでもなかった。ただ淡々としていて、心の底で何を思っているのかまでは窺えない。

「という訳で、処罰も何もないんだよ。アイドルとはいえ一人の人間だ、僕に君たちの仲を裂く権限などない」
「ですが……」

 それなら、どうして冷たい目をしていたのか。弓弦との話を切り出してからの英智さまは、明らかにいつもの表情ではなかった。私を試し、誤った回答をすれば一思いに切り捨ててしまうような、そんな残酷さを感じたのだ。

「樹里ちゃん。僕はただ、弓弦と付き合ってるなら付き合ってるって、打ち明けて欲しかっただけなのだけれど」

 ふと英智さまの顔を改めて見遣ると、まるでいじける子どものように眉間に皺を寄せ、責めるような目を向けていた。つい先程まで見せていた恐ろしさはもう消えていて、どちらかというと普段生徒会室で副会長や弓弦に対して悪ふざけをしているような雰囲気だ。

「……そうですね、進路の話をするよりもっと早く、この事を相談するべきでした」
「本来、交際関係についていちいち報告する義務はないけれど、僕としては把握している方が何かと動きやすいからね。良からぬ噂を揉み消すにしても、何にしても」

 英智さまの言葉に最初はぴんと来なかったけれど、すぐ傍で溜息が聞こえて、私はこの時、漸く弓弦へ顔を向けた。私に対して怒っている様子はなく、どこか気まずそうに眉を下げて、私から視線を逸らしている。

「悪いのは樹里さんではありませんよ。秀越学園で脅しに使われた例の写真……あれを最終的にこの世から抹消したのは、秀越の人間でもコズプロの人間でもなく、会長さまなのです」
「あ……」
「わたくしも先程聞かされて、血の気が引きましたが」

 てっきり七種くんか秀越学園、あるいはコズミックプロダクションの関係者が対処済みだと思っていたのだけれど、そこまで英智さまが手を回していたとは思わなかった。尤も、こうして事実を聞かされれば、確かに英智さまならそこまでするだろうと納得出来るのだけれど。すっかり頭から抜け落ちていたあたり、オータムライブでのトラブルが落ち着いて気が抜けていたのかも知れない。私も、そして弓弦も。

「今日はちょっと意地悪しちゃったね。ごめんね、樹里ちゃん。けれど、君の中ではアイドルが恋愛をする事は処罰に値する――そういう認識でいると分かって安心したかな。勿論、罪ではないけれど……今後アイドルとして活動するなら、まずはファンを大事にするべきだからね」

 英智さまは謝ってみせたけれど、言っている事は全て一貫している。処罰には値しないけれど、決して良しとしているわけではない。『揉み消す』『ファンの心理』『ファンを大事に』――そういった言葉のチョイスの数々から、私は悪い事をしているのだと認識せざるを得なかった。

「まあ、今すぐにどうしろとは言わないよ。交際を続けるも別れるも君たち次第だ。ただ、来年度に本格的に復帰するまでには、ちゃんと自分の中で落としどころを見出しておくといい。そうしないと、ゆくゆく苦しむのは樹里ちゃん――君自身だ」

 誰にも咎められないまま今日まで来たばかりに、ずっと見て見ぬふりをして過ごしていた。本当は、私のしている事はいけない事で、プロデューサーとしてもアイドルとしても間違っている。本格的にプロデュース科が始動し、この夢ノ咲学院だけでなくアイドル業界自体も大きく変わるであろう来年の春までに、私は自分がこれまで無意識に抱えていた矛盾と向き合い、結論を出さなければならない。
 結論は考えるまでもなく決まり切っている。プロデューサーを続けようと、アイドルに戻ろうと、私は最終的に弓弦との関係を終わらせなければならないのだ。

2020/05/06


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